多分夏休み編ラストかな
祝勝会のオークションの際、全財産の八割程度で、堀北鈴音はゲーム機を落札した。
『ありがとう鈴音!このゲーム機欲しかったんだ!』
キラキラした目で嬉しそうに笑う清隆に、鈴音はとても満足そうに笑った。
軽井沢筆頭の女性陣と、平田筆頭の男性陣、つまり現Dクラスのほぼ全員が引いていた。
『喜んでくれて何よりよ。それはそれとして、私も相当なポイントを使ったわけだし、このゲーム、私も遊んでも良いかしら?所有権は貴方に譲るから』
『あぁ。全然良いぞ!好きな時に好きなだけ遊んでくれ!』
───この会話を聞いた瞬間、女性陣は爆速で理解した。
桔梗はやられた、とでも言いたげな顔をした。
『────言質、取ったわよ』
綾小路清隆は、堀北鈴音の策略に、完全にハマっていたのだ。
そして、夏休みも終盤のある日の昼過ぎ。
昼食を終えたところ、ドアベルがなった。
ドアを開けると、白のブラウスに、黒のロングスカートで、片手にエコバッグを持った鈴音がいた。
この前話していたゲームだろうな。
すぐに部屋に招き入れる。
「お邪魔するわね」
「ようこそ、我が家へ。なんて、もう何回も来てるか」
「確かに。もう一つの部屋みたいなものね」
「にしても、鈴音がこの手のゲームが好きだとは」
「まぁそうね。一度やってみようとは思っていたのよ。夏休み中にクリアするつもりよ」
ゾンビを撃ち殺す某有名ホラーゲーム。
それから、晩御飯用のエコバッグ。
お礼として、今日の晩ご飯は鈴音が作ってくれるらしい。鈴音のご飯も本当に美味しいから、とても楽しみだ。
「じゃ、早速始めるか」
ディスクをゲーム機に挿入する。ゲーム機が起動して、コントローラーの充電も確認しておく。
ダウンロード版も好きだが、ディスク版も好きだ。
「貴方はこのゲームをやった事あるのかしら?」
「まぁ、うん。カルマの家にあったからな」
前に一度カルマの家に遊びに行った時に触らせてもらった事がある。
確かその時はストリートファイターでフルボッコにされた覚えがある。コンボを覚えてフルボッコに仕返したが。
渚はちょっと引いていた。
ただ、俺もカルマも、ゲームセンターで対戦した神崎名人にフルボッコにされた。
渚はすごく引いていた。
「まぁ、俺も鈴音もゾンビを怖がるような可愛げはないからな」
「あら、女子に可愛げがないなんて、酷いことを言うのね」
「………今のは忘れてくれ」
「まぁ確かに、私はこう言うホラーゲームで怖がったりはしないけれど」
実際一切怖がらずに、冷静かつ的確なプレイングで、ゾンビの急所を撃ち抜いていく。
壁から飛び出てくるジャンプスケアにも、一切動じなかった。
まぁ、この前のお化け屋敷でも常に冷静だったからなぁ。
大体一時間半ぐらい経った頃、最初のボスが出現する。
「何この、巨人?強くないかしら?」
「まぁ、コイツは強キャラだからな」
ここで初のゲームオーバー。
うーん。半分くらいは減らしているんだがなぁ。
「………なんだか悔しいわね。もう一回よ」
しかしその後も何回もゲームオーバー。
毎回良いところまで追い詰めてはいるんだがなぁ。
ソファに腰掛けながらゲームをする鈴音を、ダイニングの机に肘をつきながら見守る。
麦茶が無くなりそうだな。新しく注いでくるか。
「……手伝うか?」
「………大丈夫。私一人で殺してみせる……!」
通算九回目でようやく撃破。
セーブしてコントローラーを置いた鈴音は、額の汗を拭った。まぁ、暑いからな。
もうちょっと冷房強くするか。
「………ゲームって、こんなに暑くなるものなのね」
「まぁ、集中力だったり使うからな。普通に体力使うぞ」
「………ちょっと脱衣所借りるわね。ロングスカートは失敗だったわ」
「お、おう」
どうやら着替えも持ってきたらしい。
用意のいいことで…………?
違和感。何に………?
