Fate/hollow adaptation――異戒の華は冬木に咲く​   作:りー037

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【第四章 :安堵の終焉と、絶望の飛来、そして無窮の適応の幕開け】

【記録:2004年2月2日 21時25分 / 場所:冬木市 深山町郊外・激戦の跡地】

 

 

 神代の暴風が去った後の夜の帳には、ひどく焦げ臭い、死と破壊の匂いが濃密に立ち込めていた。

 

 冬木市深山町の郊外、切り立った崖に面した緩やかな坂道。かつては閑静な風景の一部であったはずのその場所は、今や見る影もない。アスファルトは原型を留めないほどに粉砕され、周囲の木々は根元からへし折られて無惨に散乱し、地面の至る所に巨大なクレーターが穿たれている。

 

 特に、遥か彼方から放たれた『壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)』が着弾した爆心地周辺は、未だにチリチリと赤い残り火が燻り、高密度の魔力の残滓が陽炎となって冬の冷気を歪ませていた。

 

 その凄惨な破壊の痕跡の中心で、三人の人間――いや、二人の魔術師と一基の英霊が、荒い息を吐きながら立ち尽くしていた。

 

「……退いたか」

 

 

 赤みがかった髪の少年、衛宮士郎は、自身の膝が小刻みに震えているのを自覚しながら、掠れた声で呟いた。

 

 

 先程まで、目の前で繰り広げられていた理不尽極まりない光景。ギリシャ神話の大英雄、ヘラクレス。その圧倒的な質量と暴力、そして『殺されても蘇る』という常軌を逸した不死性を前に、士郎の全身の毛穴からは脂汗が絶え間なく吹き出していた。

 

 もし、あのまま戦闘が継続していれば。あるいは、遠くからの援護射撃による足止めがなければ。自分たちは間違いなく、あの巨大な岩剣の錆となり、挽肉に変わっていただろう。

 

「……セイバー。大丈夫か」

 

 

 青銀の甲冑に身を包んだ美しい騎士。彼女の纏う風の結界はすでに編み直され、その手にあるはずの黄金の剣は再び不可視の鞘へと収まっている。

 

 だが、その華奢な肩は激しく上下に揺れ、銀の甲冑には無数の傷とひび割れが刻み込まれていた。

 

「ええ……。マスターこそ、お怪我はありませんか。あのバーサーカーの猛攻、余波だけでも致命傷になりかねないものでした」

 

 

 セイバーは、気丈に振り向き、士郎を安心させるように小さく頷いた。

 

 しかし、その顔色は決して良くない。本来であれば、マスターからの潤沢な魔力供給を受けて十全に戦えるはずの彼女だが、士郎の魔術回路が機能していない今、彼女は自身の内に残された僅かな魔力のみで、あの怪物と打ち合わねばならなかった。

 

 最後に放った、風の封印を解いての一撃。あの黄金の斬撃で完全に魔力を底をつかせかけた彼女の疲弊は、誰の目にも明らかであった。

 

「……まったく。初日からとんでもない貧乏くじを引かされたわね」

 

 

 二人のやり取りの少し後方から、長い黒髪を夜風に揺らしながら、遠坂凛が大きな溜息と共に歩み寄ってきた。

 

 彼女の顔にも、深い疲労の色が滲んでいる。だが、その赤いコートを纏った立ち姿には、一流の魔術師としての矜持がしっかりと保たれていた。

 

「でも、生き残った。あのアインツベルンの化け物を退けて、私たちは今夜、一つの戦闘を乗り切ったのよ。……まずは、お互いに無事で何よりだったわね、衛宮くん、セイバー」

 

「ああ……遠坂も、助かった。遠坂のアーチャーの援護がなけりゃ、俺もセイバーもあそこで終わってた」

 

「ふん。勘違いしないでよね、別にあなたたちを助けたわけじゃないわ。あの状況で共倒れになられても困るから、一時的な共闘を選んだだけよ」

 

 

 凛は、ツンと顔を背けながらも、その声色には確かな安堵が混じっていた。

 

 彼女は、自身の魔術回路を通じて、遥か彼方のビルの屋上に陣取っている自身のサーヴァント――アーチャーへと念話を繋ぐ。

 

(……ご苦労様、アーチャー。見事な狙撃だったわ。あの宝具の解放、相当な消費だったんじゃない?)

 

 

『気遣い感謝する、凛。だが、あの程度、君のバックアップがあれば痛くも痒くもない。……それよりも、だ』

 

 

 脳内に響くアーチャーの声は、いつもの皮肉めいた余裕を保ちつつも、どこか警戒を解いていない、冷徹な響きを持っていた。

 

『アインツベルンのマスターは退いたが、聖杯戦争の初日、これほど派手に魔力を撒き散らしたのだ。他のマスターや英霊が、この戦場の臭いを嗅ぎつけていない保証はない。油断するなよ、凛。ここはまだ、死地の中央だ』

 

 

(言われなくても分かってるわよ。少し息を整えたら、すぐにここから撤退するわ)

 

 

 凛は念話を切り、周囲の闇へと鋭い視線を巡らせた。

 

 張り詰めていた緊張の糸が、少しずつ解れていく。

 

 絶望的な怪物との遭遇戦を生き延びたという事実が、三人の間に、ごく僅かな『弛緩』を生み出していた。

 

