Fate/hollow adaptation――異戒の華は冬木に咲く 作:りー037
【記録:■■■■年■月■日 ■■時■■分 / 場所:■■■■■■・■■■■■■】
完全なる、蹂躙。
圧倒的な、敗北。
一体、何が起きたのか。
なぜ、彼の渾身の一撃は、触れることすらできずに弾かれたのか。
それは、他でもない。魔虚羅の宝具『法転輪』による、最悪にして究極の『適応の結果』であった。
先ほど、駐車場で一際重く回ったあの法輪の回転。
あの瞬間、魔虚羅は、クー・フーリンの槍術の軌道を見切っただけではない。
数え切れないほど受け続けた、深紅の魔槍による刺突。そこに込められていた、ケルトの呪いと、ランサー自身の魔力の『波長』。
魔虚羅の霊基は、その情報を完全に解析し、自らの肉体に、ゲイ・ボルクの魔力波長に対する『完全なる適応』を果たしていた。
自身の纏う呪力を、ランサーの魔力と「強烈に反発し合う性質」へと強制的に変質させた。
同極の磁石が反発し合うように、ランサーの魔力が込められた槍が近づけば近づくほど、魔虚羅の呪力が絶対の盾となってそれを拒絶し、弾き返す。
物理的な装甲の硬さなど関係ない。概念レベルでの、完全なる無効化。
もはや、この状態となった魔虚羅に対して、槍による通常の攻撃は、一切の例外なく受け付けられることはない。
そればかりか、この怪物の恐るべきところは、適応が完了してもなお、解析の歩みを決して止めない点にある。
このまま戦闘が長引き、さらなる適応のための時間を許してしまえば。
遠からず、因果を逆転させるあの槍の『真名解放』による理不尽な呪いにすらも、完璧な対策と耐性を打ち立ててしまうだろう。
戦えば戦うほど、相手は神に近づいていく。
手札を晒せば晒すほど、自身の死が確定していく。
月明かりが、静かにクレーターの底を照らし出す。
粉塵が晴れていく中。
血溜まりの中で倒れ伏す青き猟犬。
上空の屋上から。
その光景を、一切の感情を持たない異形の仮面が、静かに見下ろしていた。
もはや、誰の目から見ても、勝敗は決していた。
この冬木の地で、神代の英雄の誇りは、理外のシステムによって無惨に打ち砕かれ、消え去ろうとしている。
――誰もが、そう思うであろう、絶望の淵。
だが、英雄とは、死の淵に立たされてなお、その牙を研ぐことを忘れない存在の総称であった。
それは、全ての破壊と暴虐が通り過ぎた後にのみ訪れる、死のように冷たく、そして絶対的な静寂であった。
数十メートルの高空から、建物の屋上、そして無数の階層の床を自らの肉体で突き破りながら、大地へと叩きつけられた衝撃。
アスファルトがめくれ上がり、巨大なクレーターが穿たれたその中心で、青き猟犬――ランサーは、血の海の中に仰向けのまま倒れ伏していた。
全身の骨という骨が、原形を留めないほどに砕け散っている。
右脇腹の肋骨は完全に陥没し、その折れた先端が内臓を深々と突き破っていた。呼吸をするたびに、肺に溜まった血がゴボゴボと嫌な音を立て、口の端から赤黒い泡となって溢れ出す。
痛覚すらも、すでに正常に機能していない。
脳が処理できる苦痛のキャパシティを遥かに超越したダメージによって、ランサーの意識は、暗く冷たい深淵の底へと急速に沈み込もうとしていた。
これ以上の苦痛を味わう必要はない。勝敗は、誰の目から見ても残酷なまでに決しているのだから。
だが。
彼の魂の根底に刻まれた『神霊の血』と、数多の死線を潜り抜けてきた『英雄としての矜持』が、その心地よい微睡みを絶対に許さなかった。
(……ふざけ、んな……。こんな……こんなところで、終わる、だと……?)
