アズール図書館の司書 ― その青年は全ての魔法を発動できる。ただし人生で一度だけ ―   作:藤崎次郎

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空の果て

 

 

 

 深く寂しい夜空に揺蕩(たゆた)うは、二つの影。

 一は火花の髪を宿した魔物で、薄く笑って空に立つ。

 一は桃色の髪を宿した貴女で、うつ伏せのまま、紺色の絨毯に伏している。

 

「驚嘆するわ。えぇ、本当に」

 

 フレイヤ・クラメンヌは視線を前に向けたまま、微笑しつつ穏やかに口を開いた。相手の女性は火羽を四方八方より受け、今や虫の息であり失神していてもおかしくない状況である。しかし、そうはならず、今もなお紺色の絨毯が出現しているということは……。

 意識があるのだ。

 しかし動けない。

 されど屈しない。

 ゆえに消えない。

 魔法が消えていない事実は、魔法師の意識がまだあることを意味する。伏したまま、右手をこちらに突き出して大きく開き、綺麗な肌を見せつける。ただ、綺麗な肌はそこだけだった。右手以外の全身には軒並み火羽が突き刺さり、今はもう火羽が消えているにしても、その後が痛々しく残っている。血は諾々と流れ、白く瑞々しい肌は今……鮮血に染まっていて。

 

 ぐったりと絨毯に倒れている貴女。だが右手だけは魂の表れか、グッとフレイヤへ向けられている。

 その開かれた美しい肌色なる右手を愛おしそうに見つめながらも、終始笑顔のまま、第四の極長は言葉を紡ぐ。相手の魂を……じっくりと観察しながら。

 

「微動だにしない動きは『覚悟』の表れ。今も意識があるのでしょう? 私が油断して近づいてきたその時、先に貴方が言っていた“灼撃の赤”とやらを叩き込む算段なのでしょうけど……。そうはいかないわ、私は勝たなくてはいけないから。えぇ、終わりにしましょう」

 

 決して目を逸らしてはいけない。一瞬でも逸らせば、相手が何をしてくるかわからない。覚悟を決めた魂は相応の動きを肉体へと連動させる。過去の経験からもそれは立証済みで、十二分に理解しているからこそ、相手に心からの賛辞があるからこそ、フレイヤは手を抜かない。

 指を鳴らす。

 現れるは紅蓮の布。

 往々に巻き付き巨大な柱のようになって、照準を、一人の女性へ。

 

「……」

 

 最後の言葉は口にしなかった。もう充分に言葉を交わし、これ以上のものはないと悟ったためだ。視線は変わらず敵の右手へ向けられている。少しでも動きがあればこちらも動けるよう準備をし、一片の油断もなく相手を倒す。その極地なる攻撃を、火花なる女性はしたのだった。

 油断などない。だから、これまでの流れにおいて、フレイヤの行動は何一つ間違っていない。

 ただ、もし、もしもだ。

 間違いがあったとするなるば。それは────。

 

 

「“迷牢(めいろう)の肌”」

 

 

 “肌色”を見ていたことであろうか。

 敵の提示した右手を見続けてしまったことだろうか。

 フレイヤ・クラメンヌは鳥へと戻った。

 本来の姿へと強制的に成る。

 ……否、成らされる。

 

「ッ!?」

 

 自らが発動した火の布も消え、人叉魔術も解除され、あるべき姿の自分がいた。何故こんなことが起こりえたのか。相手の魔法だとしても、魔術を解除する魔法など聞いたことがない。だが、事実としてそれが起こりえて。そこまでフレイヤが考えた時。

 答えが提示された。

 視界一面が、濁り水のように、びちゃびちゃに入り乱れたのだ。

 つい先ほどまで見えていた世界が全く見えない。眼球が溶かされたかのように機能しない。

 しかも視界だけでなく、頭の中まで牢獄に迷わされたかの如く、グニャグニャと崩壊を始めたのだった。つまりは思考がまとまらなくなる。考えること自体を強制的にすり潰される。自分が今どこにいるのかすら、たった数秒で──わからなくなった。相手の肌を、ただ見ていただけで!

