オレたちが、正式に付き合い始めた、次の日。
「…………話があります。堀北先輩」
「────お前から来たその度胸は、褒めてやろう」
オレは、三年Aクラスの教室へ顔を出して、堀北先輩に、話をしに来た。
いつの間にか、先輩の拳が目の前で寸止めされていた。風圧がオレの髪を揺らす。
寸止めされたのは、飛騨先輩に、腕を掴み取られていたから、のようだ。
「あー、一応言っとくが、教室で暴力沙汰は勘弁してくれよ。学」
「翔子、すぐに止められるようにしてくださいね」
「もうやってるわ」
金織先輩は、飛騨先輩に、いざという時は止める指示を出していた。敢えて目の前でそのような指示を出すことで、強引に落ち着かせようとしているのだろうが。
「学くん。落ち着いてください」
橘先輩の制止を素直に受け取って、堀北先輩は、拳を下ろした。
「────盛大に殴ってくれても良かったのに」
占藤先輩は、絶対零度なんて言葉でも生ぬるいぐらい、冷たい凄絶な笑みを浮かべていた。
ここに来る前、生徒会室で、卜部先輩にかけられた言葉を思い出す。
『三年Aクラスに顔を出すつもりのようね。一つ言っておくけど、堀北先輩と、特に、メメ先輩は、これ以上ないくらい怒ってるでしょうから、気をつけなさい』
アイアンクローを喰らいながら、卜部先輩の忠告を、しっかりと脳裏に焼き付けておいた。
「ねぇ、綾小路くん。どうして有栖さんだけ振ったのかしら。堀北さんと、櫛田さんは、受け入れたくせに」
「……………優先順位の話です」
「あらそう。二人の優先順位もつけられない人の優先順位に、どれだけの価値があるのかしら」
「ちょっ、メメちゃん」
「ごめんなさい茜ちゃん」
占藤先輩は、橘先輩を拒絶して、オレに詰問する。
「綾小路くん。分かっているの?あなたが、有栖さんに、何をしたのか」
「……………はい。分かっています」
「三人から、あなたは二人を選んだ。誰も選ばないのでもなく、誰か一人を選ぶのでもなく。はたまた全員選ぶのでもなく。
ただ一人選ばれなかった有栖さんが何を思っていたのか、分かっているのかしら」
「……………坂柳が、どう思っていたのか、何を思っていたのか、オレには、推し量ることしか、出来ません」
「そう。聞かせてくれるかしら」
坂柳は、ずっと、オレを覚えていた。
あの日、坂柳が、オレを見たあの日から、ずっと。
思い続けて、考え続けて、好きになり続けた。
坂柳にとって、オレは、いつか打ち倒したい人で、いつか隣に立ちたい人だったのだろう。
八年は、長い。だって、人生の半分だ。
それだけ長い間、オレを好きでいてくれたこと。
嬉しいとは、思う。
「────坂柳は、ずっと、オレを思ってくれていた。それに、拒絶されたことは、坂柳にとって、これまでの人生を、否定されたようなものだと、思います」
「…………そこまで、分かっていて、でも、拒絶したのね」
「…………はい」
「あなたは、一生恨まれてもおかしくはないことをしているわ。それも、覚悟しているのかしら」
「はい」
「…………もし、有栖さんが、暴走して、堀北さんか櫛田さんを傷付けた時、あなたは、どうするのかしら」
「────その時は、責任を持って、坂柳を、殺します」
坂柳が、鈴音と桔梗を傷付けたとして。
オレは、きっと、恨めない。怒れない。
だって、坂柳にそんなことをさせたのは、オレなんだから。
でも、責任は、取らないといけない。
だから、そうなった時、オレは、坂柳を、殺す。
「…………そこまで、覚悟しているのね」
オレの本気を、占藤先輩は、読み取ったのか。
