ハードル走もまた、激戦だった。
第一レースには、須藤くんと、再びの浅野くん。僕らのクラスからは、柴田くん。
須藤くんも柴田くんも、十分以上には練習を重ねていたし、そこらの陸上部よりも上手いかもしれないぐらいの走りは見せた。
ただ、浅野くんが上回っただけ。
「ぐっ、クソが………っ」
「おいは恥ずかしかっ!生きてはおられんごっ!」
「介錯はしないぞ柴田。少し落ち着け」
「すまん。ありがとう浅野」
「…………いきなり落ち着きすぎだ」
「…………はぁ。なんか肩の力抜けたわ」
…………うん。茅野、やりすぎ。
少し、非難の色を乗せてじとっと見やると、『えへへへへ』とか笑いながら、首を傾げつつ、舌をチラッと出して、ぽこっと頭を叩いていた。可愛い。じゃなくて。
二度の敗北で少し荒れそうになった須藤くんも、目の前で繰り広げられる寸劇に、完全に落ち着きを取り戻したみたいだ。
綾小路くんは、ちょっとだけ感謝の波長を見せてくる。それはそれとして、困惑の波長の方が強い。うん。分かる。
さて、女子第一レースは、また堀北さんか。
正直、浅野くんと堀北さんと綾小路くん、高円寺くんは、最早マップギミックだ。この四人の誰かと同じレース=一位未満確定。この四人のうちの三人が
確かに二年生の頃と、E組初期の堀北さんは本当に荒れてたけど。高円寺くんのあの性格でDクラス以外はあり得ないけど。
僕らのクラスからは、一之瀬さん。Aクラスからは森下さんか。Dクラスは、また伊吹さん、だね。
「よろしくねっ!堀北さんっ!負けないからねっ!」
「えぇ。よろしくお願いするわ。一之瀬さん。勝つのは私よ」
「貴女と戦えるなんて、楽しみです。堀北鈴音。ぶち抜いてあげます」
「私も、貴女と戦えるなんて楽しみよ。森下さん。貴女に私が抜けるかしら?」
「はぁ。またアンタとなのね。…………まぁ、勝ちに行くけど」
「えぇ。また貴女と競えること、楽しみにしている」
うーん。この強者感。みんなから完全に
人の上に立つ器って奴なのかな?
……………うん?
なんか、もう一人のDクラス女子の波長、少し変だな?
焦り?不安?恐怖?確か、陸上部の子だっけ。名前は確か木下さん。陸上部なのに堀北さんに負けそうで焦ってる?
チラッと櫛田さんを見てみると、完全に目が合った。多分、お互いに同じ違和感を抱いたんだと思う。
言いしれない不安を感じながら、第一レースが始まった。
やっぱり堀北さんは強い。木下さんも何とか並んでるけど、この調子なら抜かされる。……………⁉︎今の波長、恐れと不安、それから強迫観念!
「堀北さんっ‼︎」
「鈴音っ‼︎」
僕と櫛田さんの警告は殆ど同時。
木下さんが、最後のハードルを飛び越えた瞬間の堀北さんを巻き込むように、転ぼうとしたのも殆ど同時。
それに気付いた堀北さんの動きは、的確で迅速だった。
着地と同時に勢いよく前に倒れ込みながら、前周り受け身を取る。結果、木下さんは堀北さんがいた場所に倒れ込んだ。
木下さんの妨害を完全に躱し切った堀北さんは、立ち上がると同時に走り出す。受け身を取ったコンマ数秒のタイムロスをものともせずに、見事に一位を掻っ攫った。
流石、としか言いようがないけど。
「───怪我はないかしら。木下さん?」
「う、うん。ちょっと、足が、もつれ、ちゃって」
堀北さんは木下さんに声を掛けながらも、伊吹さんと観客席の龍園くんとカルマに視線を送る。伊吹さんは即座に、龍園くんは険しい顔で、カルマは怖いくらいの無表情で、三人とも否定した。
波長に嘘の乱れはない。僕と櫛田さんの見解は一致しているみたい。
堀北さんは僕と櫛田さんにも目配せしたけど、僕たちはどっちも、あの三人は嘘をついていないことを肯定した。つまり。
「────ここまでやるのね。南雲先輩は」
堀北さんが敢えてこぼした南雲雅の名前に、木下さんは露骨に震え上がった。途轍もない、恐怖の乱れ。堀北さんにじゃない。カルマと龍園くんに対するそれ。
木下さん、自業自得だけど、可哀想に。
「ありゃりゃ。こりゃ失敗か。流石はあの人の妹ってとこだな」
南雲雅は、その様子を見ながら笑っていた。
木下美野里はバレないように飛騨翔子を攻撃していた時に、たまたま見つけたちょうどいい手駒だったんだが。
「あの様子だと、もうあいつ使うのは無理だな。赤羽のヤツがキッチリ
