体育祭の後、本当だったら、オレは坂柳と会うつもりだった。
ただ、同じ部活動の先輩が倒れたしまったから、その先輩の見舞いに行ったらしく、オレとの約束は、延期していて。
その約束の日がようやく来て、喫茶店で会ったわけだが。
「はじめまして。それから、お久しぶりです。八年と二百四十三日、八時間四十五分三十秒ぶりですね」
「お、おう」
その約束の日な訳だが。
なんか、凄く電波なことを言い出したな。
「ふふふふふ、八年前はガラス越しで見ただけでしたが、こうして実際に会えるなんて、私は、本当に運がいいですね」
「そ、そうか」
………な、成程。
施設の見学に来たときに、オレのことを見ていたのか。
それで、まぁ、多分。
坂柳はその白い肌を、分かりやすく赤く染めていた。
うん、多分。オレの自惚れとかではないのなら。
「それで、その、ですね」
八年前のオレのどこを見て、どうしてそんなことを思ったのか分からないが。
「じ、実は、その」
やはり坂柳は、その。
「す、す、す、好き、です………」
オレのことが、好きらしい。
凄く赤いな。心臓弱いんだろ?大丈夫なのか?倒れないよな?
「い、言っちゃった…………」
なんか、ちょっと、可愛いな。
…………その、本当に、申し訳ないんだが。
「…………すまない。オレは、その、好きな人が、もういるんだ」
ちゃんと告白して来てくれた人を振るのって、こんなに疲れて気不味くて、自分を傷付けるのか。
初対面の坂柳でこれなら、鈴音か桔梗かを選ぶとき、オレはどれほど傷つくのだろうか。
「…………そう、ですか」
いえ、分かっては、いたんですけどね。
坂柳は、そう呟いていた。
こっそりと、坂柳と綾小路の会話を聞いていた神室は、憤慨した。
「はぁ?何あいつ。二股野郎の分際でなに一丁前に誠実ぶってんのさ。取り敢えず保留にしとけよ」
「お、落ち着け神室」
浅野は必死に、神室を宥めていた。
いやまぁ、神室の気持ちも分からなくはないし、有栖の気持ちも分かるし、綾小路の気持ちも分かるのが、辛い。
「…………綾小路にとって、E組で過ごした一年は、それ程に重要なものだったんだ」
「…………ねぇ、あいつに、何があったわけ?浅野も有栖も、知ってるんでしょ?」
「…………君が、知るべきことじゃない」
議員が実質的な人体実験を繰り返していたなんて、とてもではないが表に出さない。
最悪の場合、神室と神室の家族すらも、巻き込まれるかもしれない。
「は?何それ」
「仲間外れというわけじゃない。最悪、君と君の家族に、危険が及ぶ可能性がある」
「あっそ。で、綾小路に何があったわけ」
「だから、だな」
「私は有栖の友達で、浅野、あんたの友達でもある。
あんたも、綾小路の面倒事に関わってるんでしょ?」
鋭いな。この子は。
「…………あいつが、進路とか学費とかを求めてこの学校に来てるわけじゃないってことぐらいは、分かる」
身体能力学力その他諸々の圧倒的なレベルの高さを見せつけられた。
クラスをAクラスに持ってくるのに積極的ではあるが、それは、この学校がクラス間競争をしているからで。
アイツ自身は、本質的にはAクラスへの昇進そのものには興味がない。
ただ、クラスメイトと勝つこと。
浅野や赤羽、それから、多分潮田にも勝つ為に、全力を出している。
「あいつが、何を求めているのかまでは、分からないけど。それは、浅野、あんたがメメ先輩との勝負を放棄してまで、向かうほどのことな訳でしょ?」
先週の日曜日。
二日前の朝。
朝からテーブルゲーム部に遊びに行った神室は、浅野がメメ先輩との勝負を放棄してまで、慌てて部室から出たところに出会した。
部室にいた先輩達も、それから有栖も驚いていた。
よっぽどのことでなければ、浅野がここでの勝負を捨てることなど無い筈なのに。
メメ先輩は、『お友達に何かがあったようね』と言って納得していた。
