何かこう、筆が乗った。
須藤健は、正直死ぬほど怖かった。
小宮に呼び出されて蒸し暑い特別棟に連れて来られた時点で、既にイライラしており、その後の挑発やら言いがかりやらで我慢の限界を迎えそうだったが、流石にこちらから喧嘩を売るのは不味いと理解しているので、必死に抑え込んでいたところ。
「おい聞いてんのか須藤!」
「───ねぇ、うるさいんだけど?何してんの?」
理科室から出てきた赤髪の優男が、小宮たちにそう声をかけた。
その男を一目見た瞬間、須藤は逃げ出したくなった。
何が須藤にそう思わせたのかまでは分からない。ただ、この男は危険だと、須藤の直感が大音量で警告していた。
「あ、赤羽⁉︎何でお前ここに……」
「そんなのどうでも良くない?俺は今、何してのって聞いてるんだけど?」
「お、お前には関係ないだろう⁉︎」
小宮の言葉は、半ば悲鳴のようだった。
知り合い、のように見えるのに、二人の間には、冷たい壁が降りているように思えた。……いや、それは適切ではないかもしれない。正しくは小宮の方が、分厚く冷たい壁を作っているようだった。赤羽は、壁など一切ないかのように振る舞っていた。
躊躇なく、容赦なく、散歩するように、歩み寄ってくる。ただ、それだけなのに、小宮は泣きそうだった。
「…………今さ、この理科室で奥田さんが実験してるの」
「もしお前らが、騒ぎを起こして、奥田さんを驚かせて」
「
「───俺がお前らをどうするかぐらい、想像つくだろ?」
後退りしながら、それでも何とか、赤羽に反論する小宮。思ったよりも根性あるな、と須藤は思わずにはいられなかった。
「お、俺らは今龍園さんの指示で動いてんだ。も、もし俺らの邪魔したら、そのときは、け、契約違反だぞっ」
だが、赤羽はより嗜虐的な笑みを浮かべた。
まるで、そう。獲物が罠にかかった瞬間を、待ち構えていた狩人のように。
「──龍園との契約は、あいつが俺と俺の友人たちの安全を脅かさないって前提のもとにある契約だ」
「だ、だから、何だよっ!?」
「もしこの場で、お前らが喧嘩すれば、奥田さんにも被害が及ぶ可能性があった。───それってつまり、
可能性の話でしかなく、どこまでいっても暴論でしか無い。
だがそれでも、赤羽業に対抗できるほど、龍園はまだ強く無いので、もし、
Cクラスは、一気に赤羽の手に落ちる。
「まずは、お前らを報復として叩き潰して、その後は龍園を潰してやるよ」
小宮は、失敗を悟った。
龍園からの仕事である、
このままだと、それだけではなく、龍園の支配体制そのものが壊れてしまう。
(考えろ、考えろ考えろ考えろ‼︎ここから、どうにか穏便に済ませる方法はないか⁉︎赤羽の怒りを鎮める方法は⁉︎)
暑さで鈍くなってきた思考を、それでも高速で回し、小宮は、ある妙案を思い付く。
「んじゃ、早速───」
赤羽はすでに間合にいる。引き絞られた腕が、頬を打ち抜こうとしたとき。
「ま、待ってくれ、赤羽!」
そんな小宮の制止を聞いて、赤羽は腕を引き絞った体勢のまま止まる。
「何?これ以上つまんないこと抜かすようなら、潰すけど?」
唾を飲み込みながら、冷や汗をダラダラと流しながら、小宮は命乞いをするように、話し出す。
「………これは、俺の意思だ。俺が須藤を気に食わなかったから、俺が自分で考えて動いただけ。……さっき、龍園さんの指示だって言ったのは嘘だ。責任を、龍園さんに被せるための、嘘だ」
その宣言を聞いて、赤羽業は悪魔のような笑みを浮かべた。
「へぇ、思ったよりもやるじゃん。それなら確かに、龍園は俺との契約に違反したわけじゃない。………代わりに、君に報復するけど、それも覚悟の上かな?」
「…………あ、あぁ。もちろんだ」
赤羽に振るわれる暴力も怖いが、龍園から受けるであろう
その見通しは、些か甘かったと言わざるを得ない。
「よし、じゃあ今ここで両手と膝を床について」
小宮はその要請にすぐさま従い、その場で四つん這いになった。このまま顔面に膝蹴りでも喰らうのか、と思っていたら、赤羽は予想外のものを取り出した。