 それは、死線を潜り抜けた人間であれば誰もが抱く、生理的で必然的な安堵。

 

 

 

 だが。

 

 その「安堵」が、致命的な隙となる。

 

 

 

 ――ピキリ。

 

 

 最初にその『異常』を感知したのは、人間である士郎や凛ではない。

 

 幾多の戦場を駆け抜け、神域に達した第六感――『直感』のスキルを持つ青銀の騎士、セイバーであった。

 

「……!?」

 

 

 セイバーの動きが、唐突に凍りついた。

 

 彼女の碧い瞳が見開かれ、頭頂部の金糸が、まるで電流を流されたかのようにピンと逆立つ。

 

 

 それは、明確な殺気を感じ取った時の反応ではない。敵対する魔術師の呪詛や、英霊の宝具の気配でもない。

 

 もっと根本的な、世界そのものの法則が『歪んだ』ような、吐き気をもよおすほどの絶対的な違和感。

 

 彼女の魂に刻まれた本能が、警鐘を通り越して、金切り声を上げて悲鳴を上げていた。

 

「セイバー……? どうしたんだ、急に」

 

 

 様子がおかしいことに気づいた士郎が、心配そうに声をかける。

 

 しかし、セイバーは士郎の顔を見ることなく、その切っ先を天へ――全く何もないはずの上空へと向けた。

 

「下がって……! 下がってください、シロウ、凛!!」

 

 

 セイバーの口から飛び出したのは、これまでに士郎が聞いたこともないような、切羽詰まった、焦燥に駆られた絶叫であった。

 

「え……?」

 

「何よ、急に!? 敵!? まだ誰か潜んでいるっていうの!?」

 

 

 困惑する士郎と、即座に臨戦態勢を取り、両手に宝石を握りしめる凛。

 

 だが、二人が周囲の森や物陰に視線を巡らせても、そこには何の気配もない。遠方のアーチャーからも、敵影を補足したという警告は発せられていない。

 

 

 いない。周囲には、誰もいないのだ。

 

「違います、そこではありません! 上です!! 空が――空間が、歪んで……ッ!?」

 

 

 セイバーの叫びに弾かれ、士郎と凛は同時に夜空を見上げた。

 

 

 そして、彼らは『それ』を視認した。

 

 冬木の澄んだ冬の夜空。星々が瞬き、雲一つないはずの暗闇の天蓋。

 

 

 その、地上から数十メートルほどの上空の空間が。

 

 まるで、水面に石を投げ込んだかのように、ブラウン管テレビの映像が乱れるように、グニャリと、あり得ない形に歪曲していたのだ。

 

「な、なんだあれ……空が、捩れてる……!?」

 

 

 士郎が愕然と呟く。

 

 魔力による光や、召喚陣の輝きなどはない。ただ純粋に、実数空間の法則が暴力的に押し広げられ、『穴』が開こうとしている光景。

 

 凛の魔術師としての論理が、猛烈な速度でその現象を理解しようと回転するが、彼女の持ついかなる魔術理論の引き出しを開けても、あのような無音で、無軌道で、無機質な空間の歪みなど該当するはずがなかった。

 

(空間転移……!? いや、違う! あれはもっと別の次元からの、無理やりな押し出し……!!)

 

 

 

 次の瞬間。

 

 その空間の歪み――虚数空間と実数空間を繋ぐゲートの底から。

 

 一切の落下傘(パラシュート)も、着地の衝撃を和らげる魔術的処置も施されていない、規格外の『質量』を持った何かが、猛烈な速度で吐き出された。

 

 

 

 

 ヒュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥンッ……!!

 

 

 重力に引かれ、空気を切り裂きながら落ちてくる巨大な影。

 

 それは、明確な「こちらへの攻撃」ではなかった。ただの『落下』。

 

 

 だが、数十メートルの上空から、数トンに及ぶかもしれない超質量がそのまま自由落下してくるという物理的事実は、それだけで絶大な災害に等しい。

 

「来る……ッ! 防御を!!」

 

 

 セイバーが、士郎と凛を背中で庇うようにして前に飛び出し、見えない剣を横に構えて全魔力を防御へと回した。

 

 士郎も咄嗟に凛の前に立ち塞がり、両腕を交差させる。

 

 

 

 直後。

 

 その『落下物』は、三人の眼前の、先ほどまでヘラクレスが立っていたクレーターの中心へと激突した。

 

 

 

 

 ズドォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!

 

 

 

 

 爆発などという生易しいものではない。

 

 純粋な『運動エネルギー』の炸裂。

 

 巨大な隕石が直撃したかのような、大地そのものをへし折るような凄まじい轟音が冬木の夜を劈き、すでに粉砕されていたアスファルトと土砂が、津波のように数十メートルの高さまで巻き上げられた。

 

「くぁっ……!?」

 

 

「きゃああっ!?」

 

 

 巻き起こった暴風と土煙の壁に、士郎と凛の身体が木の葉のように吹き飛ばされそうになる。

 

 セイバーが風王結界を展開し、間一髪で飛散してくる巨大な瓦礫の直撃を防ぐ。もし彼女の防御が遅れていれば、三人は落下に伴う衝撃波だけで五体をミンチにされていたかもしれない。

 

 

 土煙が、夜風に流されてゆっくりと晴れていく。

 

 視界を塞いでいた粉塵の向こう側に、深く、巨大に抉り取られた新たなクレーターの中心が露わになる。

 