「お待たせ。じゃあ続きを始めましょう」
「あ、ああ」
黒のハーフパンツ。
太ももが、眩しい。
汗と肌の白さで輝いているように見える。細いけれど、確かに鍛えられた強靭さが垣間見える、素晴らしい美脚だ。
…………俺は何を考えてるんだ。
咄嗟に机に額を打ちつけ、痛みで正気に戻った。
「………ふふふ、慌てすぎよ。これからが大変なのに」
鈴音の笑みは、どことなく蠱惑的だった。
その後、大体ゲーム全体の三分の一ぐらいをクリアした頃には、もう日も暮れ始めた頃だった。
「丁度いいわね。晩御飯作るわ」
「おう。何か手伝おうか?」
鈴音の得意料理は和食系全般だ。
桔梗のような華やかさとはまた違った良さがある。
「………そうね。米を研ぐのを一旦お願いするわ。終わったら声をかけて頂戴」
「任せろ。米を研ぐのは得意だ」
「洗剤は入れないでよ」
「………もう学んださ」
当然のことながら、ホワイトルームで料理なんてしたことはなかったので、調理実習の際、米を研ぐのに洗剤を使おうとした。
同じ班の寺坂にひっ叩かれて止められた。『アホかお前!殺す気か!』と。磯貝と岡野も呆れていた。嫌だって、絶対洗剤使った方が綺麗になるだろ?『まぁ、その、綺麗すぎて身体に悪いんだよ。うん』『あんたは洗剤飲めるわけ?』
………確かに洗剤は飲めないな。殺せんせーならいざ知らず。
さて、米を研ぎ、炊飯器のスイッチを押して、鈴音の様子を見てみると、どうやら出汁から味噌汁を作っているようだった。
昆布だし、か。
とか思っていたら、一旦出汁を放置して、アルミホイルを取り出した。
「ア、アルミホイル?何故?」
「ふふふ。ただの焼き鮭だと、面白くないでしょ?今日は鮭のホイル焼きよ」
「ホ、ホイル焼き……!」
「………やってみる?」
「やる!」
楽しそうだな、ホイル焼き。
まずは20センチぐらいに切り出したアルミホイルに、オリーブオイルを垂して、短冊切りにした人参で伸ばす。
アルミホイルに鮭を皮を下にして置いて、鮭の周りにカットした人参、玉ねぎ、きのこを乗せて、最後にバターを一欠片鮭に乗せる。全体に醤油をかけて、ホイルを閉じて、両端にツノを作る。
フライパンを火にかけ、弱火にして、アルミホイルで包んだ鮭を入れて蓋をする。
「これがホイル焼きか……!」
「これ、フライパン洗わなくても良いのが楽で良いのよね」
「確かに、アルミホイル入れてるだけだもんな」
「そろそろ丁度良いかしら?」
おたまに掬った出汁を小皿に開けて、一口。
「うん。完璧」
昆布を取ったら、既に切っておいた野菜を投入。火を落ち着けさせて、その間に簡単なサラダを作る。
桔梗は栄養バランスよりも美味しさに比重を置いているが、鈴音はどちらかと言うとバランスを大事にしている。
「そうね。ドレッシング作ってみる?」
「ドレッシングって作れるものなのか?」
「ええ。今日のサラダには和風の方が合っているわね。レシピあげるから作ってみて」
気分は理科の実験だ。
必要な調味料を必要な分だけ入れて、掻き混ぜる。
「お、おお。凄いな。ドレッシングもう買わなくて良いんじゃないか?」
「私は買ってないわね」
「な、成程。それは凄い」
味噌を入れて逐一味見をして、味を整える。
味噌汁が出来上がったタイミングで、炊飯器が鳴った。
フライパンと鍋の火を殆ど同時に消して、ミトンで両手を覆って、ホイル焼きを二つ取り出す。
最後にご飯と味噌汁をよそって、完成だ。
「
「手でやるのは危ないから、こんな感じで、箸で穴を開けるの」
箸がアルミホイルを突き破り、殆ど力をこめずに引くと、勝手に開いていく。箸なのにナイフのようだった。
アルミホイルが開かれると、そこには。
「おお。凄いな、美味しそうだ」
バターが溶けて、鮭をコーティングしたのだろう。光輝いている。
周りの野菜もとても柔らかそうで、絶対に美味しいやつだ。
「いただきます」
「いただきます」
メインの鮭から。身の一欠片を切り出して、一口。
………上手い。醤油の風味とバターの香りが、鮭の旨味を最大限引き上げている。
お米を数口食べて、次は味噌汁。
やはり上手い。昆布だしの風味と香り、味噌の濃さも完璧に調和している。
今度はサラダ。手作りドレッシングを添えて。
上手い。野菜特有の青臭さとでと言うべきか、そういったものを完璧に打ち消している。こんなに上手いドレッシングが、手作りだと……?
