Fate/hollow adaptation――異戒の華は冬木に咲く​   作:りー037

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【第十四章:神代への階梯、捕食者の算段、そして侵略の開始】

【記録:2004年2月4日 09時30分 / 場所:冬木市 新都・高層マンション自室】

 

 

 冬木の空は、抜けるような青色に染まっていた。

 

 分厚い遮光カーテンを僅かに開けた隙間から、二月の冷たく鋭い朝日が、フローリングの床に白く眩しい直線を引いている。

 

 

 空調が完璧に効いた、静謐な高層の箱庭。

 

 キングサイズのベッドの上で、間桐桜はゆっくりと目蓋を押し上げた。

 

 紫水晶のような瞳が、数回の瞬きを経て、室内の柔らかな光の輪郭を正確に捉える。

 

「……よく、眠れましたね」

 

 

 昨日、極度の魔力消費と、遠坂凛の存在によって引き起こされた得体の知れない感情の揺らぎ。それを強制的な手段でパージし、熱を排出したことで、彼女の肉体と精神は極めてクリアな状態へとリセットされていた。

 

 

 自身の内側へと意識を向ける。

 

 魔術回路の熱はすでに平熱へと下がり、枯渇しかけていたオド(生命力)も、一晩の深い睡眠によって十分な水準まで満たされている。完全な万全、百パーセントの状態とまでは言えないかもしれないが、少なくとも身体を動かすことに何の支障もなく、大規模な魔術行使にも耐えうるコンディションまで回復していた。

 

 

 ベッドから降り、素足でフローリングを踏む。

 

 冷たさは感じない。彼女はそのまま洗面所へと向かい、冷水で顔を洗い、鏡の中の自分と対峙した。

 

(……さて。バーサーカーの様子は、どうなっているでしょうか)

 

 

 桜は、顔の滴をタオルで拭き取りながら、自身の足元――深く濃い『影』の奥底へと、意識のベクトルを沈み込ませた。

 

 主のアクセスに呼応するように、影の表面がドロリと波打ち、底知れぬ深淵から膨大なフィードバックが桜の脳髄へと直接流れ込んでくる。

 

「――――ッ」

 

 

 桜は、その情報量のあまりの密度に、思わず小さく息を呑んだ。

 

 

 一晩。たった一晩、彼女が眠りについている間に。

 

 自身の影の中で微睡む異戒の神将は、昨夜の供物――神代の英雄であるランサーから削り取った情報の咀嚼を、ほぼ完璧に完了させていたのだ。

 

 それは、単なる「因果逆転の呪いへの耐性」や、「対軍宝具の破壊力に対する防御力の向上」といった、表面的なスペックアップという次元の話ではない。

 

(……神秘の『格』。英霊という存在を形作る、根源的な情報密度そのものを、完全に学習している)

 

 

 桜の瞳が、歓喜と畏怖がないまぜになったような、妖しい光を帯びて輝いた。

 

 現代の魔術師が放つ魔力波長と、英霊が纏う神秘。その二つは、質量も、法則も、世界に対する干渉力も、全てが文字通り「桁違い」であった。

 

 

 ランサーの宝具を真っ向から受け、一度は半身を消し飛ばされるという極限の経験を経たことで、魔虚羅の適応のアルゴリズムは、『神代の神秘』という新たな、そして絶対的な定規(スケール)を自らの内に獲得した。

 

 

 脳内に展開される、魔虚羅の現在のステータス。

 

 筋力、耐久、敏捷、魔力といった、サーヴァントとしての基礎パラメータが、以前とは比較にならないほどの異常な数値を叩き出している。

 

 純白の肉体を覆う装甲は、概念的な破壊すらも弾き返すほどの絶対的な強度を持ち、眼窩から伸びる羽は、大気中の微細なマナの変動すらも完璧に捉える超高精度のレーダーへと変質していた。

 

(……これなら)

 

 

 桜は、自身の胸元に手を当て、安堵の吐息を漏らした。

 

(このレベルの神秘の格を獲得した今のバーサーカーなら。たとえ相手がどのような英霊であろうと、初見で一撃のもとに消滅させられるようなリスクは、極端に低くなったと言えますね。……ある程度は、安心して見ていられる次元に到達しました)

