アズール図書館の司書 ― その青年は全ての魔法を発動できる。ただし人生で一度だけ ― 作:藤崎次郎
「改めて。いいえ、三度(みたび)の再会なのですから、改める必要はないでしょうか」
「三度と言っても、二度目は空の上で一瞬だけ現れて去っていく不親切な再会だったでしょうに」
「いやはや、空船にはルェンがいましたから。あの子はとても優秀な極長でしてね。ヘタしたら彼女に捕まってしまう危険がありました。ですが貴方と再会できる機会というのは存外少なく、ああして参った次第なのですよ」
「今も充分に危険ですがね。実際、二度目のとは比較にならないぐらいに」
「えぇ。ですが今会わなければ私は一生後悔していたでしょう」
「一生?」
「はい。既に貴方は」
カチッ、と音が鳴った。
それは何かと何かが嵌った音であり、始まりの合図でもあった。
「おや?」
「ん?」
ガコン、と軋む。そこからの数秒は瞬きする暇もないほどの光景だった。
僕と彼がいる景観広間は、平面図で見れば正方形を模している。二人は部屋の中央にいて、扉は正方形の上辺の真ん中。つまりは真北に位置している。僕は南を背に北を見ていて、目の前の彼は北を背に南を見ていた。
面倒な説明で申し訳ないが、ようは、僕は振り返ることなく北にある扉を見ることができていた。
いた。過去の話だ。
扉が、じゅぽん、と吸い込まれる。吸い込まれた後はただの壁になった。
ほぼ同時、隠し扉のように百八十度回転して、グルリと扉が現れた。
四方の壁と、天井と床、一面に……!
つまり、景観広間をサイコロだとすると、中にいた僕からすれば、上も下も右も左も前も後ろもどこもかしこも全ての面から扉が現れたのだ。
しかも一面に一つではなく、無数の扉がぞろりと出現した! 唯一扉が現れなかった場所は、南にぽっかりとある窓と、僕が立っていた床だけで、残りは全て扉が生まれる。扉という扉が所狭しと扉を繋ぎ扉の世界を扉が構築している扉だらけの扉空間。
扉、扉、扉、扉。
他に扉以外ないと言わんばかりの、謁見扉。
「さすがに。これは。予想外。ですか、ね」
悠長な話し方に余裕を感じさせる言動をしていた美男子でさえも、さすがの珍景に動揺を隠しきれないようだ。
しかも、まだ終わりではなかった。
続いて、ぴぃー……と線が部屋の真ん中に轢かれる。扉があった北から南へ一直線に、線が入れられた。慌てて線の邪魔をしないように左へ一歩進んだ。彼が入っている鏡も同じように左へ移動した。線は床に一線引かれて、そのまま壁を昇っていき、天井を通って、線の始まりの所へ戻っていく。まるでサイコロの内部から線を書きこんだように。たった一本の線を引かれただけで、今や僕と彼がいる左のエリアと、誰もいない右のエリアは、容赦なしに分断されたような景観になっていた。
「シルディッドくん」
「な、なんですか」
「よくわからないのですが、しゃがんでいた方がいいのかもしれませんね」
がごんと、右のエリアが、目の前で、半回転した。
「は?」
がごんと、僕がいるエリアが、高速で、左四十五度回転した。
「え?」
景観広間そのものが、前世にあったルービックキューブのように。
「嘘、だろ!?」
ぐちゃぐちゃに回転し始めた。
* * *
魔法の世界に生まれて様々な経験をし、魔法というものを何百と目にし、むしろそれが当たり前になっている我が身なれど、それでも眼前で巻き起こる光景は、『ファンタスティックな魔法世界』に他ならなかった。これ以上の魔法らしい魔法があるのかと思えるほどに、凄まじい映像が視界に飛び込んできた。
「ほほぉ、これは面白い。まるでおもちゃだ」
「うおぉぉおおぉおぉおおおお」
「ただ、私は空中にいるので意味はないですね」
「ああぁぁぁああぁあぁぁぁあ」
最初は左と右に一本の線で隔たれていた景観広間も、今は見る影もない。線は何十本と結ばれ、各ブロックごとが複雑に入り乱れる。方向感覚など無限の彼方に飛んでいき、嗚咽と混沌が腕を組んで頭の中でクルクル回っている。
……気持ち悪い。吐きそう。
何とか扉の取っ手を握りしめ、必死の思いでしがみつく。
もしこれを外してしまったなら、グルングルンごりんごりんガゴンガゴン回転しているこの空間の餌食にされてしまうだろう。身体をあちこちにぶつけ、痣だらけになるのは必至。こちらには癒呪魔法の使い手であるユミ姉とリュネさんがいるから問題ないだろうと、容赦なしだ。
「ですが妙ですね。相手を行動不能にさせる魔法というのはわかりますが、攻撃がないとは」
「ぐううぅうぅうぅうううぅう」
「攻撃がない。となれば、これは」
「…………」
「大丈夫ですか?」
「た、すけ、て」
嘔吐する一歩手前、回転が止まった。
顔色真っ青間違いない僕と、涼しい顔で落ち着いている鏡男。床に伏しながら涎を垂らしていると、奥の扉が開いた。既にこの時、部屋の至る所に扉があったのだけど、そのうちの一つが……ゆっくりと開いて。中から皆が現れる。
「よぉ」
「どうも」
「おおよそわかっちゃいたが、まさか空中にいやがるとはなぁ。こいつは参ったぜ」
「ご謙遜を。欠片も参ったという顔はしていませんよ?」
「当然だ。さて……、選択だ」
「ほぉ?」
「ボコられてゲロるのと、ゲロってボコられるの、どちらがご所望だ?」
「そうですね。まぁ選ぶとしたら」
苦笑しながらも、ちらりと『窓』を見て、余裕を見せながら彼は言った。
「後者かと」
彼がそう言い終わる前に、僕は『館の外』にいた。
視界には、魔法の館があって、それを五メートルほど離れた場所で眺めていた。
…………。
え?