「満足してくれたようね」
「……あぁ。優しい味だ。………毎日食べたい………」
「………っ。嬉しいこと言ってくれるのね」
味わうことに集中していたからか、鈴音が頰を赤らめてはにかんでいることに、気付かなかった。
というか、自分が中々に凄いことを口走ったことにも気付かなかった。
「…………ご馳走様でした」
「…………ご馳走様」
さて、いつも通り、洗い物だな。
ただ鈴音の言う通り、フライパンを洗わなくて良いのが、こんなにも楽だとは。
俺が洗い物を終わらせている間に、鈴音は歯磨きまで終わらせたようだ。
洗い物を終えて、鈴音と入れ替わるように洗面台に入り、歯を磨く。
「…………?」
なんか、脱衣所の隅の方に、小さめのポーチが、置いてあるような。
………まぁ、化粧道具か何かだろう。
そこまで気にせずに戻ると、鈴音は早速続きを始めていた。
楽しそうだな、と思ったが、それはそれとして。
「そろそろ不味くないか?」
「何がかしら?」
「いや、女子寮の門限とか」
「あぁ。それは気にしなくて良いわよ」
また、違和感。
なんだ……?
「そ、そうなのか……?」
「えぇ。もう少し進めたらシャワー借りるわね」
「あ、あぁ。……………はぁ⁉︎」
シャワー、借りる⁉︎えっ、は、えぇ⁉︎
「す、鈴音、おま、お前、何を、言って………!」
「────あら、何か問題があるかしら?好きな時に、好きなだけ、ゲームをして良いんでしょう?」
「ま、さか………!」
「えぇ。真夜中まで、ゲームをしたいの。そうなったら、外は真っ暗だし、寮もしまっているのよ?だったら泊まった方がいいでしょ?」
綾小路清隆は、堀北鈴音を部屋に泊める事になった。なってしまった。
「こ、これが狙いだったのか、鈴音………!」
「心外ね清隆くん。
そう。落札したその瞬間から、この日の為に。
好きな時に好きなだけ、と言ってしまったのだ。そして、据え置き型のゲーム機であり、所有権は清隆にあるので。
当然ゲームをする為には、清隆の部屋に上がる必要があり。
当然時間制限は無いので、一日中ゲームをしても良いので。
実質的に、泊まりを許可してしまっていたのだ。
「だ、だが、帰りは、どうするんだ⁉︎誰かに見られ───はっ!」
「────そう、窓からでも問題なく帰れることは、赤羽くん達の実験で確認済みよ」
「し、仕込んでいたのか、この時のために───!」
赤羽業達へのお手入れは、窓から帰る事が実際にできるかどうかの確認───!
「───そうね。夏休みも、後三日。
それまでに、クリアしましょうか」
露骨に防御力の薄い、半袖ハーフパンツの部屋着姿で。
堀北鈴音は、強気に笑った。
綾小路清隆、試練の時。
「り、律!律‼︎これは淑女協定違反じゃないの⁉︎」
自室で桔梗は律に確認していたが。
『いいえ櫛田さん。堀北さんの行動は、決して協定違反ではありません。
この権利を行使した結果として泊まっているだけなので、協定には違反していません』
泊まりは禁止。
淑女協定のそれを抜ける為の裏道。
泊まろうとして泊まったのではなく、確かに許可された権利を行使した結果として泊まっているので、協定違反では無い。
「───くっ、やってくれたね、鈴音。こんな形で、協定を無視するなんて………!」
不味い。不味いぞ。
夏休み終了までまだ残り三日。この三日で、清隆の理性を削り切るつもりか………!
あちらから求めてきたのなら、それは協定違反にはならない……!