 

「私の心を!」

「そう、少しだけ破壊したの」

 

 背中に何かが当たった気がする。衝撃で身体が跳ねるも、その後は何も起こらずその場で静止した。

 崩壊する思考の中で、フレイヤは必死に考える。おそらく今、自分は鳥となったまま空中で落下していたはず。であったのを何かに当たり、自分が止まったということは、空中で情けなく「それ」に停止させられているということである。完全な無防備のままで。

 全力で魔術を行使するも、全く発動できる気配がない。今も頭、視界、精神までもが、迷宮なる牢獄に閉じ込められている。どこからか声がした。体力が消耗しているものの、強い意志を感じる声色……!

 

「発動条件は極めて難しくて、一定時間相手を肌色に注視させること。今まで一度たりとも成功したことがなかったから、色の中でもお払い箱になっていたのだけれど。愚かね、術者の私がそう思っているだけで、活かす方法はあったのだから」

 

 相手の手が、フレイヤの「腹」で何かをしている。

 書いている?

 描いている?

 数分前に見せた爆撃の一撃ではなかった。なにか、こう、あれよりも……、比べ物にならないほどのおぞましい「何か」をしていると感じた。魔物としての予感が確信へと変わる。マズい。これ以上は、マズい。次の手まで打たせたら、とてもじゃないが自分であっても防ぎきれない攻撃がくる!

 敗北の陰が、自らの後ろにいるのを感じた。すぐそこまで、這い寄ってきている。

 

 危機的状況に陥った際、何を思うか。それは人であろうと魔物であろうと千差万別で相違ない。何も考えずにただ呆とする者、可能な限りこの危機を逃れようと策を巡らせる者、諦める者、別の何かを考える者……。迫る危機が強大になればなるほど色濃く出る反応の度合いは、まさにその者が歩んできた人生の集大成ともいえるだろう。

 この時のフレイヤは、自分のことを考えなかった。

 考えなかった、というよりも勝手に脳内でよぎったが正しい。グチャグチャに入り乱れる思考の中で、蒼髪の男性ではなく、一人の女性の後ろ姿が見えた。金髪で、王女な、親友とも言える間柄の女の子が見えた。彼女は決してこちらを振り返ることなく向こうの方を見ている。そして一歩ずつあちらへ歩き始める。一人で、ただ孤独に。

 まるで、このまま放っておけば確実に手の届かない場所へ行くかのようであった。

 

「シェリナ!」

 

 全身を魔力の素が高速で循環し、目覚めさせる。

 迷なる牢獄から脱出し、火で水を消すかの如く、びちゃびちゃになっていた視界の邪なるものを蒸発させ、元ある世界へと……帰還する。“迷牢の肌”を打ち破ったのだ。

 

 意識を覚醒させた『妃人』が見たものは、真っ暗な空だった。精神を揺るがされたことにより魔術は解除され、後は落ちるだけである。けれど、落ちている時におそらく相手の魔法師は黒い壁をフレイヤの背中に発動させ、一時的にその場へ留まらせた。そして、何かを腹に書いて────?

 自身は今、落ちている。空を見上げながら落ちている。

 黒い壁はとうに消され、ただただ落ちるだけの鳥。

 視界に映るのは広大な夜空。そして、夜空の中に、桃髪をした女性も一緒に落ちながら……上空からこちらを見据えている。瞬間、腹に違和感を覚える。

 気づいたと同時、フレイヤの腹が薄く光って、腹に描かれていた灰色に光る印がペリペリと剥がれ、モモ・シャルロッティアとフレイヤ・クラメンヌの中間に移動する。

 今や上から順に、モモと、印と、フレイヤが落ちながら不可解な立ち位置を維持していた。されどその時間は、僅か二、三秒程度のものでもあって。

 

「…………」

 

 理解が追い付かない。目に映る光景を見続けるしかない。

 刹那とは言えなくとも、圧縮された時の中で……『妃人』は見ることになる。

 灰色の印は奇妙な形をしていた。まず大きな丸い円があり、その中に四角があって、さらに四角の中にひし形も描かれ、最後に手形があった。随分と滑稽な印ではあるが、それが何故自分の腹に描かれて、さらには今、相手の魔法師と自分との中間に浮き出ているのか。

 答えを探る余裕など訪れず、淡々と魔法は発動する。

 灰色なる印が、金色の光を輝かせ、光明たる印の中より…………、のっそりと、“砲筒”が現れた。

 

「──ッ!!」

 

