アズール図書館の司書 ― その青年は全ての魔法を発動できる。ただし人生で一度だけ ― 作:藤崎次郎
目を覆いたくなるほどの光がシルドを包む。あまりの眩しさに、彼は目を細めるのではなく閉じることを選んだ。大きく深く、空気を吸い込んでゆっくりと吐く……。
今までの試練を反芻しながら、決意を胸に刻み込む。呼吸を繰り返し、精神のざわつきを治める。高鳴る鼓動に身震いする今、否が応でも緊張するこの時を、蒼髪の青年はどこか楽しもうとしていた。
そして。
……聞こえる。
人の声が、聞こえた。
声は徐々にシルドの周囲より起こり始める。聞こえてくる、入り込んでくる。左胸を軽くトントンと叩きながら目を開ければ、視界は未だ白であって。
ただ、少しずつ、チラチラと、何かが見えてくる。徐々に変わっていくその光景を静かに見つめていたシルドからすれば、まさに……驚嘆の光景であった。
「ここは……」
広場。
そこは、シルドの知らない噴水広場であった。
彼はつい先ほどまでアズール図書館にいたのだが、辺り一帯は人が行きかう場所。シルドは広場の中心にいて、噴水を眺められる場所に立っている。先ほどから聞こえていた声は、この噴水広場にいる人々のものだ。彼らの声からは騒がしくも喜びの色を感じる。
皆、相手との会話を楽しんでいて、笑顔が花火のように弾けていた。もちろん一人で佇む者もいるし、子供もいれば、老人もいる。空は青く澄んでおり、まさにお散歩日和にうってつけの朗らかな陽気だ。
──どこにでもある、普通の広場。そんなありふれた場所にポツンといる彼は、用心深く周囲を見渡して。
「……えーと」
知らない。
シルドは、この場所を知らない。それでも何か情報はないかと周辺をくまなく観察しながら、同時に落ちつきつつある自分自身に安堵する。
幸い「即死」が訪れそうな場所ではないようだ。だが、最初から違和感もある。その正体に気付くのに、およそ一分もかからなかった。
「服が変だ」
行き交う人々の服が現在のものとは違う。シルドの目に映る彼らの服装は、現在のアズール人が好んで着るものではない。色合いはもちろん、触らずともわかる質感の違いも顕著だ。
端的に言えば、一昔前の服である。今のアズール人は薄い上着を四重に着込むのが一般的だ。それぞれ色合いの違うものを重ねて、その者が好む色を出す。四重と聞くと重そうに思えるが、そんなことはない。魔法の王国らしく初級・付属魔法“添え着”によって「服の重さ」は意味をなさない。
それほどクローデリア歴1600年の魔法技術は進歩しており、各々が自由に服を着こなせる。加えていうなら、ゆったりとした余裕のある、触り心地のいい質感を好むのもアズール人の特徴だ。
対し、彼らはその真逆といえようか。
見るからに硬そうな服だ。おおよそ羽織っている服も二枚と、シルドの前世でいえばシャツと上着である。質感も薄くない、ゴワゴワしている。また、最も目に引いたのは……。
「どうして『防具』なんて着ているんだ」
防具。敵から身を守る鎧。シルドの前世でいうファンタジー世界ではお馴染みの要素であろうか。
しかし、彼のいる世界では「非日常」といえる。防具は、もはや骨董品であるのだ。防具などというものを着込む者は、時代かぶれの歴史好きしかいない。
何故、シルドのいる世界は防具を必要としなくなったのか。
これも簡単で、魔法で解決するからだ。
わざわざ重い甲冑などを着るぐらいなら、付属魔法で「着ている服を強靭な硬度」にすればよい。それだけの話なのだ。好んで身にまとう服を重くする理由など皆無である。
そのため、防具といった「不用品」は魔法が著しく発展するアズール建国後、瞬く間に廃れていったとされている……。
そう、アズール建国後に廃れていった。
逆に言えば。
建国前の時代なら……廃れていなかった。
仮説が生まれ周囲を改めて観察し、明朗に答えは導かれる。
「建国前のアズールか!」
アズール王国。クレーデリア大陸を治めし大国の名だ。当然ながら治めるには統治する必要がある。統治するということは、クローデリア大陸に存在した全ての国を打ち滅ぼし、又は下らせ支配に置いたといえる。
「“クロントラッカ ── 世界地図”」
下級・陣形魔法“クロントラッカ ── 世界地図”が発動される。
王都であった。
ただし、この場所がシルドの考える時代であるならば、王都になるであろう場所。予想通り、地図の右上に黄金の文字となって記されていた。
“クローデリア歴 1000年”