有栖は、メメ先輩の言葉を聞いて、納得していた。
────有栖が納得した時点で、恐らくは綾小路に関連した出来事だと判断した。
「…………、よく、僕のことを見てるんだな」
「っ、はぁ⁉︎何その言い方⁉︎」
神室は怒りで赤く染まって、声を荒げて来た。
「べべべべべ別にアンタのことを見てたわけじゃなくて、いや、見てないわけじゃ無いんだけどその」
流石に二人にバレるわけにはいかないので。
「少し静かにしてくれ」
「あ、アンタが、変なこと言うからっ」
浅野は、左手の人差し指を神室の口にそっと触れて。
黙らせた。
「…………ひょぇ」
「いや、その、すまん。そんなに嫌がるとは」
変な鳴き声を上げる程とは。
まぁ、流石に、セクハラのようなものだとは思うが。
「べ、べべべべ別に嫌ってわけじゃ………って違う違う違う。そうじゃなくて。
……………綾小路に、何があったの」
「本人から許可を貰わないと」
まぁ、それはそうなんだが。
なんだか、凄く恐ろしいものに、足を踏み入れることになるのだろう。
「その、友達に愛されているんだな。坂柳は」
神室と浅野が、ここにいるとはな。
……………まぁ、神室なら、話しても良いかもな。
船上試験でも、常に冷静だったし。浅野がそばにいるだろうし。
「…………後で二人にはお仕置きですね」
うん。怒るとちょっと怖いな。
「ねぇ、綾小路くん。あなたの好きな人は、堀北さんなんですか?それとも、櫛田さんですか?」
うん。その。凄く、最低なことなのは、分かっているんだが。
「………………今の所は、その、両方って、ことに、なる」
坂柳は、ちょっと、引いていた。
うん。そうなるよな。
「お、思ったよりも、最低ですね」
返す言葉も無い。
「…………ねぇ、綾小路くん。あの山奥の一年は、どうでしたか?」
どうだった、か。
そう、だな。
「────一生忘れない、最高の思い出だ」
あの黄色い、マッハ20の変なタコと、クラスメイトのみんなとの関わりは、きっと。
オレを人間にしてくれた、大切な思い出だ。
「……………それなら、良かったです」
坂柳は納得したのか。
一つ、聞いておきたいことが、ある。
「なぁ、坂柳。どうして、オレのことを好きになったんだ」
「……………自分で言うのも何ですが、私、天才だったので。学秀くんぐらいしか、真っ当に話せる人も居なくてですね。
あなたなら、私とも、ちゃんと話せるんじゃないか、と。
それに、あなたの才能に、仄かに憧れていた部分はあります」
「そう、か」
「………まぁ、どうせ分かるわけないって、私が、勝手に周りを見限っていたのかもしれないって、最近、そう気付いたんですけどね」
幸村くんも、長谷部さんも、佐倉さんも、きっと、真澄さんも。
それに、Aクラスのみんなも。
ちゃんと話せば、ちゃんと聞いてくれました。
ちゃんと、答えてくれました。
「…………まぁ、きっと坂柳は、運が無かったんだろうな」
「…………ふふっ、その物言いですと、あなたは、運が良かったみたいですね」
「そうだな。オレは、運が良かった」
最高の教師達。
最高のクラスメイト達。
………最高の、宿敵達。
最高の、出会い。
「オレはずっと、出逢いに恵まれている」
「私も最近、恵まれて来ましたね」
ねぇ、綾小路くん。チェス、しませんか。
いや、チェス盤は無いだろう。
お互いに、頭の中で問題なくできるでしょう?
まぁ、そうだな。
「では、私から」
オレと坂柳の脳内チェスは、ニ時間ほど続いた。
いや強いな。ホワイトルームでもここまでのやつはいなかったと思うんだが。
「出会いに恵まれましたからね。この高育で、認めるのは業腹ですが、私よりも強い人とたくさん試合して来ましたから」
「バトル漫画か?」
「割と現実にもそういうところはあると思いますが」
うーん。これオレ勝てるか?