 

 士郎は、耳鳴りがする頭を振りながら、必死に目を開けた。

 

 凛もまた、咳き込みながら、震える手で宝石を構え直し、そのクレーターの中心を睨みつける。

 

 

 

 何が、落ちてきたのか。

 

 新たな敵の英霊か。それとも、魔術師の放った大規模な爆撃魔術か。

 

 その答えは、濛々と立ち込める粉塵の中から、あまりにも異様で、あまりにも冒涜的なシルエットとなって、ゆっくりとその姿を現した。

 

「……な、に……あれ……」

 

 

 凛の口から、呆然とした、恐怖に染まった呟きが漏れた。

 

 

 それは。

 

 人間では、なかった。

 

 だが、先ほどまで戦っていたヘラクレスのような「怪物」という枠組みにも収まらない。

 

 

 白い、異常なまでに発達した隆起する筋肉。

 

 

 頭頂部から後頭部にかけて伸びる、羽のような、植物の葉のような不気味な形状の顔。

 

 そして何より、その右腕と一体化するようにして装着された、禍々しくも神聖な気を放つ『退魔の剣』。

 

 

 だが、その肉体的な異様さ以上に、三人の魂を芯から凍りつかせたのは。

 

 その白き怪物の頭上、僅かに浮遊した位置で、重々しい金属の光沢を放ちながら静かに鎮座している『黄金の法輪』の存在であった。

 

 八つの握りを持つ、車輪のような、舵輪のような不可思議な円陣。

 

 

 

 

 八握剣異戒神将魔虚羅。

 

 それが、数十メートルの上空から一切の減速なしにアスファルトに激突したにもかかわらず。

 

 その白い肉体には、擦り傷一つ、土埃の汚れ一つ付いていない。

 

 

 ただ、そこにある。

 

 世界から完全に切り離されたような、絶対的な『循環』と『調和』を纏って、ただ静かに、三人のことを見下ろしていた。

 

「な、なんだ……この、気配は……」

 

 

 先ほどのヘラクレスが放っていたのは、明確な殺意と、破壊の意志、狂乱の暴力だった。それは恐ろしいが、まだ「理解できる恐怖」であった。

 

 

 だが、目の前に立つこの白い怪物からは、感情というものが一切読み取れない。

 

 殺意もない。怒りもない。ただ、機械的に「そこに存在する事象を処理する」という、極めて無機質で、絶対的な法則の冷たさだけが、圧倒的なプレッシャーとなって三人の魂を押し潰そうとしていた。

 

「あ、 あれは……あれも、サーヴァントなの……!?」

 

「分かりません……! 英霊の座から来たものとは思えない! あれは、もっと別の……根本的に『理』が違う何かです……!!」

 

 

 セイバーの不可視の剣が、構えの姿勢のまま微かに下がる。

 

 

 

 静寂。

 

 吹き荒れていた風すらも、その怪物の前では息を潜めたかのように止まっている。

 

 

 そして。

 

 

 ――ガコンッ。

 

 

 怪物の頭上。

 

 黄金の法輪が、時計回りに重々しく一回転した。

 

 

 その瞬間。

 

 士郎、凛、セイバー、そして遥か彼方からスコープ越しにこの怪物を見下ろしていたアーチャーの四人の魂に、等しく、決定的な『絶望』の二文字が刻み込まれた。

 

 

 先ほどまで彼らが戦い、退け、安堵していたヘラクレスという暴風雨。

 

 そんなものは、これから始まる『蹂躙』に比べれば、まだ優しく温かなそよ風に過ぎなかったのだと。

 

 

 冬木の地、激戦の跡地に。

 

 間桐桜という一人の少女の思惑により、いかなる神話の法則をも喰らい尽くす、理外の絶対適応者が降り立った。

 

 

 安堵の時間は、永遠に終わった。

 

 ここからは、逃げ場のない、本当の絶望が幕を開ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【記録:2004年2月2日 21時20分 / 場所:冬木市 新都郊外・廃マンション屋上】

 

 

「さあ、帰りましょう。明日の学校に遅れては大変ですから」

 

 

 凍てつくような冬の夜風が吹き荒れるは屋上。

 

 眼下の凄惨な戦場で繰り広げられた、神話の怪物同士の激突。アインツベルンの巨人の撤退と、満身創痍で生き残った衛宮士郎たちの姿を見届けた間桐桜は、冷酷な観測者としての視座を閉じ、再び「日常を愛する少女」の顔へと戻って踵を返した。

 

 これ以上の長居は無用である。自身の戦力である魔虚羅を一切危険に晒すことなく、安全圏からの観測のみで敵対する三陣営の戦力、戦闘スタイル、そして宝具の底を覗き見ることができた。

 

 

 聖杯戦争の初日、情報収集の成果としては、もはやこれ以上のものを望むべくもない大戦果と言っていい。彼女の極めて冷徹で合理的な魔術師としての論理は、『即時撤退』という明確な最適解を弾き出していた。

 

 

 

 だが。

 

 コンクリートの床を三歩、四歩と進んだところで。

 

 彼女の黒いブーツは、目に見えない強固な鎖に引かれたかのように、ピタリと停止した。

 

「…………」

 

 

 吹き抜ける強風が、彼女の紫の髪と黒いロングコートの裾を激しく波打たせる。

 

 桜は振り返ることもなく、ポケットに両手を入れたまま、足元の暗闇――街のネオンの光すらも一切反射せず、どこまでも深く沈み込んでいる自身の『影』を、じっと見つめ下ろしていた。

 

 彼女の脳内で、先ほどまで「完璧な最適解」として出力されていたはずの戦術プランに、微小な、しかし決して無視することのできない重大な『ノイズ』が混じり始めていたのだ。

 

(……本当に、このまま撤退してしまっていいのでしょうか?)

