Fate/hollow adaptation――異戒の華は冬木に咲く 作:りー037
【記録:2004年2月4日 12時40分 / 場所:冬木市 新都・カフェ】
間桐桜という魔術師が隠し持つ、特異な切り札。
それは、倫理の網目をすり抜け、生命の根源に対する冒涜的で禁忌の領域へと深く踏み込んだ、彼女だけの独自の魔術体系。
現代の街や森に生息する、名もなき動物たち。
野を駆ける狼、空を舞う烏、暗がりを這う蛇。それらありふれた生命を、生きたまま光の届かない『虚数』のどん底へと叩き落とす。
三次元の物理法則が完全に崩壊したその絶対的な虚無の海の中で、放り込まれた生命は己の肉体という輪郭を保つことができず、ただ圧倒的な圧力によってドロドロの泥のようになり、やがて完全に溶かし尽くされる。
だが、桜の魔術の真髄はここからである。
彼女は、完全に溶け去った生物の残滓の中から、生命の設計図たる『遺伝子情報』の概念のみを精密に抽出し、それを己が支配する虚数の『影』と練り合わせた。
そうして泥をこねるようにして再構築され、吐き出されたもの。
それが、先ほどギリシャの大英雄へと際限なく群がっていた、現実感が決定的に欠落した異形の怪物――『影の幻獣群』である。
ただの動物の命を触媒とし、魔力の燃費を極限まで削り落すことで実現した、超低コストでの大量生成。
術式名――『反転生命樹(インバーテッド・ツリー)』。
個々の戦闘能力は極めて低く、神代の英霊に傷一つ付けることは叶わない。その貧弱さゆえに、通常の魔術戦闘においては使いどころが限定される代物だ。
しかし、「適応の肩代わり」「情報収集」を至上命題とする彼女にとっては、これ以上なく相性が良く、手足のように重宝している極めて有用な術式であった。
だが、この術式には、さらなる恐るべき『続き』が存在する。
低コストで、術者の気配を観測されにくい使い魔を量産し、デコイとして消費するだけの術式ではない。
消費された使い魔たちの残滓が、敵の陣地に撒き散らされた後。
その先に隠された真の力、見えざる呪いを――今、間桐桜は、紅茶の香りが漂うカフェの個室から、遠隔で起動させようとしていた。
ソファに深く腰掛けたまま、桜は静かに、極めて精密な動作で両腕を胸元へ持ち上げ、掌印を組む。
それは、カバラの生命の樹(セフィロト)における第九のセフィラ、『イエソド』の印を基盤とした、複雑怪奇な結印。
両手の指を緩やかに、しかし決して解けない知恵の輪のように絡め合わせ、十本の指の関節と交差によって、生命の樹の魔力経路を物理的な形として表現していく。
指先から、ドス黒い魔力が微かに漏れ出し、空間を歪ませる。
そして、桜は薄く艶やかな唇を開き、術式効果を底上げし、遠く離れた森の地脈を強制的に掌握するための、呪詞を静かに紡ぎ出した。
「《喰われた楽園》」
それは、虚数に落ちた命の嘆き。
「《還らぬ森》」
それは、理不尽に命を散らされた者たちの絶望。
「《影の揺籃》」
それは、全てを呑み込み、腐らせる泥の産声。
個室の静寂の中に、冷たく、鈴を転がすような声が響き渡る。
ターゲットは、アインツベルンの森全域。
起点は、先ほどの戦いでヘラクレスに粉砕され、中庭の雪と地脈にべっとりと染み込んだ、数百の使い魔の『残滓(ビーコン)』。
その全てをリンクさせ、一つの巨大な地獄の釜へと変成させる、魔術の遠隔発動。
「――『百獣葬界・残響呪層(ブラッドフォート・ネクロポリス)』」
運命の歯車は、完全に絶望の方向へと回り始めた。
【記録:同刻 / 場所:冬木市郊外・アインツベルン城 中庭】
吹き飛ばされた客間の窓辺から、眼下の惨状を見下ろしながら。
イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは、ふんっ、と誇らしげに鼻を鳴らした。