「この三日で勝負を決めるつもり……⁉︎」
櫛田桔梗、絶体絶命。
「ねぇ清隆くん。ちょっと、このあたり難しいから色々教えて欲しいのだけれど」
「あ、あぁ。このゲーム謎解き要素もあるからな。うん」
「えぇ。出来れば隣で教えてくれないかしら。離れていると見過ごしてしまうかもしれないでしょう?」
「…………そうだな」
諦観を滲ませて、鈴音の隣に腰を下ろす。ソファーに沈み込んで、画面に集中する。
隣から漂ってくる女子らしい甘い匂いは気にしない。気にしないったら気にしない。
「えっ、と。確か、もう少し奥の方に、鍵があるはずで────」
完全に、時が止まった。
肩に、頭が乗っている。
鈴音が、俺に寄りかかっている。
「す、鈴音?」
「…………丸一日やってると、少し疲れるわね」
「な、なら、横になるか?一旦俺はシャワーを浴びてくるから」
「………そうね。あなたの膝、借りるわよ」
「えっ、ちょっ、ま」
いつの間にか、鈴音は俺の膝を枕にして、横になっていた。
「ふふふふ。凄い顔。そんなに怖がらなくても、別に取って食べたりしないわよ」
「………いや、別に怖いわけじゃなくて」
「そう。なら、嬉しいわね」
怖いわけじゃない。
嬉しい、と言う気持ちは、俺にもあった。
鈴音の頭を撫でながら、無言の時間が過ぎていく。
俺の鼓動と、膝に響く鈴音の鼓動が重なって、二つの鼓動が身体に響く。
一人ではないのだと言うことが、言葉よりも雄弁に分かった。
「そろそろひと段落ついたし、シャワー、借りるわね」
「……あっ」
起き上がる鈴音に、思わず名残惜しげな声が漏れてしまった。
優しく笑った鈴音は、俺の頭を撫でながら。
「───また後で、今度は私が」
それだけ囁いて、脱衣所に向かった。
シャワーの水音が響く部屋の中で、俺の心臓は、本当にうるさかった。
端末が揺れる。
画面を見ると、春樹の名前。
恐る恐る出てみると。
『なぁ、清隆。俺どうかしちまったかもしれねぇ』
「ど、どうしたんだ、春樹」
『なぁ、騙してきたり殴ってきたりした相手を好きになるのって、はっきり言ってヤバいよな?』
「…………俺からは、何も言えない」
初めて会った時のことを思い出す。
腕に刺さったコンパスの痛み。
冷たい笑みを浮かべる鈴音の要求。
かなり無茶な暗殺をして。
二人揃って、殺せんせーに丹念にお手入れされて。
初めて出会った、
俺一人では無理だと気付いて。
鈴音と話して、初めて誰かと一緒に挑戦した。
「………まぁ。うん。最初の印象がまぁまぁ最悪でも、思ったよりも大事になってたりするから」
『………そういうもんかよ』
「そういうもんだ」
と、そこでシャワーの音が止む。
『……………………………なぁ。すごく大事なことを聞くんだが』
「な、なんだ?」
『……………部屋に、誰かいんのか?』
俺は無言で、電話を切った。
……………さて、俺もシャワー浴びないとなぁ。
「お待たせ。清隆くん」
「お、おう」
「ふふふふふふ。ちゃんとこっちを見てちょうだい?」
明後日の方向に視線を固定する俺に、鈴音はそう言って来た。
シャワーを浴びて上気した頰。
持ち込んできたのだろう、心なしか甘いシャンプーの香り。
水気が残っているのか、丸みを帯びた太腿や鎖骨の辺りが、やけに輝いているようだった。
鈴音という存在から、目が離せない。
柔らかくて、優しくて、どこか冷たくて、でも温かくて、綺麗で、可愛くて。
俺を、人にしてくれた、ひと。
「お、俺も、シャワー浴びてくる」
咄嗟に、逃げ出すように、俺は浴室へ向かった。
「………ふふふふふ。慌てちゃって、可愛い」
と、そこで、机の上に置きっぱなしにしておいた鈴音の端末が震える。
そこにある名前は、佐倉愛里。
『も、もしもし堀北さん。今大丈夫ですか?』
「ええ。何も問題ないわよ」
脹脛から太腿にかけて、保湿クリームを塗りながら、堀北鈴音はそう答えた。
『え、えっと、ですね。そ、そう友達、これは友達の話なんですけど』
(佐倉さんの話ね)
「そのお友達が、どうかしたのかしら?」
『は、はい。えっと、男友達との話で、あっ、私が話しているのは女の子で、その友達の男友達の話なんですけど』
(幸村くんの話ね)
「その男友達と、佐倉さんのお友達の間で何かあったのかしら?」
『えっ、と。何も無かったと言いますか、無かったことがあったと言いますか。えっと、順を追って説明しますね』
「えぇ。ゆっくりでいいわ」
