犬山家。
それは、北海道のスポーツの名家。
種目は問わないが、兎にも角にも、なんらかのスポーツのプロ選手となることが、この家に生まれたものの使命だった。
幼い俺はその使命を理解しながらも、ずっと本を読んでいた。
才能がなかったわけではない、と思う。
やろうと思えば、幾らでも第一線で戦えるだけの身体能力は、その時から持っていた。
それでも、どうしても、スポーツというものに魅力を感じられなかった。
だからなのか、鬼ごっこや隠れんぼを楽しんでいる同い年の子供達を尻目に、児童文学を読んでいて。
そうしたら、泥団子が飛んできた。
まぁ、子供らしい悪戯で、ただの遊びへの誘いだったと思う。そんなつまらない事しているなよとでも言いたかったのだろう。
これで激怒して殴り込めたら、或いは、悲しみにくれて泣き崩れられたら、それで良かったのかもしれないが。
生憎俺はどちらでもなく、ただひたすらに続きを読んでいるだけだった。
だからまぁ、二個目の泥団子が飛んで来たところで。
園子さんが、掴み止めていた。
『そういうのは良くないわ。辞めましょう』
この頃から、正義感というか、善性というか、そういうのが強い人だった。
『う、うっせー!めーけだがなんだがしらねぇけどじゃますんなよ!』
『名家どうこうは一切関係ないわ。こういうのは良くないと言っているの』
『だってへやですわってるだけじゃんつまんねーよ!』
『彼は本を読んでいるの。邪魔すべきではないわ』
『なんだよそれ!つまんね!おにごっこしよーぜ!』
子供たちは再び庭に出て。
園子さんは、俺の頭についた泥を、丁寧にハンカチで拭いていた。
多分、高級品だとわかる白いハンカチが、瞬く間に泥で薄汚くなっていく。
『………あの、ありがとう、ございます』
『気にしなくていいわ。当たり前のことをしただけだもの』
なんだか、目が離せない人だった。
「俺を相手に一対一でやり合うか!些か傲慢だぞ、平田洋介!」
「傲慢かもしれませんが、信じられてしまったのでね!」
僕が身に付けた全てで殴り蹴り頭突く。
兎にも角にも、効率的に。
当たり前な話だけど、一人で学年ほぼ全てとやり合う必要があったんだから、一人当たりを最高効率でねじ伏せられなきゃあんなことは出来ない。
だから、一挙手一投足に意図を持たせる。
常に最高効率で、常に最大威力で。それが、僕の身に付けた我流の戦い方。
それでも、なお。
拳は片手で受け止められた。
蹴りは掴まれて捉えられ投げられた。
頭突きを真正面から頭突き返されて、寧ろこっちが負けた。
まぁ、分かってたことだけど。
実力差は歴然だった。
『………どうして、俺の隣で本を読むのですか?』
『私がそうしたい気分だったからよ』
『………そう、ですか』
いつの間にか、隣に園子さんがいるのが当たり前になっていた。
肩を並べてただのんびりと本を読むだけだった。
ただそれだけで、俺は満足だった。
『ねぇ護。あなたはどうして、本を読むの?』
『…………本を読んでいる間は、俺は、犬山家の人間じゃなくなるから』
スポーツの名家。
将来はなんらかの種目のプロになること。
定まり切ったその道から外れたいとは思えなくて。
でも、その道を自分から歩きたいとも思えなくて。
だから、多分。
少しでも自由な世界に行きたくて、本に没頭していた。
魔法使いの世界も、勇者の世界も、探偵の世界も、ここよりも多分危ないけれど、変わりに自由があったから。
『………白銀さんは、嫌じゃないの?』
『家を背負うこと、かしら?