ちょ、ちょっと待ってくれ。
「ここではまだ危ないですね」
上空から声がしたかと思うと、僕は魔法の館を支える一枚岩の端っこにいた。
視界には、魔法の館があって、しかし先ほどとは随分と離れた距離で眺めていた。
…………。
は?
い、いやだから、何が。
「下に降りましょうか」
僕は、森の中にいた。
視界には、生い茂る樹木があって、どこもかしこも太い大樹ばかりであった。
…………。
待て。待て。待て!
「“神隠し”。さて、数分はこの場所がバレることはないでしょう」
周囲に鏡という鏡がドーム状に並び、囲んで、薄く光った。
後手に回るな。
ジンから言われた言葉だ。僕も同じ意見であった。なのに何だこのザマは。僕は、この
「時間がありません。私のことが敵としか思えないでしょうが、ブロウザの“眼”を掻い潜るにはこれしか方法がありませんでした」
「どうし」
「いいですか? 落ち着いてよく聞いてください。貴方が今されていることは、残念ながらこのままいけば不幸な結果にしかなりません。つまり、貴方は謎を解けません」
「……」
「ブロウザという鯨はそういう存在です。貴方のことが好きなのでしょうが、やはりクロネアの魔物。どうしようとも最後は謎を解かせない算段です。そのように仕組んでいます。このままいけば“いつか”は謎の真相に辿り着けるでしょうが、時間がなさ過ぎるのです」
「貴方は、何者なんですか」
「シルディッドくんの味方です」
「信用できません。不可能です」
「ですがこれしか方法がない。もう一度言います。落ち着いてください。この“神隠し”が発動されている以上、いかにブロウザであろうとも探すことは容易ではありません。ですが無理なことではないのです。数分が限界でしょう」
早口に、僕の目を真っ直ぐ見つめて話していた鏡の男は。
鏡の中からそろりと出てきて。
地面に着地し。
両手を僕の肩に置いた。
「私が出来る最大限のことをします。後はどうなるか正直わかりかねますが、それでも、私が言わなければ確実にシルディッドくんは…………謎を解けずに、クロネアを去ることになるでしょう」
ピシリと、僕らを包んでいた鏡の一部が、割れた。
「聞いてください。お願いします」
「……一つ、いいでしょうか」
ひび割れが、複数の鏡に入り始める。
「何でしょう」
「貴方はこの後、どうするつもりですか」
「ん? ハハハ、さっき言ったじゃないですか」
「言った?」
「ボコられますよ。『後者かと』って言ったでしょ? 面倒な登場をさせていただきましたが、私も……うん。恥ずかしながら、この舞台に上がりたいのです」
* * *
“奏流の全”。
大自然を流れる『核』と称されし源と一体化し、ありとあらゆる自然を視ることが可能。明日雨が降るといった簡単なことから、数日後に大地震がくるといった壮大なことまで、自然に関係することならば全て掌握できる。介入することまでは不可能なれど、視れないものがなくなるその力は、人に許された領域を遥かに超えている。自然そのものと同一化できる古代魔術の一つ。
“想念なる幻獣”。
想像から情念へ昇華させ、頭の中で思い浮かべた獣に姿かたちを変えることが可能。
つまりは、いかなる魔物であろうとも、幻獣であろうとも、思い浮かべることができれば変身できる。術者の想像力が強く求められるものなれど、変身できないものがなくなるその力は、人の限界を軽々と越え、最奥の領域に辿り着けるだろう。想いそのものと同一化できる古代魔術の一つ。
“魂交”。
己の魂を相手と交換できる。その際、いくつかの要素も魂と共に交換することが可能。
自身の肉体そのものを引き換えに、魂を入れ替えられる古代魔術の一つ。
古代魔術は、全部で三つ。
「ブロウザはこのうち、“奏流の全”と“想念なる幻獣”まではシルディッドくんに教えるつもりです。しかし“魂交”までは教えないでしょう。あの鯨は、アズール王国から訪れた貴方のことを好んではいますが、味方では決してないのです」
僕らの周辺を囲んでいた鏡のほぼ全てにひび割れが入り、欠片が落ち始めていた。
「そろそろ限界ですね。最後に聞きたいことはありますか?」
「古代魔術は、クロネアの『人間』だけが発動できる魔術なのですね」
「左様です。クロネアの『魔物』は発動できません」
「わかりました」
ひび割れが、鏡全体を覆っていき、ボロボロと崩れていく。
「では最後に私から一つ」
「?」
