アズール図書館の司書 ― その青年は全ての魔法を発動できる。ただし人生で一度だけ ― 作:藤崎次郎
僕は、初対面の方に対して必ず見てしまう点がある。
髪だ。
前世と現世において違う部分は山のようにある。その中で小さな差異として挙げられるものが髪であった。十人十色とはまさにこの世界のためにある言葉であろう。本当に一人ひとり、個性的な髪色をした方々が住まう世界である。また、髪色だけでなく髪質、スタイル、印象など髪というものは人において最も相手に印象付かせるポイントでもある。
たとえ、それが人でなくても。
変わらず髪は、存在する。
「初めまして」
クロネアに来て初めての経験をいくつもした。アズールでも同じで、僕はまだまだこの世界のほんの一握りしかわかっていないと自覚するのに充分なものだった。しかし、こと髪に関しては、自分が生きている中で注目してきたポイントであったため、十八年の人生において様々な髪をした人々を見てきたと自負している。それは、クロネアに降り立とうとも同じであり、すれ違う人や魔物に対してもつい目がいってしまう、そんなフェティシズムに近い自分がいる。
しかし──。
眼前に佇む女性は、僕のそんな経験を、ものの見事に打ち砕く髪をしていた。
火花。
たとえるならば、これしかない。どうにもこうにも他に言葉が見つからない語彙力の無さを、これほど悔やんだことがあるだろうか。だが仮にありとあらゆる語彙を習得していたとしても……結果は変わらないとさえ思ってしまう。それほどまでに衝撃的な、姿をしていた。
「自己紹介をさせていただいても?」
「構いませんよ。ですが淑女よりも先に名乗るのが紳士の流儀。大変失礼ながら、こちらからさせていただいてもよろしいでしょうか」
「まぁ。えぇ、えぇ、素敵なことね。では、お願いしましょう」
「アズール王国から参りました、シルディッド・アシュランと申します」
ウフフ、と口に手を当てて微笑する。
そして目を薄らと細めながらじっと僕を見つめて、少し首を傾け何かを伝えたいような顔をする。時間はゆったりと流れてゆく。僕と彼女、他には誰もいない店内で視線だけが交差する。十数秒だろうか、時間の感覚が徐々にわかりづらくなっていく不思議な感覚が生まれ始めて、時間すらも、彼女のために動いているかのような……幻想の空間。
慎み深く一礼し。
髪を優雅に靡かせて。
心からの喜びを言葉に込めるように──美なる声色で彼女は告げた。
「第四極長『妃人』、フレイヤ・クラメンヌよ」
相対するは、シェリナ王女が誇りし『四剣』が一角。
* * *
「座っても?」
「もちろん」
動作の全てが美しく、かつ妖艶な色をみる。
妖艶な色というのは語弊があるだろうか。しかし座るだけでも思わず見てしまう彼女の動きに、僕は目を背けることはおろか、逸らすことさえもできなかった。
「緊張するわ。ウフフ、嬉しい」
「楽しそうですね」
「えぇ、えぇ。楽しいに決まっているじゃない。でも貴方は楽しそうじゃないわね。当然かしら、こんな場所にわざわざお呼び立てしたのだから……。ごめんなさい」
「謝る必要は」
「いえ、あるわ。どんな理由にせよ、筋は通すべきでしょう。貴方にとても会いたかったけれど、同時に身勝手でもあった。それでも会いたかった私は、こうして二人だけの空間を作れるよう手配したの。ここまでやって、我当然とふんぞり返り、貴方に謝罪をしなければ、いよいよもって私は下女に成り果てるでしょう」
独特の呼吸と言葉のセンス、言い方や素振り一つひとつに趣きを感じさせる。
彼女の容姿は、ありとあらゆる部分がこちらに強い印象を与える。さらに見た目の印象だけでなく、言葉や考えにも興味を抱かせるその魅力は、もはや女性の枠内には収まりきらない神々しさを煌めかせていた。
綺麗だ。
何も考えず、ただただ目の前の女性を見ただけであるのに、自然と出てくる言葉の欠片。
顔は細く、化粧っ気はまるでない。
長いまつ毛は自前のものだろう。鼻は高く、目は相手の心を見抜くような橙色をしていた。同性も羨むであろう豊満な胸にすらりと伸びた白い脚。神様が作り出したような、女性の理想形ともいえる容姿を……彼女はしていた。
そして、髪。
前に下ろすことはなく、全ての髪を後ろに流している。
髪の色は、最初金髪だ。けれど徐々に金色は夕焼けと同じオレンジ色に変わっていき、次第に黒も混じってくる。オレンジの色が消え純黒になるものの、髪先にいくにつれ赤が混じり、最後は赤一色となる。そして髪先からは……薄らであるが、パチパチと――。