別に。だって、そういうものだから』
『そう、だよね』
そういうものだから。
そう納得して、それでよしとしたほうが、きっと、楽に生きられる。
物語の主人公たちは選択を後悔することなんて、幾らでもあるから。
それに学べば、あらかじめ決まり切った道を歩くだけで良いなら、これほど楽なことはなかった。
楽に生きたいなら、自由なんてなくても良い。
正しい人がそれを選んだなら。
俺もそうしようかなと思った。
「はっ、この程度───」
そこで、先輩のセリフは止まった。
倒れそうになりながらも、両手で、盾の淵をつかむ。
腰を入れて、全力で振り回す。先輩も全力で抵抗する。
右、左、上、下、前、後ろ。
大体十数秒くらいそのやり取りをこなして、何とか盾を奪い取れた。
放り投げて、丸腰の先輩の腰を殴る。
この程度で終わり?
そんなわけない。
「まだ、まだぁっ‼︎‼︎」
先輩は一瞬驚いて。
すぐに笑った。
「───それでこそだっ‼︎」
幼稚園、小学校、中学校。
ずっと隣であの人を見て来た。
ずっと隣で歩いて来た。
俺も色々なスポーツに触れていた。
サッカーのコーチに言われた。
『君には才能がある。磨いて行けばプロも夢じゃない。流石、犬山の一族だ』
ハットトリックを決めた決勝。
相手チームは本気で泣き崩れていたけど。
俺は喜べなかった。
スノーボードのコーチに言われた。
『君には才能があるようだね。この歳でここまで滑れるなんて。環境も最適。あとは、磨くだけだ。
もしかしたら、メダルも取れるかもね』
歴代最高点を記録した大会で。
準優勝の選手は本気で泣き崩れていたけど。
俺は喜べなかった。
いろいろなスポーツを試した。
いろいろなコーチに言われて来た。
たくさん勝って、たくさん泣かせて、たくさんの子供達の夢をへし折って。
それでも、プロになりたいとは思えなくて。
『高育、ですか?』
『えぇ。まぁ、進学率就職率百%に魅力があるのかと言われたらないんだけど。
いつかこの家を継ぐのなら、ここでの経験は必ず活きる。
お母様はそうおっしゃっていたから』
『………そうですか。なら、俺もそこにします』
『強い部活とかないわよ?』
『環境はどうでも良いので』
僕の拳が、先輩の頰を打ち抜いた。
初めてのクリーンヒット。
でも、一発だけ。
返ってきた先輩のパンチ。
もう何度目か、数えるのも億劫なクリーンヒット。
でも、まだ戦えるなら問題はない。
「───平田洋介!お前は、何故戦う!」
先輩が僕に聞いてくる。
正真正銘の本気の殴り合いの中で。
多分、何かを感じ取っている。
僕もそうだ。何となくだけど、分かる。
先輩はきっと、競争そのものが嫌いだ。
誰かを負かすのが嫌いだ。
誰かに勝ちたいと思えない。
この人はそういう人なんだ。
「───もう、後悔したくないからっ!」
あの日の杉村くんの顔が、頭から離れない。
あの日からずっと夢に見る。
だから誰かを助けないとダメなんだ。護らないとダメなんだ。そう生きようと決めたんだ。そう生きるしかないんだ。
この学校でもそうであろうとして。
でも、僕よりずっと上手く、そういう生き方を出来る人達がいた。
悪意に絶望して暴力で従えるしか出来なかった僕よりも、ずっと。
堀北さんたちに出来たことが、僕には出来なかった。
僕は堀北さん達より、ずっと弱かった。
それを見せつけられて、後悔の念はずっと強くなってきたから。
だから、だから。
もう、後悔したくないから。
もう、惨めになりたくないから。
だから、受け入れ難いこの力を使ってでも。
「───嘘をつくな!お前が、自分で言ったんだろう!