他のCクラス男子も須藤も、なぜ
赤羽が取り出したのは、ワサビからし柚子胡椒ニンニクのチューブと、何かこう、怖いぐらい赤い果実のようなもの。唐辛子、だと思われるが。トゲトゲの皮を持つ果物。それに加えて首輪とクリップと紐。もはやどこから出したんだ、と思うぐらいの道具の山。
声を掛けるべきでは無い、と須藤は分かってこそいたが、思わず、そう思わず声を掛けてしまった。
「お、おい、えっと、赤羽。それでそいつに何するつもりなんだ?」
「ん〜〜〜、まずニンニクと柚子胡椒を鼻にぶち込んでぇ、ところてんみたく押し出すつもりでワサビとからしも鼻にぶち込んでぇ、そしたら口に唐辛子の百倍辛いブートジョロキアぶち込んでぇ、そんで激臭のするドリアンを皮ごと口にさらにぶち込んでぇ、クリップで鼻の穴塞いで、猿轡して、首輪をつけて処置終了」
「……………そいつ死ぬだろ」
「大丈夫大丈夫。人間思ってるよりも丈夫だから」
小宮は、数秒前の自分を何としても殺そうと決意した。
今目の前にタイムマシンを持ってきてくれるのなら、喜んで靴を舐めるし、一生下僕になる。
だから、どうか、誰か助けてくれ。
「さぁ小宮。お前の忠誠心の見せ所だよ」
特別棟に響く、地獄のような悲鳴。
須藤は、目の前の惨劇からそっと目を逸らした。
哀れ
報告を受けた龍園は、小宮を筆頭としたCクラスバスケ部への報復はやめにした。
………既に赤羽業に、尊厳やら何やらその他諸々を完全に破壊されていたので。
あまりにも哀れに思った龍園翔は、小宮に労いの言葉をかけるなどした。
「まぁ、その、何だ。よくそこから最悪の事態を回避したな。よくやったよ、お前は」
「りゅゔべぶざぶ、ばびばぼゔごじゃびばず」
口は真っ赤で鼻も見てわかるぐらいに腫れ上がっている。たらこ唇でもこうはなるまい。
訓練されていない子供があんな
(ヤッベェ何言ってんのかわかんねぇ。ここまでやるか赤羽のやつ。人の心とか無いのか?………多分『龍園さんありがとうございます』、であってるよな)
「おう、よくやったな。医務室で見てもらえ」
「ばび。じづべびじばじだ」
「恐らく『はい、失礼しました』、でしょうね。………どうしますか龍園氏。これではこの学校が裁判を起こすときにどういった手順で行うのか分かりませんよ?」
金田のそんな進言を聞いて、龍園は考え込んだ。
Dクラスに攻撃できなかったことは良い。いや良くはないが。赤羽はどうしようもない事態にならないように介入すると言っていたので、Dクラスと完全に敵対することは、どうしようもないことになりかねない、と赤羽が判断した、ということだろう。ならばそれはそれで良い。
問題は、この学校の対応が見れなかったことだ。暴力事件の加害者は、どう言った処分を受けるのか。どのようなやり方で、生徒間の問題を解決するのか。生徒会、教師陣はどのように介入するのか。それらを調べるつもりだったのだが、大元の事件そのものが起きていないなら、しょうがない。
「………ポイントで買うしかないな。全く、無駄な出費だ」
「ですね。この暴力事件さえ起こせていれば、ポイントを払わずにそれらの情報を得られますし、Dクラスへの攻撃にもなりましたのに。残念です」
どの程度の怪我を負わせたら、どの程度の処分なのかは、判例を買えば分かるだろう。だが、いずれにしろ、痛い出費だ。
「………本当に、何でこんなことをしたんでしょうか、赤羽氏は。学校側としても今回のようなやり方は、半分認められているでしょうに」
「……どうしようもない時は動くとやつは言った。なら、今回の件はどうしようもなくなる瀬戸際だった、てことだろうな」
「Dクラスに、それだけの化け物がいる、と。堀北氏か綾小路氏か高円寺氏、そのうちの誰か一人か、はたまた全員か。もしかしたら、隠れている人もいるかもしれませんね」
「………あぁ、そうだな。クッ、おもしれぇ。どれほどの化物がいようが、全員纏めてぶっ潰してやる」
そして、最後に。
(お前を潰してやるよ。赤羽業………!)
