アズール図書館の司書 ― その青年は全ての魔法を発動できる。ただし人生で一度だけ ― 作:藤崎次郎
翌日。巨大な亀に乗り、空を泳いで、半透明な鯨の体内に僕はいた。
頭の中でずっと立ち込めていたモヤモヤは既になく、すっきりとした心境である。ただ、すっきりしたことで生まれた新たな不安が、正直なところ、的中すると思われる。それでも行かなくてはならない。不安に囚われ続ける意味など、全くないのだから。
「いるんだろう?」
体内にして館内の最奥まで移動して、辺りを見渡しながら静かに告げた。応えるようにちらほら遠くから聞こえていた声や音が消え、静なる空間へと変わる。後ろから何かがいるような、気配とも言える雰囲気も感じて……。振り返り、彼もしくは彼女を見た。
黒と白の髪。
赤と青の服。
身体つきは女性ながら、顔は男。
過去二回見てきた容姿を、ごちゃまぜにしたような姿でブロウザは立っていた。視線を下に向けたまま、目を合わせようとしない。そして僕が話すよりも早く、床をじっと見つめたまま……口を開いた。
「会いたくなかったよ、お兄さん」
弱々しく、寂しそうな声。
「随分と覇気がありませんね。ブロウザ」
「お兄さん……じゃなかった。シルディッド・アシュランだったね。ただ、もう、名前など意味はないな。うん」
「貴方が言っていた『僕を狙っているきな臭い輩』は、ルーゼン・バッハさんのことだったんですね」
「そうだ。余が最も危惧していたのは、他でもない彼だったのだ」
はぁと溜息を吐きながらよいしょ、と近くの椅子に座るブロウザ。とても疲れているように見える。この鯨にとっては、今までは計画通りに事が運んでいたのかもしれない。しかし、思いもよらぬほどルーゼンさんが迅速に行動を移した。さすがにそこまで読み抜くことは、できなかったのだろう。ブロウザにとって鏡の彼は、そこまでの男だったのだ。
少しの沈黙の後、ゆらりと立ち上がって、覇気のない笑顔をこちらに向けるブロウザ。
されどその笑みは、何かを訴えているかのような笑みでもあった。
「さらばだ。余はこれで去るとしよう」
…………。
「え?」
「聞こえなかったかな。余は、もう、シルディッドくんとは会わないと言ったんだよ」
「な、にを」
「さようなら」
登場して一分も経たずに消えようとする鯨の手を、思い切り掴んで強制的にこちらに向かせる。
「痛いな」
「ふざけないで下さい! 何ですかそれは、何なんですかそれは! 全て放棄するつもりですか!」
「あぁ。だがしかし、そうだな……。よし、最後は今日ではなく、明日にしようか」
「だから!」
「最後の別れは、明日の朝日が昇るまでとしよう。うん」
何がうんだと言う前に、ブロウザの姿は消えていた。手に取った際の感触が、するりと抜けて消えてしまった。そして残された空間に、一人寂しくポツンと僕だけが立っているだけであった。
それだけだった。
登場して一分も経たないものだった。
まるで今までのドラマが、全て嘘だったかのような儚い幕引き。
こんなにもあっけないものなのかと思わせられた。しかし、悲しいことに……頭がパニックになっている中、冷静に『やはりこうなってしまったか』と思っている自分もいて。
ここに来る前に感じていた不安は、これだったから。
そうして僕は図書館を出る。この全てのものを問答無用で置いていくような理不尽なる展開を前にして。自分を落ち着かせるため、答えを出すため。半透明な鯨の目が自分にたえず向けられていることを知りながら……大園都に向かったのだった。
* * *
「向かってどうするんだよ、馬鹿野郎」
「知らねーよ。あと何で俺の部屋に来るんだよ」
頭を抱えながら落ち込む。目の前にはキチガイな銀髪もいて。
あれから一人で黙々と考えながら歩いていたものの、考えがまとまらず、結果として魔法の館に戻りジンの部屋に押しかけた。もう外は暗くなり始め、あと少しすれば夜になるだろう。ジンは外に出ると歩く変質者にして第五極長『舞人』が付いてくるため、極力外出をひかえている。ニートなのだ。そんな状態の彼は、ちょっと面倒くさそうな顔をしてベッドで横になっていた。
「っていうかよ、もう答えは出てるんだろ? 朝に第二試練の謎は解けたって言ってなかったか?」
