アズール図書館の司書 ― その青年は全ての魔法を発動できる。ただし人生で一度だけ ―   作:藤崎次郎

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思うんじゃねぇ

 

 

 

 始まり。

 ありとあらゆる事象において、始まりという概念が存在するのは当然であるが、しかしそれを形として『表現』する方法は中々ないものである。漠然としていて、かつ始まりは事象それぞれにおいて存在し、つまりは無限にあるのだから。ただ、もし、その始まりを表現できる方法があったとしたらどうか。抽象的すぎる『万物の始まり』を現世に具象化できる方法があったとしたら、どうか。

 

 それが全裸だ。

 

 シルディッド・アシュランの前世で、彼が暮らしていた国。

 その国では、人に対し、人権を与える時をいつにするかについて全部露出説を採用している。

 全部露出説とは、胎児の身体が母体から全部露出した時点を、法的な『人の始まり』とする考えである。つまりは、人の始まりは“胎児が母胎から全て出てきた時”だということだ。

 人は生まれた時、どんな姿をしているか。

 全裸だ。

 それはどんな人間だろうと、魔物であろうと同じであり、共通すること。他の事象に関しても、始まりは皆『ありのまま』なのだ。つまり、全裸になるということは始まりを表現できる、ということだ。

 全裸は始まりなのだ。

 始まりの具現化だ。

 そして……始まりをこの世に体現できる、唯一無二の方法に他ならない。

 

「始まりとは、万物の帰結である」

 

 全裸の一人がゆっくりと歩み寄る。

 全裸が光沢に満ちていた。

 魔力の輝きが全身を包んでいるのだ。本来なら魔力は光ることなどない。が、あまりの『濃さ』ゆえに具象化し光となって目視できる状態となっている。並みの魔術師では不可能なれど、第二の極長ほどになれば容易にできる技だ。

 

「始まりを表現する意味は、ズバリ、全生物のあるべき姿と生き方の導きになるからだ。我が子らよ」

 

 人は、魔物は、生きていく上で苦悩する生き物である。

 それは当たり前のことであり、苦悩や喜びはもちろんのこと、生きていく過程で様々な経験をしていくことになる。人間・魔物であっても同じこと、己がどう感じ、どう決断し、どう歩いていくかで、その者の器というものが形成されていく。

 ただ、長い人生の中、苦悩は己の生き方を見失わせる要因にもなる。

 道を踏み外すきっかけにすらなる。

 しかも恐ろしいことに……たった一度だけで、そうなる可能性すら、ある。

 その時、生きる者はどうすればいいのか。苦悩や不安、苦しみの最果てに囚われぬよう、どう自分を見ればいいのか。

 

「簡単なことだ。初心を忘れなければいいのだよ」

 

 初心。

 生きる上で、それぞれ区切りがある。入学や試験、結婚に退職など様々だ。その時々に区切りをつけ、始まりを設けていれば、そこが初心に帰る点となる。初心は区切りの原点であり安らぎだ。始まりを見失わないことは己を見失わないことと同義だ。

 苦しみの果てに、己を忘れるな。

 始まりを忘れるな。

 だが、言葉だけでこれらを繋いでも駄目になることがある。

 やはり行動なのだ。

 体現なのだ。

 そう……始まりを身体全体で表現することが出来たのなら……その者は絶対に、初心を、本当の自分を忘れることは、ない。

 

「そうだ。全裸になろう」

 

 全裸こそ、初心至高の産物ではなかろうか。

 

 

 ……と、考えるのがフラワーの師匠であるナクト・ヴェルートの“全裸始原説”である。

 全裸になることで始まりという不可視なものを可視にし、意識化することで初心を忘れないようにする。初心を忘れなければ己が堕落することはなく、本来の道を歩き続けることができるというものだ。

 

「まず聞きたい。我とフラワーを最初に見た時、どう思ったかね?」

「「死ねばいいのに」」

「そう、最初はこの全裸というものに嫌悪感、または恐怖を覚えるものだ。しかしどうだ、我の崇高なる全裸始原説を聞いた今、大きくその感情は変化しただろう。さて、改めて聞こうか。我とフラワーを今、見て、どう思うかね?」

「「死ねばいいのに」」

「そう。今、同じ言葉かもしれないが、実は半音高くなった。それは全裸に対し安堵を得たに相違ない」

「どんだけ前向きなのよアンタ」

「全裸なのだから、当然だろう?」

 