薄れゆく意識の淵で。
クー・フーリンの野生の闘争本能が、消えかけた熾火に油を注ぐように、激しく爆ぜた。
『戦闘続行:A』。
いかなる致命傷を負おうとも、霊核が完全に破壊されない限り、決して死を受け入れず、敵を道連れにするまで戦い続けるという、異常なまでの諦めの悪さ。
その執念が、完全に機能を停止しかけていた彼の肉体を、強引に、暴力的に現世へと繋ぎ止める。
「ガッ……ァ……ハァッ……!!」
ランサーの喉の奥から、獣の咆哮にも似た血塗れの呼気が漏れた。
彼は、痙攣する左手の指先を、自らの血で染まったアスファルトへと這わせる。
そして、震える指先で、自身の血液をインク代わりにして、『ルーン』を素早く刻み込んだ。
影の国の女王スカサハから直接授かった、北欧の神秘の結晶。
発動させたのは、極限状態からの『強制治癒』と『肉体強化』のルーン。
バチィィィィィンッ!!!!
刻まれたルーン文字が青白い光を放ち、ランサーの全身に強烈な魔力の電流を走らせる。
それは、医療行為などという生易しいものではない。
砕けた骨を魔力で強引に繋ぎ合わせ、破裂した内臓を呪術的な糸で縫い合わせ、失われた血液の代わりに純粋な魔力を血管に流し込むという、拷問にも等しい荒療治。
「グゥゥゥゥッ……!! アァァァァァァッ!!!!」
全身の細胞が焼け焦げるような絶痛が、ランサーの脳髄を直接殴りつける。
しかし、彼はその苦痛を甘んじて受け入れ、むしろそれを起爆剤にするかのようにして、血の海の中からゆっくりと、だが確実に身体を起こし始めた。
ミシミシと、肉と骨が不気味な音を立てて再構築されていく。
片膝を突き、ふらつく身体を必死に支える。
視界は未だに赤く染まり、明滅を繰り返している。だが、彼の深紅の瞳に宿る闘志の炎だけは、どれほど強大な絶望を前にしても、決して消え去ることはなかった。
ランサーは、立ち上がる。
自慢の青い装束はボロボロに引き裂かれ、全身は血に塗れ、立っていることすら奇跡に等しい満身創痍の姿。
だが、その背筋はピンと伸び、英雄としての絶対的な誇りに満ちていた。
首の骨が軋む音を鳴らしながら、上空の屋上――彼を隕石のように叩き落とした、理外のバケモノがいるであろう場所を見上げる。
冬木の冷たい夜空。
雲の切れ間から覗く、青白い月明かり。
その逆光に照らされるようにして、廃ビルの屋上の縁に、あの白き巨人が立っていた。
八握剣異戒神将・魔虚羅。
眼窩の羽を揺らしながら、ただ静かに、感情の欠片もない無機質な佇まいで、眼下のクレーターで立ち上がった青き猟犬を見下ろしている。
その姿は、悪魔というよりも、人間の理解を超えた『自然現象』、あるいは無慈悲な『神』そのもののように見えた。
こちらの生存を確認しているのか。それとも、単なる観測か。
(……ハッ。とんだバケモノだ。だが、おかげで目が覚めたぜ)
ランサーは、口の中に溜まった血糊を、ペッと乱暴に地面に吐き捨てた。
脳内のアドレナリンが極限まで分泌され、思考がかつてないほどにクリアに研ぎ澄まされていく。
彼は、ほんの数分前――いや、体感時間では遠い昔のようにすら感じられる、駐車場での攻防の最期を頭の中でリプレイした。
自身の全存在を懸け、落下する隙を突いて放った、起死回生の脳天への刺突。
それが、硬い装甲に弾かれたのではなく、物理的に触れることすらできずに、『魔力の波長そのものを拒絶されて』弾かれた、あの不可解な現象。
(あのバケモノ……俺の槍の魔力と、あの謎のエネルギーを、完全に『反発』させるように、変質させやがった)
それは、直感的な理解。
あれは物理的な硬度による防御ではなく、攻撃の属性、魔力の波長、そしてランサー自身の戦闘スタイルそのものを完全に解析し、それらを『無効化するためのパッチ』を自らの肉体にインストールした結果。
通常攻撃が通じない。ルーンによる魔術が通じない。技量が見切られる。
そして最後には、槍に込められた魔力そのものへの完全なる反発。
戦えば戦うほど、相手はこちらの能力を喰らう。
その理不尽なまでの成長(システム)。
ランサーは、あの怪物の背後に浮かぶ黄金の法輪を睨み据えた。
ガコン、と重々しく回るあの輪。
あれが回るたびに、怪物は新たな耐性を獲得し、傷を『無かったこと』に更新してきた。
(何が条件だ……。いつ、あのバケモノは俺の攻撃を解析し終えた? いつ、その条件を満たしたってんだ……?)
