一年Bクラスのバス車内
一年Bクラスのバスは、沈黙に包まれていた。
それは、最後部の五人がけの椅子に、三人並んで座っている、Bクラストップスリーが原因だ。
綾小路の右肩に櫛田が、左肩に堀北が、それぞれ頭を傾けて、三人で仲良く眠っているのだが。
「な、なんか、ヤバくない?」
「分かるよ恵ちゃん。なんか、ヤバいオーラが漏れてきてるんだよね」
軽井沢恵と松下千秋の視線の先では。
寝ながらもほぼ無意識のうちに、堀北鈴音は、自身の左手の傷と、綾小路清隆の左手の傷を重ね合わせている。
寝ながらもほぼ無意識のうちに、櫛田桔梗は、綾小路清隆の手を握って指を絡ませて擦り合わせている。
二人とも完全に眠っている。眠っているはずなのに、たまに幸せそうな笑みを浮かべながら、頬ずりしたり、体をすり寄せたりしているのだ。
「な、なぁ、なんか、距離近すぎねぇ?」
「お、おぅ。なんか一日櫛田がヤバい日はあったけどさ、眠っているはずなのにそれ以上にやばい気がする」
池寛治と須藤健は、いつかの櫛田桔梗を思い出し、今の二人と比較していた。
あの日の櫛田も本当にやばかったのだが、今日の二人は眠っているのにあの日よりも間違いなくやばい。
もう、なんか、空気が甘い。胸焼けしそうなぐらいに甘い。
と、そこで、櫛田桔梗はぼんやりと目を覚まして。
寝ぼけ眼で色々と確認して、横になれるくらいのスペースがあったので。
今度は綾小路清隆の膝を枕にして、仰向けで、寝た。
「く、櫛田さん、凄くナチュラルに、膝枕してます………」
「ね、ねぇ。凄く安心し切っているというか何というか」
佐倉愛里と長谷部波瑠加は、もはや戦慄していた。
今度は、堀北鈴音がぼんやりと目を覚まして。
膝枕で眠っている櫛田桔梗を見て、少しだけ、不満げに頬を膨らませて。
綾小路清隆の胸に抱きついて、また寝た。
「や、やっば。鈴音理性完全にどこかいってない?」
「ね、ねぇ。あの堀北さんがこんなにデレデレになるなんて」
小野寺かや乃と篠原さつきは、教室ではある程度の節度を頑張って持っている堀北鈴音の、常とは違いすぎる様子に、びっくりしていた。
と、そこで綾小路清隆ば、ぼんやりと目を覚まして。
抱き着いている堀北鈴音と、膝枕で寝ている櫛田桔梗に、なんかもうこれ以上ないくらい甘ったるい視線を向けて。
二人の頭をそっと撫でて、そのまま寝た。
「ふ、ここまでとはね。綾小路、恐ろしい男だ」
「う、うん。なんかもう、見てるだけで恥ずかしくなるよ」
「まぁ、何というか、清隆は、割と正直なんだなというか」
高円寺六助、平田洋介、幸村啓誠の、Bクラス男子トップ陣は、綾小路清隆の、あまりにもなゲロ甘っぷりに、恐怖していた。
「…………お前たち、怒られたばかりだろう」
茶柱佐枝は心から呆れていた。
「よ、よーし、あの三人は気にせず大富豪でもやる?」
「う、うんそうだね!あの三人は気にせず大富豪やろっか!」
「いや無理じゃない?なんかあそこ起点に車内の雰囲気ピンク色になってるよ?」
「気にしたら負けだよ‼︎」
気にするだろうというツッコミは入らなかった。
エンジンの音が、うっすらと耳に入ってくる。
意識が完全に覚醒して、目を覚ます。
最初に視界に入るのは、幸せそうな笑顔で眠る桔梗。そっと、指を丸めて、桔梗の頬を撫でる。
桔梗は寝ながらも、嬉しそうに、頬擦りを返してきた。愛おしいと、そう思う。
「……んぅ」
嫉妬するように、そんな声が漏れ聞こえて。
左側に視線を向けると、抱き着いている鈴音が、寝ぼけ眼で、オレを見ていた。
「………わたしにもかまいなさい」
「あぁ。いくらでも」
鈴音の、烏の濡れ羽色の髪を、優しく左手で撫でる。とても幸せそうに目を細めて、鈴音は、左手で、オレの手を捕まえた。
お互いの傷痕を重ねて、鈴音は、自分の頬に、オレの手を添えさせて。
そうして、また、眠った。
「おはよう。綾小路」
声を潜めて、茶柱先生が声を掛けてきた。
成程、ここは、バスの車内なのか。
停まっている、ということは、サービスエリアなのか。