 アシュラン妹は、これ以上話すと何かに汚染されそうな気分がしたので顔を斜め下に向けた。改めて考える必要もなく、敵は全裸。視覚的・精神的ダメージが尋常ではない。何かの罰かと思ってしまうほど酷い現実が提示されている……。

 深く考える意味はないだろう。相手は敵だ。

 ルェン・ジャスキリーが敵ではなかっただけでも良しとしよう。イヴギュールにとってルェンはクロネア生活で共にした仲だ。敵だとしても、自分の性格上割り切れるか自信がなかった。だから、今は目の前の相手に喜ぶべきだ。問答無用で容赦一切なしに攻撃できる。罪悪感など微塵もなく攻撃できる。

 いいことだ。

 

「で、どう攻めようか。姉ちゃん」

「……」

「姉ちゃん?」

 

 頭を切り替えて、攻撃に入るため姉との息を合わせようと言葉をかける。しかし、返事がなかった。

 見ると、敵二人を食い入るように見つめる姉の姿があり、思わす固まってしまう。……そんなに興味あるの!? と、心で思いながら。

 

「ね、姉ちゃん。嫁入り前だからってガン見し過ぎだよ」

「イヴ」

「な、何? わ、私はまだ見る必要ないから大丈夫」

「敵は、四剣の一角よ」

 

 頭上に疑問符を浮かべるイヴギュール。

 相手の一人が四剣だというのは前からわかっていたことだ。なのに何故、今更それを言うのか。わからない。だから自然と視線を相手に向けて……ようやく理解が追いつく。

 既に、相手二人にはユミリアーナの“愛しき髏頸”が発動されていた。かけられた相手は、自身の五倍なる重さを身体のどこかに負荷される魔法。二人とも、首にかけらていた。

 

「はぁっ! んんっ、ぁぁ!」

 

 フラワーは、その重りゆえ顔が地面に付くも、身体の全てを滑らかな状態へと変えることができる彼の剛身魔術“艶めく舞”により何度も何度も転んでいた。一応転んだ際の衝撃があるのか、喘ぎ声を漏らしている。とても嬉しそうだった。

 正直なところ、こっちはどうでもよい。

 問題なのは、もう一方である。

 

「ほほぅ、面白い」

 

 まったく……動いていない。

 少しも、動く気配がない。彼の首には髑髏が浮き出ていてケタケタと笑っているが、当の本人はその効果を無視しているように涼しげな顔をして、アシュラン姉妹を見つめていた。

 

「これも魔法かな? 我が子らよ」

「……」

 

 イヴキュールが黙ってカードを投げる。

 己の甘さに虫唾が走った。敵を前にして余裕とは、大した女だと呆れ果てる。敵は二人。しかも十三いる極長らの中で最高峰の一角が目の前にいる。半端な相手ではないことぐらい、わざわざ敵の異常さを『見る』までもなく、わかるだろうに……!

 驕りを捨てろ。

 私は何のためにここにいる。

 本気でいけ。自分にはまだ、やるべきことがあるだろう。

 

「“白頭巾・青頭巾”」

 

 敵の魔術、未だ判明せず。

 ならば是非もなし。わからぬまま魔法で攻め抜き、勝つ。

 

 

   * * *

 

 

 アシュラン姉妹と全裸が交戦を開始した時、上空にいるリリィ・サランティスは赤き瞳で敵の少女を静かに見つめていた。

 此度の戦争にて、自分の役目は目の前の敵を倒すことなれど、やはり時間をかけ過ぎるのはマズい。勝つのは当たり前として、できれば早めに敵を撃沈したいのは当然であった。しかし、“魔術科・歴代一位”と称されている以上、侮ればこちらに想定外の怪我を負わせてくるかもしれない。

 それを防ぐためには、早めに相手の手の内を読み、最も効率的な魔法で仕留める。

 となれば、最善の方法は──。

 アニー・キトス・ウーヌを、本気にさせればいい。

 

「でも、どうすればいいのかなぁ」

 

 現在、互いに空中を高速で動きながらの攻防を繰り広げている。

 あちらは自分と戦っていることが楽しくて楽しくて仕方がない、という顔をしている。アニーにしてみればリリィに全力を出せばいいだけの話で、他の敵も倒したいと考えている征服少女とは戦いに対するスタンスが最初から違う。