ランサーの優れた直感が、情報の断片をかき集め、一つの線へと繋ぎ合わせようと思考をフル回転させる。
その時。
ランサーの脳裏に、この死闘の直前、あの少女――間桐桜と交わした、奇妙な対話の記憶が鮮明に蘇ってきた。
『……数日後であれば、何の問題もないのですが。本日はお互いに見逃して、出直しませんか?』
そうだ。あの小娘は、確かにそう言った。
真正面からの戦闘を避けるような素振りをしつつ、「数日後であれば何の問題もない」と、ひどく間の抜けた口調で提案してきた。
その言葉の裏に隠された、真の意図。
『「数日後」なら何の問題もない……ねえ。嬢ちゃん、それって裏を返せば、テメェに「数日の時間」をやっちまうと、俺たちにとって何か決定的に「厄介なこと」が完成するって言ってるのと同じだぜ?』
『あの下で暴れてた理不尽な化物。あれがさらに化けるのか、それとも別の罠でも張るつもりか知らねえが……。時間をやればやるほど手がつけられなくなるなら、なおのこと、今ここでテメェの首を落としておくのが大正解ってことだ』
自身が鼻で笑いながら返した、あの推測。
(……ああ。そういうことかよ)
ランサーは、血塗れの顔を歪ませて、自嘲気味に低く笑った。
(あの時俺が言った推測は、あながち間違ってもなかったらしい。「時間をやればやるほど手がつけられなくなる」。……まさにその通りじゃねえか。あの輪が回る条件。攻撃を受け続けることによる『経験』と、事象を解析するための『時間』だ)
英霊としての超絶的な直感と、少女との僅かな会話の糸口から、魔虚羅の持つ対理宝具『法転輪(マハーカーラ)』の本質の一部を、この極限状態において正確に掬い上げてみせたのだ。
時間をかければかけるほど。手札を晒せば晒すほど。
相手は攻撃の情報を咀嚼し、時間をかけて解析を完了させ、法輪を回して絶対の耐性を獲得する。
だからあの小娘は、「時間」を欲しがったのだと。
セイバーの剣術と魔力のデータを持ち帰り、影の底でじっくりと時間をかけて怪物に『学習』させるために。
(だからって……あんなふざけた特性を身につけるなんて、想像できるわけがねえだろうが……!!)
ランサーは、ルーンの光に包まれながら、夜空に向かって豪快に、そして心の底から愉快そうに笑い声を上げた。
「ハッハッハッハッハ! 傑作だぜ! 全く、とんでもねえババを引いちまったもんだ!!」
笑い声が、廃ビルの谷間に反響する。
絶望的な状況。逃げ場のない死地。
自身の通常攻撃は完全に無効化され、近接戦闘では触れることすら許されない。
まさに「詰み」の盤面。
だが、彼は笑った。
生前の神話の時代。数え切れないほどの敵軍に囲まれ、自らの死が確定している状況においても、彼は決して絶望に屈することはなかった。
逆境であればあるほど、敵が強大であればあるほど、その血は熱く沸き立ち、英雄としての魂は最高潮に達する。
(さあて、どうする? 撤退すべきか?)
ランサーは、笑いを収め、冷静に戦術的な判断を下そうとする。
単純な敏捷性(スピード)だけであれば、自分の方が僅かに上回っている。この場から背を向けて全力で逃走すれば、振り切れる可能性はゼロではない。
しかし。
(……逃げ切れるか? あのバケモノを前にして)
怪物が、屋上からふわりと、重力を感じさせないような奇妙な挙動で自由落下を開始した。
ズッッッ……ドォォォォォォンッ!!