アズール建国も、1000年。段々と自分の状況を理解しつつ、目の前を通り過ぎようとしている男性の前に、手をかざす。スルリと、男性はシルドの手を通過していった。
「なるほどね」
合点がいき、苦笑し、納得する。
さすがにタイムスリップなどという芸当は第三試練であろうとも出来るはずがない。最初は時代を遡り王都になるであろう場所に飛ばされたかと思えたが、そこまでの規格外魔法ではないようだ。やや安堵に似た息をゆっくりと吐き、落ち着けと自分に言い聞かせる。
タイムスリップではない……となれば、次に考えられるのは「疑似空間」である。手を広げ、こちらに歩いてくる人の前に再び突き出す。
先と同様、シルドの手を何事もなくすり抜けて、通行人はそのまま去っていった。その背中を黙って見送りながら、今の自分を冷静に分析する。
「僕はいない人間として扱われている?」
……それはそうだ、あくまでもここは疑似空間なのだからと自問自答する。問題は、何故こんな空間に飛ばされているのか、である。
つまりは第三試練であるこの空間で、シルドに何をさせようとしているのか。脳裏に試練が反芻する。“……。何故、アズール図書館の司書が存在するのか述べよ”。
「アズール図書館の司書が生まれる時代を追体験している。おそらく、司書が誕生する数歩手前まで体験し、そこから答えを導き出せ、ということかな」
誕生する最後までは見せてくれないだろうと青年は判断した。体験する中で答えとなりうる要素……ヒントを自分で探し出す必要があるのだ、と。
時間がない。いつこの疑似空間を閉じるための木笛が鳴るかわからない以上、情報収集に尽力すべきだ。“クロントラッカ ── 世界地図”を見ながら今の王都と照らし合わせ、目的地へと移動する。
自分の立ち位置がわかった以上、やるべきことはシンプルであり、それがシルドの背中を押してくれた。
「当たり前だけど全然違うな。知ってる道がないし、雰囲気もまるで違う……」
さすがにシルドのいた世界から600年も前であれば、ほとんどが原形を留めていなかった。地形はもちろん、建物の構造や景色など見覚えのあるものは皆無と言っていい。
だが、不思議と、何かを知っているような感覚にもなる。肌で感じる空気感というのか。時代は変われど場所は同じだからそう感じ取れるのかもしれない。
無事に帰れたらジンに教えてやろうと歩きながらほくそ笑む。試練の途中であるものの、友達のことを考える余裕を持てる自分に、少しずつ嬉しくなるシルドであった。
そうこうしているうちに目的地へと近づく。何度か迷ったものの、何とかたどり着けたようだ。
気づけば日は暮れており、夜も深くなっている。目的地に到着してシルドの歩みが止まった。そのまま視線を上に向けて、浮遊しているものを視界に捉える。
立入禁止。
ルカ濃度最大地域。
魔境。
絶対不可侵領域。
何人も拒む文字が空中を旋回している。辺り一帯、半透明の壁でグルリと囲まれたかの地は、まさに異様異質な場所である。周辺に人の気配はなく、あるのは瓦礫と化した建築物と、大小さまざまな穴の開いた地面のみである。
「昨日、図書館で読んだ通りだ」
魔境。
アズールが大陸全土を統一する際、反乱分子が王都に侵入し、この魔境を利用して王都全土を消滅させようとした「終戦前線」。
直前に察知した初代アズール王が間一髪で阻止するも、多くの仲間が犠牲となったとされている。また、その際、ルカ濃度がさらに上昇し、元々高濃度であった場所がさらに異次元のものになったと記されていた。
シルドが前日に読んだ、あの本に書かれていた通りであった。
同時に悟る。やはりあの本は、このために用意されていたものなのだと。
「僕がここへ来ることは手筈通りってか。うーん、だが変だよな」
それほどの大事件があったのなら、歴史に記されていることは明白であり、また子孫であるアズール人も知っていて当然のことである。
つまり、アズール図書館のあった場所は魔境であった、と。
しかしシルドは昨日、あの本を読むまで一切を知らなかった。ロギ共和国の場所がそんな高濃度危険地域だったなんて、初耳であったのだ。そんなことがありうるだろうか……。かなり厳格な情報統制でもされない限り、考えられない事案である。
困った、と素直に思った。同時に悩む。
……ここまで来たものの、中に入って大丈夫なのだろうか。入れたはいいものの、出れない可能性はないか。その前に情報収集をもっとやるべきでは。浅慮は身を亡ぼす。
しかし入らねば何もわからない。いない存在であるのなら、ルカ濃度が濃い場所も大丈夫だろう。探索しながら考えればいい。
いやしかし。
どうする……?