苦虫を千匹は噛み潰したような顔で、目を逸らした。
「…………あなたが、椚ヶ丘にいる頃に、会えていたなら。きっと、有栖さんにも───」
「…………そう、かも、知れませんね」
でも、現実は、違った。
オレは、鈴音と桔梗に、会ったから。
「…………はぁ。ほんっと、下半身のだらしないクズか、女を道具として見ているサイコパスか、そのどちらかなら、陰嚢を潰して社会的に殺したのに」
吐き捨てるように、心から惜しいというように、占藤先輩は、悔しそうに、オレを殺さないことを、嘆いていた。
お、おう。こ、怖いなこの人。
卜部先輩が、念を押すのも、よく分かる。
「────まぁ、そこまで覚悟を決めているなら、私からは、何も」
「なら、次は俺の番だな」
逆光で、眼鏡の奥の瞳は、見えないが。
堀北先輩が、これ以上ないくらい怒っていることなど、予想は、ついていた。
「今日の放課後、武道場に来い」
「…………はい」
綾小路清隆が去った後の教室で。
占藤は、橘に謝罪していた。
「止めてくれたのにごめんね。茜ちゃん」
「う、ううん。気にしてないよ」
後輩想いの先輩であると言うことを、三年Aクラスの生徒たちは、良く知っているが。
それでも些か、らしくない、と。
多くの生徒は、そう思っていた、
「────占藤」
「────何?」
「すまなかった」
「別に良いわ」
もう、振り切れたから。
そうして、放課後。
武道場で、道着を来たオレは、道着を着た堀北学先輩と、向かい合っている。
「───確認するわ、堀北。綾小路くん」
立会人として、堀北先輩が呼んだのは、三年Cクラスのクラスリーダー、白銀園子先輩だ。
先輩は、何処と無く鈴音に似ている凛とした声で、この契約を確認する。
「綾小路清隆が、堀北学から一本取れたなら、堀北鈴音、櫛田桔梗、両名との交際に、口出しも手出しもしない。
もし、一本も取れなかったら、櫛田桔梗との交際は、破棄すること。
時間制限はなし、反則はなし、寸止めもなし。意思が確認できる限り、この試合は、継続される。
────これで、良いわね?」
堀北先輩は、厳粛に。
「それでいい」
オレは、覚悟を決めて。
「構いません」
堀北先輩が、構えを取る。
鈴音が話していた、堀北先輩は、空手三段、合気道五段。ただ、空手に関しては、年齢の関係で、これ以上の段位が取れないだけで、本来なら、九段相当の実力は、持っている、と。
バレーボールの動き、それから、体育祭の動きを踏まえると。
堀北先輩の身体能力は、凡そ烏間先生の、七割程度。
技術に関しては、殆ど互角。
「それでは、初め!」
つまり、オレに勝ち目は、殆どない。
だとしても───!
先手を取らなければ話にならない。反則もなしなら、どんな手を使っても勝つ。
右手の指を揃えて、貫手で堀北先輩の額を狙う。
堀北先輩は、顔を傾けるだけで、それを躱す。
その程度予想済みだから、貫手の勢いを殺さずに、回転しながら回し蹴りを放とうとして。
オレが左足を軸に回転するより早く、堀北先輩の掌底が、オレの胸を強烈に叩いた。
「────ガッ」
オレの身体は吹き飛んで、二度、三度と床を飛び跳ねた。
人の身体をスーパーボールみたいに吹き飛ばすな。
背中から、勢いよく壁に叩きつけられる。咄嗟に後ろに飛び退いたから、衝撃は少しだけ逃がせたが。
それはそれとして、死にそうだ。
一撃でこれかよ。あぁ、クソ、膝が笑う。でも。
「…………今のを受けても、まだ、立てるのね」
白銀先輩は、素直に、オレの耐久力に、驚いたらしい。
逃げに徹したところで、どうしようもない。
勝つために、攻め立てる!