まぁ良い。駒はまだある。
「下手な鉄砲数撃ちゃ当たるっていうし、もっと適当にばら撒きますか」
さて、次のターゲットは、と。
次のレースは、僕も出走する。
積極的に、僕は他の生徒に挨拶していく。
「よろしくね。平田くん」
「うん。よろしく、潮田くん」
波長に乱れはない。シロ。
「よろしく。吉田くん」
「おう。よろしく」
乱れ無し。シロ。
「よろしく。園田くん」
「お、おう。よろしくな、潮田」
乱れた。クロ。一年Dクラス。確か、サッカー部だったっけ。意識を向けてるのは、吉田くんか。成程。流石にそれは、見過ごせないな。
「────そうそう。さっきの木下さんなんだけど、怪我とかは、無かったかな?」
「お、おう。問題、なさそうだったぜ」
「そっか。なら良かった。でも、ちょっと心配だな」
「な、何、が?」
「────だって、龍園くんとカルマ、すごく怒ってたよ?」
「────っ!」
恐怖の波長の乱れ方。
まぁ、それはそうだ。先輩として距離があった南雲雅よりも、日常を共に過ごしてきたあの二人の方が、怖いに決まってる。
「まぁ、わざとじゃないなら、そんなに怒んないと思うけど、ね」
「お、おう。そ、うだな」
「うんうん。
園田くんは、完全に固まった。
ようやく気付いたのかな。あんなことした生徒を、あの二人はただじゃおかないって。
さて、ピストルの音と共に、開幕だ。
やっぱり平田くんは優秀だ。僕と同じかそれ以上に早い。でも。
「な、何だあのチビ!ハードル走メッチャうめぇぇぇ‼︎」
「あ、あいつ確かビーチバレーで激ヤバトスしてたヤツだ!」
「まじか、足も速いのかよ!」
裏山フリーランニングで、障害物なんて何回も乗り越えてきた。
今更ハードル走程度で沈むわけない。
危なげなく一位。二位は、あれ、園田くんか。平田くんだと思ってたんだけどな。安堵の波長。成程、せめて結果を残すことで、あの二人からの制裁を避けようとしてるのか。
まぁ、ある意味賢いね。
恐怖の波長を滲ませながら観客席に戻った園田くん。
龍園くんはすごく良い笑顔で受け入れてた。う〜〜ん怖い。
「よくやったなぁ園田。二位とは、なかなかやるじゃねぇの?」
肩組んでるけど、園田くん可哀想なぐらい震えてるね。なんか、ごめん。
「う、うす。一位取れなくてすんません」
「いや〜〜〜良いって良いって。二位でも十分。───少なくとも、転んで六位の木下よりも、圧倒的にマシだから、なぁ?」
「ひぃっ………。あ、あの、木下は、どこに……?」
「あぁ。赤羽のヤツが、万が一があったら不味いからってんで、保健室まで二人っきりで付き添ってやってるらしいぜ?
「────だね。あの倒れ方だと、
「ひっ、…………そ、そうなんすね。き、木下のやつ、大事ないといいっすね………」
「な〜〜〜に怯えてんだよ。もっと、喜べよ。────なぁ⁉︎」
「う、うすっ!二位取れて、本当嬉しいっす‼︎龍園さんとクラスの役に立てて良かったっす‼︎」
「おう。次は一位目指せよ?」
うっわ〜〜〜怖〜〜〜。
うん。龍園くんは、怒らせないようにしよう。
後何人か仕込んでいたみたいだけど、あれ見た後で龍園くんを裏切ろうってやつはいないでしょ。Dクラスは大丈夫そうだね。
…………問題は。うちのクラスにも、複数人いるっぽいところなんだけど。
「───渚。うちのクラスにはどんぐらいいる?」
「波長の乱れ方からして五、六人。取り敢えず、警告はしとく」
「うん。よろしく」
手が早いし、やり方が上手い。
一年生同士の仲間割れを誘う。いや、Dクラスを一年生全体の敵にさせるようなやり方。
……………成程。ターゲットは、カルマか。
木下は、心から怯えていた。そして同時に後悔していた。せめて、せめて奥田か椎名がいてくれたなら。
赤羽と一対一。なんて、最悪の、罰ゲーム。
「───ねぇ木下さん?怪我はない?」
「えっ、ええぇ。ふ、不幸中の幸いって奴」
「うんうん。まさしく不幸中の幸いだね。良かったね木下さん。───ターゲットが堀北さんで」
そう。もし、堀北鈴音以外、例えば、櫛田桔梗を狙っていたなら。櫛田桔梗の身体能力では、必ず怪我を負っていた。
そうなって仕舞えば。
「うちとBクラスが結んだ契約、覚えてるよね?一切の妨害行為を厳禁するって奴。これを破ったなら、ひよりさんが退学になるって」
