Fate/hollow adaptation――異戒の華は冬木に咲く​   作:りー037

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【第五章:白き巨人の顕現、完璧なる蹂躙】

【記録:2004年1月某日 19時10分 / 場所:冬木市 新都・路地裏の結界内】

 

 

「おおおおおおおッッ!!」

 

 

 魔術師の絶叫と共に、路地裏の空間が暴虐な魔力によって極彩色に塗り潰された。

 

 彼が両手から放つのは、中東の魔術基盤と莫大な資金力を結集させた使い捨ての礼装――高純度の魔力結晶による飽和攻撃。

 

 一工程(シングルアクション)で放たれるそれは、一つ一つが大魔術に匹敵する威力を持つ。業火のうねり、鼓膜を破る雷撃、そしてコンクリートを容易く抉り取る真空の刃が、逃げ場のない路地裏で間桐桜というただ一人の少女へと殺到した。

 

 

 だが、その圧倒的な破壊の嵐を前にしても、桜の立ち姿はひどく静謐であった。

 

「《虚数海(シー・オブ・ホロウ)》――局所展開」

 

 桜の足元から広がる漆黒の影が、波打つように盛り上がり、彼女の前方に泥沼のような「虚」の壁を形成する。

 

 

 炎が、雷が、風の刃が、次々とその黒い壁に直撃する。

 

 しかし、その全てが「ジュッ」という微かな音を立てただけで、光も熱も衝撃すらも残さずに、底なしの暗黒へと吸い込まれて消えていった。

 

「ば、馬鹿な……ッ! 私の結晶が! 一族の秘術が、なぜ……!」

 

「ごちそうさまでした。ですが、少し味が単調ですね。もっと根本的な、あなた自身の魔力の『底』を見せていただかないと」

 

 

 桜は、平然と微笑みながら影を収束させた。

 

 ブラウスの裾一つ、髪の毛一本すら焦げていない。

 

 彼の魔術は、桜の《虚数海》によって完全に捕食され、その魔力波長や術式構成のデータは、余すことなく彼女の背後に浮かぶ黄金の法輪へと転送され続けていた。

 

 

 

 ――ガコンッ。

 

 

 再び、不気味な歯車の回転音が響く。

 

 魔虚羅のシステムによる「解析」と「適応」のプロセス。

 

 その音が鳴るたびに、彼の背筋を氷のような悪寒が駆け上がった。自分の魔術の底が割れ、丸裸にされていくような、魔術師としての根幹を揺るがす本能的な恐怖。

 

「……もう少しですかね?」

 

 

 桜は、まるでオーブンの焼き上がりを待つ主婦のような、気負いのない、日常の延長にある口調でポツリと呟いた。

 

 その「何かを待っている」という余裕の態度が、魔術師としてのプライドを決定的に破壊した。

 

「ふざけるな……! ふざけるなァッ!! 魔術が通じぬのなら、その細首、物理的にへし折ってやる!!」

 

 

 恐怖と怒りが限界を超えた男は、魔術師としての戦いを放棄し、肉体に強固な《強化魔術》を施した。

 

 

 全身の筋肉が異様に膨張し、血管が青黒く浮き出る。

 

 一流の魔術師による強化を受けた大の男の拳は、鉄骨すらもへし折る凶器と化す。極東の華奢な女子高生など、一撃で肉塊に変えることができる。そう確信し、彼は獣のような咆哮と共に桜へと肉薄した。

 

「死ねェッ!!」

 

 

 必殺の右ストレートが、桜の顔面を捉えようと空気を裂く。

 

 

 だが、桜は避けることすらしなかった。

 

 彼女の脳裏に、ロンドンでの優雅にして過酷なティータイムの記憶が蘇る。

 

 

 

『よくお聞きなさい、サクラ! エーデルフェルトたる者、魔術戦での優位はもちろんのこと、野蛮な輩に接近された際も、優雅に、そして物理的に叩き潰す術を持たねばなりませんわ! さあ、私の淑女の嗜み(プロレスリング)を全身で学びなさい!』

 

 

 

 金色の縦ロールを揺らしながら、容赦なく関節技を極めてきた姉貴分の顔を思い出し、桜はクスッと笑った。

 

 

 魔術師の拳が届く、そのコンマ一秒前。

 

 桜は、ヒールを履いた足で滑るように半歩踏み込み、男の巨体の「死角(懐)」へと潜り込んだ。

 

「なっ――」

 

 

 男が驚愕するより早く、桜の細い手が彼の太い右腕を絡め取る。

 

 流れるような動き。一切の力みを感じさせない、武術と舞踏が融合したかのような完璧な重心移動。

 

 突進の勢いを利用し、桜は彼の腕をテコにして、その巨体を宙へと投げ飛ばした。

 

「がはッ!?」

 

 

 

 ――ドゴォォォンッ!!

 

 

 背中から路地裏のレンガ壁に激突し、魔術師の口から大量の空気が吐き出される。

 

 だが、ルヴィア直伝の近接格闘(淑女の嗜み)はそれだけでは終わらない。

 

 壁に叩きつけられ、地面に崩れ落ちようとする彼の顔面めがけて、桜の容赦のない回し蹴りが炸裂した。

 

 

 バキィッ、と。

 

 強化魔術で硬化していたはずの鼻骨が砕ける、鈍い音が響く。

 

「あ、ぎゃあぁぁぁぁぁっ!?」

 

 

 男の巨体が独楽のように回転し、ゴミ捨て場のポリバケツの山へと無様に突っ込んだ。

 

 生ゴミの悪臭と、自身の鼻から噴き出す血の匂い。

 

 

 魔術で適わず、肉弾戦でも手も足も出ない。

 

 「極東の小娘」と見下していた存在に、圧倒的なまでの力量差で蹂躙された事実が、彼の精神を完全に崩壊させた。

 

「あ……ああ、あ……」

 

 

 泥と血にまみれた顔を上げ、後ずさりするように地面を這った。

 

 その時、彼の手が、冷たいアスファルトの上にある柔らかいものに触れた。

 

 気絶したまま倒れている少年の肩だった。

 

 (こ、これだ……! こいつがいる!)