「……当然の結果ね」
彼女の赤い瞳に映るのは、最後の影の獣を巨大な斧剣で叩き潰し、その残骸を雪の上に撒き散らして悠然と立ち尽くす、ギリシャ最強の大英雄の姿。
数百、いや千にも迫るであろう悍ましい幻獣の群れを前にしても、彼はただの一歩も退くことなく、傷一つ負うことなく、その全てを物理的な暴力のみで完全粉砕してみせた。
「戻ってきなさい、バーサーカー」
イリヤの呼びかけに応じ、ヘラクレスが低く地響きのような唸り声を上げながら、ゆっくりと客間の窓辺へと跳躍して戻ってくる。
巨大な体躯から立ち上る赤黒い魔力の蒸気と、濃密な血の匂い。
「ふふっ、さすがは私のサーヴァントね。よくやったわ」
イリヤは、誇り高き騎士を労う姫君のように、彼の巨大な腕にそっと触れて微笑んだ。
そして、室内に視線を戻し、背後に控えていたメイドたちへと目を向ける。
「セラ、リズ。そっちに問題はない? 怪我は?」
「はい。我々に怪我はありません。客間への侵入を試みた敵性体は、全て完全に排除いたしました」
セラが一礼し、リズもまた、血糊一つついていない白銀のハルバードを下ろして無言で頷く。
マスターであるイリヤは無傷。サーヴァントであるヘラクレスも無傷。護衛のメイドたちにも被害はなし。
この、正体不明の敵による奇襲防衛戦において、アインツベルンの陣営は完全なる『勝利』を収めたかに見えた。
だが。
イリヤが再び窓の外へと視線を向け、周囲の景色を見渡した瞬間。
彼女の心の中に、先ほどまでの勝利の余韻を完全に塗り潰すほどの、猛烈な『怒り』がフツフツと湧き上がり始めた。
「……ひどい有様じゃない」
膨大な数の獣たちによって、泥だらけの足で無残に踏み荒らされた純白の庭園。
獣たちの突撃と、バーサーカーの破壊の余波によって根元からへし折られた、樹齢数百年の古木たち。
そして、魔力弾の雨によってあらかた吹き飛ばされ、黒く焦げた白亜の城壁と、粉々に砕け散った美しいステンドグラスの数々。
かつて、雪の妖精の住処のように美しく、完璧に管理されていたアインツベルンの城は、わずか数十分の戦闘によって、見るに堪えないほどの凄惨な廃墟の一歩手前へと変貌させられていた。
こんな、舐めた真似をしてきた魔術師は、どこのどいつか。
聖杯戦争の歴史において最も尊く、最も高貴なるアインツベルンの名に、これほどまでに泥を塗る喧嘩を売ってきた愚者は、一体誰なのか。
「……絶対に、許さない」
イリヤの赤い瞳が、氷のように冷たく、そして地獄の業火のように昏く燃え上がった。
「こんなことされて、ただで済ませるわけにはいかないわ。絶対に、跡形もなく潰してあげるわ」
彼女の怒りは、単なる子供の癇癪ではない。魔術師としての絶対的なプライドを汚されたことに対する、冷酷無比な殺意の顕現であった。
この城で敵の襲撃を待つなどという消極的な手段は、もはや彼女の選択肢からは完全に消え去っていた。
「セラ! リズ! 今すぐに出撃の準備をしなさい!」
イリヤは、振り返りざまに、メイドたちへ向かってテキパキと鋭い指示を飛ばし始めた。
「これから、街へ繰り出すわ。魔力探知を最大まで広げて、この汚い泥人形を操っていた首謀者の魔力波長を逆探知するの。冬木のどこに隠れていようと、絶対に引きずり出して……バーサーカーの斧で、肉の欠片すら残らないようにすり潰してあげる」
ここでの戦闘は、あくまで前哨戦。不快な害虫を払い除けただけのこと。
ここからは、アインツベルンによる、一方的で残虐な『報復』と『狩り』の時間が始まるのだと、彼女は信じて疑わなかった。
これで、この不快な襲撃のイベントは終了した。
そう思っていた。
――その、瞬間である。
ゾワァァァァァァァァァァァァァァァッ……!!!!