 

 

 

 自問自答。

 

 彼女の魂の奥底で、氷のように冷徹な思考が、先ほど観測したばかりの膨大な戦闘データを再処理し、新たなシミュレーションを猛烈な速度で回し始める。

 

 

 英霊の神秘。神代の魔力。

 

 それは、間桐桜が事前の知識と推論で想定していたレベルを、遥かに凌駕するほどの圧倒的な『存在格』であった。

 

 

 青銀の騎士――セイバーが、絶体絶命の窮地で放ったあの一撃。不可視の風の封印を解き放ち、冬木の夜空を真昼のように照らし出した、あの『黄金の剣』。

 

 あれは、ただ魔力を高密度に圧縮して放つだけの魔剣の類ではない。星の息吹、人間の祈りそのものを結晶化させたような、極限まで高められた神秘の到達点。神造兵装。

 

 

 そして、遥か彼方のビルから狙撃を行っていた赤い外套の射手――アーチャーが放った、あの一撃。

 

 ただの矢ではなく、英霊の象徴たる宝具そのものを変形させ、さらに自身の魔力を限界まで注ぎ込んで故意に『崩壊』させることで、一撃限りの絶大な破壊力を生み出す禁忌の絶技。純粋な神秘の塊を起爆させる、疑似的な核弾頭。

 

 それらは全て、現代を生きる魔術師がどれほど血反吐を吐いて研究を重ねようとも、決して到達することのできない、純然たる『神秘』の欠片であった。

 

 

(バーサーカーの適応は、無敵です。時間さえかければ、いかなる神代の神秘であろうと、いかなる概念武装であろうと、必ずその構造を解体し、喰らい尽くし、自身の糧とすることができる。……ですが。それはあくまで、『適応のプロセスが完了すれば』の話)

 

 

 桜の紫の瞳に、極めて冷酷な理知の光が灯る。

 

(当初の作戦は、使い魔を通じて遠隔から情報を集め、相手の手の内を全て把握した上で、安全に使い魔を用いて適応を進め、立ち回るというものでした。)

 

 

 桜の脳内の天秤が、激しく、そして極めて精密に揺れ動く。

 

 もし。このまま撤退し、衛宮士郎や遠坂凛、そして彼らの英霊たちが休息を取り、魔力を回復させ、『万全の状態』を取り戻したとしたら。

 

 

 その万全の彼らと、やり合うことになった場合のリスク。

 

 

(もし、セイバーとアーチャーが連携し、互いの底知れぬ宝具を、初見のバーサーカーに対して『最大出力』で同時に叩き込んできた場合……どうなる?)

 

 

 いくら物理法則を無視し、現代魔術への耐性を極限まで高めている魔虚羅であっても。

 

 万全の状態から放たれる『黄金の剣』と『壊れた幻想』の直撃を、全く適応が進んでいない無防備な状態で真っ向から受ければ。

 

 適応の歯車が回り切るよりも、損傷を再生するよりも僅かに早く、魔虚羅の存在そのものが完全に『消し飛ばされてしまう』可能性。

 

 

 一撃必殺。適応というプロセスすら許されないほどの、圧倒的な破壊の飽和。

 

 彼らが二つの陣営として組んでいるというのであれば、その不確定要素とリスクは計り知れない。

 

 

 万全の状態で相手をすることこそが、最大の愚策であり、致命的な隙になり得るのだ。

 

(翻って、現在の状況はどうですか?)

 

 

 桜は、コートの中で自身の腕を抱き、脳裏に戦場のリアルタイムの映像を呼び起こす。

 

 セイバーは、アインツベルンの怪物との死闘の末、さらには極大の魔力放出を伴う宝具を解放したことで、その魔力をほぼ完全に枯渇させている。息も絶え絶えであり、本来のステータスの半分も出せない状態。あの黄金の剣を、再び先ほどと同じ威力で振るうことなど、今の彼女には逆立ちしても不可能である。

 

 

 マスターである衛宮士郎もまた、魔術回路が全く機能しておらず、セイバーに魔力を供給するどころか、極度の緊張と疲労で立っているのがやっとの有様。

 

 遠坂凛も、アーチャーの規格外の宝具行使をバックアップしたことで、少なからず魔力を消費し、疲弊している。

 

 

(……絶好のチャンス、ではないですか)

 

 

 

 暗闇の中で。

 

 間桐桜の端正な唇の端が、三日月のように、ひどく美しく、そして残酷に吊り上がった。

 

(万全の状態でやり合うよりも。疲弊しきっている『今現在』、急襲を仕掛けた方が遥かに良い)

 

 

 桜の内に潜む、冷血なギャンブラーのような、極めて優秀な魔術師としての直感が、そう囁きかけていた。

 

 

 安全策を引きちぎり、臨機応変に対応するのだ。

 