数十メートルの落下を全く意に介さず、魔虚羅が再び地上へと着地し、凄まじい砂煙を巻き上げる。
そして。
ズシン、ズシン、と。
地鳴りのような足音を立てながら、血の海に立つランサーへと向けて、一切の感情を持たない足取りで歩み寄ってくる。
その姿は、死神そのものだ。背を向ければ、一瞬で距離を詰められ、脳天をかち割られる未来しか見えない。
(それに、だ)
ランサーは、チッと舌打ちをした。
本来であれば、このような絶望的な状況にサーヴァントが陥った場合、マスターが後方から『令呪』をもって強制的な空間転移を行い、撤退させるのが定石だ。
だが、彼のマスターである男は、そのような真っ当な援護をするような輩ではない。
教会の安全圏に引きこもり、この凄惨な死闘を愉悦の表情で眺めているに違いない。
(……とんだバケモノを押し付けられた上に、マスターはあの外道。俺のマスター運のなさも、ここまで来ると笑えねえな)
己の貧乏くじの引きの強さと、幸運のステータスの低さに、ランサーは軽く呆れ果てる。
あんな男の支援に少しでも期待した自分が馬鹿だった。自身も焼きが回ったものだ。
彼は、小さく首を横に振り、自身の内にある「逃走」という選択肢を、完全に、そして綺麗さっぱりと破棄した。
逃げられないからではない。
これほどの強敵を前にして、ケルトの光の御子たる自分が、尻尾を巻いて背を向けることなど。
彼の英雄としての誇り(プライド)が、断じて許さなかったからだ。
「……仕方ねえ。ここで殺らなきゃ、俺が殺られるだけだ」
ランサーは、低く、腹の底から響くような声で呟いた。
その声には、先ほどまでの激昂や焦燥は微塵も含まれていなかった。
あるのは、極限まで研ぎ澄まされた、氷のように冷たく、炎のように熱い『覚悟』。
バシッ、と。
手の中に収まる、呪われた朱槍『ゲイ・ボルク』。
師である影の国の女王から授かり、無数の血を吸ってきた彼の半身。
通常攻撃は通じない。魔力も反発される。
魔虚羅は今、クー・フーリンの槍術に対する完全な適応を果たしている。
だが。
まだ、あいつが見ていない『切り札』が、一つだけ残されている。
(適応の条件が『時間経過』なら。……あのバケモノが解析を完了するよりも早く、世界そのものをねじ曲げる『呪い』を一撃で心臓にブチ込めば、どうなる?)
それが、ランサーの導き出した、唯一にして絶対の攻略法であった。
相手が未知の現象を解析し、法輪を回して適応する。
ならば、その解析すらも追いつかない、回避も防御も不可能な「因果逆転」の呪い。
槍を放つ前に「心臓に命中した」という『結果』を先に確定させる、神の領域の必殺技。
これを初見で叩き込み、核を完全に破壊し尽くす。それ以外に、この怪物を破る術はない。
魔虚羅が、無言のまま距離を詰めてくる。
十メートル。五メートル。
退魔の剣が、ランサーの首を刎ね飛ばすべく、無慈悲に振り上げられる。
絶体絶命の局面。
だが、ランサーは、微動だにせず、深紅の魔槍を自らの足元へと低く構えた。
ルーンによる強制治癒の反動で、全身から血の霧が噴き出している。肉体は限界をとっくに超え、一歩踏み出せばそのまま崩れ落ちてしまいそうな状態。
それでも、彼の瞳に宿る英雄の光は、これまでにないほど眩く、強く輝いていた。
「……そのふざけた耐久力ごと、ブチ抜いてやるよ」
ランサーの全身から、先ほどまでの比ではない、圧倒的で禍々しい魔力が渦を巻き始める。
深紅の魔槍が、主の決意に呼応するように、鼓動を打ち、血のような赤い光を放ち始めた。
ランサーは、裂帛の気合と共に、槍の柄を握り潰さんばかりの力で握り締め、自らの全存在、全霊のエネルギーを一点に凝縮させた。
因果を逆転し、運命を強制的に書き換える呪い。
極限のカタルシスが、冬木の夜空を深紅に染め上げる。
「――その心臓、貰い受ける!!」
絶望的な局面でこそ笑う。
まさに英雄たるランサーが、真名解放の言霊を、世界に向けて高らかに宣言する。
神殺しの死棘が、今まさに、異戒の神将の心臓へと向けて解き放たれようとしていた。
五条先生の赫とFateの対軍宝具って、どちらが威力上だろうか。何となくで投票してほしいです。
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術式反転・赫
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対軍宝具