記憶を辿ると、確か駐車場脇のベンチで三人で眠っていたところ、茶柱先生に起こされて、外で寝るのは良くないから先にバスに乗っておけ、って言われて、腰が抜けてまともに歩けない二人を背負って、後部座席に座ったんだった。
「なぁ、浅野先生にも怒られたばかりだろう?節度は持て、と」
「はい。なので、合宿所に行く前に、出来る限り発散してました」
「………なのでの使いかたがおかしいぞ」
そう、だろうか。
そうかもしれない。
いや、だが、しかし。
「愛する女に触れられないというのは、本当に辛いし悲しいんですよ?」
「…………………そう、か」
言葉が溢れ出してくる。
茶柱先生は、少し引いていた。
「一ヶ月近く触れられないなんて、オレにとっては生き地獄です」
「…………………そ、そう、か」
苦しみを吐露してしまう。
茶柱先生は、さらに引きながらも、少しばかり照れていた。
「この温もりも、この愛しさも感じられないなんて、オレではとても耐えられません。
なので、丸三日掛けて、たくさん愛し愛されて、これでようやく、耐えられるかもしれないんです」
「…………………そ、そ、そうか。
思春期は、その、凄いんだな」
これは必要なことだったのだと訴える。
茶柱先生はこれ以上ないくらい引きながらも、もはや感心していた。
(………⁉︎
聞き耳を立てていた佐藤麻耶は、綾小路清隆の、とんでもなさすぎる発言に、赤くなっていた。
(ま、ま、まじなの………⁉︎
あの三人丸三日ぶっ続けでやってたの………⁉︎
ど、どっちも人間業じゃない………‼︎)
正直な話、綾小路清隆が、堀北鈴音と櫛田桔梗以外は絶対に振る、というか実際坂柳有栖を振ったように、ある意味で誠実な男でなければ、多分佐藤麻耶も、ワンチャン狙って告白していたが。
今の発言が真実なら、いや、嘘をつく必要もないし真実なのだろうが。
(か、か、仮に、付き合えたとしても………。
わ、私だと、多分死ぬ)
二人がかりとはいえ、これを受け止め切っているあの二人は何だ。
お互いに化物だから成り立っているカップルだろうこれはもう。
「ふー、トイレめっちゃ混んでたー。
あれ、麻耶めっちゃ赤いじゃん?どうしたの?」
……………そういえば。
軽井沢恵は、櫛田桔梗から、色々とアドバイスを貰っていたはずだが。
「……………け、恵ちゃんも、もしかして、性欲モンスターなの?」
「何がどうしてそうなったの⁉︎」
ちゃんとした恋人関係になれてからも、キスもまだしていないというのに。
言ってて悲しくなってきた。
「ご、ごめんね?な、なんか、綾小路くんたち、その、えっと、………………な、なんでもない」
「えっ、何怖いんだけど」
あの三人、何したんだ?
軽井沢恵の視線の先では、とても愛おしそうに、眠る二人を起こさないように見守る綾小路がいた。
微かにバスが揺れて、目が覚める。
たくさん眠れて、漸く、色々とスッキリできた気がする。
「おはよう。鈴音」
「えぇ、おはよう。きよたかくん」
意識がはっきりしてきたので、より清隆くんに抱き着いた。
清隆くんも、左腕を回して、抱き寄せてくる。
敢えて、お互いの左手を重ね合わせる。
私の左手の傷痕と、清隆くんの傷痕が、重なる。
「あいしてる」
「愛してる」
そこを起点に、熱が全身に広がっていく。
丸三日もの間、愛して愛されて、でも、まだ。
「だいすき」
「オレも、大好きだ」
お互いに目が合う。その奥に、情欲の炎が、まだ燃えているのが分かる。
その炎を間近で見たくなって、顔を近づけて。
そうして、そっと、お互いに目を瞑って。
無言でキスをする。
触れ合うだけにキスを数度繰り返して、そうして、本格的な、濃厚なキスをしようとして。
「あ、あ、あ、あー‼︎UNOって言うの忘れてたーっ‼︎」
「も、も、もう‼︎恵ちゃんは、うっかりだなぁー‼︎」
「そ、そうですよ!か、軽井沢さんは、うっかりさんですっ‼︎」
態とらしく、大声で、存在感をアピールする、軽井沢さんと、松下さんと、佐倉さんに、気付いた。
そう、さっきまで、部屋だと勘違いしていたのだけれど。
どうやら、バスの中だったみたい。
いつの間にか、バスだった。
いつ乗ったのかは、記憶にないけれど。