 極大の英霊の神秘に対しての『適応』を、今この瞬間、始めるべきであると。

 

 

 今の、出力が著しく低下し、疲弊しきったセイバーの剣技や魔力放出であれば。魔虚羅が直接その身に受けたとしても、決して一撃で消し飛ばされるような致命傷には至らない。

 

 確実に攻撃を耐え凌ぎ、消滅することなく、その身に直接『極大の神秘』を刻み込み、適応の歯車を回すことができる。

 

(今回、彼らを倒し切る必要なんてありません。あくまで、適応のプロセスを進めるための『前哨戦』として、ここを選ぶだけ。……現代の神秘を嘲笑う英霊の力。それを解析するための、最高の材料(データ)を獲得するための戦闘)

 

 

 必要な要素さえ揃えばいい。

 

 あの黄金の剣の魔力波長、英霊の筋力、神造兵装の概念。その一端に触れ、魔虚羅のシステムに『未知の神秘』として認識さえさせてしまえば。

 

 そこから先は、時間経過と共に魔虚羅が、自動でその神秘を解析し、無力化し、適応し続けてくれる。

 

 

 次に彼らが万全の状態で立ち塞がった時には、すでに魔虚羅にとって彼らの宝具は「無効化されたエラーコード」へと成り下がっている。

 

 

 その、絶対の勝利への布石を打つための介入。

 

「……もちろん、リスクはある」

 

 

 今この瞬間、あの戦場に魔虚羅を投下し、急襲を仕掛ける最大の懸念材料。

 

 

 それは、戦場から数キロ離れたビルの屋上から、未だに狙撃のスコープを下ろしていないであろう『アーチャー』の存在である。

 

(セイバーは、疲弊している。ですが、遠方から狙撃を行っていたアーチャーに関しては、肉体的な疲労はそこまで見えない。もし、バーサーカーが現れた瞬間、再びあの宝具を撃ち込まれれば……いくら距離があっても、危険)

 

 

 

 しかし。

 

 間桐桜という魔術師の真の恐ろしさは、リスクを認識した上で臆病に引き下がるのではなく、即座に『そのリスクを完全に潰す手段』を構築できる、異常なまでの思考の柔軟性と決断力にある。

 

(アーチャーの現在位置は、わたしの使い魔によって完全に把握している。先ほどの『ねじれた剣』が彼の最大の切り札なのか、それともそれ以上の隠し玉があるのかは不明ですが……どのような宝具であろうと、極大の魔力を圧縮し、解放するその『予兆』は、こちらでいち早く感知できる)

 

 

 桜の脳内で、アーチャーとの見えない情報戦のシミュレーションが展開される。

 

 彼が再び宝具の装填を始めた瞬間。その引き金が引かれるよりも早く、桜が魔虚羅を影の位相を通じてこちらへ『引き戻して』しまえばいい。

 

(放たれたとしても、着弾前に影を通して回収する。……それならば、アーチャーの狙撃で破壊されるリスクは、ほぼほぼ帳消しにできる。わたし自身が、アーチャーへの警戒を一瞬たりとも怠らなければいいだけの話)

 

 

 そしてもう一つ、決して忘れてはならない特大の不確定要素。

 

 それは、遠坂凛と衛宮士郎の右手に刻まれた『令呪』の存在である。

 

(相手の手札を、全て理解したわけじゃない。追い詰めすぎれば、土壇場で令呪を使い、限界を超えた自爆特攻で盤面をひっくり返しに来るかもしれない)

 

 

 だからこそ、引き際を見誤ってはいけない。

 

 今回の介入は、彼らを皆殺しにすることが目的ではないのだ。

 

 あくまで『適応のための材料集め』。十分なデータを引き出し、適応の歯車が回り始めたと判断した瞬間、あるいは相手が令呪を使用する素振りを見せた瞬間、未練なく撤退する。

 

 

 

 メリットとデメリット。

 

 極大の神秘に適応する絶好のチャンスと、それに伴うアーチャーや令呪のカウンターリスク。

 

 間桐桜の極めて優秀な脳髄は、これら全ての複雑な損益計算を、踵を返してから立ち止まるまでの、僅か数十秒という思考の隙間で完璧に完了させていた。

 

 

 一度立てた『安全圏からの適応』という作戦に固執し、状況の変化に対応できずに自滅していく三流の魔術師とは根本的に違う。

 

 彼女は、魔術師としての実力は当然のことながら、それ以外の部分――ロンドンで培った盤面把握能力と、経験に裏打ちされた冷徹な判断力を遺憾なく発揮し、自らの立ち位置を瞬時に切り替えたのだ。

 

 

 より巨大な利益を貪り取るための、ケースバイケース、臨機応変な最適解。

 

 明確にリスクのある策であることを肝に銘じつつ、彼女はついに、決断を下した。

 

 

「行きなさい、バーサーカー。あの戦跡へ」

 

 

 桜の静かな、しかし絶対の自信に満ちた命令に呼応し。

 

 廃マンションの屋上に広がる彼女の影が、まるで意思を持った巨大な獣のように、ズズン……と重々しい脈動を打ち始めた。

 

 彼女の細い指先が、凍てつく夜の空気を撫でるように滑らかに動き、極めて高度で複雑な《虚数魔術》の術式を編み上げ始める。

 

 

 数キロ離れた戦場へと、どのようにして魔虚羅を送り込むか。

 