「───────」
先輩の言葉と掠った程度のパンチ。
とてもではないけど、ダメージなんて殆どなくて。
でも、衝撃は今までで一番来た。
『………今、なんと?』
『この試験で櫻葉を退学させるわ。彼女の学力も身体能力も対人能力も、間違いなく私たちの足を引っ張っている。堀北学達に勝つ為に、私たちがAクラスに上り詰める為に、足手纏いは切り捨てないといけないの』
この学校の仕組みが明らかになったその日から、ずっと一つ上にある一年Aクラスに挑み続けて。
俺たちは一度たりとも、勝つことなどできなかった。
常勝不敗。絶対王者。歴代最高。
彼らはそう呼ばれるだけの、圧倒的な実力者達で。
だから園子さんは。
『切り、捨てるって………』
『頑張っているの。頑張っているわ。でも、それだけではどうしようもないくらい、実力差がありすぎるのよ』
『そう、ですね……………』
ずっと正しかったこの人だから、これもきっと正しいんだって、納得して。
だから飲み込んだ。
でも蝶乃は違った。
『ふざけないで園子。そんなことをしたら、クラスがバラバラに───』
『ならないわ。だって、彼らにも理解できるはずよ。
この学校は実力主義。実力の足らない生徒はここにいることは許されない。だからこそ、彼らにも危機感が生まれる。必死に学ぶようになるし戦うようになるし鍛えるようになるし変わるようになる。
これは足手纏いを切り捨てて意識改革を促せる画期的な───』
『ばっかじゃないの。
そんなの独裁恐怖政治と何も変わらないわよ。恐怖政治に従うような人間なんてね、より強い恐怖があったときにあっさり鞍替えするわ。
独裁者の末路なんて歴史がいくらでも証明しているでしょう?
なんでアナタはそれが分からないの!』
『歴史に学んでいるからこそ、同じ間違いは犯さない。
常に正しい独裁者であり続ければ、何も怖がることなんてない』
『だからそれが無理だって言ってんのよ!
間違いを犯さない人間なんて居ないんだよ!』
『堀北学は間違えない。なら私も間違えないはずなの。だって、私は彼に勝たなければならないから』
『白銀園子は堀北学じゃない!
そんなことがどうして分からないの!』
『そうね。私は堀北学じゃない。
だから、私は彼を超えられる。
もう良いかしら。これ以上は時間の無駄よ。蝶乃さん』
『待ちなさい園子!話はまだ──』
世界が崩れるような感覚がした。
正しい人が間違えていた。
蝶乃のように引き留めることは出来なかった。
俺は手を貸して、櫻葉を退学させた。
最後まで蝶乃は声を上げていた。こんなのおかしいって言い続けていた。
それでも勝てば良いと、そう言い聞かせていた。
そうだ。学年末の試験で勝てれば、それで。
それで──。
『───なん、で。
ありえない。こんなのおかしい。なんで、なんで───』
完膚なきまでに敗北していた。
クラス中の空気はより引き締まっていた。
園子さんのいう通り、より学んで鍛えて変わり始めていたのに。
なのに勝てなかった。
差があり過ぎた。
俺も勝てなかった。
『───ば、かな…………』
『まぁ、確かに速かったわよ。でも私には届かない』
『………っくしょう』
クラスで一番速いはずの蝶乃も俺も、飛騨に追いつけず。
学力勝負では神田に到底届かなかった。
戦略で占藤に圧倒的に上回られた。
士気もまた、金織の手で上回られた。
そうして、ただでさえ強力無比な彼らを、橘のサポートはより強くしていて。
団体戦で挑もうにも、藤巻筆頭の余りにも高すぎる総合力で蹴散らされて。
誰の目にも明らかなくらい、俺たちは負けた。
『だめ。だめ。だめ。私は。私が』
堀北学が出るまでもなかった。
彼が何もせずとも、一方的にズタボロにされた。
『───まーったくもう。
ほんっとーに、君たちはつまらないですねぇ』
香月が一人でひっくり返して行く。
悔しかったけど、憧れもした。
こんな力があれば、きっと、園子さんを勝たせられると思った。
『やれやれ。皆さんほんっとーにバブちゃんですねぇ。
こーんな簡単なこともできないんですかぁ?』
それはそれとしてコイツ殺そうかなとか考えた。
多分あんなに腹が立ったの人生で初めてだった。
『ここまでやるとはな。香月遊真』
『よーやく、御登場ですか。
他の人たちでは退屈だったので、楽しませてくださいよ?
