アズール図書館の司書 ― その青年は全ての魔法を発動できる。ただし人生で一度だけ ― 作:藤崎次郎
「おかえり、青少年」
「……どうも」
「ちょっとは成長したと思ったが、私如きの色仕掛けで簡単に捕まるとは。初めて青少年がここへ来た時と同じじゃないか。うん?」
現在、僕は目の前の司書に紙でグルグル巻にされている。
悲しくはあるが、まんまとやられたと言わざるを得ない。あのステラ・マーカーソンがあんな可愛い笑顔で来ることなどありえないのだ。もうすっかりと忘れていた。ただ、こういったやり方をステラさんなりの「歓迎」でもあると、弟子の僕は知っている。
「本題に入っていいですか」
「下の中。もう少し遊ぼうよ」
「どうしても『結果を知りたい』のです」
「……うん。ふふっ」
意地悪く、でも楽しそうな笑み。鼻歌交じりにステラさんは魔法を解除し歩き始めた。僕も追うようについていく。
先の魔法含めて彼女はとても気まぐれで、思ったことを適当に言い相手を疲れさせたりする。正直戸惑うときもあるけれど、そんな半纏の女人に魅力を感じてもいる。一般人にはない面白い性格の持ち主だし、いかにも彼女らしい言動は一緒にいて飽きないからだ。
なにより、ステラさんの数々の助言に何度も助けられている。
彼女の助けなしに、クロネア図書館の謎を突破することはできなかったのだ。とても素敵な方だと思う。変人だけど。
「ここだよ」
連れていかれた場所は、見知った部屋。
こじんまりとした書斎。本棚が部屋を囲み、奥にはちょこんと机が一つ。相も変わらず山積みになった書類や本が乗っていて、以前来た時と変化はないようだ。「以前来た時」とは、まさしくここで「第二試練を選んだ時」だ。
第一試練に合格後、ステラさんにグルグル巻きにされ、祝辞を述べられてここへ案内された。そこで好きな本を一つ選んでいいと言われ、手に取ったのが「ブロウザの大冒険」である。
同時に、第二試練が決まった瞬間でもあった。本を持ちながらステラ・マーカーソンから口に出た言葉は「他国の図書館の謎を一つ解明しろ」。いやいや、どうしてあの本からそんな試練を告げたのだと、今でも笑ってしまう。まるでこの本の正体を……。
正体を……?
……。
──ッ!?
「今頃気づいたのかい。中の下だよ青少年」
「知っていたのですか。ブロウザの大冒険がだだの絵本ではないことを」
「もっと考えなさい」
短く、鋭く告げられた。
何を考えればいいのか。
先から彼女は僕に背を向けたまま動かない。渡したブロウザの大冒険を書斎の奥にある机へ置いている。
考えろ、僕は今どこにいる。第二試練を決めるため訪れた部屋だ。この部屋には本が本棚に所狭しと並べられている。一つひとつがみっちりと、何故か外から隔離されているように……。
瞬間。
一つの仮説が生まれた。
同時に、納得した。何故ステラさんがこの部屋へ僕を案内したのかを。そして何故彼女はブロウザの大冒険の正体を知っていたのかを。仮説の証明は必要ない。僕がこの手で実現してきたからだ。だから、説明不要で答えのみ提示した。
「この部屋は『未練を持った本を集めた書斎』です」
「上の上」
「第二試練は『その本の残す未練を解決する』試練」
「上の上」
「そしてここへ来て、本の未練が解決したか……確かめる」
「素晴らしい」
上機嫌にアズール図書館の司書はこちらを向いた。
顔から大正解だ、と小躍りしそうな表情をしていて。
「数多ある本には未練を残したものがあるのだ。書き手の想いがそのまま本に移り、されど決して解決されずに終わった本。青少年、“導き銀河”という魔法を知っているかい?」
「はい」
数ヶ月前、モモへプレゼントを買いに行ったことがあった。
エレガルド宝石店と呼ばれるそこは、様々な宝石を扱っており、僕はそこで一つの指輪を選ぶことにする。その際、店主のラジル・エレガルドさんが発動した魔法こそ“導き銀河”である。
発動すれば対象のものに霊魂を、つまりは意思を宿らせることができる。一時的ながら、これのおかげでえらい騒ぎになったものだ。
「その“導き銀河”により意思を宿した本の中で、特に強い未練を残した本たちをここへ集めている」
「……」
「彼らはいつか、自分たちの未練を克服してくれる者が現れるのを待っている」
「それを第二試練に?」
「アズール図書館の主が決めたことだ。私もここで第二試練を選んだよ。もう死ぬほど苦しかったのを覚えている」
何の試練だったのかは聞かなかった。
きっと僕と同じように相当な情念を宿した本が課す試練なのだ。並大抵の努力では解決できない。
「まぁ、その中でも青少年が選んだのは最上級の試練だと言えるだろう。ぶっちゃけ私では無理だ」
「謙遜ですね」
「いいや、謙遜じゃない。運命だよ、私の時もそうだった。ここにいる本たちは、ずっと待ち望んでいるのだ。まず解けないであろう我々の未練を、解決してくれる者がきっと現れてくれると」
「……」
「だからせめて、試練を選んだ者にはいくつかの助言を授けるのさ。私が青少年にしたようにね。それでも最上級の難易度に変わりはない。解けないことだって、あるのさ」
「ただ、僕はこの本を自分で選びました。本たちが選んだわけではありません」
「言っただろう? 運命だと」