 この屋上から物理的に移動して向かったのでは、到着する頃にはセイバーたちは撤退を完了してしまっているだろう。

 

 故に、桜が選択したのは、自身の持つ《虚数属性》を極限まで応用した、神業とも呼べる『空間のバイパス構築』であった。

 

 

「《虚数展開(イマジナリ・スフィア)》――座標指定。起点、第一監視鳥。終点、我が影の底」

 

 

 

 桜の唇から、冷たく透き通った詠唱が紡がれる。

 

 それは、転移術式。膨大な魔力を消費するため、決して無制限に使うことはできない大魔術。

 

 

 だが、転移させる位置座標に、すでに確固たる『目印』があれば話は別だ。

 

 桜が狙いを定めたのは、現在も戦場の上空数十メートルの位置に配置し、士郎たちの様子を見下ろすように観測を続けている『虚数の使い魔(鳥)』であった。

 

 

 あの使い魔は、桜自身の《虚数魔術》によって編み上げられた代物。実数空間の法則から外れ、虚数の海を通じて、桜の足元の影とダイレクトに接続されている。

 

 桜は今、その使い魔と自身の影を繋ぐ見えない管を、物理的な質量を通過させることが可能なほどの巨大な『空間の通り道(ゲート)』へと、強引に押し広げようとしていた。

 

 自身の影と、上空の使い魔。その二つの位置を繋げ、距離という概念をゼロに収束させる。

 

 

 

 

 ギリリリリ……ッ!

 

 

 桜の体内の魔術回路が、空間を折り畳むという異常な負荷に悲鳴を上げる。

 

 だが、彼女の顔に苦痛の色はない。彼女の膨大な魔力リソースと、魔虚羅との接続によって拡張された演算領域が、その莫大な負荷を涼しい顔で処理していく。

 

「――接続(リンク)、完了」

 

 

 その深淵の奥底で、黄金の法輪を戴く無敵の神将が、主の意思を受け取り、ゆっくりと身を起こす気配が伝わってくる。

 

「彼らに、真の絶望の形を教えてあげなさい。……でも、無理は禁物ですよ。アーチャーの狙撃には細心の注意を払いますから、存分に、その神秘を喰らい尽くしてきなさい」

 

 

 桜は、まるで出かける前の子供に言い聞かせるような、ひどく優しく、甘い声で影に向かって囁いた。

 

 

 

 その言葉の直後。

 

 

 ズンッ、と。

 

 屋上のコンクリートが、信じられないほどの重みを受けて深く沈み込んだような錯覚。

 

 間桐桜の足元の影から、『途方もない質量』が、虚数の海を突き抜けて一瞬にして消失した。

 

 

 影の中の魔虚羅と、戦場を上から見下ろす使い魔。

 

 その二つの座標が完全に繋がり、魔虚羅の巨体が、士郎、凛、セイバーの真上の虚空へと吐き出される。

 

(……上空数十メートルからの、自由落下。並の魔術師や弱い英霊なら、着地の衝撃だけで足の骨が砕け、致命的な隙を晒すでしょう)

 

 

 桜は、虚数の殻の中で、クスクスと意地悪く微笑んだ。

 

(でも、あなたには関係のないこと。重力による影響、単純な物理衝撃ごときでダメージを負うような、そんなか弱い肉体はしていないのですから)

 

 

 魔虚羅にとって、高所からの落下に伴う運動エネルギーなど、もはや「すでに適応済みの環境要因」の一つに過ぎない。

 

 その肉体は、ただの一点の淀みもなく、隕石のように大気を切り裂いて、無防備な三人の眼の前の大地へと降り注ぐだろう。

 

 

 術式の構築と、魔虚羅の投下は完了した。

 

 桜は、深呼吸をして魔術回路の熱を鎮めると、再び意識を『上空の使い魔』の視覚へと完全に切り替えた。

 

 

 摩天楼の屋上。冷たい夜風の中。

 

 間桐桜の端正な顔立ちに、ゾッとするほど暗く、歪んだ、しかし純度百パーセントの高揚感が浮かび上がっていた。

 

 

 すべては計算通り。

 

 狂信の少女の完璧な盤面支配により、無敵の神将が、ついに神話の英雄たちの前へとその姿を現す。

 

 静かなる観測の時間は終わりを告げ、冬木の地に、未知なる適応の嵐が吹き荒れようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

【記録:2004年2月2日 21時26分 / 場所:冬木市 深山町郊外・激戦の跡地】

 

 

 ――ガコンッ。

 

 その音は、鼓膜を震わせる物理的な振動ではなく、実数空間の因果律そのものを強引に書き換えるような、冷酷で重々しい響きを伴って世界に鳴り渡った。

 

 土煙がゆっくりと夜風に流され、深く抉れたクレーターの中央に現れた白き巨人――八握剣異戒神将魔虚羅。

 

 

 その異形の頭上に浮かぶ黄金の法輪が、時計回りに一回転を終えた瞬間、周囲の空間からあらゆる生命の気配が氷結したかのように消え失せた。

 

「……あれは、本当に、何なんだ……?」

 

 

 衛宮士郎の唇から、形にならない掠れた声がこぼれ落ちる。

 