 

 

 第一段階のクリア。

 

 現代魔術の極致から、神代の神秘へと足を踏み入れた第一歩。

 

 だが、間桐桜という魔術師は、決してこの程度の到達点で満足し、歩みを止めるような者ではない。

 

 

(ランサーの一件で、神秘の格は学習しました。……ならば次は、さらに強力な神秘を刈り取り、より深く、より広大に『神代の領域』の奥底へと手を伸ばす)

 

 

 桜は洗面所を後にし、リビングのキッチンで手早くダージリンティーを淹れた。

 

 カップから立ち上る芳醇な香りを楽しみながら、彼女はダイニングテーブルの椅子に深く腰を掛け、脳内で血生臭い『殺戮のロードマップ』を広げ始めた。

 

(さっさとこの戦争を終わらせて、先生の元へ帰る。……そのためには、残る敵の処理順序(ターゲット・セレクション)を、絶対に間違えてはなりません)

 

 

 現在、彼女の観測網が捉えている、存在を把握している敵陣営。

 

 

 そして、唯一いかなる情報も掴めていない『アサシン』のクラス。

 

 使い魔の監視網にも一切引っかからず、マスターの正体も、どこに潜んでいるのかも全くの未知。

 

 

 だが、桜はその存在を、思考の優先順位から即座に除外した。

 

(姿も見せず、監視網にもかからない完全な未知。……ですが、こちらから探し当てる手立てがない以上、現状は考慮のしようがありません。動きを見せない得体の知れない幽霊など、今は後回しにするしかないでしょう)

 

 

 

 ならば、警戒すべき真の脅威は。

 

 遠坂凛の『アーチャー』。

 

 衛宮士郎の『セイバー』。

 

 イリヤスフィールの『バーサーカー』。

 

 

 この三騎の英霊に絞られる。

 

 

(この中で、純粋な戦闘能力、物理的な暴力の極致にいるのは、間違いなくアインツベルンのバーサーカー)

 

 

 開幕の夜、セイバーの渾身の一撃を無傷で弾き返し、周囲の地形を理不尽に破壊し尽くしていたあの漆黒の巨人。

 

 彼の持つ宝具は、おそらく強力な『防御』や『不死』に特化した概念的な呪いであると、桜は推測していた。

 

(圧倒的な物理能力と、強固な概念防御。絶望以外の何物でもない。……ですが、私から見れば、最も与し易い相手でもある)

 

 

 桜の唇の端が、冷ややかに吊り上がった。

 

(あのレベルの純粋な物理攻撃であれば、すでに英霊の神秘の濃度を学習し、装甲をアップデートした今の魔虚羅を、一瞬で消滅させることは不可能。……そして、相手の宝具がどれほど強固な概念防御であろうと、何度蘇る不死の呪いであろうと。それが『防御系』の能力である限り、こちらが致命傷を負うリスクはありません)

 

 

 時間をかければいいのだ。

 

 相手が物理で殴ってくるのなら、それを受け止め、法輪を回し、その全てを無効化する。

 

 相手が不死の防御を持っているのなら、その防御の概念そのものを解析し、それを貫通する理を構築するまで、何度でも切り結べばいい。

 

 

 

 バーサーカー対バーサーカー。

 

 消耗戦になれば、無限の適応を誇る魔虚羅に絶対に敗北はない。

 

(むしろ……私にとって本当に厄介なのは、どんな手札を隠し持っているか不透明なアーチャーと、神造兵装と思われるあの黄金の剣を持つセイバーの方です)

 

 

 桜の瞳に、極めて慎重な、氷のような警戒の色が走る。

 

 アーチャーというクラスでありながら、剣を生成し、打ち放つ男。彼がどのような宝具を持ち、どれほどの射程と破壊力を秘めているのか、現状では推測することしかできない。未知のカードを多く持っている相手は、それだけで適応のプロセスを狂わせる『ノイズ』となり得る。

 

 

 そして、セイバー。

 