ジークンドー、CQC、極真空手、合気、柔術、その他諸々。
この十六年で身につけてきた技術の全てを、堀北先輩にぶつけていく。だが、それでも。
鳩尾に正拳突きを打ち込まれた。
側頭部に回し蹴りを食らった。
裏拳で顎を打ち抜かれた。
カウンターに合わせた合気で投げ飛ばされ、床に叩きつけられた。
腕を極められながら、投げ飛ばされた。
何、より。
この人は───。
「ふむ。成程、ジークンドーとは、こう動くのか」
試合の中で、オレの動きから、ジークンドーとCQCを身に付けている。オレと同じ、いや、オレ以上の精度だ。
「少なくとも武道において、浅野先生は、わざわざ言葉で教えてなどくれなかったからな」
オレを投げ飛ばして、壁に叩きつけながら、堀北先輩は、独り言を溢す。
鎖骨が砕ける音が聞こえた。
既に肋骨は数本死んでいる。
霞んだ視界に、赤い液体が入り込んでくる。
咳と共に、唾に赤色が混ざっている。
「────目で見て盗むうちに、こういうことも、出来るようになった」
…………オレに、勝ち目が、あるとすれば。
それは、十六年で身に付けた豊富な手札による撹乱からの、不意の一撃しかない。
だが、堀北先輩は、長引けば長引く程、手札の枚数が、増えていく。
唯一の勝ち目が、潰えていく。
それでも。
「…………もう良いんじゃないかしら。ここまで殴られて骨を砕かれてもなお、綾小路は諦めていない。
あなたの妹ともう一人を抱えたとしても──」
「いいや。俺から一本も取れないようでは、話にならん」
「…………っ、ご心配、感謝します。白銀先輩。────でも、」
まだ、やれます。
血が、ポタポタと、床に溢れる。
『おいおい。壊すなって言っただろ‼︎これ以上やったら、学は‼︎』
浅野先生は、本当に、厳しい人だった。
鎖骨が砕けることもあった。
腕の骨が折られることもあった。
肋骨が何度折られたのか、もう数えきれない。
眼鏡を何度変えたのかも、もう覚えていない。
生え変わる前の歯は、浅野先生に殆ど砕かれた。
何度も何度も、敗北した。
それでも。
『…………ご忠告、感謝します……、師範………っ、………ですが』
まだ、やれます。
血が、ポタポタと、床に溢れた。
綾小路。俺は本当は、お前を、とっくに認めている。
お前なら、鈴音を任せて良いと、そう思っている。
櫛田も選ぶというなら、それもまた、お前の選択だし、鈴音も櫛田も納得しているなら、俺から言うことなどないということも、分かっている。
俺は結局、何も変えられなかった。
俺は、何も変わらなかった。
…………俺は、浅野先生を救いたいと言う綺麗事で、あの人に勝ちたいという俺の感情を、丁寧に丁寧に飾っていた。
その果てに、俺は間違えて、地獄を生み出した。
なぁ、綾小路。お前は、変わったから。
お前は、────。
二人の生徒がいた。
一人は、超生物に出逢って。
一人は、超生物に渡り合う怪物に出逢った。
どちらも同じく、それに勝とうとして。
超生物に、友達たちと挑む中で、一人の生徒は弱さを知った。
怪物に、仲間たちと挑み続ける中で、一人の生徒は強さを知った。
超生物の寿命を知り、一人の生徒は暴走した。
怪物の過去を知り、一人の生徒は救おうとした。
一人の生徒は殺されて、超生物と別れ、本当の意味で人になった。
一人の生徒は救えずに、怪物の元を去り、更なる力を求めていった。
人となった果てで、少年は、今、間違いを貫き通そうとして。
力を求めた果てで、少年は、嘗て、正しさの地獄を生み出した。
綾小路清隆と、堀北学は。
始まりは、きっと、同じだった。
即ち───。
「…………二人と一緒にいたいから、オレは、勝つ……!」
あの人に、勝ちたい。
二人の人間のスタートラインは、そこで。
その果てに、一人は間違いを突き進む道を。
その果てに、一人は正しさを貫き通す道を。
それぞれ、選んでいた。
勝つために、どんな手でも使う───っ!