 どうする。

 引き出す、というより穿(ほじく)り出すが合っているか。どちらにせよ、相手の奥の手や真の形態をどう引きずり出すか、が重要である。

 

 リリィ・サランティスは考える。

 眼前の女の子は自分とどこか似ている。なら、きっと自分が一番許せないことをすれば、相手は本気にならざるをえないだろうと。

 やはり怒らせることがベストだ。ただ、怒らせるにも方法がいろいろとある。悪口に挑発、やる気ゼロな態度や無視など案外怒らせ方にも数がある。けれど、そのどれもが自分にされても本気で怒るものだとは、思えなかった。

 

「何さっきから余所見してんのぉ?」

 

 抉るような蹴りが頬を掠める。

 魔法師と魔術師の決定的な違いは、魔力をどう扱うか、にある。

 魔法師は魔力を使い摩訶不思議な現象を作り出す。

 対し魔術師は魔力を使い摩訶不思議な身体を作り出す。どちらも魔力を使っていることに変わりないが、最も大きな違いは外在化と内在化にある。つまり、魔力の方向を外に出すか内に秘めるかであり、当然ながら内に秘める魔術師の全身硬度は……魔法師の比ではない。それこそ、雲泥の差である。魔法師が骨折するほどの衝撃も、彼らにとってはかすり傷程度のものである。

 さらに相手が魔物であるならば……、構造的に違う。

 硬度や耐久度など、馬鹿馬鹿しくて、比べる意味すらなくなるだろう。

 

「……! アハ!」

 

 相手が、魔物であると再認識したその瞬間。リリィは、一つの結論を生み出した。結論にして閃きでもあるが、答えを出した。そしてその答えを実行に移すべく、悩む時間など全て置き去りにして──即座に動く。

 リリィとアニーの上空に出現するは“寿の雨”。虹色の剣がずらりと並ぶ。それを見たアニーは、微かに笑みを浮かべながら大声でリリィに叫んだ。

 

「芸がないねぇ! またそれかぃ!?」

 

 叫んだ直後、彼女の後方より衝撃が走る。

 思わず前へ仰け反るアニー。

 何が起こった、と咄嗟に後ろを振り向けば……岩石が、自身の背中に直撃していた。わけがわからなかったがすぐさま後ろ蹴りを放ち破壊。崩れゆく岩を見下ろしながら、ようやく気付くことになる。地上より、岩の砲撃が無数に発生していることを。あちらこちらから、岩塊が空へ放たれているのだ。

 

「“岩弾幕砲”」

 

 上からは“寿の雨”。下からは“岩弾幕砲”。

 狙いは一点。アニー・キトス・ウーヌ。

 上と下の両面から、真下と真上に規律正しく展開された。空に浮かぶ身でありながら、天と地に『挟まれた』という不可思議な感覚に襲われるアニー。しかし、それをのんびりと体感している余裕はない。全神経を集中し、高速移動を用いての回避に特化した。

 細く殺傷性が高い雨には最大限の注意を払う。落ちてくる速度もそれぞれ違い、先を読まなくては確実に身体のどこかに命中してしまう。一瞬の判断を幾重にも重ねながら空中で雨から攻撃を回避する。

 

 同時に、死角ともいえる真下からの攻撃にも対応せねばなるまい。

 太く打撃性が高い岩を完璧に避けることは難しく、そのため破壊か防御を優先させた。第一極長の全身硬度であれば岩の衝撃など、さほどダメージはない。むしろ、岩の攻撃によって一時的にもその場へ留まってしまった為に生じる“寿の雨”からのリスクが、『魔人』にとっては危ないものだった。

 だが、ここで彼女は判断を誤る。

 これらの行動は、あくまで一度避ければ、もしくは破壊すれば終わりであると前提しての行動であった。

 しかし違った。

 二つの魔法は……リリィ・サランティスの意のままに操ることができる。つまりは、自在に動かすことが出来るということであった。

 

「キ、ヒ!?」

 

 地へ落ちていった雨も、空へ飛んでいった岩も、目標に命中していないならば、クルリと反転して、再びターゲットの下へ集まってくる。それらの軌道はもはや予測立てが極めて難しく、さながら魑魅魍魎が辺り一面に跋扈するかのようなあり様だった。