それはそれとして、至急考えなければいけないのは、
裏切り者の可能性があるとすれば、立案した金田か、
まぁ、十中八九ひよりだろう。他に理由のある生徒はいない。
だが───
(悔しいが、赤羽の動きに
それ抜きにしても、ひよりの能力というか、
その判断が正しいのかどうか、それは、まだ誰にも分からない。
実験が終わった奥田を、日が沈んでいたので、寮まで送り届けた後、赤羽は
約束した相手は、既にベンチに腰掛けていた。こんな時でも
「やっほー椎名さん。今回は助かったよ」
「構いませんよ、赤羽くん。私としても、平穏な生活が脅かされるのは困りますから」
人一人分のスペースを空けて隣に座った赤羽は、早速本題に入ることにした。
「で、何で今回は協力してくれたの?」
そもそも、あの理科室で今日実験するようさりげなく奥田を誘導したのも、椎名だった。
「平穏な学生生活が脅かされるのは困ります、と、既に話しましたよ」
違う。そうじゃない。
何故椎名は、
赤羽業が聞きたいのは、そこだった。
「………そういえば、綾小路とは読書友達なんだっけ。なんか感じた?」
「……えぇ。そうですね。
脱帽だ。綾小路清隆という男の本質を、ここまで見抜いているとは。……確かに、
「
椎名は、クラス間競争に積極的というわけじゃない。どこまで行ってもマイペースで、本の虫で、観察眼が優れているだけだ。
「綾小路くんはそうでしょうけど、
「………うん。それは、まぁ、うん」
「…………まぁ、櫛田の性格まで見抜いてるのは、感心するよ。
「……そうですか。では、こちらからも質問です」
「うん。良いよ」
それは質問というよりも、答え合わせだった。
これからも友達でいたいのなら、知っておきたい、と、そう思ったから、聞くことにした。
「
「………よく分かったね。ニュースやら何やらでも、俺らの実名と顔は、規制されてたのに」
浅野理事長と国が協力して情報統制に当たっていたので、ネットなどでも、殆ど出回らなかった。唯一わかっているのは、磯貝悠馬の顔のみ。
と、
………恐らくは、
「何で、そう考えたのかな?」
「決定的だったのは、
………それはそう。
「奥田さんが科学系の専門校に通っていたのなら、まだ説明はつきましたが、本人に聞いたところ
そう。
「
本当に、心の底から、感心する。
ただ、そう、本当に惜しいことに。
「……殆ど正解。だけど、一箇所だけ間違っているよ」
「……あら、悔しいですね。自信はあったんですが」
ただ、これに関しては、間違えたとしても仕方ない。
何せ。
「奥田さんは、専門家に教わってたんじゃなくて、
「……………?担任とは、
「そう、変なせんせーでしょ?」
そう。そうだ。
黄色くて、触手が生えてて、マッハ20で飛び回って、ころころ色が変わって、弱点が多い、
少なくとも、カルマたちにとっては──
「良い先生だったんですね。
カルマは、その言葉に固まった。
何故、何故。
浅野ならば、まだ分かる。あの一年、クラスは違えど同じ学校だったのだから。
だが、
「………何で、そう思ったの?」
「あなたも、
「……地球を破壊しようとした化け物だよ?」
「化け物でも、良い先生はいるでしょう?」
「…………俺たちは、あの先生に、そう思わされるように、
………分かっては、いるのだ。
殺せんせーを、
分かってはいるけれど、顔も知らない誰かが、
苛立たしくて、腹が立って、そして、そして悲しくなる。……哀しく、なる。
まるで、そう。誰かに
「思いませんよ。言ったでしょう?人を見る目には、自信があるんです。───
…………親は、理解してくれてはいた。
それでも、どこか疑っているような気配を感じて、でもそんなの、当たり前のことだった。だって、親にとって俺たちは、守られるべき存在なんだから。
もしかしたら、酷い目に遭ったのかもしれないって、そう、心配するだろう。
だけど、この、少女は。
俺たちの言葉を、全部信じてくれた。
………
「………雨が、降ってきましたね」
「……うん。そうだね」
それ以外に、
「………ねぇ、椎名さん」
「……はい、何でしょう」
「───………少しだけ、思い出話してもいい?」
「……えぇ。幾らでも、話してください」
握手した話、騙し討ちした話、ジェラートを盗んだ話、たこ焼きを食べさせられた話、可愛いエプロンに着せ替えられた話、……崖に落ちて、助けられた話。………渚と一緒に、アメリカまで映画を見に行った話。
色々な話をして、椎名は時に驚き、時に笑いながら。
日が昇るまで、楽しそうに聞いていた。
昇る朝日を見ながら、椎名は欠伸をした。
「丸一晩外でお話しするなんて、初めてでした。……楽しかったですよ。
「うん。俺も。………楽しかったよ、
そう言って、お互いに笑い合った。
「私、悪い子になっちゃいました」
「俺は、とっくに悪い子だ」
「自分で言います、それ?」
「ははっ。確かに。…………今度はさ、ひよりさんのことも、教えて」
「……?私のこと、ですか?」
「うん。好きな本の話でも、何だっていいからさ」
「あらあら。また一晩語り合っちゃいますね」
カルマは、ひよりと、友達になりたいと、そう、心から思った。
「それから、私を名前で呼ぶのなら、奥田さんも、名前で呼ばないとダメですよ?」
「………はいはい。分かりましたよーだ」
………この日、教室で奥田のことを、赤くなりながら愛美さん呼びするカルマが、いたらしい。
その後、二人が、寮まで帰る道すがら。
早朝ランニング中の、堀北鈴音に出くわした。
「………………赤羽くん。朝帰りに不純異性交遊なんて、流石としか言いようがないわね」
「違うわ‼︎‼︎」
「………あら、私とは、遊びだったんですか……?」
「それ辞めてひよりさん!見られてる。ゴミを見る目で見られてるから!」
清隆と渚に、やーい女たらしーと言われるカルマが、いたとかいなかったとか。
まさかの暴力事件キャンセル。
6月からは2、3日に一回になるかもです。