 狙いは勿論、自分である。

 されど動ける時間も、抵抗も許されなかった。

 モモの継承魔法“ファベリア──色帝の命”の中には、条件を達成しなければ発動しない色がある。先の“迷牢の肌”がそうであろう。モモが提示する肌色を一定時間(正確には二十秒)見続ける必要があり、戦闘向きとは到底言い難い。そもそもこの魔法はモモが何者かに拉致され、相手が自分に乱暴しようとした際に発動するため編み出したものである。ただ、もし戦闘中に自分が提示した肌色を相手が食い入るように見つめていたのなら……話は別であった。

 

 そして、肌色と同じく条件付きの命を宿したものが、灰色である。相手の身体に直接印を書き込むことで発動する魔法。けれどこれは実に難儀で、丸、四角、ひし形、手形まで描き込まねば発動できない。肌色と同様、戦闘ではなく巨大な障害物などを破壊するために作られた色である。条件が厳しくなればなるほど威力は増す。アズールに数多ある魔法にも条件が必要なものもある。そのどれもが、達成できれば強力な魔法と化けるものだ。

 

 モモもまた、最後の言葉を口にしなかった。

 代わりに告げたのは、合図となる魔法の名前。

 

「“虚号の灰”」

 

 灰色なる砲筒を通り抜け打ち出された一撃は、寸分の狂いなくフレイヤの腹に命中する。

 第四極長が意識を取り戻してから、五秒後のことである。彼女にとっては三十秒以上にも感じたけれど、実際はほんの数秒。シェリナへの想いで得た覚醒は、肌色の魔法を打破するまでは至ったものの、次の一手を打ち砕くことまでは……叶わなかったのである。

 

 穿たれた魔法は、敵に魔術を行使する暇すら与えず存分に威力を発揮して──獲物を呑み込みながら、地面へと到達した。

 衝撃音が周囲に轟いた。

 轟音が林を疾走する中、魔法も発動させずに落ちていくモモは、消えかかる意識の中で、不意に遠くの山を見る。視線の先にあるのは……、鯨帝がいる場所だ。彼女の想い人が戦っている舞台でもあろう。同時、横で電子版が出現する。ちゃんと自分が倒せたか確認したいが、残念ながらそれをする余裕すら、画麗姫には残っていなかった。

 

 ふと……モモは思い出す。一年前、蒼い髪をした青年が第一試練のために空洞と化した本湖へ身を投げた時もそうだった。自分は待つだけの側だった。ただひたすらに、帰ってくるのを待つだけだった。今もそうだ。願うしかない。想うしかない。この身が裂けそうな不安の中で、やはり自分は待つしかないのだ。

 

「“絨、布の……紺”」

 

 何とか魔法名を口にし、紺色の絨毯を出現させる。されど意識朦朧で発動させた魔法は、やはり存在を確かにできず、魔力の欠片となって消えていく。それでも術者を優しく乗せて、消える中でも安全な場所へと運んでいく。まるで主人の奮闘を敬服しているかのようでもあって。

 既に彼女の目は閉じられている。身体中から痛みが走り、疲れの波が全身を覆った。

 それでもモモは笑っていた。痛みなど、疲れなど、待ち続ける側からすれば些細なものだ。いやはや本当に、私を待たせるとは、なんという男だろうか。何様だ。帰って来た際には、うんと愚痴を言ってやらねば。どれだけの激闘を繰り広げたか、うんと話さねば。

 そして「おかえり」と伝えねば。

 伝えた後に、抱きしめてもらわねば。

 割に合わないものであろう。

 そっとモモは、涙を流す。

 

 

「会いたいよ」

 

 

 そうして少女は眠りにつく。直後に電子版が出現し、眠りについた女性の名をそっと消した。

 夜空に舞ったのは二人の女性。華は大いに咲き誇り、美しくも儚く散った。

 散りゆく最中に願うもの。星に願うは意中の相手。

 果たして星は叶えるのか。わかる者は……、誰もいない。

 

 

 アズール側、残り四。

 クロネア側、残り八。

 

 

   * * *

 

 

 更にそれから数秒後、新たに電子版が出現する。

 前半戦とは真逆の、矢のごとく展開する後半戦。

 新たに消した数は、二名。

 その、者の名は────。

 

 

 

 

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