 

 

 魔術師の濁った瞳に、見苦しい執着の光が宿る。

 

 先ほどの小娘の態度。この少年を見つけた時の反応。間違いなく、二人は知り合いであり、小娘はこの一般人を助けるためにここへ来たのだ。

 

 魔術師は、震える手で角隈の首ぐらをつかみ、無理やり上半身を引き起こした。

 

「う、動くなッ!!」

 

 

 魔力で強化された指が、角隈の頸動脈に食い込む。

 

「動けば、このガキの首の骨をへし折るぞ! 貴様、こいつの知り合いだろう! 命が惜しければ、そのふざけた影を引っ込めろ!!」

 

 

 それは、誇り高き時計塔の魔術師としてはあまりにも卑劣で、見苦しい三流の脅迫だった。

 

 自分の命を繋ぐために、無力な一般人を盾にする。

 

 その滑稽な姿を見下ろしながら、間桐桜は、ひどく冷ややかな視線を彼に向けた。

 

「……もう、遅いですよ」

 

「は……?」

 

「もう、終わりましたから」

 

 

 桜の言葉と同時だった。

 

 

 

 ――ギギギギギギ。

 

 

 ――ガコンッ!!!

 

 

 これまでで最も大きく、魂を揺さぶるような重厚な歯車の音が、路地裏の結界内に響き渡った。

 

 桜の背後に浮かんでいた黄金の法輪が、三度目の回転を終え、ピタリと停止する。

 

 放なたれた魔術の数々、そして、彼が肉体に施していた強化魔術。

 

 それらを構成する彼自身の「魔力の波長(属性)」に対する、完全なる適応の完了。

 

 もはや、対象の魔術師が紡ぐあらゆる神秘は、間桐桜とその影に潜む怪物にとって、そよ風以下の「無」に等しい存在へと成り下がったのだ。

 

「ここまでです。……きて、バーサーカー」

 

 

 

 桜の冷徹な声が、凍てつく空気を切り裂いた。

 

 

 

 ドクンッ!!

 

 桜の足元に広がっていた影が、瞬時に路地裏全体を呑み込むほどの漆黒へと膨張した。

 

 

 視界が、絶望の暗黒に染まる。

 

 影の泥沼から、重力を無視して浮上してくる、絶対的な暴力の塊。

 

 純白の大理石のような隆起した筋肉。顔を覆う翼のような装飾。そして、右腕に括り付けられた、不気味な光を放つ一本の刃。

 

 

 八握剣異戒神将・魔虚羅。

 

 

 

「ア……アア……?」

 

 

 彼の喉から、言葉にならない掠れた音が漏れた。

 

 彼が角隈の首を掴んでいた手から、完全に力が抜け落ちる。

 

 それは、サーヴァントですらない、魔術の理を根底から否定する異戒の神将。

 

 その巨体が眼前に顕現しただけで、男の脳髄は恐怖によって真っ白に焼き切れていた。

 

 魔虚羅は、主である桜の意思を正確に汲み取っていた。

 

 白き巨人は、右腕の『退魔の剣』を、音もなく天へと高く掲げた。

 

 

 そして、振り下ろす。

 

 

 ピキリ――パァァァァァァァァンッ!!

 

 

 

 空気に、ガラスが割れるような巨大な亀裂が走った。

 

 対象の魔力に完全適応した魔虚羅の一撃は、物理的な破壊を伴うことなく、この路地裏に幾重にも張り巡らされていた「認識阻害」と「呪詛」の魔術結界を、文字通り粉々に粉砕した。

 

 結界を構成していた魔力が、無数の光の粒子となって冬の夜空へと霧散していく。

 

 同時に、男の体内に循環していた強化魔術の回路も、その一振りの余波によってショートを起こし、完全に沈黙した。

 

「あ……ああ……」

 

 

 結界が破られ、外の世界の喧騒――車の走る音、ネオンの瞬き、人々の笑い声が、再び路地裏に流れ込んでくる。

 

 

 完全に力尽き、膝から崩れ落ちる。

 

 彼の心は、完全にへし折られていた。抵抗する意志も、魔術師としてのプライドも、あの白き巨人の一振りの前に、塵芥のように消え去っていく。

 

 

「……ふふっ」

 

 

 魔虚羅が再び影の中へとズブズブと沈み込み、気配を消すのを確認すると、桜は静かに微笑む。

 

 

 路地裏の異常な魔力反応は全て消し飛び、結界も破られた。

 

 魔術師の男は戦意を喪失し、もはや魔術を行使する気力すらない。一般人の目撃者が出る前に、事を完全に収拾してみせたのだ。

 

「全て、予定通りですね」

 

 

 桜は、埃一つ付いていないマフラーを再び首に巻き直しながら、倒れ伏す魔術師と、その横で未だ気絶している角隈白野を見下ろした。

 

 

 日常の裏側で行われた、完璧な蹂躙。

 

 異戒の華は、何事もなかったかのように、冬の夜の冷たい空気の中で美しく咲き誇っていた。

 

 




日常編は、次でお仕舞い
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