アズール図書館の司書 ― その青年は全ての魔法を発動できる。ただし人生で一度だけ ― 作:藤崎次郎
両の眼球は抉られ、右腕と左肩、あばらを破壊された。
使えるのはもう、足だけ。……右足で地面をトントンと踏み、首を左右に軽く回す。ジン・フォン・ティック・アズールの数秒にも満たない流れであった。
電光石火の如く、“三傑”の眼前に現れて。
勢いそのまま回し蹴りを放ち、続いて連撃を加えた。敵は呆れ顔でそれを受け、無傷のまま右手に力を込めて思いきり振り上げる。されど、もはや速度ではジンの方が上であり、相手の振り上げを難なく交わし……敵の右目に、足のつま先を的確に抉り込んだ。
「さぁて?」
容赦のない一撃を叩き込んだ後、俊敏に後方へ下がる。ジンの視界に光が戻ることはないが、“ルカ・イェン ── 魔統”のルカ操作により相手の姿かたちは認識できる。今、敵は自らの右目を手で覆い固まる……も、直ぐに離して。
笑う。
無傷であった。
むき出しの眼球目掛けて蹴り込むも無傷。
魔術によって肉体を鋼以上の強度にするよう改造している──のではなく、桁外れの魔力で全身を完璧に包み込んでいる。ゆえに肌にすら触れられない。そうジンは理解した。となると肛門から直接腸内を破壊しようと試みても無意味である。次はケツを貫通してやろうと目論んでいた彼にとって、やや残念でもあった。
「絶対防御ねぇ……」
確かに、三傑クロネア代表と言われることはある。今のままで戦えば勝ち目はない。……だからどうした。決して諦めないのがジンである。彼の人生は不屈そのものだ。どんな困難であろうと、意志を貫き続ける。
魔(ルカ)を操作して、横たわるシェリナ王女を感覚で視た。実際にどんな顔をしているのかまではわからないが、顔面を何度も殴打されたのだ、もはや女性として死を選びたくなるほどの外傷であろう。ただ、生きてはいる。癒呪魔法の使い手であるユミリアーナ・アシュランかリュネ・ゴーゴンに早く見せないと、傷跡が残るかもしれない……。
それ以上に酷なのが、憲皇の最上階にいたルーゼン・バッハだ。もう、長くないことは彼を見た瞬間に悟った。不殺の取り決めである戦争で、シェリナの傍に置いてやるのがせめてもの救いであろうか。戦争を起こした者として、この第三者の介入は断じて認められないものである。責任として、奴を殺すのは自分しかいないと改めて感じる。
“あいつが帰ってくる”場所を用意しておくためにも、自らの命を犠牲にして、目の前の障害を……打ち破る。
「考え事は終わったか? なら行くぞ」
「はぁ? 何を流暢に待ってんだ。さっさと来い」
まるで壁が迫ったかのように、分厚い体躯の男が特攻する。その図体からは考えられない速さをもって、直ぐにジンとの距離をゼロにし、ニンマリと笑って両腕を振り下ろす……!
俊敏な動きで腕撃を避けるも、衝撃は凄まじく、地面が叩き割られ石粒が弾け飛んだ。さらに、敵はジンの避けた先に移動していて──、舌を出しながら獲物を思い切り殴り飛ばす。……が、それは起こらず。レイヴンの太い腕に、紫色の鎖が一瞬で絡み取った。
「あ?」
「“束縛の紫”」
鎖は目にも留まらず速さで腕や身体に巻き付き、三傑を樹木へ投げ飛ばす。
ミュウとジンが驚く前で、画麗姫と呼ばれる貴女が降り立つ。隣には第四極長『妃人』フレイヤ・クラメンヌもいた。「モモ!」と叫ぶミュウに笑顔で応え、直ぐに険しい表情となって敵を睨む。
「あの人が三傑だったのですね」
「画麗姫。説明する必要はあるか」
「ありません。『妃人』から相手の情報はおおよそ聞いています。ありえない魔力を感じたので、急ぎこちらへ来た次第です。ジン王子」
「何だ」
「逃げの選択肢は」
「ない。それも説明する必要はないな」
「えぇ」
「なら命令する。お前だけでも」
「逃げません」
「……お前に何かあったら、俺はあいつにキレられるんだよ」
「お構い無く」
ジンたちが今ここで逃げても、残りのアズール人が殺されるだけだ。全員で奴から逃げながら生き残るなんていう、甘えた手段はない。クロネア人の者らが協力してくれるかもしれないが、やはり彼らを見殺しにするだけであろう。