 焦りが生まれる。

 このままいけば、自分は確実に挟まれる。致命傷とまではいかないだろうが、当たりどころによっては面倒でもある。なら、相手側にこの魔法を止めさせることが一番だろうと、考えた。

 速度を上げた。

 回避重視の空中で動き回る行動から一変、圧巻の勢いでアニーはリリィの下へ急行する。速さのみに特化させた彼女に、岩や雨が追いつくことなど到底叶わず。

 

「殴り合いをしようぜぇ!」

 

 渾身の拳を、赤髪の少女に見舞った。

 鈍い音が鳴る。

 拳は通らなかった。

 氷に、阻まれたのだ。

 

「“氷拍の護”」

 

 リリィ・サランティスを全方位から守るように、氷で作られた球型の囲いが生まれていた。それは征服少女が『絶対に壊されない』と強く念じたことにより発動された魔法で、情念が魔法の強弱に直結するリリィの魔法で、最強の盾を意味する。

 傷一つなく氷の囲いはアニーの拳を防ぎ切った。

 渾身の一撃だった。人型とはいえ、全力の右ストレートであった。にも関わらず、傷どころかひび割れすらない……。絶対防御の氷。

 思わず動きを止めたアニーへ、岩と雨が集結する。

 文字通り、集まり重なり、結合した。

 岩という岩が彼女を呑み込み、雨という雨が飛来する。魔法科・歴代二位の眼前で、魔術科・歴代一位は、魔法の群れに喰われた。

 

「……キヒ」

 

 だが、それがどうしたというのか。

 アニーは自問自答して答えを出した。たかが自分の拳が防がれただけだ。まだまだ戦いは終わっていない。これからだ、これから時間をかけてゆっくりじっくり楽しくなるのだ。人型で思う存分楽しんで、それでもまだ敵が生きているならば、少しだけ本気を出して遊んでやってもいいだろう。そう思った。

 

 だから自分を圧迫している岩と雨を内側から破壊して、外に出る。

 出る前に気付いたことは、どうやら右腕が折れていること。

 あぁ、さすがにあの衝撃で無傷とまではいかなかったか、と内心苦笑しながら、だから何だってんだと底より湧き出る狂った喜びを携えて──敵が待っているであろう外に飛び出す。

 

「待ったぁ!?」

 

 首元に、鎌があった。

 

「────」

 

 大きな大きな、鎌だった。

 

「……」

 

 鎌は、あと少し横に動けば、自分の首を軽く斬り落とせる位置にある。

 アニーは動きを静止せざるをえない。

 目玉だけを、その大鎌に向け、口を半開きにして、固まる。

 今、彼女の命は、散る間際にあった。

 

「よかったねぇ」

 

 前から声がする。

 

「よかったねぇ」

 

 再度同じ言葉を重ねられた。

 リリィ・サランティスは考えた。どうすれば目の前の敵を本気にさせられるかを。どうすればこいつを激怒させられるかを。悪口。挑発。態度。無視。どれも良案かもしれないが、魅力に欠ける。そして昔の自分に似ているアニーのことを考えて、彼女が魔物であることを考えて、自尊心の塊であろう敵の内心を考えて……、ある結論を生み出した。

 そう。

 実に簡単なものであった。

 簡単すぎて忘れるほどの、安直なもの。だが果てしなく恐ろしいもの。

 リリィがアニーへ送る、悪魔の言葉は──。

 

 

「まだキミは戦えるよぉ? 私のおかげで」

 

 

 憐(あわれ)みである。

 慰めである。それも絶対的な強者が、侮蔑極まりない弱者に告げることが前提の、憐み。

 いつでも倒すことができる余裕。強者だからこそ弱者へ優しく接する心持ち。どれだけ弱者が息巻いたとしても、強者は軽くそれをいなす。

 何故なら強いから。

 相手は雑魚だから。

 だからこそ確定している不変の関係。

 関係は揺るぎなく存在し、存在するからこそ決まる立場の明暗。

 

「ほら、頑張って。次はできるよ、きっと」

「……」

「遊びたいんでしょ? 大丈夫、付き合ってあげるよ」

「…………」

「私、強いから」

 