突如として。
城の客間、いや、アインツベルンの森全体を包み込む空間そのものから、背筋が凍りつくような、おぞましい『気配』が漏れ出した。
「っ……!?」
イリヤは、全身の産毛が総毛立つような異常な感覚に襲われ、咄嗟に口を噤んだ。
瞬時に、異変を感じ取る。
周囲の大気が、アインツベルンの森に満ちていた豊潤なマナが、まるで巨大な排水溝の栓を抜かれたかのように、急激に、かつ暴力的な速度で『枯れ果てていく』のを感じたのだ。
「な、に……これ……」
マナが枯渇しただけではない。空になった空間に、代わりに満ちていくもの。
それは、膨大で、吐き気を催すほどの濃密な『呪い』であった。
死者の想念。理不尽に命を奪われた者たちの、行き場のない怨みや、世界に対する絶望的な憎しみ。
無数の魂が、暗闇の中で泣き叫び、泥を掻き毟りながら助けを求めるような、鼓膜を直接劈くような魂の絶叫。
だが、イリヤを真に震え上がらせたのは、その呪いが持つ「醜悪さ」などではない。
(……怖い)
それは、人間が抱くような複雑な憎悪ではない。
ただ生きたい。ただ痛い。ただ苦しい。
本能的な、生物としての純粋な『叫び』。
意味を持たないからこそ、決して言葉で説得することも、理解し合うこともできない。ただただ純粋な恐怖と苦痛の塊。
イリヤスフィールは、その絶対的な命の濁流を前にして、初めて「呪いとしての恐怖の真髄」を直視し、ガタガタと震えを止めることができなくなった。
『ルォォォォォォォォォォッ!!!!』
いち早く異変を察知したヘラクレスが、主であるイリヤの前に立ち塞がり、周囲の空間そのものを威嚇するように巨大な咆哮を上げた。
セラとリズもまた、顔面を蒼白にさせながら、イリヤの前に魔術障壁を展開し、即座に退避を促す。
「 不味いです、この空間の魔力異常は尋常ではありません!! 早く奥の工房へ――」
セラの悲痛な叫び。
それはまるで、このアインツベルンの庭そのものを巨大な祭壇とした、おぞましい生け贄の儀式が今まさに完成しようとしているかのようだった。
死霊魔術の腐臭、黒魔術の悪意、呪術的な怨念。その全ての最悪な部分だけを煮詰め、抽出して混ぜ合わせたような、世界の理に反する結界の起動。
(逃げなきゃ。ここから、離れないと……!)
本能が、最大級の警鐘を鳴らす。
イリヤがバーサーカーに対して、「城を放棄してここから離脱する」という指示を出そうと、口を開いた、その直後。
――グンッ、と。
周囲の世界が、完全に切り替わった。
いきなり、演劇の舞台が暗転したかのように。
あるいは、世界という名のキャンバスに、上からドス黒いペンキをぶちまけられたかのように。
劇的に、そして理不尽に、アインツベルンの森という空間が『変質』した。
「な、何よこれ……ッ!?」
イリヤスフィールは、自身の周囲の空間が遂げた「異常な変容」を視界に捉え、顔を死人のように青ざめさせた。
アインツベルン城の上空、その遥か天を覆い尽くすように。
禍々しく脈動する、巨大な『赤黒いドーム状の結界』が、外界との繋がりを完全に遮断するように、森全体を半球状に覆い尽くしてしまったのだ。
内側には、血の血管のような不気味な赤い魔力線が走り、空は完全に光を失った泥の色に染め上げられている。
『―――ァ……、ァァッ……!』
「あ、ぁ……っ!」
ドームが完成した瞬間。
イリヤの膝から、急激に力が抜け落ち、彼女は冷たい石の床へと力なく崩れ落ちた。
同時に、背後にいたホムンクルスのメイドたち――セラとリズもまた、操り人形の糸が切れたように、抗う間もなくパタリと床へ倒れ伏す。
「魔力が……吸い出され、る……」
視界が泥のように歪み、認識が混濁し、自我という名の精神の輪郭が、熱で溶ける飴のようにドロドロと融解していくような、絶対的な死の感覚。
『ガァァァァァァァァァァァッ!!!!』
バーサーカーが、主を苦しめる見えない呪縛を破壊すべく、狂乱の咆哮を上げる。
だが。その圧倒的な暴力を誇る巨体にすら、今や明確な『異変』が生じていた。
ズシン、と。
彼が斧剣を振り上げようとした腕が、まるで目に見えない数万トンの重りに引っ張られているかのように、異常なまでに遅く、重たくなる。
圧倒的な重圧と、結界内における魔力の強制融解。それが、大英雄の肉体からさえも強制的にリソースを削り取り、その神速の動きと規格外の膂力に、物理的かつ概念的な『強固な枷』をはめ込んでいた。
圧倒的な数の『命』が終焉を迎えたという事実。その無数の死という環境要因が、空間そのものに重圧として滞留し、ただそこに在るだけで相手の存在を侵食していく、純粋な『悪意の結晶』。
生物が持つ根源的な感情の渦が、神話の大英雄の命にすら届きうる、現代における最悪の呪いの枷として機能していた。