時間がない。今ここで何かを考え、時間を浪費しても他の仲間が集まって来るだけだ。そうなれば皆殺しにされるのは必至。今ここで、討つしかない。
「シェリナ……?」
フレイヤは王女を見た。
『妃人』も王女と同様、レイヴンが三傑であると知っている数少ない者の一人である。先刻、今より少し離れた場所にいたが、異常なる魔力を憲皇の最上階から感じた際、奴が来たのだと直感した。まさかこの戦いに参戦してくるとは予想外であった。シェリナから「極力、奴との関わりを禁じてほしい」と言われていた相手だ。
初めて見た際、魂を直視できないほど気色悪かったのを覚えている。ただ、そんな奴であっても、あくまでクロネア王家に仕える身。王女の決定に歯向かうなど常軌を逸している。どこまで狂った傀儡なのだ。急ぎ向かわねば、我らが王女が危ない。
「シェ……リナ?」
シェリナ・モントール・クローネリの顔は、見るも無残なものに成り果てていた。
最初、彼女と認識できなかった。
殴られた顔面は腫れ上がり、骨も出ていて。
ふっ、ふっと、何とか口で息をしている。
電子板が現れていない以上、意識もあるはずだ。
……しかし、生きているのか確認するのを躊躇するほどの、親友の姿がそこにあった。フレイヤの髪という髪が……燃え上がる。
「レイヴン・バザード」
「あぁー、お前かメス鳥。邪魔だ、さっさとそこの出来損ないを連れて離れていろ。アズールどもを殺すのが先だ」
「貴様、シェリナを」
「んぁ?」
「シェリナを」
「あぁ、その顔面か。安心しろ教育だ。見りゃわかんだろ死んじゃいねーよ。ハッハァ、仮に死んだとしてもだ。クロネア王がいるから問題はない。──次のを産ませればいい」
辺り一帯が紅蓮一色になるほどの炎に包まれる。
三傑は手で火を払いながら、面倒そうな苛立ちの表情をする。「こいつも処分だな」と小声で言った。第四極長は鮮やかな緋色の鳥と成る。身体から溢れる炎の質は、モモと戦っていた時とは明らかに違い、触れる者全てを焼き殺す意志を宿していて。
嘴から爆炎を咆哮した。
周囲が火で覆われる中、アズール王子と貴族令嬢は言葉を交わす。
「画麗姫。あいつの魔術はこちらの攻撃を全て防ぐ。まず勝てん」
「ただし」
「魔術を発動している限り、だ」
「私の魔法に癒呪魔法の呪いに類した“色”があります」
「それを使えば魔術を一時的に解除させられるか」
「それで『妃人』に勝ちました」
「よし」
短い言葉を重ねる二人。やり取りは十数秒程度であった。
会話が終わるや否や、大骨を完膚なきまでにブチ折った狂音が轟く。二人の視線の先に、背骨を折られた美しい鳥が……崩れ落ちる。地面に落下した瞬間、周囲に広がっていた炎もまた消失した。加勢する暇すらなかった。ただ、フレイヤが稼いでくれた十数秒を、決して無駄にしないと二人は心に誓う。
奥から男がやって来る。
無傷。
あれだけの殺意を孕んだ炎を喰らって、服すら汚れていない。身体だけでなく服もまた魔術の領域に含まれている。
「悪いな、待たせたかアズールども」
「同じクロネア人にも容赦ねぇのか」
「当然だ。あのメス鳥も使えんな。まったく、クロネアの将来が不安だ。どういう生き方をしてくればあんな蛮行をするのやら」
「醜い生き方しか知らない人には、わからないことでしょう」
そう言って、モモは右手を開き相手に突き出す。
不可解な行動をしている桃髪の女を見ながら、レイヴンは目を細める。随分と整った顔立ちをしていると思いながら、彼女も以前自分に会いに来た一人だったのを思い出した。こそこそとクロネアの歴史を探る盗人程度にしか思っていなかったが、なるほど、挑発も安っぽい。
自分と戦う女には決まって顔を殴るのがレイヴンの趣向だ。また、アズールどもはそれだけじゃ済まないようにしようとも思っている。とりあえず手始めは……眼前にいて、生意気に右手を突き出している女であろう。念入りに、顔を殴ろう。
「女、まずはお前からだ」