堀北学生徒会長?』
勝てるかもしれない。
俺たちでは無理でも、きっと、香月なら。
『…………ふむ。この程度か』
『…………は?』
本当に、完膚なきまでに、敗北した。
クラス最強は、手も足も出ずに敗北した。
これ以上ないくらい残酷に証明された。
切り捨てた園子さんの判断は、間違いだったと。
『…………つまらなくなりました。もーいいです』
そうして俺たちのクラスは、一気にDクラスに転落した。
あの試験から園子さんは登校もできなくなった。
俺は何を言えば良いのか分からなかった。
俺は初めて自分の内面を理解した。
俺は怖がりだった。
自由に生きるのが怖かった。
自分で決めるのが怖かった。
誰かを傷付けるのが怖かった。
誰かに傷付けられるのも怖かった。
怖かったから、怖くない園子さんに全てを委ねていた。
怖かったから、園子さんが間違っているのに、正せなかった。
『園子引っ張り出すわよ。手貸しなさい』
『……………俺には無理だ』
『は?………ちっ、もう良い!』
怖かったから、俺は。
俺は。
何となく屋上に足を運んで。
貯水タンクの上で横たわる香月を見つけた。
『……………香月?こんなところで何をしている?』
『別に何も?ただ暇なだけです』
『……………そうか』
『……………なんで隣に座るんですか?』
『……………暇なだけだ』
『……………そうですか』
のんびりと青空を見上げながら考える。
俺はどうしたい。
俺はどうすれば。
『……………香月は、怖いものとかあるか?』
『あるわきゃないでしょうよ。僕ですよ?』
『……………俺は沢山ある』
『は。ま、大変ですね』
『……………なぁ、お前はどう生きたい』
『─────僕の思うままに、ですよ』
思うままに生きる、か。
そうだったな。
俺も自由が欲しかったんだった。
でも、それよりも大切なものがあった気がした。
『…………お前、あんなに強かったんだな』
『堀北学は、僕よりも強かったですけどね』
『怖いものとかないんじゃなかったのか?』
『……………今のは忘れてください』
俺は弱い。
きっと人間は弱い。
園子さんも弱い。
『…………おはようございます、園子さん』
『…………おはよう、護』
『俺、将来何になりたいのか決めました』
『そうなの?』
俺にとっての正しさの指標は、間違えて負けて盛大に転んだ。
俺もまた、怖がって負けて盛大に転んだ。
そうして、自分を見つめ直した。
俺はどう生きたかったのか。
答えはもう出ていた。
あなたの隣で、ただ本を読むだけで良かったから。
あの夢の時間が、ずっと続いて欲しかったから。
夢は現実には勝てないのかもしれないけど。
『俺は、あなたの隣で生きたい』
『?????????????』
『あなたの為に生きたい。
あなたの為に強くなりたい。
もし、またあなたが間違えるなら、今度はちゃんと止めたい。
俺はそう生きたいんです。
それが俺の夢なんです』
『??????????????????????』
『園子。園子。落ち着いて。
復帰明けにいきなり幼馴染にそんなこと言われて戸惑うのは分かるけど落ち着いて』
『え?え?え?え?え?え?え?』
『…………あの、犬山くん。
なんで、そうなるんです?』
『まだ、怖いものだらけで。
まだ、弱いですが。
───信じてください。待っててください』
『あ、うん。えぇ。うん?え?あ、うん。え?はい?はぇ?』
『園子ー。園子ー。落ち着いてー』
そうだ。
あんなに強かった香月も、怖いものがあったんだ。
だから俺も。
怖いものも受け入れて強くなる。
現実が何をしようが知ったものか。
後悔だけが全てじゃない。
もう、迷いはない。
「後悔したくないことだけが、お前の全てじゃないだろう!」
先輩の声は、何だか重かった。
「お前にも叶えたいものがあるんじゃないのか!」