そう、私は、バスに乗っている。
クラスメイトは、全員、乗っている。
さて、私は、ついさっき、何をしていたのか。
びっくりするくらい甘ったるい声で、『あいしてる』『だいすき』とか言ってたわね。
何度かキスしてたわね。
舌入れようとしてるわね。
雰囲気的に、もう完全に、そういうことする数秒前だったわね。
そしてそれ、全部クラスメイトに見られているのね。
そうなのね。
そっと、清隆くんから、一旦離れる。
「あっ………」
やめて、そんなに悲しげな声を出さないで。
抱き着いて甘やかしてよしよししたくなっちゃう。
必死に、必死に、あの三日間で粉砕され尽くしてすり潰されて粉微塵になった理性を、何とか組み上げて。
最後尾の端の席で、私は窓の外を、少しだけ眺めた。
綺麗な景色ね。えぇ、本当に綺麗だわ。
そうして、現実を、直視して。
「うにゃぁぁぁぁぁああああ‼︎」
これ以上ないくらい赤く染まって顔を両手で隠して、後部座席で横になった。
「ちょっ、鈴音、どうし────」
清隆くんは、そこで、一時停止を押されたみたいに、固まった。
私の今の様子を見て、急激に理性が戻ってきたみたい。
清隆くんもまた、これ以上ないくらい赤く染まって。
「うぉぉぉぉぉぉ…………」
呻き声を、上げていた。
クラスメイトは、漸く安堵した。
ゲロ甘過ぎる空気が、薄まったので。
「桔梗さんのせいよ。これは全部桔梗さんのせいよ。桔梗さんが、桔梗さんが、あんなことしたから、したからぁ」
「そうだな。これは全部桔梗のせいだ。桔梗があんなことをしなければ、ここまで、ここまでになることは無かったのに」
オレと鈴音の意見は完全に一致していた。
いや、まぁ、鈴音も思いっきり煽りはしてきたし、なんなら二回ぐらいトドメを刺してきたのだが。
それに至る流れを作ったのは、完全に桔梗だった。
なので、今回の件に関しては、一番悪いのは桔梗なのだ。
「………ねぇ、清隆くん。
うっすらとした記憶の中で、多分私、茶柱先生の目の前で、思いっきり甘えていた気がするのだけれど」
「そうだな鈴音。
オレも茶柱先生に、かなりヤバいことを口走った覚えがある」
不幸中の幸いか、茶柱先生は、サービスエリアに停まって、生徒の殆どがトイレに行っているタイミングで話しかけてきてくれたので、他の生徒には、聞こえていなかった、はず。
聞こえてないよな?
視線を走らせると、佐藤が露骨に目を逸らした。
あ、あぁ、あぁ〜、うん。そうだったな。残ってたな。うん。
「……………だ、大丈夫‼︎絶対誰にも言わないからっ‼︎」
「助かる。本当にありがとう」
「あなたは何を口走ったの」
「…………三日間」
「…………う、うぁ」
鈴音なら、それだけで、分かる。
鈴音は真っ赤になって、倒れ伏した。
他のクラスメイトは、よくわからない、という顔をしていて。
目の前の席に座る高円寺だけが、凄く面白そうに、笑っていた。
「ふむふむほうほう。いやはや、君がそこまで夢中になるとはねぇ。綾小路」
「頼む黙れ黙ってくれお願いだから黙ってください」
「いやいや、恋人同士の熱烈にして激烈にして情熱的な関係は、大変素晴らしいものだろう?」
「お願い喋らないで高円寺くん」
オレも鈴音も、完全に致命傷を負っていた。
膝枕でぐっすり眠れている桔梗が、今は、心から羨ましい。ずるい。
なんだか揺れた気がして、目が覚めた。
目が覚めて、一番初めに視界に入ったのは、耳まで赤くなった、清隆の顔。
あぁ、好きだなぁ。
「………………おはよう、桔梗」
「うん。おはよう、きよたか。だいすき」
「………………オレも、大好き、だ」
えへへへへへ。嬉しい。嬉しい、なぁ。
撫でてくれてたみたい。清隆の右手を捕まえて、頬擦りする。
あぁ、あったかい。
「あいしてる。きよたか」
「………………おぅ、愛してるぞ」
丸三日間の余韻が、残っていて。
また、愛して欲しいって、そう、心から思って。
捕まえた清隆の指を、口に含んで、舐る。
「ちょっ、桔梗、やめっ」
「やぁら」
指を、舐め回す。
第一関節に舌を這わせて。指全体を、甘噛みして。
そっと、付け根を、舐めた。