「あぁ、一応の答えは出たよ」
「ならいいじゃん」
「それは恐らくブロウザもわかっていることだ」
「話も早い。さっさと終わらせてこいよ」
「だったらおかしいだろ」
「?」
「どうしてブロウザは答えを『今日』聞かず、『明日』にしたんだ?」
ブロウザは僕がルーゼンさんと会ったと知っていた。なら三つの古代魔術について僕が知ったとわかったはず。ならば自ずと第二試練の謎に対する“答え”を僕が見つけたともわかったはず……。にも関わらず、答えを今日聞かずに明日に先延ばしにした。その理由が、一切わからないのだ。
「単純に今日聞く元気がなかっただけとかじゃねーの?」
「適当なこと言うな。お前にもわかっているはずだろ」
「……」
「何かしらの理由があるはずだ。いよいよ最後の大詰めなのに、そんな曖昧な理由で明日の朝までと言うはずがない」
「だが、奴の真意がわからない以上、動きようもないぜ」
「そうなんだよなぁ」
大きな溜め息を吐いてベッドにダイブし、ジンに蹴り飛ばされて椅子に座る。
正直に話すと、第二試練の答えは出ている。
だが、その答えは“謎全て”に対して解答できているわけではない。不可解な点が残ってしまう。ポツポツと説明できない部分が生じているのだ。しかし、『これ』が答えとしか思えないのも事実。別の解答は……ない。結果、この全てを納得できずに出した解答を持って、僕はブロウザのところへ向かったのだった。
その納得できない、又は不可解な点を少しでも減らそうと思っていた。しかし、有無を言わさずブロウザは去ってしまった。
『“神隠し”を発動している以上、外部から私たちが何を話したかは一切わかりません。ですが『何かを話した』という事実はわかります。それをブロウザがどう判断するか、最悪の結果になることも考えられます』
昨日、ルーゼンさんが言っていたことは、見事に的中したというわけか。
モモ、リリィ、ユミ姉、イヴの四人と戦って負け、魔法の館に戻り、自分の名を告げたルーゼンさんは皆の質問に二、三言ほど答えると用事を思いついたと言って消えてしまった。あの人も実に自由奔放な方だ。彼の目的は既に達成できたとも解釈できるが。
「鯨なりの意味を含んで明日の朝までと言ったんだろうが、さすがに何が目的かまではわかんねーよ」
「ジンでもか?」
「あぁ。ただ、こう、話を聞いた限りじゃ……あれだな。迷っているように俺は感じる」
「迷う」
「そうだ。鯨帝としての誇りがあり、シルドに謎を絶対に解かせたくないのなら、もう会うことはないだろう。証拠にもう会わないと言いやがった。だが、同時にこれでいいのだろうかと奴自身思っているのかもしれねー」
「だから明日の朝までって?」
「おう。俺はいよいよ締めに入ろうとしているこの一件を、単に奴が認めたくないだけのようにも感じるがねぇ……」
ジンは個人至上主義者ゆえ、こと相手が自分の利益のことを考えて行動する際の心理を巧みに読むことに長けている。そのため、彼の読みは合っている可能性が高い。
でも。果たして、そうだろうか。
あの存在が、ただこの一件を認めたくないからと言って、明日にまで期限を延ばそうとするだろうか。子供が駄々をこねるように……。
「あ」
「あん? どうした?」
そういえば、今日ブロウザが登場した時、あの存在は最初椅子に座って僕に不思議な笑みを向けていた。あの笑みは、何故か記憶に強く残っている。何かを訴えているかのような笑みだった。
「……訴えている」
訴えている。何を? この謎を解明して欲しくないという訴えか?
違う。そんな小さなことで奴は笑わない。では何だ。一千年も生きた長寿なる鯨。僕よりも遥か先のことを見越し実に高みの存在である鯨。あれは、あの笑みは、僕に最後のメッセージを送ろうとしていたのではないだろうか。
思い出せ。
ブロウザの行動を。
初めて会ってから今日までに交わした言葉の全てを……!
「シルド?」
そもそも何故あの存在は僕の前に現れたのだ。
現れる必要などない。僕はアズール人だ。クロネアの民ではない。ならどうして?
アズール人だから──現れたとしたら? クロネアの民ではないから──現れたとしたら? だったら、初めて現れた時……何と言った?