額を拭って、右手に血を溜める。
踏込みながら、右手を振り抜いて、堀北先輩の顔面に、血と汗の混じった目眩し。
だか、先輩は。
目眩しすらも躱して、オレの懐に潜り込んできた。
「───シッ」
重い重い一撃が、再びオレの鳩尾を打ち抜く。
胃液が逆流して喉が焼ける。
意識が飛びそうになったから、舌を噛んで、ダウンを堪えた。
胸に強烈な前蹴りを喰らって、再び壁際まで吹き飛ばされて。
走り込んできた先輩の貫手が、オレの顔面を狙っている。
この瞬間を、待っていた。
オレに波長は見えない。だが、クラップスタナーの理論は、理解できる。
意識の隙に、音の爆弾を叩き込んで、混乱させる。
意識の隙には、数種類ある。
無論、相手の目の前で武器を捨てれば、驚愕の余り、隙が生まれる。
武器も持たずに無造作に接近してくれは、意識の隙は必ず生まれる。
複数人で翻弄して、相手を混乱させられるなら、意識の隙は必ず生まれる。
────そして、トドメの瞬間なら、意識の隙は、必ず生まれる。
渚のクラップスタナーを、カルマが喰らったように。
桔梗のクラップスタナーを、オレが喰らったように。
今、堀北先輩が、オレにトドメを刺そうとしているように。
オレは、賭けた。
見様見真似の
渚や桔梗のそれに比べたら、あまりにも稚拙。
だがそれでも、音が、響く。
堀北先輩は、一瞬、硬直した。
その一瞬が、命取り。
立ち上がりながら、勢いよく、肩固め。
完璧に、極まった。
先輩を床に叩き付ける。
この、まま────‼︎
「───っ、一本!」
白銀先輩の判定で、堀北先輩は、脱力した。
……………オレも、もう、限界だ。
「……………契約に従い、俺は、お前たちの関係を認めよう」
「……………ありがとう、ございました」
先輩はさっさと、道場を去った。
床に大の字になりながら、息を整える。
ここまでズタボロにされるなんて、ホワイトルームを思い出す。
……………いや、あそこよりはマシか。
「堀北が、その、ごめんなさいね」
「………白銀先輩」
「………これで、全校生徒への、宣伝というか、宣言になるわ。堀北学の、櫛田桔梗と別れて、堀北鈴音とだけ付き合え、という要求に、骨が折れる程打ちのめされながらも挑んで、一本取って、認めさせた」
少なくとも在校生の中で、あなたをただのクズだと見なす人は、一人もいないでしょう。
「………もっと、良い手段、無かったんですか」
「ま、視覚的にも強烈だもの。途中から左手も折れてたでしょ?それで良くやるわ」
ギプスと包帯ぐるぐる巻きで、腕を吊るしているのか。
あまりにも視覚的に分かりやすい、大怪我人ではあるが。あるが。
「………まぁ、罵倒ぐらいは、受け止めるつもりだったんですけどね」
「話を聞く限り、一年Aクラスから罵倒されるならまだしも、他学年の他クラスから罵倒されるなんて、認め難いわ。多分、堀北も、同じことを考えたのでしょうね。
だから、まぁ、こういうことをしたのよ」
堀北先輩の仕込み通り、オレと堀北先輩の賭けは、いつの間にか全学年に広まっていた。
立会人の白銀先輩は、公正公平な人だと、多くの人に認められているのもあって。
まぁ、オレを罵倒するようなのは、鳴りを潜めたというか。
代わりに、『愛に生きる男』だとか、『二股野郎。されど純愛』、だとか、『学校最強公認の二股』、だとか、『世の浮気男はかくあるべし』とか色々言われるようになった。
普通に恥ずかしい。
Bクラス三人衆は、ノリノリでイジってくる。
「おはよう!『純愛二股野郎』!」
「おはよう!『愛に生きる男』!」
「おはよう!『最強の二股』!」
全身ズタボロだから反撃できないだけで、もし動けていたら腕ひしぎ十時固めはやっていた。
「───はぁ。やりすぎよ。兄さん」
「いやぁ、まぁ、学校中から罵倒されるよりはマシだよ。私ら全員生徒会だしね」
鈴音と桔梗が、半ば無理矢理荷物を奪ったので、三人で並んで階段を降りる。
生徒会といえば、今日、神室が生徒会に来て、掲示ポスターの許可を貰っていたな。
卜部先輩は、オレにアイアンクローしながら、許可を出していたが。
チラッと見えたポスターには。
『一局打つだけで5,000ポイント!勝ったらプラス10,000ポイント!坂柳有栖主催チェスイベント!』
とあった。
……………何故?