椎名ひより。赤羽業にとっての、特別な一人。
「─────ねぇ、分かってたの?」
いつの間にか、保健室ではなく、校舎裏に誘導されていた。
カルマは木下の首を掴み上げ、締め上げながら、壁に押し付ける。抵抗は悪手だと察したのか、木下は動かなかった。
「おい。何とか言えよ」
「………ごぇ…………なざぃ………」
命乞いのような、情けない声。
あまりにも哀れで、あまりにも弱々しくて。だからカルマは、より強く締め上げた。息が出来ずに、目を見開きながら、必死に足掻く。両足をじたばたと暴れされて、十数秒。
カルマは唐突に、その手を離した。
墜落するように崩れ落ちて、咳き込みながら、必死に酸素を吸い込む。
「で、誰の命令?」
脳味噌を必死に回して、情報を伝達する。
「分、分かりません。り、陸上部の、先輩から、持ちかけられて、そ、その先輩は、また別の先輩から持ち掛けられたらしくて」
人を何人も介在させることで、指示役本人に行きつかないようにする。実に姑息で、されど効果的な手法だ。
「んで、どんな命令?」
「ほ、堀北さんと走る機会があったら、巻き込んで転べって。そ、そうしたら、五億のうちの三千万、寄越すって」
「ふぅん?ポイントに目が眩んだんだ?」
「ご、ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
崩れ落ちた姿勢を正して、必死に土下座する。
怖い。怖い。怖い。怖い怖い怖い怖い怖い。
一週間前の自分を殴り殺したい。ポイントなんかよりも、命の方が、ずっと大事なのに。
カルマはゆっくりと、土下座する木下の頭を踏みつけた。
「一回試してみたかったんだよね。人の頭、踏み潰したらどんな感じなのかなって」
「ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!もう、もうしません‼︎陸上部辞めます‼︎先輩とも縁を切ります‼︎」
「さ〜〜〜ん」
絶望の、カウントダウンが始まる。
「も、持ってるポイント全部差し出します‼︎こ、この後のレース、全部絶対に一位取ります‼︎」
「に〜〜〜い」
カウントダウンは、止まらない。
「なんでもします‼︎‼︎脱げって言われたら脱ぎます‼︎抱かせろって言われたら抱かせます‼︎あ、貴方に絶対に逆らいません‼︎だから、だから、命だけは‼︎」
「い〜〜〜ち」
ラスト、ワンカウント。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「ぜ〜〜〜」
「そこまでにしておきなさい」
「それ以上はダメですよ。カルマくん」
その声に、カルマの動きは止まった。
チラリと視線を向けると、堀北鈴音に連れられた椎名ひよりが、いた。
困ったような笑みを浮かべながら、カルマは足をどかした。
早歩きでひよりはカルマに近付いていく。
「あははは。怖いの見せちゃってごめんね───」
乾いた音が、響く。
ひよりは、カルマの頬を盛大に叩いた。
「─────最低です」
「……………ごめん」
「謝る相手が違います」
「………ごめんね。木下さん」
「い、いえ。悪いの、は、私なので」
ひよりは膝をついて、木下を助け起こした。
額についた土汚れを自分のハンカチで拭っていく。木下は、椎名に縋り付くように謝罪していく。
「ご、ごめんなさい椎名さん。ごめんなさい。ごめんなさい」
「大丈夫ですよ。木下さん。大丈夫です」
木下は、まるで崇めるような視線を、椎名に向け始めた。
木下の目に映る椎名は、陽の光を後光のように浴びていて、もはや聖女か天使のように思えて仕方ない。
「────私は、あなたを許します。木下さん」
この瞬間、木下はひよりを崇拝対象に据えた。
「………で、ここまであなたの狙い通りかしら、赤羽くん?」
「何のことやら」
「木下さんはもう絶対に裏切らないし、椎名さんの為なら何だってするでしょうね。彼女の護衛としてはピッタリね」
「………まぁ、裏切った瞬間から、この図は狙ってたよ」
「南雲雅、貴方はどうするの?」
「利害関係は完全に破綻した。俺にとっても、あの人はもう敵だよ」
「───そう。なら、この体育祭が終わった後、手を貸しなさい」
………成程。そういうことか。