『お困りかい? お兄さん』
そう、最初は挨拶だった。そして次にこう言ったはずだ。何てことはないあの言葉は、忘れてしまうほど軽いものだったけれど……ブロウザにとっては──。
『いやしかし、嬉しいな。ようやく余は、解放されるかもしれないのか』
重いものだったのかもしれない。
解放。あの鯨は解放されたがっていた。ならば尚のことおかしい。解放して欲しいと思っているのに、先延ばしにしたくて明日の朝までに待って欲しいと言うだろうか。気持ちの整理のためだとしても、その程度の時間だけで足りるだろうか。
違うはずだ。ブロウザは今の僕の状態を、こう言いたかったのではないか。その解答は──
「間違いだって」
「考えすぎだぜ。だとしたらどうだってんだ。他に解答の材料となるもん、奴は言ったのか?」
「もう言う必要がないとしたら、どうだろう」
「……」
「答えは既に提示されているとしたら、どうだろう」
「それをお前は探すってのか? 残りの時間で」
「やるしかないさ」
「落ち着け。ちょっと飛躍し過ぎだって。一階に行って、レノンに軽食作ってもらおうぜ」
そう言ってジンは立ち上がり、扉の方へ歩いていく。つられて僕も席を立とうとして、持っていたカバンを床に落としてしまった。その際、入っていた本や財布が出てしまい慌てて拾い上げ…………ようとした時、二つの本に目がいった。
『魔法の入門』。
魔法の定義や七大魔法の詳細図、簡単な魔法に魔法師としての心構えといった、どこにでもある普通の本。ユミ姉とイヴが初めて王都に来た際に一緒に観光して、二度目の再会を果たした、あの初老からいただいた本。
その横に、第二試練を決めた『ブロウザの大冒険』があって。肌身離さず持っていた二つの本が、バラバラに散らばっている本の中で、悠然と置かれていた。
そして。
僕の脳裏に────ある答えが生まれた。
「ジン」
「どうした?」
「答えが、わかったかもしれない」
「…………。その解答は、“謎全て”に答えられるか?」
「できる」
「そうか」
顔を上げると、いつもの彼がいて。僕を支えてくれる、友がいて。
「ジン、頼みがある」
「任せろ」
「……。まだ内容は言ってないんだけど」
「どんなものだろうと任せろ。俺が絶対に実現してやるよ」
「明日の朝と言ったけど、朝はクロネア図書館は開いていない」
「もうすぐ夜だ。今頃閉まってるな」
「それでも、行かなくちゃならない」
「ってーと?」
「深夜に行くしかない」
「だが邪魔が入る可能性があるなぁ。あの虫女のことだ。いろいろ手を打ってるはず。俺らが不用意に館から出られないように、な」
「あぁ。それでも行かなくてはならない。行くしかない」
僕が言いたいことをとっくにわかっているというように、何度も何度も頷きながら、徐々に極上の笑みを浮かべるジン。全身が震え出し、目はギラリと輝いて、銀髪がざわめく我らが王子。
ブロウザとは、最後の問答になるだろう。
けれど残念ながら図書館は閉まっている。無理矢理入ろうとすれば、何が起こるかわからない。それこそ学園啓都の治安組織が攻め込んでくるかもしれない。それらの目を、いや、治安組織だけじゃない何もかもを、一時的に行動不能にしてほしい。それを頼みたい。ジンが震える身体をこらえられないような表情で僕を見る中、重言を告げる時が……やってくる。
「結論を頼むぜシルド」
「シェリナ王女の目を、ジンたちに向けさせてくれ」
「手段は?」
「任せる」
「アヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ」
館中に響き渡るような絶叫と共に、狂ったように笑い転げるジン。
「そりゃまるで犯罪だぜぇシルド!」
「嫌か?」
「冗談! 最高だ! 俺はこのために来たんだろうぜ!」
「ジン? どうしたの大声出して」
「ミュウ。虫女に緊急連絡を送れ。一人で来いってな」
「え。どうして?」
「場所は、そうだなぁ。あの塔がいいな。この館から北西の方角にあるアレだ。そこで待ってるって送ってくれ。一人で来いってな」
「そんな怖い連絡しても、来るはずないよ」
「来なきゃクロネア王国の全てを失うだろう。しかし来れば過去の因縁を全て決着できるだろう。そう伝えな」
「……本気?」
「おうよ。あとミュウ、皆を集めておいてくれ」
かなり派手になりそうな企みを持ちながら、ジンは部屋を出ていく。ちょっと怖い気もするけれど、ジンなら大丈夫だ。きっと上手くやってくれるはず。そう思って見送ったけど……。
これが完全に“失策”だった。
史上最悪の展開を、ジンは巻き起こすことになる。
シェリナ王女の目をジンたちに向かわせるために、まさかここまでやろうとは、当時の僕は考えもしなかった。しかしもはや止められない。ジン・フォン・ティック・アズールは止まらない。ウキウキしながら塔へ向かう彼の思考を、誰も読むことなどできないだろう。
そうして生まれる地獄を前に。
魔法の国の次期王は。
「さぁ虫女。決着をつけようぜ」
始まりの鐘を、鳴らしに行く。