『まず、その、男友達と、わた、じゃなくてそのお友達がですね、はるかちゃ───じゃなくて、共通の女友達とですね、プールに遊びにいったんですけど』
(長谷部さんね)
端末を左手から右手に持ち替えて、今度は左足に塗り始める。
「それで、どうしたのかしら?」
『は、はい。そのゆきむ───じゃなくて!男友達なんですけど、わた──違くて、私の友達と、その友達の友達のですね、水着姿を見せたり、抱き付いたりしたんですけど、殆ど変わらなくてですね。
いいトレーニングになりそうとか言って、プールで普通に泳いでてですね。はる──私の友達の友達が!泳いでる最中のその男友達に抱きついたりしたんですけど、気にせず泳ぎ続けててですね』
(……………あのレベルの女子に抱きつかれてその反応って、性欲あるのかしら)
「それで、何が気になっているのかしら?」
『は、はい。はる───じゃなくて、友達の友達と言ってたんですけど、もしかしたらその男友達は、その、男の人の方が好きなんじゃないかなって、そんな話になりまして』
(風向き変わって来たわね)
一旦、クリームを塗る手を止めて、話に集中する。
「そ、そう。些か早計だとは思うけれど」
『ま、まぁ、はい。そう思いますよね。で、でもその男友達、あやの──じゃなくて、別の男友達の人と一緒にいる時は、本当に楽しそうで、もしかしたら、もしか、するのかなぁって。
ど、どう思いますか?』
「見当違いだと思うわ」
即答した。
多分、佐倉は今、グラビアアイドルとしての自信が崩壊しかけているから、冷静ではないのだろう、と判断して。
『け、見当違い、ですか』
「えぇ。多分その男子は、女性関係にちょっとしたトラウマというか、忌避感のようなものがあるんじゃないかしら?」
父親の話は良くするが、母親の話は殆どしない。
輝彦という名前ではなく、啓誠と呼んでくれ、という話。
多分、母親関連で何かがあったから、母親が名付けたのだろう輝彦という名前が、嫌なのかもしれない。
だから、女子に根本的な苦手意識がある、と見ている。
実際、桔梗さんのことは苦手なようだし。
『な、なるほど』
「他の女子が誘ったとしても、そもそもプールなんて一緒に行くことはないと思うわ。一緒に行ってもいいと思って、実際にそう動いている時点で、幸──その男友達にとって、かなり深い位置にいると見ていいわ」
『た、確かにそうですね』
「だから、まぁ、無理にでも距離を詰めるのも、手の一つじゃないかしら?意識させたいなら、尚更」
『…………な、なるほど。あ、ありがとうございます!』
「お役には立てたようね」
『は、はい!はる───じゃなくて、女友達にも話しておきますね!』
「えぇ。そうしてちょうだい」
しかし、そう。
自室で電話中の佐倉は、ずっと気になっていたのだ。
先程、堀北鈴音の部屋のドアベルを鳴らしたが、どうやら留守だったので、こうして電話しているのだが。
───何故、シャワーの音が聞こえるのだろうか。
外泊、ということか?
しかし、誰の部屋で?
好奇心に突き動かされて、佐倉は質問してしまった。
「あ、あの、堀北、さん?」
『?まだ何かあるのかしら?』
「つ、つかぬことをお聞きしますが、今、どちらに?」
『……………それは、ね』
どこまでも、甘く、怪しく、美しい、囁き声で。
『───秘密、よ』
それだけ言って、電話は切れた。
佐倉は、真っ赤になって、端末を落とした。
さて、敢えて冷水のシャワーを浴びることで、俺の思考はクリアになった。
過去最高にクリアだ。そう。クリアなんだ。
何故かクリアに、さっきの鈴音ばかりが浮かんでくる。
本当に不味いかもしれない。
………そう言えば、寝る場所はどうするのだろう。
いやまぁ、ベッドは鈴音に譲って、俺はソファでいいか。
そんなことを考えながら、ドライヤーをかけて、洗面所を出る。
リビングでは、ストレッチをする鈴音がいた。
そういうところは、やっぱりちゃんとしているな。
「───あら?冷水でも浴びてたのかしら」
湯気が登っていないことに気付いたのか、鈴音はそう言って来た。
うん。まぁ、そうなんだけど。
「それだと風邪を引いてしまうわよ?」
「大丈夫だ。最近暑いし、これぐらいどうってことない」
正直ちょっと肌寒いが、それぐらいがちょうどいい。
「──全く、こっちに来なさい」
素直に鈴音の近くに寄ると、いつの間にか、鈴音の膝を枕にして、ソファの上で寝かせられていた。
心臓が、また暴れ出す。
後頭部に感じる、柔らかい感触。