「わざわざ名指しするなんて、どうしてそこまで気持ち悪い性格をしているの? わざと? 理解に苦しむのだけれど」
「挑発が安いな。もう少し勉強しろ」
「愚かね。──事実を言っているだけよ」
言葉が終わると同時、レイヴンが前へ出る。
タイミングにしてジャスト二十秒。モモを見ていた。モモの肌を見続けていた。“迷牢の肌”発動条件が成立する。
「“迷牢の肌”」
「……?」
ふらりと、前へ踏み出した足が揺れ、崩れる。「呪いの魔法か」と三傑は笑う。視界に映っていた光景が濁り水のように、びちゃびちゃに入り乱れる。そんなレイヴンに対して……アズールの次期王は、大きく息を吐きながら力強く足を地面へ叩きつけた。
「いくぞ」
瞬間、森一帯が、地面が、空が、空気すら、薄く光った。それは粒子状になっているルカの輝きであり、ジンの支配下に置かれたという証でもある。驚くべきはその範囲であり、始める前にシェリナと決めた選抜集団代理戦争の舞台となる森林を丸ごと範囲として指定した。
ルカは薄く光る形となって現れ、続いてジンの前に光速で集まっていく。
眩しいほどの光を放ちながら、集まり重なり、徐々に一つの球体へと変化していく。さらに球体は小さくなっていき、掌に乗る程度の大きさとなった。
「まだだ」
歯を食いしばり、全神経をそれのみに集中させる。
ジン・フォン・ティック・アズールの魔力を一滴残さず球体へ連動させていく。本来ならば危険領域に踏み込むほどの魔力を使えば、身体が強制的に気絶してしまう。しかしジンの場合は気絶など容易に飛び越える。
彼の心が、魔力を通して球体へ注がれていく。
失敗すれば死だ。自分だけではなく、ミュウも、画麗姫も、他の者も、親友も、殺される。
あってはならない。認められるか。これまでどういう人生を送ってきた。全てを自分自身で決め、乗り越え、達成してきたはずだ。ならば今ここでの困難もまた、必ず乗り越えることができるはずだ。……いや、できるじゃない、乗り越えるのだ。俺が決めたのなら、俺が決めたのだから、やり遂げるだけだ。
「“あいつが帰ってくる”場所を、用意してやるのさ」
そこから先は。
時間を圧縮した世界。
レイヴンが立ち上がった。
同時、彼の前へ。
ガラス玉ほどの球体が浮き。
自然と球体へ視線を向ければ。
そこへ。
アズールの王子が。
全身全霊なる情念を込めた魔力を右足に宿し。
命を捨てる覚悟を持って。
想いを貫く覇道を持って。
親友の帰るべき場所を守るために。
全魔力を捧げた、アズールの生き様を────。
「失せろ」
咲かせた。
……。
…………。
それから数十秒後。
彼らのいた場所の周囲に生えていた樹木は、今やほとんど残っていない。
破壊の波が、容赦なく木々を粉砕してしまったからだ。
そんな何もない場所に、二人の影があって。
一人の男は、倒れている。
一人の男は、立っている。
倒れている者は全身からは血があふれ、身動き一つしていない。
生死の間にいるかのような状態だ。
瀕死である。
その男の名は──、ジン・フォン・ティック・アズール。
対し、彼の前に立っている男は。
「眠いなぁ」
無傷。
三傑がジンの足を掴み数歩移動して、まだ樹木の生えている場所へ投げ捨てる。
「まぁ悪くはない作戦だった。呪いの魔法で精神を揺るがし魔術を解除させ、その隙に渾身の一撃を打つ。だがな、俺は『生まれた時から今まで魔術が常に発動している』魔術師だ。精神が揺らごうが独立して魔術は発動されているんだよ。三傑と呼ばれる所以は、今まで一度たりとも傷を負ったことがないからだ。無敵なのさ」
話しながら三傑はミュウのところへ向かう。対しミュウは精一杯の中級・創造魔法“三十なる娘箱”を発動する。敵を三十に及ぶ箱の中へ閉じ込める魔法である……が、まるで紙の壁を突破するかのように三傑は破壊してきた。その破壊してくる僅かな間に、ジンのもとへ走り、彼の身体を見る。
……生きている。電子板が出現しない以上、まだ意識はあるはず。
死んでいてもおかしくないが、かろうじて……?
しかしもう、彼の魔力はほとんど感じられない……!