 初戦の小手調べの段階では、不可視の剣の理を暴き、魔虚羅が圧倒してみせた。

 

 だが、あの彼女が持つ真の宝具――大気を焼き焦がすような圧倒的な星の光を放つあの剣は、間違いなく神代の極致、神造兵装の類である。

 

(あの向こうのセイバーを本気にさせて、ためらわずに宝具の真名解放をされるのは、非常にリスキーですね)

 

 

 桜は、指先でコンコンとテーブルを叩きながら、最悪のシミュレーションを展開する。

 

(もし、セイバーが敗北を悟り、マスターである衛宮先輩が令呪を切って、彼女に『自滅覚悟のフルパワーの宝具』を撃たせたら? もしアーチャーが、こちらの想像を絶するような広範囲殲滅の切り札を切ってきたら?)

 

 

 初戦である程度の剣筋は解析したとはいえ、彼女の全力を推し量るには、圧倒的に情報が足りていない。

 

「……順番を、間違えてはなりませんね」

 

 

 桜は、静かなリビングの空間に、誰に聞かせるでもなくその結論を落とした。

 

「なら、まずは……ヘラクレスを『餌』にしましょう」

 

 

 アインツベルンの森に陣取っているであろう、あのギリシャ神話の大英雄。

 

 彼は、間違いなく神代を生き抜いた頂点の存在であり、その神秘の格は、ケルトのランサーよりもさらに数段上であるはずだ。

 

「あれを、神代の理を学ぶための『極上の教科書』として、まずは美味しく使わせていただきましょう」

 

 

 ヘラクレスの絶大な物理攻撃と、神代の概念防御。

 

 それを魔虚羅に徹底的に解析させ、喰らわせ、適応させる。

 

 ギリシャ最大の英雄の神秘を完全に消化し、魔虚羅を真の『神域の肉体』へと完成させるのだ。

 

「その完全体の状態へと至ってから。……セイバーとアーチャーは、ゆっくりと、確実にすり潰す。ええ、彼らは豪華なデザートといったところですね」

 

 

 桜の顔に、悪魔的なまでに冷酷で、そして完璧な美しさを持った笑みが浮かんだ。

 

 神代の神秘に適応し、さらに完成された神域の肉体を手に入れる。

 

 その領域にまで足を踏み入れれば、たとえセイバーの神造兵装の一撃を真っ向から受けたとしても、即座に消滅するようなことはあり得ない。

 

「……そう思いたいところですが。まあ、そもそも『受けない』のが一番なんですけどね」

 

 

 彼女の脳内で、聖杯戦争攻略のロードマップは完全に書き上がった。

 

 最も効率が良く、最もリスクが少なく、最も確実に自身の神を最強へと至らしめるための手順。

 

 

 ターゲットは、アインツベルンの狂戦士。

 

 

 決戦の地は、冬木市郊外の深い森。

 

「さて。お出かけの準備をしましょうか」

 

 

 間桐桜は、クローゼットを開き、冷たい冬風を凌ぐための黒いウールのコートと、マフラーを取り出した。

 

 

 最大で最悪な「ゴミ掃除」を完遂するために。

 

 彼女は、完璧な戦理を胸に秘め、静かにマンションの扉を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

【記録:2004年2月4日 11時30分 / 場所:冬木市郊外・アインツベルンの森への道中】

 

 

 新都の整備されたアスファルトの道を抜け、徐々に人影の少ない郊外へと足を踏み入れていく。

 

 間桐桜の足取りは、まるで休日に森の公園へと散策にでも出かけるかのように、軽やかで優雅であった。

 

(アインツベルンの森。……冬木市の郊外に広がる、広大な結界の森。そこに、お城があるはず)

 

 

 桜は、事前に時計塔の資料と、使い魔の観測から得ていた情報を元に、迷うことなく向かって歩き続けていた。

 

 

 

 

 周囲には立ち並ぶ住宅と冬枯れの街路樹。昼間であるにもかかわらず、人通りはすっかり途絶えていた。

 

 その、冷たい静寂が降りたアスファルトの歩道を進んでいた、その時。

 

 

 カツッ、カツッ、と。

 

 桜の前方、道の向こうから、硬い靴底がアスファルトを叩く規則正しい足音が聞こえてきた。

 

(……?)