ステラさんの声に応えるように、ブロウザの大冒険は宙に浮いた。言われてみれば、かの本は初めてここへ訪れた際、ちょうど視線の真っ直ぐ先にあった。選んだ理由は特になく、良く言えば直感で、悪く言えば適当だ。
「“導き銀河”で強い未練の本を集めたと言っただろう? 第二試練の決まりでね、青少年がここへ来る前に改めて書斎で発動しておいたのだ。それはもう凄かったよ。稀にみる大喧嘩だったが、なんとかこの子が選ばれ、青少年を待っていた」
「見える位置に、ですか」
「うん。あとは『運に己が命を任せる』だけだよ。ゆえに『運命』だ。本たちが青少年のとこへ行くのではなく、選んでもらうようにしたのも、あくまでも『自分たちの未練に巻き込んでしまう後ろめたさ』からきている。もし青少年がこの子を選ばなかったとしても、それもまた運命だ。この世は不思議で満ちているからね」
ふわりとこちらへ移動したブロウザの大冒険は、僕の一歩手前で停止した。
ゆっくりと本が開き、パラパラと本が捲れていく。暗唱できるほど熟読した本は、結構ボロボロになっていて、少し懐かしくもあった。思わず笑みが零れて「いろいろあったね」と表紙を優しくなぞった。
随分と長い道のりだったよ。
まさか数百年も謎を残してこの世に存在しているとは思わなかったさ。
正直、解けるとは思えないほどの道のりだった。
ブロウザ。
鯨。
用心棒。
そして……“異世渡り”という魔法習得。
「キミの未練を──、断つことはできたかな」
本は薄っすらと光り始め、光の粒子が溢れてきた。ルカだ。
そのままゆっくりと空へ昇っていく。触れば消えてしまいそうな儚い結晶。それでも光の一つひとつが美しく、力強かった。どこまでも上へ渡っていく輝きの欠片は、十秒もしないうちに本から抜け出て、書斎は静寂を取り戻す。
拍手が鳴る。
視線を前に向けると、ステラさんが微笑みながら拍手をしてくれていた。
「第二試練、合格だ。おめでとう」
「えっと。あ、ありがとうございます」
「派手な方がよかったかな?」
「いいえ、こちらの方が良かったです。むしろ花火でも上がったらどうしようかと」
「私も同意見だよ。ちなみに、絵本は青少年のものだ。末永く読んであげてくれ」
「はい」
第二試練の合否発表は、とても質素で、短く終わった。
残された絵本は先ほどと何も変わらない。でも、違う気もする。上手くは言えないけれど、ずっとこの本を持っていたいと思えた。一ヶ月の間、肌身離さず所持していた手前、僕の手垢でえらいことになっているだろうから、後で綺麗にしておかないと。
そうか。
僕は、ちゃんと合格できたのだな。
うん。
よかった……!
やった……!!
まずは一息つこう。
この喜びを、ぐっと噛みしめよう。それから
「青少年」
────。
「青少年」
声の方へ顔を向けることができなかった。
一瞬「誰の声」かわからなかった。
それほど今まで聞いたことのない声色だった。
本当に彼女の声なのか。
体が固まってしまうほどの、衝撃。
「ステラ、さん?」
「こちらを向いてほしい」
前にいたはずだ。
どうして後ろから聞こえるのだ。
瞬間移動したのか。
いや、違う、そうじゃない。
僕が合格の余韻に浸っていた時に後ろへ回り込んだだけ。
その程度のこと。
そうだろ。
なのに。
どうして。
こんなにも。
こんなにも……。
「大丈夫だ、害はない。安心しておくれ」
恐怖?
畏怖?
違う、別に怖くなんてない。
受け止めきれないだけだ。
直視できないだけだ。
第二試練を合格した。
よかった。
ならば「次が来るのは当然」である。
そう、「第三試練が来るのは当然」である。
なのに僕は頭を切り換えられていないのだ。矢の如き展開の速さに、付いていけていないのだ。
だから落ち着け。
大丈夫だ。
深呼吸して、現実を直視しろ。
大きく息を吸い、吐いてから。
後ろを振り返る。
「すみません」
「いいや、私の方こそ失礼した。もう少し時間を取るべきだったね」
「いえ……」
「しかし言わねばならんことに変わりはなく、ゆえに青少年へ告げねばならない」
「はい」
淡々と彼女は言葉を紡ぐ。
一人の女性が僕を見ている。
ステラ・マーカーソン。
第二試練を告げ、同時に助けてくれた司書。
「よく頑張ったよ。上の上だ。青少年の担当が私で本当に嬉しい」
「僕もです。ステラさんが担当で本当によかった」
「照れるじゃないか」
「事実ですよ」
とても嬉しそうに、彼女は微笑む。
「明後日の夜だ」
淡々と、静かに。
無機質な声で、微笑みながら、ステラ・マーカーソンは告げてくれた。
「第三試練を明後日の夜、ここアズール図書館で行う」
対する僕は微動だにせず、無言で頷く。
どこかそんな気がしていた、なんて強がりをちょっと思いながら。
わかりましたと、ステラさんに返し。
「謹んで望ませてもらいます。『彼女』にそう伝えてください」
「承知した」
にっこりと微笑む。
第二試練合格の領域に達した瞬間にこれか。休む暇もなさそうだ。
さぁ、どうにもこうにも決まったようである。展開の早さに目眩がするな。
だが──もう、待てないということだろう。
僕も同じだ。ズルズルと先延ばしは性に合わない。出し惜しみも嫌いだ。
望むところである。堂々と挑もう。胸を張って、自信をもって。
「必ず受かってみせます」
「信じているよ」
いざ、第三試練へ。
最終試練の扉が開かれる。
始まりの合図はもう、告げられているのだから。