 虹色の少女が、光った。

 同時、光と共に彼女の周囲に雲が現出、アニー・キトス・ウーヌを呑み込む。

 その光景を見ながら、リリィは己の策が成ったことを理解した。だが、正直なところ、現状は最悪ものであると思えた。先程リリィがアニーへ放った、岩と雨の集合体は、リリィが本気で相手を“戦闘不能”にするつもりで発動したものだった。岩の圧力と雨の殺傷性を考慮すれば、とてもじゃないが出て来れるはずがない、と。

 しかし、相手は右腕を骨折しただけで中から出てきた。

 冷や汗が止まらない。

 憐みの言葉をかけて激怒させるなんて、まだ他の敵と戦わないといけない自分の立場を考慮したとしても、戦う相手に失礼だと思った。だから、それを防止するためにも、あそこで勝負を決めたかった。否、決めたつもりだった。にも関わらず現実は残酷で、敵の強さと異常さを如実に感じるだけのものとなってしまった。

 

「やっぱ、こいつを倒すことだけに特化しないと駄目だね……」

 

 考えを改める。

 もはや戦闘後の、先のことを考える余裕はない。不殺という決まりだが、殺す気でいかなければ勝てない相手だ。自分の全力を出さなければいけない相手であると……、認めざるをえない。リリィをこれほどまでに追い詰めたのは、故郷の殺人鬼以来である。

 思わず苦笑するリリィの前で、雲が消えた。

 いったい何が出てくるか、ゾクリと震える身体にある種の昂揚を感じながらも……いつでも魔法を放てる用意をして、視界に捉える。

 

「やっと見れるってことかな?」

 

 何もなかった。

 

「……」

 

 誰もいなかった。

 雲が消え、光も消え、そこにいたはずであろう相手が、ぽっかりと消失していた。

 

「ッ!」

 

 思わず、目を左右に揺らす。

 特に変化はなく。

 “氷拍の護”の中で身体を動かしながら意中の相手を探す。だがどこにも見つからず、焦りが、畏怖が、コップに水を入れるように、徐々に増していく。落ち着けと自分に言い聞かせ、息を吐く。

 氷の守護がある限り、私にダメージを与えることはできない。絶対防御だ、何を慄く必要がある。さすがに動揺し過ぎだなと、微笑してから一息ついた。

 

 何かの音が鳴った。

 リリィの前から聞こえた。

 “氷拍の護”からであった。

 何かが崩れた。

 パキパキ、と割れるような崩れる音。

 氷の音。 

 絶対防御の音。

 最強の盾が砕ける音。

 征服少女を守る、氷の護りが────砕ける。

 

 

「喰ウ」

 

 

 それが、リリィの腹を抉った。

 

 

   * * *

 

 

「ふんふふ~ん、ふふ~ん」

 

 森の中で、鼻歌を機嫌よく歌いながら歩く男がいて。

 その男は、右手に何かを持っていた。何かは、時折木や岩、石に枝などに当たりながらズルズルと引きずられていく。当たりながら、と述べたが、実際はわざと当てられているが正しい。わざと木や岩に当てるように、わざと石や枝にぶつかるように、男は右手にそれを持ちながら森を歩いていく。

 それは女性だった。

 アズール代表の、女性だった。退場者でもあった。

 名を、リュネ・ゴーゴン。

 

「しかし、中々釣れないなぁ。キミの仲間はとても薄情だね」

 

 よいしょ、と掴んでいる髪を右に回す。

 回した先には大樹があり、リュネの頭がぶつかって、血が飛ぶ。

 

「普通は血を辿って来るものだろう。いったい何をしているのやら」

 

 そしてまたズルズルと引きずりながら『怪人』は歩き始めた。

 ガン、ゴン、とリュネの身体が何かにぶつかり音が鳴る。二人が歩いた後には血があちこちに付着しており、普通の人が見れば目を覆いたくなるほどの光景で。身体の至る場所に痣が生まれ、腕や足、頭からは出血している。ヒュー、ヒューと微かに呼吸することは確認できるも、リュネは既に、虫の息であった。

 

「あぁもう、面倒だなぁ。さっさと来いよ、まったく!」

 

 力いっぱいに握り締める。髪が引きちぎられ、パラパラと地に落ちた。

 リュネの呻き声に似た苦しみが口から洩れる。それを聞いて、はん、と笑いながら第三極長はリュネの顔を持ち上げた。目は虚ろいながら、しかし強い意思を宿した美しい女性が、ワンラー・ミュンヘンを睨む。

 