もはやジンの意識は燃える糸だ。いつ切れてもおかしくない。
「よぉ」
後ろに、三傑がいて。
敵を見たと同時、ミュウとジンの二人に腕撃が振り下ろされた。
「“赤”!」
真横からモモの赤色が発動され、ギリギリ間に合い、攻撃を逸らした。敵の攻撃を阻止したモモは、地面に着地しミュウを見る。
言葉はなかった。ただ互いを見ただけ。それだけだった。一秒程度の間隔なれど、モモの瞳からは……最後の想いが込められていて。
「“絨布の紺”」
紺色の絨毯がミュウとジンをスルリと抱え──。
疾走する。
主人を乗せずに。
二人だけを抱えて森を駆ける。
「モモ!」
名を呼び、自身が今すべき最善の行動は何かと必死に考えるミュウ。
……どうすればいい、どうすればいい! このままだと数秒でモモは殺される。殺されてしまう。駄目だ、そんなの、それだけは絶対に駄目だ! しかし逃げなければジンが殺される。アズールにとってジンの存在がどれだけ大事なことか……! だとしても、モモが!
ミュウ・コルケットの横を──
何かが通り過ぎた。
直後、樹木と何かの衝突した歪な重音が響く。
続いて、“絨布の紺”が急速に速度を緩め、消えた。あまりの消える速さについていけず、ミュウとジンは二人して地面に転がり落ちる。起き上がり少し離れたジンを見ると、微かに目を開けていた。……よかった、無事だ。しかし今、横を通り過ぎたのは──?
「さっきのは……」
視線を向けて。
「……」
固まる。
「……うそ」
樹木の下に、桃髪をした女性が倒れていて。
頭から血があふれ出し、地面へ広がっていく。
ピクリとも動かない。どう考えても……生きているとは思えない。
「…………モモ? ッ! 返事して!」
「まぁ、あれだな。お前ら最大の敗因は最初から逃げなかったことだ」
「モモ! ねぇ、お願い!」
「最初から全員を人柱として俺に戦わせ、ジン・フォン・ティック・アズールだけを逃がすことに特化していたのなら……。万が一にもありえんが、王子だけは助かっていたのかもしれんなぁ。だがもう無理だ。全員死ぬぞぉ。今から死ぬ。俺が殺す」
「返事して! モモ!!」
「無視はよくねぇぞ。なぁ?」
三傑はミュウの前へ現れる。何とか攻撃の魔法を発動させようとするも、それよりも早く足を掴まれた。そして、動けないようにするためか、両足を複雑に折られる。さらにその足を持ち上げられて、アキレス腱の部分を両手で掴み、腱だけを……切られた。
悲鳴と絶叫が共鳴し、泣き叫ぶ彼女を笑いながら投げる。ジンとミュウが重なって、苦痛に歪むミュウはうめき声をあげた。痛くて悔しくて悲しくて、どうにもならない現実への嘆きが、口から洩れる。そんな彼女の頭をジンが手で探し、優しく撫でた。その撫で方は今までにない優しさで、思わず瞳から……涙が零れる。
「ごめん、ごめんね……ジン」
「ミュウか? あぁ、どうした」
「私。私ね。もう、もう、歩けない」
「……。そうか。あぁ、歩けないか。俺も目が見えなくなってな。そこにいるんだよな」
「うん」
「でも、これで解決だ」
「え?」
「ミュウが俺の目になってくれ。代わりに俺が、ミュウの足になるからよ」
「……」
「そしたら、二人で一人ってやつさ。なぁに、一生離れることはないんだ。悪くないだろ?」
それは。
それは、ずっと傍にいて欲しいという願いの言葉。
一つの正式な申し込み。
一生を傍にいようという……結婚の申し込み。
「うん、うん。ずっと、傍にいたい。ずっと、ずっと、一緒にいたい」
「なら、これからもやっていけるな」
「いやいや、大したもんだお前ら。普通そこは泣き崩れるところなんだがなぁ」
二人のもとへ三傑が現れる。観賞用の動物を見るように、楽しそうに笑っていて。
そろそろ残りのアズールも戻って来る頃合いか、とレイヴンは顎を撫でた。できたら、目の前の二人は残りの奴らが戻って来た瞬間に殺したい。となれば、最初に潰すのは……先ほど自分に安い挑発をしてきた、あの女だ。
「さて、お前の方は用済みだな」
「……」
「ハッハァ、頭がパックリいってやがる。こりゃ駄目だな。死んでるだろうが、まぁ一応トドメは刺しておかないとな。やっぱ弱いなアズールどもは」
モモの華奢な身体を無造作に持ち上げ、品定めするように見た後。