いやまぁ、今のところは互角なんだが。
「一手でもミスしたら、引き摺り込まれそうだな」
「まさか。あなたがミスなんかしないことを、知っていますよ」
「いや、オレにとってはミスじゃなくても坂柳から見たらミスの可能性もあるからな」
多分素の実力だけなら、坂柳の方が上かもしれん。
まぁ、浅野ともずっとやり合っていただろうし、ここで出会ったって言う強い人が、相当に強かったんだろうな。
「ふふふっ、楽しかったですよ。このニ時間の
「…………これは、負けたな」
まさか、負けるとは。
「うーん。楽しかったですが、やっぱり、チェス盤が無いともの足りませんね。駒を手に持つあの感覚、あれに勝るものはありませんし。
真澄さんにとって来させますか」
「………もしかして、何だが。
ここの閉店まで、やり合うつもりか?」
「その、ご迷惑、でしたか?」
「まぁ、今日ぐらいは」
坂柳に呼び出された神室は、全力疾走でチェス盤と駒を持って来た。
自分と浅野用の将棋盤も持って来ていた。
「ふふふ、やはり楽しいですね。強い人との一局は」
「オレにとっても勉強になる」
「いつか、堀北会長と、それから、堀北さんともやってみたいですね」
「先輩は知らないが、鈴音はかなり強いぞ」
「………今すぐやりたいです。呼んでくれませんか?」
「分かった」
鈴音はすぐに喫茶店まで来た。
「あら、お久しぶりね。坂柳さん」
「えぇ、お久しぶりです。堀北さん」
二人の間で、一瞬火花が散った。
挟まれるオレとしては、ちょっと気まずい。
「それで、どうして私を呼んだのかしら」
「あなたがとても強いと聞いたので、一局打ちたいです」
バトル漫画の住人か?
「………チェス盤は一つしかないようだけれど」
うん。流石に、脳内チェスができるほどじゃないからな。鈴音は。
「学秀くん。五分以内にもう一つ持って来てください」
「分かった。王手」
凄くあっさりと浅野は神室との将棋を終わらせて、ダッシュで取りに行った。
オレと坂柳が打っている間、神室は四連敗したらしい。
机に突っ伏して、糖分摂取の為に砂糖をしこたま溶かしたカフェラテを、ストローでちゅうちゅう吸っていた。
行儀は悪いが、その。
「………大丈夫かしら。神室さん」
「差があるのは分かってるわ。それにしたって強すぎない?」
凄く、煤けているなぁ。
「そうね。坂柳さんとやり合う前の軽いウォーミングアップに付き合ってくれないかしら」
容赦ないな。鈴音のやつ。
「嫌だ。絶対浅野と同じくらい強いでしょ」
「あら、負けるのが怖いのかしら」
「…………怖くないし」
二人は、浅野が戻ってくるまで、将棋を始めて。
浅野がピッタリ五分でチェス盤を持って来た頃に、鈴音が王手をかけていた。
本日通算七連敗かぁ。
でも、すぐに戻って来た浅野との試合をやるあたり、相当ボードゲームが好きなんだな。
「彼女、凄く強かったわね」
「みたいだな」
「ふふん。私のお友達ですからね」
「それで、清隆くんの次に私とやるのかしら?」
「いえ、時間ももったいないですし、このまま二面打ちで」
「………舐められたものね」
いや、舐めているとかそういうんじゃなくて、ただ時間が勿体無いと心から思っているだけだと思う。
普通にオレより強いし。
「では、始めましょうか」
「私を舐めたこと、後悔させてあげるわ」
で、数十分後。
「どちらも
「……………
「
負けず嫌いが発動した鈴音と、一局でも多く差したい坂柳に付き合わされて、店の閉店後も、そのままオレの部屋で、一晩中三人で遊んでいた。
帰ろうとする浅野を全力で引き留めて、神室は自室で、一晩中付き合わせていたらしい。
翌日、日も昇り始めた時間に、疲れ切ったオレと浅野は、疲れ切った鈴音と、ツヤツヤしている坂柳と神室を見送った。
「………それで、綾小路篤臣との戦いの時に、有栖の手は、借りるのか?」
「あぁ、手を貸してくれるそうだ。神室には」
「ちゃんと話した。まぁ、手を貸してくれるそうだ」
心強い味方だな。
それは、それとして。
帰り際、疲れ切った鈴音の目を盗んで、オレの頬に口付けして来たのを、思い出す。
『ちょ、』
『────ふふ、私は諦めが悪いんですよ?』
一回フラれたぐらいで、諦めるとは思わないでくださいね?
八年間、想い続けていたんですから。