 彼の網膜に焼き付いているのは、先ほどまで戦っていたヘラクレスという、圧倒的な「生の暴力」の体現者ではない。目の前に佇む存在が放っているのは、それとは真逆の、底知れない「死の静寂」――あらゆる事象を無機質に処理するためだけに最適化された、冷徹な法則そのものの具現であった。

 

 

 殺意がない。憎悪もない。ただ、そこにあるだけで、周囲のエーテルを、世界の理を、じわじわと自身のシステムへと塗り替えていくような圧倒的なプレッシャー。

 

 士郎の肉体は、魔術師としての未熟さゆえに、その異物感がもたらす本能的な拒絶反応を制御できず、全身の筋肉が過呼吸を起こしたように硬直していた。

 

 

「シロウ、私の後ろへ……! 決して、その存在に意識を向けないでください!」

 

 

 セイバーの青銀の甲冑が、激しく軋む音を立てる。

 

 彼女の『直感』は、今や赤色灯を激しく明滅させながら、魂の全域にわたって「完全なる敗北」の予兆を告げていた。

 

 それは神霊でもなく、魔獣でもなく、英霊でもない。世界の裏側から、ただ間桐桜という一人の少女を守護するためだけに這い出てきた、バグそのものなのだから。

 

「嘘……でしょ……。魔力の放出が、全く感知できない……。なのに、この空間の圧力は、何なの……っ!?」

 

 

 遠坂凛は、自身の白い指が、握りしめた宝石の角で血が滲むほどに強く強張っているのに気づいた。

 

 魔術師としての彼女の知識が、目の前の事象を拒絶している。サーヴァントであれば、どれほど隠蔽していようとも、現界を維持するための魔力のラインや、核となる霊格の輝きが観測できるはずだ。

 

 

 だが、目の前の白い怪物からは、魔術的なオドの放射が一切感じられない。ただ、彼女の足元にある影の領域が、まるで底なしの奈落のように広がり、周囲の光すらも吸い込んでいるかのような錯覚だけが、五感を狂わせていく。

 

(魔術師でもない。英霊でもない……。聖杯戦争に、こんな怪物を呼び出せるマスターなんて、いるはずがない……!)

 

 

 凛の脳裏に、かつて実の妹であった「間桐桜」の、あの完璧すぎる静寂に満ちた佇まいが一瞬だけフラッシュバックした。だが、彼女はすぐにその思考を振り払う。

 

     

 

 

 

 

 戦場から遥か離れた高層ビルの屋上で、弓を構えたままの赤い外套のアーチャーは、その千里眼のスコープ越しに、クレーターの中心を見下ろしたまま完全に硬直していた。

 

「――チッ。何だ、あの不条理な質量は」

 

 

 彼の放った『壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)』は、確かにアインツベルンのバーサーカーを破壊した。その直後に現れた、全く未知の第二の巨人。

 

 アーチャーの脳内にある『無限の剣製(アンリミテッドブレイドワークス)』の宝具庫が、目の前の怪物が右腕に携えている『退魔の剣』の構造を解析しようと、一斉に開始する。

 

 

 だが、次の瞬間、彼の脳髄を襲ったのは、激しい拒絶の火花(エラー)であった。

 

(解析が……できない? 構造の複製どころか、材質の特定すら拒否される。……神造兵装の類か? いや、違う。あれは歴史や神話に裏付けられた神秘ではない。存在の定義そのものが、この世界の実数空間と噛み合っていない!)

 

 

 数多の戦場を潜り抜け、世界の抑止力として数え切れないほどの怪異を排除してきたエミヤという英霊の経験が、最大の警戒を告げていた。

 

 

 あの怪物の頭上で回った、黄金の車輪。

 

 あれが動くたびに、世界の法則が薄皮を剥がされるように変質していくのが、遠目からでもはっきりと観測できた。

 

「凛、すぐにそこから離れろ。」

 

 

 アーチャーは、弓に新たな矢を番えながら、冷や汗を流して戦況を凝視し続けた。

 

     

 

 

 

 

 

 

 そして。

 

 そのすべての絶望と戦慄を、数キロメートル離れた廃マンションの屋上から、使い魔の視界を通じて見下ろしている間桐桜は。

 

「ふふ……、あははははっ……!」

 

 

 虚数の殻の内側で、抑えきれない歓喜の笑声を、深夜の夜風の中に漏らしていた。

 

 彼女の端正な顔立ちは、今や見たこともないほどに歪み、そして熱を帯びて輝いている。

 

 

 驚愕に目を見開く遠坂先輩の、あの気高いプライドが粉々に砕け散りそうな怯えの表情。

 

 素人同然のまま戦場に立ち、世界の理不尽さに歯の根を鳴らしている衛宮先輩の、無様で哀れな立ち姿。

 

 

 

 そして、先ほどまであれほど傲慢なまでに星の光を放っていた青銀の騎士が、自らの神の前で、まるで暴風に怯える小鳥のように剣先を震わせているという、あまりにも美しい絶対的な現実。

 

(ああ……素晴らしい。本当に、なんて素晴らしいお姿なのでしょう、バーサーカー)

 

 

 桜は、自身の胸を両手で強く抱きしめ、妖しく煌めく瞳で、使い魔から送られてくる映像の一画一画を、貪るように網膜に焼き付けていた。

 

 彼女の心を満たしているのは、冷徹な魔術師としての勝利への確信ではない。それは、自身の影の底に潜み、いつでも自分を無敵の安寧で包み込んでくれる『絶対の神』に対する、言語を絶するほどの純粋な憧憬と狂信であった。