 

 

 歩みを緩めることなく、前方へと視線を向けた。

 

 桜の魔術回路は、近づいてくるその存在から、強烈な「異物感」を感じ取っていた。

 

 

 一人の男が歩いてくる。

 

 燃えるような金色の髪。完璧な造形を誇る美貌。

 

 そして、カジュアルなレザージャケットを身に纏っていながらも、その奥底から溢れ出している、隠しきれないほどの圧倒的な『傲慢さ』と『威厳』。

 

(……サーヴァント?)

 

 

 桜の瞳が、微かに細められた。

 

 違う。聖杯戦争において現界したサーヴァントのような、魔力で編まれた霊体の気配ではない。

 

 桜は、一切の表情を変えることなく、ただの通行人として、冷ややかな視線を前に向けたまま歩みを進めた。

 

 

 真ん中で、金髪の男と、紫髪の少女が、真っ直ぐに向かい合って距離を詰めていく。

 

 

 三メートル。

 

 二メートル。

 

 一メートル。

 

 互いに視線を交わすこともなく、肩が触れ合いそうなほどの至近距離で、二人は音もなくすれ違った。

 

 

 何も起こらない。

 

 桜は、そのまま歩き続けようとした。

 

 だが、すれ違ってから数歩歩いたところで。

 

「――随分と、おかしなモノに憑かれているな、小娘」

 

 

 背後から、ひどく傲慢で、しかし王としての絶対的な響きを持った声が、桜の鼓膜を打った。

 

 

 彼の深紅の瞳が、桜の顔ではなく、彼女の足元に伸びる『影』を、面白そうに、そして極めて不遜な視線で舐め回すように見つめている。

 

「……何のことでしょうか。私には、よく分かりませんが」

 

 

 桜は、完璧な「何も知らない一般人」の微笑みを浮かべて、首を傾げてみせた。

 

 だが、男は鼻で笑い、その言葉を全く意に介さなかった。

 

「フン。隠し立てするつもりか。まあ良い、雑種の薄汚い手品など、我の興味を惹くものではない。……だが」

 

 

 ギルガメッシュの紅い瞳が、一瞬だけ、ゾッとするほどの絶対的な殺意と威圧感を放った。

 

「我の庭を、その得体の知れないモノで汚すというのであれば。……その時は、相応の罰を下すことになる。身の程を弁えることだ」

 

 

 それは、忠告ではない。

 

 王から下々の者へ向けられた、一方的な宣告であった。

 

 

 彼女は、ただ冷たく透き通った瞳で黄金の王を見返し、小さく、優雅にお辞儀をした。

 

「……ご忠告、ありがとうございます。ですが、私はただ、自分の歩きたい道を歩いているだけですので」

 

「……ほう」

 

 

 

 王は再び前を向き、街の方へと歩き去っていった。

 

 桜もまた、その背中を追うことはせず、何事もなかったかのように前を向き、アインツベルンの城へと歩みを進めた。

 

(……得体の知れない存在。ですが、今のところは放置で構わないでしょう。私の邪魔をしないのであれば、わざわざ関わる必要はありません)

 

 

 極めてドライな判断。

 

 彼女の目的は、あくまでアインツベルンの狂戦士。それ以外のノイズは、全て視界からシャットアウトする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【記録:2004年2月4日 11時50分 / 場所:冬木市 新都・市街地】

 

 

 新都の中心部へと向かって歩き去っていく黄金の王の背中を、間桐桜は返ることはなかった。

 

 得体の知れない存在との遭遇という、一歩間違えれば致命的なノイズとなり得た事象。しかし彼女は、それを思考の隅へとあっさりと追いやり、冬の冷たいアスファルトの上を淀みない足取りで進んでいく。

 

 

 ふと、桜は立ち止まり、左手首に巻かれた華奢なアンティークウォッチへ視線を落とした。

 

 長針と短針が、正午に近い時刻を指し示している。

 

「……もうそろそろ、お昼時ですね」

 

 

 吐き出した白い息が、冬の空気に溶けていく。

 