今やるべきことは何か。
シルドは佇みながら思考を回転させる。数分後、周囲をくまなく観察し探った後に、中へ入ろうと結論づけた。
「探索するなんて久しぶりだ」
思わず笑みがこぼれた。
初めて王都へ来た頃と同じなのだ。好奇心に胸を躍らせる。
「ふふっ、アズール図書館に来たばかりを思いだ──」
そこまで言って。
言葉が打ち切られた。
一歩踏みだし、やる気満々であった探索は終わりを迎えた。
後方より音が聞こえ……振り返る。考える前に体が強制的に振り返った。寒気が走る。全身の毛が逆立つ感覚、息を吸うのを忘れる感覚。シルドはこれが何なのか知っている。三傑、クロネア代表と会った時と同じだ。おぞましい何かが。
来る感覚……!
「ぁー、しかしあれだな。あれだあれ。何だっけ?」
「僕に聞くなよ」
二人。
男の声。
「もうちっとここら辺、人払いした後に綺麗にできなかったのか」
「キミがここを不可侵領域にしたからだろう」
「そうだけどさぁ、もうちっとさぁ」
「キミがここを個人で探索したいと言ったからだろう」
「正論で殴るなよ仮面野郎」
「殴りやすい体をしているからだ」
軽く言い合いをしながら、声の主らは歩を進め、悠然と目的地へと到着し……。
シルドの前で止まった。
「死の臭いがするぜ」
「同感だな」
一人は、一言で表すなら龍である。
伝説の生き物が人の形を借りたかのようだった。鋭くつり上がった目は、全てを見通すかのような眼光を放っており、見た者に畏怖の念を抱かせようか。顔の輪郭はやや縦長。立派な顎髭が生えており、威厳をさらに強調させ覇者の風格を漂わせていた。
体は、大柄で鍛え抜かれており、不屈の強靭さを物語っている。筋肉の一つひとつが服越しからも明確にわかり、数多の歴戦をくぐり抜けてきたのがわかる。
存在そのものが、まさに威風堂々としている。全身から溢れ出る覇気ともいうべきルカがその異常さを克明に表していた。ただの強者ではない。ジンが以前シルドに言っていた通り、有無を言わさぬ絶対君主だ。周囲の空気をも変える勢いだった。
己の力で乗り越えてきたであろうその存在は、ある人々には希望を、ある人々には絶望を与えていたであろう。シルドは瞬時にして彼の存在感に圧倒される。一度見れば、決して忘れないであろう強烈な印象を与えられた。
「大体のところは沈静化させたが、やっぱここが一番やべぇな」
「うむ。魔境の中でも一等危険だ。ここからでも異常さがわかるよ。ふふっ」
「笑うなよ気色悪い」
「キミにだけは言われたくないな」
もう一人は、一言で表すならば鶴である。
細くて華奢な体躯はひょろりとしており、まるで風に揺れる草のようなしなやかさがある。
目は細く、微笑む時にはさらに細まり、人によっては温和な印象を与えるかもしれない。しかし、僅かに見えるその瞳の奥には濁りがあり、よく見れば不安を感じさせる黒さを潜ませていようか。笑顔の裏に、複雑怪奇な意図があろうとも悟らせぬ自信が見て取れる。
ミュウが以前シルドに言っていた通り、冷酷で計算高い策略家としての一面を持っているのだろう。彼の言葉に耳を傾けると、こちらの要望を理解してくれるように感じられるが、その実、真の目的は常に自分自身の利益にある。
話していると、安心と不安の両方が芽生えてきそうだ。心の奥底に飼っている暗い感情を甲斐甲斐しく育てているようで、一度不安を感じれば、決して拭い去ることはできそうにない。
一羽の鶴のような優雅さと、しかし捕食者としての貪欲さを併せもつ。その二面性を見抜ける者は少ないだろう。気付かぬうちに、彼の手中に収められてしまうのだ。
「初代アズール王……ガイ・フォン・レイリック・アズール。もう一人が彼の親友……ソランド・コルケット。本物だ」
それが、二人を見たシルドの第一印象だった。