 

 

 召喚されてから約十年という歳月。

 

 間桐の蟲蔵という地獄から自分を救い出し、ロンドンの時計塔での過酷な日々を共に歩み、常に自らの日常の守護者として君臨し続けてくれた巨人の晴れ姿。

 

 

 今夜、その無敵の存在が、過去の亡霊たる英霊たちの、その最高峰の神秘を真正面から受け止め、解体し、適応し、蹂躙していく。その記念すべき最初の『前哨戦』を、こうして特等席で見届けることができるという事実が、彼女の心を、初恋に胸を躍らせる少女のような純粋な高揚感で満たしていた。

 

( ……ええ、ほんの少しだけ、あなたの身体に神代の傷が付くかもしれないという怖さはあります。ですが、そんなものは、あなたへの信頼の前に霧散してしまう些事。わたしは知っています。あなたが、この宇宙の誰よりも強いということを)

 

 

 だが、桜の精神構造の恐るべきところは、これほどの狂気的な歓喜と高揚感に魂を浸していながらも、彼女の魔術師としての『脳』は、未だに絶対零度の冷徹さを保ち続けている点であった。

 

(喜びで目を曇らせ、神の足を引っ張るような不手際を犯すなど、召喚主として万死に値する大罪。……遠坂先輩の令呪の動向、そして、あのビルの屋上で未だに弓を構えているアーチャーの魔力圧縮。一瞬たりとも、見落としは許されない)

 

 

 桜は、微笑みを張り付けたまま、指先を小さく動かして虚数空間のバイパスを再チューニングした。

 

 アーチャーが再びあの『宝具』を放とうとした瞬間、その因果の弾道が届く前に、魔虚羅を強制的に影の位相へと引き戻す準備は万全だ。慢心も油断もない。ただ、神が最も美しく戦えるための完璧な舞台を維持すること。それだけが、今の彼女の使命であった。

 

「さあ、バーサーカー。……彼らに、現代の魔術を置き去りにしたその先にある『神理』の片鱗を、お見せしなさい」

 

 

 桜の甘く、冷酷な囁きが、虚数経路を通じて魔虚羅の脳髄へとダイレクトに送り込まれる。

 

     

 

 

 

 

 

 

 

 主の命を受け、白き神将が、ゆっくりと最初の一歩を踏み出した。

 

 

 カツ、と。

 

 コンクリートの破片を踏み潰す、ただそれだけの動作。

 

 だが、その一歩に伴う圧倒的なプレッシャーの移動に、セイバーの肉体は本能的な戦慄を覚え、皮膚に無数の鳥肌が立った。

 

「シロウ、凛! 奴が動きます! 来る……っ!!」

 

 

 セイバーは、枯渇しかけた魔力回路を強引に引き絞り、足元のアスファルトを爆発させて突進した。

 

 待っていては殺される。あの怪物の頭上の車輪がこれ以上回る前に、この不可視の剣で叩き割らねばならない。それが、彼女の神域に達した戦術的直感が出した、唯一の突撃命令であった。

 

 

 キィィィィィィンッ! と、風の刃が夜の闇を切り裂く。

 

 

 満身創痍でありながらも、その踏み込みの速度と鋭さは、人間の域を遥かに超越した英霊のそれ。青銀の閃光となったセイバーは、一瞬にして魔虚羅の懐へと滑り込み、その不可視の刀身を、怪物の無防備な胸門に向けて一閃させた。

 

 

 

 ガァァァァァァァンッ!!!!

 

 

 

 夜の森に、再び鋼が激突する絶大なる轟音が響き渡る。

 

 セイバーの渾身の斬撃は、魔虚羅の白い胸筋へと正確に叩き込まれる。

 

 

 だが。

 

「……なっ……!?」

 

 

 セイバーの碧い瞳が、驚愕によって引き裂かれた。

 

 

 手応えがない。いや、硬すぎるのだ。

 

 彼女の剣は、魔虚羅の皮膚を僅かに切り裂き、薄い一筋の血を流させただけで、それ以上の侵入を完全に阻まれていた。まるで、世界そのものを叩いているかのような、絶対的な不変の肉体。

 

 

 そして。

 

 

 ――ガコンッ。

 

 

 魔虚羅の頭上の黄金の法輪が、再び重々しく一回転した。

 

 

 

 これこそが、間桐桜の狙い。

 

 疲弊した英霊の、威力の落ちた神秘を直接その身に受け、致命傷を避けた状態で、その構造を完全に解析するプロセス。

 

 法輪の回転と共に、魔虚羅の肉体の中で、セイバーの『不可視の風の剣』の魔力波長、その運動エネルギーの指向性、そして神秘のソースコードが、猛烈な速度で解体され、適応のデータベースへと上書きされていく。

 

「……攻撃を、受けて……回った……!?」

 

 

 あれは、防御ではない。あれは、敵のすべてを喰らい尽くすための――終わりのない『攻略』の歯車。

 

 

 

 英霊の極大の神秘に対する、理外の絶対適応者の『反撃』。

 

 冬木の地を舞台にした、決定的な蹂躙が始まる。

 

 

五条先生の赫とFateの対軍宝具って、どちらが威力上だろうか。何となくで投票してほしいです。

  • 術式反転・赫
  • 対軍宝具
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