「バー、サーカー……魔力が、削られ……目が、よく見えな、い……っ」
イリヤの赤い瞳から光が失われ、その視界が、石灰を撒かれたように白く、白く濁っていく。
そして。
完全にマナが枯渇し、呪いだけが充満したその絶望の結界の奥底から。
『………………ァ…………』
中庭の泥溜まりから、ユラリ、ユラリと。
形を持たない、半透明のアストラル体――『ゴースト』たちが、無数に産み出され、虚空へと浮かび上がり始めた。
それは、桜によって虚数へと落とされ、遺伝子を抽出され、そして先ほどヘラクレスによって理不尽に粉砕された、魂の怨嗟が、結界の力によって直接実体化したもの。
物理的な破壊力は皆無。だが、それに触れられれば、魂そのものを溶かされるという、英霊にとっての劇物。真なる『毒』。
その毒を孕んだ無数のゴーストたちが、怨嗟の声を上げながら。
重圧の枷によって動きを極端に鈍らされたヘラクレスへ向かって、一斉に、そして静かに殺到していく。
もはや、大英雄の圧倒的な暴力は通用しない。
斬れば斬るほどに呪いは増殖し、重圧は増し、命は削られていく。
白亜の城は、逃げ場のない完全なる『百獣の葬列』の舞台へと、完全にその姿を書き換えられてしまったのだ。
【記録:2004年2月4日 12時45分 / 場所:冬木市 新都・カフェ(個室)】
「さて」
アインツベルンの森が完全な地獄へと変貌し、神代の大英雄が毒の泥沼でもがき苦しんでいる、まさにその時。
戦場から遠く離れた新都のカフェ。完全な静寂と暖かな空気に包まれた個室で、間桐桜は極めて優雅な所作でティーカップを持ち上げていた。
どこからか聞こえてくる、控えめで上品なバイオリンの旋律。
桜は、新しく注文したダージリンの紅茶に、銀のピッチャーから少量のミルクを注ぎ入れた。
琥珀色の水面に落ちた純白の液体が、ティースプーンでゆっくりとかき混ぜられることで、静かな渦を巻いていく。
それは奇しくも、今まさに彼女がアインツベルンの森に展開している、全てを溶かし尽くす呪いの渦と、酷似した軌跡を描いている。
テーブルの中央には、先ほど運ばれてきたばかりのイチゴのショートケーキが、宝石のように美しく鎮座している。
純白の生クリームと、艶やかな赤いイチゴ。
桜はシルバーのフォークを手に取り、その美しい三角形の先端を小さく切り取って、艶やかな唇へと運んだ。
「……うん」
滑らかなクリームの甘みと、新鮮なイチゴの鮮烈な酸味が、舌の上で完璧なバランスをもって溶け合う。
スポンジは空気をたっぷりと含んでおり、口に入れた瞬間にふわりと消えていくような、極上の食感だった。
「とても素晴らしい味わいですね。……先生が贔屓にしているロンドンの洋菓子店にも、引けを取らないかもしれません」
桜は、心底幸せそうに、年相応の少女のような笑みを零した。
その光景だけを切り取れば、休日に美味しいケーキ巡りを楽しんでいる、どこにでもいる穏やかな令嬢にしか見えないだろう。
だが、彼女の視界の裏側――網膜の奥底に接続された使い魔のパスからは、赤黒い結界の中で魂を溶かされ、苦悶の咆哮を上げるヘラクレスの姿が、リアルタイムの映像として絶え間なく流れ込んできている。
自身は一切の危険が及ばない安全圏で、優雅に茶を啜り、最高のケーキに舌鼓を打ちながら。敵の誇り高き本拠地を、逃げ場のない複合の呪層界でドロドロの地獄に変え、命を削り取っていく。
カフェの店内に流れる、控えめで上品なバイオリンの旋律。
桜の耳にはそれが、これから泥に沈んでいく者たちへ手向ける、優雅な鎮魂歌(レクイエム)のように聞こえていた。
「ええ。これは最高のお茶会であり――」
桜はティーカップを静かにソーサーへと戻し、血のように赤いイチゴの果汁で濡れた唇に、艶やかで、酷薄な笑みを浮かべた。
「誇り高き英雄へ贈る、ささやかな『生前葬』」
泥の中で魂を溶かされ、絶望に染まっていく大英雄と少女。
その足掻きすらも極上のスパイスとして味わいながら、桜は冷たく宣告する。
「第2ラウンドです。……さあ、心ゆくまで削り合いなさい、アインツベルン」
完璧な支配。そして、完全なる蹂躙。
甘いケーキを飲み込んだ桜の昏い瞳の奥で、捕食者としての絶対的な歓喜が、黒い炎のように静かに、しかし熱狂的に揺らめいていた。
五条先生の赫とFateの対軍宝具って、どちらが威力上だろうか。何となくで投票してほしいです。
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術式反転・赫
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対軍宝具