舌の使い方は、ディープキスの時の、応用だ。
「桔梗、本当に、ダメだって………!」
「んぁ?」
清隆が、本気で、制止してくるので。
そっと、舐るのを、やめて。
捕まえた手に、軽い口付けを、落とす。
もう、そんなに怒るなんて。
「ごめんね。ごしゅじんさま。おこらないで」
「ちょっ、桔梗、それは、本当、に………‼︎」
真っ赤になりながら真っ青になるなんて、凄く器用だなぁ。清隆は。
えへへへへ、これ言うと、清隆簡単に理性吹き飛ばしちゃうだもん。ほらほら、ばっちこーい。
とか思ってたら、鈴音の顔が、視界に入ってきた。
「良いかしら。桔梗さん。落ち着いて、左側を、よく見て頂戴」
「……………?」
よく分からないけど、鈴音の指示に従って、視線を、左側に、移す。
「………………き、桔梗ちゃん………?ご主人様って………?」
「しっ!聞いちゃダメだって恵ちゃん‼︎」
「うんうん。まっつんの言う通りだよ。趣味は人それぞれだからね」
なんか、けいちゃん、いる。
あ、まつしたさんもいる。はせべさんも。
なんだったら、くらすめいとぜんいんいる。
きおくにないけど、わたしら、へやじゃなくて、ばすにのってたんだ。
わたし、さいこうびのせきにすわってたんだ。
そっか、それならふつうによこになれるよね。
よこになれてたから、へやだってかんちがいしてたよ。あはははははは。
さて、私は、何をしていたのか。
整理しよう。
清隆の膝枕でぐっすり眠っていた。これはよし。まぁ、まだ、その、普通のカップルだ。多分カップルの頭に『は』の濁音つくやつだけど。それは割と今更だし。
目が覚めていきなり、『だいすき』『あいしてる』。いやまぁ、これに関しては、あの日同じようなことをしでかしたことあるから、少しばかり耐性がある。
撫でていた手を捕まえて、頬擦りからの、口に含んで舐っていた。これはアウト。アウトオブアウト。こんなの実質前戯じゃん。クラスメイトの前で何やってんの馬鹿なの。
極め付け。『ごめんね。ごしゅじんさま。おこらないで』。はい終わり。終わりですもう終わりです。私の学生生活終わりましたー。
そっと、清隆の膝枕から、起き上がる。
「…あっ………」
やめてよ残念そうな声出さないでよ撫で回して甘やかしちゃいそうになっちゃうじゃん。
いやまぁ、今回に関しては、原因殆ど私じゃん。なんだよあの料理。なんだよあの隠し味のドリンク。日本で一番有名な毒蛇がパッケージのアレは本当にダメだって。絶対正気じゃなかったって。馬鹿なの私。
後部座席の隅まで行って、景色を眺める。
綺麗だなぁ。
私が原因で粉微塵に粉砕され尽くしてすり潰されて燃やされた理性が、自然と戻ってきて。
ついさっきの諸々を思い出した。
「うにゃぁああああああああああああああ」
真っ赤になった顔を両手で隠して、悲鳴をあげた。
やらかした。やらかした。やらかした。
完全無欠に、やらかした。
クラスメイト達の、畏れすら含まれる視線を私たち三人は浴びて。
色々と、その、死にたくなった。
「まぁ、その、アレだ。うん。
高校生なんだし、うん。
そう言う失敗も、時にあるだろう。かなり珍しい例だとは思うが」
茶柱先生の、その慰めが、私たち三人の心を、これ以上ないくらい、抉った。
ちょうどそのタイミングで、バスは、合宿所に着いたらしい。助かった。本当に。何も助かってないけど助かった。
さっさと降りるために、立ちあがろうとして、まだ、甘い余韻で、足が震えて、倒れそうになって、清隆に、姫抱きで、抱き留められた。
いやー、半日近く経つのに余韻こんなに残ってるんだー、凄いなー。
もうやだ。ころして。
「…………その、このまま、降ろすぞ」
「…………ぁぃ」
なんで鈴音は普通に立てるの。少し足震えてるけどさ。
あぁそっか、たくさん鍛えてるもんね。
バスから降りて、私は、一、二年生の大半が、清隆と、清隆に姫抱きにされている私に、視線を向けていることに、気付いた。というか分かり切ってた。
私は、もう二度と、日本で一番有名な毒蛇が描かれたドリンクは使わないと、誓ったのでした。
浅野先生は深い溜息を吐いています。