「あの人が次の生徒会長なんて。兄さんの後を継ぐなんて、認め難いわ。会長選、立候補するから、手を貸して頂戴」
一騎打ちかと思っていたが、三つ巴か。成程。
「おっけ。手を貸してあげるよ、堀北鈴音生徒会長」
俺と綾小路と櫛田さんと堀北さんね。後は渚と茅野ちゃんも引っ張り込みたいところだけど、まぁ。
負ける気はしない。
さて、男子の方は、カルマと綾小路くんは今度は別組だったみたいだし、危なげなく一位を取った。
幸村くんは、カルマと鉢合わせたらしい。残念ながら二位だった。
Dクラスは流石だね。奥田さん印プロテイン(カルマから聞いた)のお陰で、一年生の中で最も基礎スペックの底上げに成功している。
一位の数こそ三番手だけど、平均順位は最高だ。
五位以下は、さっきの木下さんだけ。
それに、最初以降、転倒事故は起きていない。
Dクラスだけじゃなく、学年全体で。
Aクラスは、坂柳さんが。Bクラスは、櫛田さんが。Cクラスは僕が。Dクラスは龍園くんが。
それぞれのやり方で裏切り者を抑えている。
龍園くんとカルマの二人は、圧倒的な暴力と、威圧と恐怖で。
「───ねぇ、墨田くん。この体育祭、クラスのために、頑張ろうね」
「お、おう。そ、そう、だな。うん。クラスの為に、頑張らないと、な」
僕は、その、裏切るつもりの生徒たちにバレないように話しかけながら、殺気を突きつけて。
「ねぇ聞いた前園さん。櫛田さんが言ってたんだけど、裏切るつもりの生徒がいるかもしれないんだって」
「そ、そうなの。よ、良くないわよね。そういうの」
「うんうん。女皇陛下のために、私たちは戦っているんだから‼︎」
「そ、そうね。女皇陛下の為に‼︎」
「女皇陛下の為に‼︎」
櫛田さんは、裏切るつもりの生徒の友達を通じて、それとなく、裏切ろうとしているのがバレているって伝えて。
「────それで?杉尾くんは、何をするつもりだったんでしょう?」
「い、いや。何も?変なことなんて、するつもりなんて、無かった、よ?」
「ふぅん?───そういえば、宮園先輩と、仲が良かったんですね。杉尾くんは」
「………ぇ」
「真澄さんが、たまたま見つけたそうですよ。あなたと、宮園先輩の、秘密のやり取り。何でしたっけ。真澄さん?」
「チラッと見えただけだから、正確な情報ではないけれど。確か、平田を巻き込んで転べば、三千万ポイント貰える、とか、そんな感じだったわね」
「だそうですが」
「そ、それ、は…………」
「うふふふふふ。────頑張ってくださいね。期待してますよ。園田くんみたいに」
「………は、い………」
坂柳さんは、裏切ろうとしている生徒を呼び出して、みんなの前で吊し上げて。
僕たちは、南雲雅の攻撃を完全に防ぎ切った。
二年Bクラスの休憩所では。
「南雲の策も仕込みも、完全に潰えたようだな」
「だね。やっぱり、今年の一年は優秀だね」
桐山の言葉に、珍しく九重が反応した。
「………なんだ?もう雪が降る季節になったのか?」
「別に天変地異の前触れじゃないから。テーブルゲーム部に入った後輩たちが気になってただけだよ」
ついこの間入部した真澄と有栖。それから、愛里、波瑠加、幸村。それから、入部こそしていないが、実質部員の、シュウ。
彼らに南雲の手が迫っているのを目にして、戦々恐々としていたが、問題なく捌き切ったようだ。
「───完全に翻弄されて、大敗北した藤乃とは、大違いだな」
「おい鬼龍院」
「良いのよ桐山。事実だもの」
至極つまらなそうに吐き捨てる鬼龍院に、桐山は制止するが、藤乃は甘んじて受け入れた。
たらればが脳裏をよぎる。
もし、自分が、もっと早くに気付けていたなら。もっと早く、助けを求めてくれていたなら。もっと早く。
過ぎ去ったことは、もう変えられないのに。
ぽこっと、大して痛くもない衝撃が、頭頂部に響く。
「………何よ」
「あんま考え込むのは良くないよ。藤乃。藤乃は、頑張ってたじゃん」
「………結果が出なかったら、意味ないわよ」
いつかどこかで、誰かにそんなことを言われたような気がするが。
『───貴女なら、大丈夫よ。だって───』
そうだ。あぐり先生だ。
確か、あぐり先生は、何て言ってたんだっけ。
まぁ、きっと。
忘れるぐらいなら、どうでも良いことだったんだろう。
大事なことを忘れてしまった藤乃は、静かに一年生を眺めていた。