 これから向かうのは、アインツベルンの森。ギリシャ最強の大英雄との、生死を賭けた絶望的な死闘。

 

 だというのに、彼女の口からこぼれ落ちたのは、極めて日常的と言える呟きであった。

 

「そういえば、お腹が空きました。……何か、お腹に入れましょうか」

 

 

 桜は少しだけ視線を宙に浮かせ、記憶の引き出しを探る。

 

 

 たしか、この近くの通りを一本入った路地裏に、静かで落ち着いた雰囲気の喫茶店があったはずだ。

 

 アンティーク調の家具が並び、他人の目を気にせずに済む完全個室を備えた店。紅茶の茶葉の種類が豊富で、自家製のケーキなどのスイーツも充実していた記憶がある。

 

「あそこに行きましょうか」

 

 

 桜は微かに微笑み、冷たい風を避けるようにコートの襟を合わせると、目的の喫茶店へと足を進めた。

 

 

 

 カラン、コロン。

 

 真鍮のベルが、上品な音を立てて来店を告げる。

 

 暖房がしっかりと効いた店内は、コーヒー焙煎の深い香りと、甘い焼き菓子の匂いに満たされていた。

 

 

 桜は案内係の店員に一人であることを告げ、奥の静かな個室へと通された。

 

 重厚なオーク材のテーブルと、沈み込むようなベルベットのソファ。外界の喧騒から完全に切り離されたその空間は、魔術師が腰を落ち着けて思考を巡らせるには、まさにうってつけの場所であった。

 

 

 ソファに深く腰を下ろし、手渡された革張りのメニュー表をパラパラと広げる。

 

 並んでいるのは、ダージリン、アールグレイ、アッサムといった定番から、いくつかのフレーバーティー。

 

(……日本の紅茶は、イギリスのそれと比べてどうでしょうか。先生が飲んでいらっしゃる茶葉には、到底及ばないのでしょうけれど)

 

 

 ロンドンの時計塔で、気難しい恩師が淹れてくれた紅茶の香りを微かに思い出しながら、桜はダージリンのストレートと、季節のフルーツをふんだんに使ったタルト、そして濃厚なチョコレートケーキを注文した。

 

(お腹を満たしすぎるのは、これからの『運動』にはよくありませんし。……だからと言って、空っぽなのも、よくありませんからね)

 

 

 完璧なカロリー計算と、純粋な甘味への欲求。

 

 運ばれてくるティーセットを想像し、桜は「楽しみですね」と、年相応の無邪気な笑みを零した。

 

 

 

 だが。

 

 そんな穏やかな空気を漂わせながらも、彼女の意識の半分は、すでにここから数キロメートル離れた冬木市郊外、『アインツベルンの森』の上空へと向けられていた。

 

     

 

 

 

 冬の鉛色の空を滑空する、虚数の魔力で編まれた見えない鳥。

 

 桜は、飲食店の柔らかなソファに背中を預けたまま、その使い魔の視覚と完全に同調し、上空から眼下に広がる広大な森を俯瞰していた。

 

 

 アインツベルンの森。

 

 そこは、ただの自然の森ではない。

 

 上空からの視点であっても、桜の魔術回路は、その空間に張り巡らされた異常なまでの密度の『結界』をはっきりと知覚していた。

 

 

 侵入者を拒絶する、何重にも折り重なった魔術の防壁。

 

 方向感覚を狂わせる幻術の結界、魔力を持った者を感知する警報の結界、そして、物理的な破壊をもたらす自動迎撃のシステム。

 

 

(……はぁ)

 

 

 使い魔越しにその絶大な魔力密度を感じ取り、桜は個室の中で小さくため息を漏らした。

 

(さすがは、錬金術に特化したアインツベルンの陣地。……使い魔がこの防壁に触れた瞬間、一瞬で侵入者として感知されてしまうでしょうね)

 

 

 使い魔越しの視界で、桜は冷徹な視線で森の奥を睨み据えた。

 

 白雪に覆われた木々の向こうに、微かに見える白亜の城。

 

 

 ここから先は、完全に敵の領域だ。

 