「“神隠し”を発動している以上、外部から私たちが何を話したかは一切わかりません。ですが『何かを話した』という事実はわかります。それをブロウザがどう判断するか、最悪の結果になることも考えられます。ですから、その」
「謝る必要なんてないですよ。貴方が僕に教えてくれなければ、古代魔術の二つまで知れたところで終わっていたのですから」
「私を信用されるのですね」
「いいえ。信用できるかどうかは、これから皆のところに行ってから判断します。僕が言いたいのは、既に起こってしまった今を責めるつもりなんてない、ということです」
鏡はいよいよ原型を無くし。
「僕がこの国で得られる情報は全て人伝のみ。ですので、教えてもらった情報は決して無下にせず、しかし鵜呑みにもせず、自分の中で冷静に処理し、答えを導き出すことが……謎を解く最善手に他ならない」
光り輝く結晶が四方八方へ弾けるように、粉々になって消えていった。
まるでダイヤモンドの雪のように、僕ら二人の周囲には光る鏡の欠片が舞い降りる。パチンと彼が指を鳴らすと、それらは舞い上がって夜空に消えていった。外は豪雨のはずなのに、僕らの場所だけは雨が降ってこない。きっと生い茂る大樹の葉が、傘代わりになってくれているのだろう。
“神隠し”が消えた以上、これから僕らが話す内容はブロウザに筒抜けになる可能性がある。目の前の紳士の話を信用するならば、のことだが。
「魔術にしては随分と異質ですね」
「シルディッドくんの国にも継承魔法がありますでしょう? あれも随分と異質ですよ。魔法の枠に当てはまれないものをあそこに当てはめてもいる。魔術でもそうした枠外なものがあります」
「英鳳魔術……ですか」
「左様。“鏡影”。私の家に代々伝わる、クロネア屈指の稀有な魔術です。能力は」
ここまで平然と話していた僕らであったけど、失念していたことがあった。
魔法の館にいた皆のことだ。
目の前で僕が浚われてしまい、しかも皆は何もできなかった。上位の魔法師がひしめく中で容易に起こってしまった出来事。本来ならば、僕はいの一番に館に向かうべきだったのだ。僕は大丈夫だと、無事だと伝えるために。
愚かだった。
“神隠し”が消えてしまった以上、イヴの“偽らざる図表”に感知されるのは当然。
いや、もしかしたら“心眼の蕾”も発動させていたかもしれない。どちらにせよ、僕らはすぐに場所を特定されたはずだ。ならば彼らは次にどうするか。
考えるまでもない。
ウチの姉妹が、黙っているわけがない。
「「……ん?」」
二人同時に、何気なく言った。
それは特にどうということもなくて、何となく周囲の空気が変だなぁと思う程度の、そんなもの。
そんなもの。
人形が出現した。
手と手を繋ぎ、僕と彼を輪っかのように囲む……人形が出現した。
目を抉られた人形だった。
髪を全て引きちぎられた人形だった。
服さえも着せてもらえていない人形だった。
ただただ囲んで、笑っていた。
「ミツケタ、ミツケタ、ミツケタ」
謳いながら笑いながら踊りながら、小さな人形は回る。
廻る。
瞬間、奥の方より桁外れの魔力の波を感じ取り咄嗟に振り返る。恥ずかしながら、その時になってようやく気付けた。
……身体が動かないことに。
「アソボ、アソボ、アソボ」
狂ったように同じ言葉を繰り返し。
廻る速度も次第に上がり。
ゲラゲラ笑う人形たち。
とてもじゃないが、笑えない。僅かに震える身体に気合で活を入れ、奥から歩いて来る……人物らを視界に捉える。
「シルディッドくん。ここは一旦」
「駄目です」
「何故?」
「ここで逃げたらますます酷くなります。また、もう魔術は使わないでください。あいつらに自分は無害だと言っても、魔術を行使させながら言っては信憑性は皆無です」
「ではどうするのです?」
「簡単ですよ」
現れた影は四つ。
茶髪が二名、桃髪が一名、赤髪が一名。どうにもこうにも、ここは一つ、彼と一緒に館に帰るべきだ。理由があって彼は僕を連れ去ったのだから。されど向こうは知る由もなく、ある一点のみに行動する。
僕を奪還し、横の男をぶちのめす。
まさかこんなことになろうとは夢にも思わなかった。しかも相手は死ぬほど戦いたくない相手たち。
それでも。
あぁ。
無常なり。
やるしか、ないようだ。
クハハ。
どうしてこうなった……!!
「僕が戦います。もう……口での説得は無理です」
古代魔法の使い手と、癒呪魔法・陣形魔法・継承魔法・自然魔法の使い手による──
一対四の戦いが始まる。