頭を撫でてくる、細くしなやかで、美しい指と、掌。
甘く、柔らかく、温かい香り。
あぁ。不味い。
「あら、随分と眠そうなのね」
「………鈴音の、せいだぞ」
力が、抜けていく。多分、今、心から、安心しているから。
あの日の、茶柱との会話から感じていた、重さのような何かが、消えていく。
鈴音は、言ってくれた。後悔しない、と。
「………俺も、後悔は、したくないんだ」
「……えぇ。分かっているわ」
「………まだ、人も世界も、知らないことばっかりで」
「えぇ」
「…………だから、分からないんだ。俺が、鈴音に、桔梗に抱いているこの感情が、恋、と、そう呼ばれるものなのか。自信が、無い」
これが。
この二人に抱いているこの感情が、二人に負けたから芽生えたものなのか、分からない。二人を、観察対象として見ている自分がいることを、否定できない。
あの部屋と、そして、あの教室で。
俺はきっと、どこかおかしいんだと、そう学んだ。
あの日の面談で、殺せんせーは、俺のために怒っていたのに。
俺は、何も感じなかった。
おかしくなったのか、始まりからおかしかったのか、分からないけれど。
それでも、それを、殺せんせーに、思い切って打ち明けたとき。
『おかしくて何が悪いんですか!そんなこと言ったら私なんておかしく無いところがないでしょう!』
そういう話では無いのだが。
『いいえ、そういう話ですよ。綾小路くん。人間とは、全員おかしいものなんですよ』
そう、か?
『えぇ。そういうものです。私に分からないものが、私には見えていないものが、君には見えていて、それは、この教室の全ての人に、この世界に生きる全ての人に言えます』
確かに同じ存在はない。だけど、多くの人は、共感できる。
……………きっと、俺には、できない。
『何故、そう思うのですか?』
……………俺は、このクラスの全員、ただの道具としか思っていない。
……………いつか、
『………それは、変なことでしょうか?』
変だろう。人を道具だと思っているなんて。
『いいえ、それは変なことではありませんよ』
…………なんで。
『付喪神、知っていますか?』
…………知ってる。
『道具も、大切に扱い続けていれば魂が宿る、という伝説ですが、ここで大事なのは、道具を大事に扱い続けるということですよ』
………………。
『貴方は、このクラスの生徒を道具だと思っているのでしょうが、それでも、雑に扱ったことはありません。本来の用途とは違う使い方をしたことも、意図的に壊したことも。
だからこそ、彼らも、貴方の為に怒っていたのですよ』
……………俺、は、別に、あのままでも良かったんだ。
あの男の、道具の、ままでも。
それでも、良いと、そう、思って。
『ですが、私も、彼らも、貴方が道具であることを、許容できませんでした』
……………何で?
『貴方が、気付かないうちに、傷ついていたからですよ」
…………俺、が?
『えぇ。貴方は、心のどこかで、自由を求めていた。だから、あんなことを言ったのでしょう?『まだ、この教室にいたい』、と。まぁ、あの男はそれに失望したわけですが』
…………………俺、は。
…………………今も、みんなを、道具だと思ってる。
『ですが、道具とは、使い続けていく内に、愛着が湧いてくるものです。何より、貴方の道具が人である、というのが素晴らしい!』
……………はぁ?
『だって、貴方と道具は、一緒に成長していくのですよ。こんなに素晴らしいことがありますか!』
…………………は、ははっ。馬鹿か、アンタは。
…………………なぁ、俺は、どうすれば良い?多分、もう。俺は、あの男の道具に、なれない。
『………貴方は、どうなりたいのですか。綾小路くん』
触手は俺に聞いて来た。
どうなりたいのかと。
俺は答えた。
『俺は、人になりたいです』
触手は答えた。
『えぇ。学び続けなさい綾小路くん。人を見て、人と話して、人を知るのです。そうすれば、やがて───』
君は気付くでしょう。
人になりたいと願ったそのときから、君は確かに人であったのだと。
「………ねぇ。清隆くん」
夢の中で、かつての恩師にあっているのだろう。
穏やかで、柔らかな雰囲気の彼に。
そっと、声を落とす。
「私は、あの時から、きっとね」
初めて、あなたと、一緒に、暗殺しようとして。
一緒に、派手に失敗した、あの時から。
一緒に思わず笑ってしまった、あの時から。
「あなたのことが、好きなのよ」
書きたいことが増えたので、多分次も夏休み編かもしれない。