 一歩でも足を踏み入れれば、確実に城の主であるイリヤスフィールに位置を捕捉され、あの狂戦士を差し向けて即座に潰しにくるだろう。使い魔など、一瞬で塵にされる。

 

「……どうしましょうかね」

 

 

 桜は、個室の空間でポツリとそう呟いた。

 

 だが、口では悩むような素振りをみせながらも。

 

 彼女の唇には、すでに絶対的な勝利を確信したような、残酷で、あまりにも美しい笑みが浮かんでいた。

 

 

 

 コンコン。

 

 その時、個室の扉が控えめにノックされた。

 

 桜は瞬時に使い魔との意識のパスを薄くし、表面上の意識を「喫茶店の客」へと切り替える。

 

「失礼いたします。ご注文のダージリンティーと、季節のフルーツタルト、チョコレートケーキでございます」

 

 

 ウェイトレスが、銀のトレイに乗せた美しいティーセットとケーキをテーブルへと並べていく。

 

 立ち上る紅茶の芳醇な香りと、色鮮やかなケーキの甘い匂いが、個室の空気を一気に華やかに塗り替えた。

 

「ダージリンは、砂時計の砂が落ちきってからお注ぎください。ケーキには、自家製のベリーソースを添えておりますので……」

 

「はい、ありがとうございます。とても美味しそうですね」

 

 

 桜は、ケーキと紅茶の説明をするウェイトレスに対し、慣れた仕草で、品の良い完璧な笑みを浮かべて感謝を述べた。

 

 一切の怪しさもない、ただ休日を楽しむ美しい少女の姿。ウェイトレスは一礼し、「ごゆっくりどうぞ」と言い残して個室を後にした。

 

 

 

 ガチャリ、と。

 

 扉が閉まり、空間に再び完全な静寂が訪れる。

 

 テーブルの上には、湯気を立てる紅茶と、美しいケーキ。

 

 

 彼女は、ソファの背もたれから身を起こし。

 

 再び、意識の深淵を、遠く離れたアインツベルンの森へと完全に沈め込む。

 

 

 虚空に向け、桜はスッと、滑らかな動作で右手をかざした。

 

 それは、数キロメートル先の森の境界線に滞空している使い魔を「起点」とし、巨大な術式を展開するための照準(マーカー)の役割。

 

 

「――やりましょうか」

 

 

 桜が、ひどく冷たく、そして甘く蕩けるような声でそう呟いた、その瞬間。

 

 

 

 ズズズズズズズッ……!!

 

 

 ケーキの甘い匂いが漂う、喫茶店の個室。

 

 

 その、桜の背後の空間が。

 

 凄まじい呪力の奔流と共に、ドス黒く、泥のようにグチャリと歪み始めた。

 

 

 魔虚羅そのものをこの場に顕現させるのではない。

 

 間桐桜という魔術師の背中に。彼女自身の魂の底と完全にリンクした、絶対的な適応を司る『黄金の法輪』だけが。

 

 現実の空間の位相を強引に押し退け、巨大な威容をもってズシリと顕現したのだ。

 

 

 

 

 ギギギギギギギギギッ。

 

 

 アンティーク調の壁紙と、上品なソファ。

 

 そんな日常の極致である飲食店の個室には、あまりにも場違いで、暴力的で、神々しい異界の歯車が、不気味な駆動音を立てて回り始める。

 

 

 森の境界線にいる使い魔が結界に触れる。

 

 その瞬間、結界の『侵入者を拒絶しする』という情報が、使い魔のパスを通じて桜へと逆流し――彼女の背後の法輪が、即座にその理を『解析』を始めた。

 

 

 神代の魔術を喰い破り、全てを蹂躙するための、理不尽極まりない遠隔侵攻(ハッキング)。

 

 今、間桐桜という一人の狂信者の手によって、優雅なティータイムの裏側で、静かに、そして確実に、白亜の森の崩壊が幕を開けようとしていた。

 

 

 

五条先生の赫とFateの対軍宝具って、どちらが威力上だろうか。何となくで投票してほしいです。

  • 術式反転・赫
  • 対軍宝具
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