先輩の拳は、威力以上に重かった。
「お前はどうして、そんな力を身に付けた!」
先輩の意思は、僕が思うよりもずっと強かった。
「お前はどうして、他者に寄り添い続けた!」
先輩の問いは、とても重かった。
「───どうしてお前は生きている!」
僕はどうして。
初めてこの学校の全てを知った日。
僕は勝たなくちゃいけないって、そう思っていた。
当たり前のことだけど、人間は褒美がないと真っ当に生きられない。
このクラスが平和でみんなで仲良く生きる為には、まずは勝ち続けないと話にならないって思っていた。
だから、あの三人が同じクラスにいてくれたことに、心から感謝した。
これなら勝てるかも知れない。みんなで仲良く生きれるはずだ。このクラスは平和であり続けられるはずだ。
でも、どうしようもなく、このクラスの生徒は殆どが愚かだった。
いつか、杉村くんを虐めていた生徒にそっくりなやつらしかいなかった。
もしかしたら、無理かもしれないなんて思っていたけど。
怒りを露わにする櫛田さんを見た。
どうしようもないと思っていた三人を見捨てなかった堀北さん達を見た。
大事な特別試験で池くんと山内くんを信じた綾小路くんを見た。
体育祭でみんなを纏め上げた三人を見た。
選挙で南雲先輩に認められた堀北さんを見た。
試験で誰も退学になんてさせなかった生徒会を見た。
合宿で、他のクラスの生徒なのに手助けをする綾小路くんを見た。
誰も見捨てず、誰も見逃さず、誰もを助けて行く君たちと。
杉村くんを見捨てて、新しいいじめが起こるのを見逃して、最後には誰も彼もを傷付けた僕を比べて。
惨めで、絶望して、悔しくて。
そして、眩しくて、憧れた。
あぁいう生き方をしたいなんて、そんなことを考えて。
清隆くん達に全部を打ち明けたときに。
僕の過去を肯定された。
僕、は。
僕は。
夢物語に過ぎないって、分かってるけど。
きっと現実はどこまでも重く冷たいけど。
それでも僕は。
みんなに笑っていて欲しい。
みんなが仲良くなって欲しい。
もう誰も見捨てたくない。
もう誰も見逃したくない。
「────
みんなに笑っていて欲しいって、そう思っています!」
「それがお前の生きる理由か!
筋金入りの博愛主義者め!」
「えぇ!
僕は、筋金入りの
人の悪意を散々目の当たりにした僕は。
こんなの夢物語でしかないって、痛いほど知っている。
夢物語でしかないけど、でも、そう生きるしかなくて。
一度見捨てて見逃して苦しめたから、そう生きるしかないって、自分で自分を苦しめてて。
『それはね。君が守ってくれてたから。
みんながそばにいてくれたから』
夢物語でしか無いと思っていたそれを。
僕には出来ないと思っていたそれを。
君はそう言ってくれたから。
クリスマスのあの告白の時。
本当は、僕の方が救われていたんだ。
「
僕は確かに成し遂げていた!
確かに、誰かを助けられていた!」
そうだ。
だから、僕は清隆くん達に曝け出せた。
だから、この力も、傷付けることしかできない力も、誰かを守る為に、誰かの為に使えるかもしれないって、そう思えた。
間違えた過去の僕も、けれど確かに僕だったから。
後悔はある。
杉村くんを見捨てなければよかったって、ずっとそう思い続けるだろう。
確かに救えた誰かへの想いで、誰も救えなかった過去は消せない。
それでも、もう迷いはない。
「現実がどれだけ重くても!現実がどこまで冷たくても!僕は絶対に諦めない!そんなの全部踏み潰して!
誰も彼もが、笑っていられる世界にしてやる!」
この人の想いは。
この人の意思は。
この人が積み上げてきたものは。
重くて、強くて、大きいのかもしれないけど。
絶対に負けない。
だって、絶対に成し遂げてやるって決めたから。
「──なら、今目の前にある
踏み越えて見せたお前を、俺は何度も踏み越える!」
「──えぇ!