火花が生まれていた。
美の極みとも言えよう、気品に満ち溢れたその姿は、何者にも代え難い妖艶さを映していて。
「さて、本題に入る前に、ひとつ言いたいことがあるの」
「言いたいこと?」
「そう。既にご存じだと思うけれど、私から言わねば意味がないこと」
「……」
「私は魔物よ」
女神のような笑みを浮かべ、言葉に何かを込めることもなく、息を吐くように静かに告げる。
自分は、魔物であると。
目をそっと細める。瞬間、髪が薄らと光った。
「魔物は、お嫌い?」
「いいえ」
「嫌いというよりも、よくわからない?」
「はい」
「素直ね」
「貴方が何かを『視よう』としている以上、素直に答えるのが一番ですから」
細めていた目がパッと大きくなる。
対し僕は、表情を変えることなく見つめる。
眼前の女性が何を求め、何を考え、そして何を目的にここに来たのか……知る術はない。現状、僕がここへ連れて来られた理由は第四極長が純粋に会いたかったからだとみていいだろう。だが、そこには会いたいという理由の他に、別の何かが隠れているはずだ。クロネアへ旅行しに来た一般貴族を学園啓都の幹部がわざわざ会いに来た。
必ず裏があろう。
間違いなく。
今、僕がやるべきことは、その裏を探り当てることだ。クロネア側の意図を掴む。火中に誘導されたのではない。こちらから飛び込んでやるのだ。
「僕も、貴方に興味があります」
「……」
二人同時に卓上のコップを持ち、一口つける。
相手が何を仕掛けてくるか。そして仕掛けてきた時、どうするか。明暗はそこにある。
この問答、ミスは許されない。
★ ★ ★
☆ ☆ ☆
★ ★ ★
……ルェンが言った通りね。
静寂が支配する店内。蒼髪で大人しそうな男の子は、じっと私を見つめる。第四極長『妃人』の私を、見つめ続ける。普通ならどこか目を逸らしたり、恥ずかしがったり、逆に強がったり、対抗心を露わにしたりと、大きな反応が見え隠れするもの。
でも、目の前の青年はしない。むしろ私の反応を逃さず捕えようと鋭い眼光を一点に向けている。
彼の魂が、輝いている。存在しえないだろう二つの魂が、輝いている。
えぇ、えぇ。
素敵なことね。ゾクゾクする。彼のことがもっと知りたい。
厳密には、魂が。
「では、本題に入りましょうか」
「はい」
にっこりと笑う相手。こういったやり取りを常日頃から経験している証拠でしょう。きっと身近にあまり感情を表に出さない女性がいるのね。そういった相手にどういう対応をすればいいのか、日常的に考えているのでしょう。読み合いという心の攻防を、積み重ねているのでしょう。
ふぅん、あらぁ。
私にも通用すると……思っているのかしら?
「この世に生を得て一生を終える。私たちは例外なくこの輪廻にいる。これについてどう思う?」
「当然のものかと。輪廻という現象そのものがあれば、の仮定ですが」
「では、貴方自身は、輪廻をどう考える?」
蒼い魂と、もう一つある無色の魂。
後者の輝きが、一瞬だけ増した。ウフフ、なるほどね。
「僕はあると思いますよ。輪廻というよりも、前世のようなものですが」
「生まれ変わり、かしら?」
「ちょっと違います。生まれ変わりというよりも、魂の繋がりみたいなものです」
二つの魂がそっと近づき、共鳴するように光る。面白いわ……連動するのね。
普段は蒼の魂が肉体の宿主なのでしょうけど、時折そっと手伝うように無の魂が共鳴している。てっきり彼がまだ母胎にいる時、双子のもう一人の兄弟もしくは姉妹がいたけれど、運悪く胎内で死んでしまった。そのため魂だけが彼に乗り移ったのだと思っていた。
けど、違う。
これは明らかに別の魂が体内にあるのではない。彼自身の繋がれた“遺志”がある。すごいわ、本当にこんなことがあるのね。まだ見ぬ世界を見た瞬間かしら。感動すら覚える……。もっと、もっと。
「では──」
パチリと自分の髪先が弾けて。
火花がやんわりと生まれ、消える。
「どうか、しましたか?」
「いいえ、ウフフ。なんでもないの」
やっぱり、ルェンね。
あの子ったら本当に不器用なんだから。店内に出て一人となり、自分が本当にどう動くべきかを熟考した末に……私の邪魔をしようと結論づける。想定通りといえばそうだけど、些か決断するのが早くもあった。普段のルェンならもう少し遅いのに。