楽しそうな笑みを浮かべて、モモ・シャルロッティアに語り掛ける。聞いているかはどうでもいい、ただ言いたかったから口にするだけ。
「本来なら子宮をぶっ壊して、あえて生かす方法ってのもあったんだぜ? 子供を産めない身体で、一生を生きていくってな。知ってるか? 子宮ってのは何回か殴ると蛇口を捻った水みてーに股から血がドバドバ出るんだ。コツがいるんだよ。だがまぁ、一人で俺の前に立ったことは誉めてやる。だからな、顔を殴らずちゃぁんと殺してやる。喜べ。じゃあな」
モモが、薄っすらと目を開けた時。
身体は宙に浮いていて。
何も考えられない状態だった。
ただ、自分を投げた男が下で、拳を握り待ち構えているのは何となくわかった。
死ぬこともわかった。
「────」
ジンとミュウが何かを叫ぶ。
しかし、モモの耳に彼らの声は届かず。
ここで自分は、終わることを悟った。
絶望的なまでに敵は強かった。
戦争。
確かに、これこそが戦争という無慈悲なものであったのかもしれない。
援軍は、来ないだろう。
仮に来たとしても助からない。
来てほしくない。
皆、殺されるから。
どう足掻いても自分たちが勝てる相手ではない。
アズールかクロネアの三傑代表ぐらいしか、こいつには勝てない。
笑った奴の顔が醜い。
モモの意識が、再び遠のいていく。
そんな中、彼女が思うは……一人の男性。
きっと今頃、第二試練を終えたであろう蒼髪の青年。
どうか願わくば、想い人がここへ来ずに遠くへ逃げてくれますように。
その際、皆も一緒に逃げてくれますように。
そして最後に。
また彼に会えたら、どんなに嬉しかったことか。
この気持ちを、想いを、伝えたかったのに。
……ずっと一緒に──。
* * *
「クソが。どうなってやがる」
レイヴンが振り上げた拳は、相手を木っ端微塵に吹き飛ばした。
ただし、それは木片であって。いつの間にか、モモと木片が入れ替わっていた。ジンとミュウがその様子を見ながら言葉を交わす。
「ミュウ、どうなった!」
「え、と。モモと木片が入れ替わったみたい」
「は? 誰の魔法だ」
「わからない。陣形魔法だと思うから、イヴかレノンくんだと思うけど」
周囲を見渡すレイヴン。しかし誰もいない。
近辺には焦土と化した地面に、少しだけ生えている樹木、横たわっているシェリナ王女とフレイヤ、そしてジンとミュウだけである。もう少し範囲を広げれば、大きな樹木がグルリと周りを囲んでいる。それ以外には何もなく、誰もおらず、気配すらない。随分と遠くから発動された魔法であった。ならば遠距離からの攻撃で来るか……と三傑が考えた時。
異変が起こる。
何やら、地面を引きずる音がレイヴンの後方より聞こえた。
反射的に後ろを振り返ると、奇妙な光景が飛び込んできて。
大木の群れが。
一本いっぽんが大地からの栄養を吸って立派に育った大木の群れが……動いているのだ。
「あぁ? はぁ?」
ある樹木は右へ。ある樹木は左へ。
それぞれがズズッ、ズズズと移動している。まるで、遠くから来る誰かに道を譲るようであった。間違いなく、自然魔法である。
「ジン」
「あぁ」
ミュウが言い、ジンも頷く。
陣形魔法を使い、自然魔法を使う。今発動させている自然魔法も、目立とうとしているのではなく、抱きかかえている女性にこれ以上の負担を強いらせないよう、歩くことで伝わる刺激を最小限にしようという、魔法を発動したアズール人の配慮である。
「……」
レイヴンは黙って視線の先を見つめていた。何故見つめているか、理由は彼にもわからなかった。わからないのに、身体が動こうとしない。言いようのない複雑な心情が、小さくうごめく。樹木は各々が左右に動き、道を譲り、そこには一つの道が出来上がっていた。
そして、その向こうから。
光が見えて。
緑色に光る、不思議な明かり。
瞬間、言いようのない「何か」が、三傑クロネア代表の全身を駆ける。
思わず息が止まった。直ぐに戻るも、自分の胸に手を当てて混乱する。何が起こったと、目を上下左右に走らせて状況を確認しようとする。そんな一連の行動自体が彼にとって、初めての経験であった。
「なんだ」
不意に言葉が漏れる。
漏れた言葉は誰にも向けられていなかったが、次第に向けられることになる。たった一人の男へ、向けられることになる。
そして。
そして──。
そして────。
「なんだ……お前は」
“あいつが、帰ってくる”。