どれだけ知恵と工夫を凝らしても。
どれだけ鍛えて来たとしても。
僕と先輩の間には、途方もない壁が確かにあって。
僕の拳よりも、先輩の拳の方が重くて強くて。
僕の蹴りよりも、先輩の蹴りの方が重くて強くて。
でも、だけど。
僕の意思は、絶対に先輩よりも強い。
だから、こんな壁なんて乗り越えられる。
僕の拳が頰を打ち抜く。
先輩のカウンターで打ち抜かれる。
鳩尾を殴る。
鳩尾を殴られる。
殆ど同時の回し蹴りがぶつかって、僅かに僕が打ち勝つ。
先輩の膝蹴りが腹筋をぶち抜いて咳き込んだ。
仕返しのボディブローが横腹を打ち抜いて咳き込ませた。
無我夢中で刻み付けたそれを振るい続けた。
いつの間にか、大の字で倒れ伏している先輩に銃を突き付けていた。
多分、勝てた要因は色々あったと思う。
大暴れしてたから、先輩が疲れていたこと。
お互いにリミッターは壊せなかったから、泥臭い殴り合いに終始していたこと。
横槍の入らない、一対一だったこと。
でも、そんな理屈で片付けられるような勝利だとは思えなかった。
先輩の闘志は、一切消えていなかった。
先輩は、まだ諦めてなんかいなかった。
「…………先輩は、なんで生きるんですか」
「…………ただ、隣にいたい人がいるからだ」
「…………先輩も、相当な
「…………
「────ありがとう、ございました」
「────あぁ、ちくしょう。悔しいなぁ」
一年Bクラス。10クラスポイント追加。
現在、1307クラスポイント。
疲労困憊の平田洋介を終わるまで見守っていた三年Cクラスの生徒達は、囲んで狙う。
一対一で挑んできたなら、ちゃんと受け入れるが。
それが終わったなら、後は囲んで殺すだけだ。
一、二年生は、誰も今にも死にそうな平田洋介を助けには行けなかった。
だから、彼が殺されるところを見ていることしか出来なかった。
引き金が絞られるその瞬間。
浜辺に隣接した森から、ワイヤーを巻き取る音が響き渡った。
「───最高の仕事よ。平田くん」
森から天高く飛び出してきたその少女は。
空中で二丁の拳銃を構えて。
平田洋介を囲う生徒達に落下しながら乱射する。
躱せた生徒も無論いたが、躱せなかった生徒も多かった。
一年Bクラス。40クラスポイント追加。
現在。1347クラスポイント。
「少し下がって休んでちょうだい。あなたにはまだ頼みたい仕事があるもの」
「…………ブラック企業にもほどがあるよ」
最初から、この瞬間が狙いだった。
三年Cクラスの生徒達は真面目だから。
真正面から一対一を挑まれたら、ちゃんと受け入れるだろうと。
そうなれば、戦場の注意はそこに引きつけられて。
平田が勝つので、勝った直後に包囲して狙われた平田を救出しつつ、自身の到着を文字通り戦場中に知らしめる。
「好き勝手に荒らしてくれたわね。白銀先輩、風間先輩」
防御側総数。百十三名。
三年生攻撃側。九十三名。
三年Aクラス。10クラスポイント追加。
現在3,552クラスポイント。
三年Bクラス。10クラスポイント追加。
現在2,992クラスポイント。
三年Cクラス。20クラスポイント追加。
現在2,802クラスポイント。
三年Dクラス。50クラスポイント追加。
現在2,742クラスポイント。
一年Dクラス。20クラスポイント追加。
現在1185クラスポイント。
二年Dクラス。10クラスポイント追加。
現在82クラスポイント。
堀北鈴音は、白銀園子と三年Dクラスのドローンを睨みつけた。
「来たわね。生徒会長」
『ふっ、面白くなって来たな』
散々削られたが。
平田洋介の勝利から。
「反撃開始よ」