足止めとして配置している子らでは、五分がやっとでしょう。もぅ、まだ始まったばかりだというのに。本当、心から欲しいと思うことはどうしてこうも上手くいかないのかしら。世界は不条理に満ち過ぎね。そこが楽しくもあるのだけれど。
だぁかぁらぁ。
「……」
もっともっと彼のことが知りたい。魂について知りたい。でも時間がきてしまった。信じられないほど、短く、儚い時であった。今さっき始まったばかりだというのに。次に彼と二人きりになれる状況を作り出すのは相当骨が折れる。本来ならもっと観察して問いを投げかけ、慎重に冷静に見定める必要があるのに、残念ながら最善の機会は今しかない。
少々予定が狂ったけど、仕方ないわ。
そう。
仕方ないの。
これも天命。えぇ、えぇ、素敵なことね。
「私は相手の心髄を見通す」
「心髄?」
「心の奥底といえばわかりやすいかしら。生まれつき見えるの」
「へぇ。それは……良くもあり悪くもありますね」
「何故?」
「見たくないものだって、あるでしょうから」
苦笑しながら、不意に彼は目を逸らした。それまで視線をずっと私に向けていたのを止めて、外の景色を穏やかに見つめる。彼の双魂も同じように、ストンと落ちて静寂する。けれど、落ち方が違った。現在彼の肉体に宿っているだろう蒼い魂は少しだけ下に降りて止まる。同情の時に現れる魂の動きね。
もう一つである無色の魂は……垂直に落ち、ピタリと止まって──輝きを消した。今まで寄り添うようにいたのが別の行動を示した。初めて見る、魂の動き。こちらは同情ではない。
回想している!
自分が経験したことを想い返している。それも、この世で経験したことではない『それ』を。
さぁ、と背筋が冷たくなって。どれほどのものを、眼前の青年は背負ってきたというの。
「見たくないものって言われたけど、貴方ならどうするのかしら」
「クハハ、どうでしょう。わかりません。でも」
「でも?」
「もしも輪廻というものがあるのなら、受け入れる覚悟は……『この世界』で学ばせてもらったかな」
再び視線をこちらへ。無色の魂がカッと輝き、蒼と共鳴する。
……おおよそ答えは出たわ。今ので確信した。素晴らしいわ、えぇ、えぇ。学ばせてくれた相手というのは、彼がこの世に生を得て今まで教えてくれた方々に対するものでしょう。
そして教わったことが、前世で経験した見たくないものを受け入れ、乗り越えさせる力に変えてくれた。私の問いかけで、自分の今ある全てを、昇華させた。
素敵!
ゾクゾクする。今もなお発展途上。天井知らず。そしてそれを知っているのは……私だけ。私だけ!
「ねぇ」
「何でしょうか」
「貴方はどうして、クロネアに来たの?」
目を見開き沈黙する相手。
今私が聞いた問いこそが、彼が最も身構えるだろうものに他ならない。あらゆる方法で問いかけてくるだろうと、予め考えていたに違いない。
シェリナ、ごめんなさい。
もう、彼から答えを聞き出すことは難しいわ。
だって、だって。私はそんなこと……どうでもよくなってしまったから。
「観光、ですよ」
「ずっとくるだろうと思っていた質問に対する答えが、それ?」
「ッ!」
「魂が震えているわよ」
席を立つ。
歩み寄る。
「本当はシェリナから貴方の内情について探るようお願いされたの。でも今、私はそれを放棄する」
「……」
「無駄よ、言ったでしょ? 私は貴方の心髄を見通す。どんなに無表情を貫こうとも、魂が教えてくれる。今貴方ぁ……私が怖いのね」
そうでしょう?
「何故、放棄するのです」
「必要がなくなったからよ」
「どうして」
「私が求めていたものを、貴方が証明してくれたから」
「証明?」
「魂は…………一つじゃないのね」
その言葉に。
魂双方が、まるで息の根を止められたように固まった。宿主自身も、口を半開きにして、固まる。
シルディッド・アシュラン。貴方はきっと自分に前世の記憶があることを、今まで他人に話したことがなかったのでしょう? 話しても意味などなく、また相手も信じない。自分の中でのみ生き続け、死ぬまで胸に秘めておこうと思っていたのでしょう。
ねぇ。
それでいいの?
貴方を本当に理解できる存在は、いないんじゃないの? 私を除いては。
「貴方の全てが知りたいわ」
パチリと髪先が弾ける。情熱にして激情なるこの想い。あぁ、ルェンから言われていた魔物と人のあれこれも、色恋沙汰の問題も、やっぱり無意味なものなのよ。そうでしょ? だって所詮は生き物だもの。メスとオスの生き物だもの。
さぁ──
「私と貴方の物語を、始めましょう」
心の髄を、見せてちょうだい。