「キミらは仲間意識がとても強い。ならば下女であるキミを餌にすれば容易に誘い出せると判断したのだが、上手くいかないものだね」

「ヒュー……ヒュー……」

「小生の推察としては、きっとまだ仲間がいるはずだろう。間違いない。だから教えたまえ。どこにいるのだね?」

「……フフ、ハハハ」

「何がおかしい」

「推察と言っておきながら、間違いないとか言って、しかも最後は私に尋ねるなんて、素敵な推理ですこと。さぞや名探偵なのでしょうね。可哀そうに」

 

 リュネの頭が地面に叩きつけられた。

 僅かにバウンドした頭を無造作に掬い取り、髪を掴んで、無理矢理持ち上げる。

 

「勘違いするなよ下女。貴様は小生の駒に過ぎん。獲物がかかった時は、それはそれは素敵な役柄を用意してやるから、楽しみにしていろ。我らクロネアを敵に回したという罪、その全身をもって償うがいい」

「息が臭いから近づかないで。吐き気がするわ」

 

 その後、何度も地面や大樹に頭をぶつけられる鈍い音が森の中で生まれた。

 無表情に女性を叩きつける『怪人』は、この女をどう使おうか、どう苦しませようか策を巡らせる。そして、ある策を思いついた。

 

「犯すか」

 

 うん、と頷く。

 

「まだ時間はある。“不殺・非公認”の取り決めなれど敗者をどう扱おうかは決まっていない。ならば勝者への褒美として、それぐらいのことは問題ないか」

「…………下種が」

「下女がしゃべるな。さて、逃げられでもしたら面倒だな。両足を折ってから、犯すとしよう」

 

 リュネの足に手を置く。既に彼女は逃げることはおろか、動くこともままならない状態であった。

 そんなリュネの苦しみに満ちた顔を満足そうに微笑みながら、ワンラーは力を入れる。

 その前に。

 『怪人』の右肩に何かが落ちた。

 落ちた、というよりも置かれた。そっと置かれた生暖かい感触に、反射的にワンラーは振り返る。熱いものを触った際に思わず手を引っ込めるような、無意識に出た行動。右へ、顔を、振り向けた。

 

 ワンラー・ミュンヘンの右頬に、憎悪のこもった正拳が叩き込まれる。

 

「ふっばぁ!?」

 

 殴った勢いがあまりにも強かったのか、ワンラーは素っ頓狂な声をあげながら飛んでいき大樹にぶつかった。

 『怪人』をぶん殴ったその者は、殴った相手を構うことなく急いで半死であるリュネの下へ走る。そして彼女の姿を確認すると、優しく、強く抱きしめて……声をかける。

 

「どうして、癒呪魔法を使わなかったのですか」

「私の、魔法は、モモお嬢様の、ものだから」

「それで貴方が不幸になれば、元も子もないでしょう……!」

「うん、かもね。でも」

「わかって……います。それが、付き人というものですから」

「大正解。さすがだね、レノンくん」

 

 顔が痣だらけになっている女性を苦しそうに見つめながら、レノン・オグワルトは彼女の頭を撫でた。

 

「あとは、俺がやります」

「うん」

「おいおいおいおい、何をそんなに盛り上がっているのだね」

 

 二人の後ろに、のっそりと立つ男。

 そっとリュネを地面に降ろし、振り返る男。

 相対する、男と男。

 

「あまり賢いとは言えんね。キミほどであるならば、小生の実力ぐらいわかるだろうに」

「……」

「小生に勝てるとでも、思っているのかい?」

「そういう問題じゃねーんだよ」

 

 レノンは、あまり話さない。

 主人であるシルドに対しても、深く話そうとはしない。彼の性格上、仕方ないことであり、シルドも彼の人柄として受け入れている。

 レノンは、怒らない。 

 彼が怒った時は、シルドでさえも見たことがない。それほど落ち着きがあり、冷静で、物事を見定めることができる人物だ。

 

 しかし彼も人間だ。

 一人の、男性だ。

 だから彼は言う。

 四剣であろう、敵に言う。

 ……小生に勝てるとでも、思っているのか、だと?

 

 

「思うんじゃねぇ、勝つんだよ。────決定事項だ」

 

 

 たとえ敵が、敵わぬ相手であろうとも。

 己の勝利が絶望的であろうとも。

 レノンは行く。

 愛する人が、傍にいるから。

 

 

 

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