事前にジンとミュウから聞いていたが、現実に見れば、確かに凄まじい存在感である。
シルドにとって、見ただけでここまで分厚い膨大な情報の波を受けたのは、人生初といえようか。
また、この時シルドは気づいていない。
初代アズール王は……既に“ルカ・イェン──魔統”を発動していることに。
※ ※ ※
同時刻。
アズール図書館内では喧騒が起きていた。
言い合いをしているのは、ステラ・マーカーソンとファリィ・クサリー。
「今すぐ第三試練を変更すべきです!」
「却下だ」
あらん限りの抗議をする司書に対し、無慈悲な返答をするファリィ。
納得いかないという顔をして、なおもステラは食って掛かる。
「一体何を考えておいでですか、常軌を逸しています! まさか青少年には貴方が出てくる直前まで見せて即、終わらせる算段ではないでしょうね……!」
「全く違うね」
「当たり前です、そんな──」
「──そんな低次元の試練などにはしていない」
ファリィからの即座の切り返しを受けて、ステラは固まった。
想定していた返答と「真逆のこと」を言われたからだ。ステラの脳内で処理が行われる。
……今、目の前の存在は何と言った?
私の耳がおかしくなったのか。
私はこう言おうとしていたのだ。
──そんなデタラメな異次元の問題は、試練の域を超えている、と。
しかし、彼女は何と言った。
低次元?
低次元だと?
待て。
おかしい。
私の知らないうちに、悍ましい計画が。
動き出して──いる──?
「何を、言っているのですか」
「その言葉、そっくり返そう。ステラ、キミは何を言っている」
「……」
「ちゃんと私はシルディッドに忠告していたはずだよ。これは過去最大にして最難関のものだと。にも関わらず『私が出てくる直前まで見せて終わらせる』だと? 低次元すぎるだろう」
「……貴方が出てくる、そのさらに前で終わらせるつもりですか」
「違う、全く違うよステラ。そもそも最初から間違っている」
「すみません、わかるように仰ってください」
キミも修行が足りないね、とファリィ・クサリーは冷たく言う。
しばし黙して考えるステラを前にして。
はぁ、と息をゆっくりと吐いてから、顔を少し傾けて。金髪の麗女は真っ直ぐ相手を見つめてから、歪な笑みを浮かべた後に、淡々と言い放った。
「試練の鐘を告げる際、私はこう言ったじゃないか。『ファリィ・クサリーの名のもとに死の絶望と希望をここに宣言する』と」
「……? それが何の意味を」
直後、司書に一つの仮説が生まれる。
そして考えるまでもなく、仮説は脳内で立証された。
されてしまった。
呼吸を忘れる衝撃に見舞われる。
「……まさか」
「うん」
「そ、んな」
「わかってくれて嬉しいよ」
「────ッ」
瞬間。
ステラ・マーカーソンの周囲が、彼女の溢れ出る魔力が、床を割る音と同時に炸裂した。
ファリィ・クサリーでさえ初めて見る、まさに怒髪天を衝く司書の姿がそこにあった。
彼女の美しい茶髪は、かつてないほど荒れ狂う波となってざわついている。もはや第三試練の全貌を先に知ったステラの取る選択は一つしかなく、絶対にこの試練を中止にしなければと全細胞が叫んでいた。
パラリと、ステラの周囲にある割れた床が……「絹」になる。
床どころではない。
床も、本棚も、近くの机も、椅子も。
辺り一帯の何もかもが絹になっていく。
ほぉ、と心底感心したような顔をして、ファリィは笑みを浮かべていた。
「禁術を使うのか。ステラが私に歯向かうのは初めてだね」
ステラの着ている半纏がシュルシュルと音を立てて形を変え、絹の刃となった。
刃は二十を超える数となり、彼女を中心とした攻守一体型の魔法となって生まれ変わる。
そして周囲の絹化現象は、勢い衰えずドンドンと展開していく。
禁術・万物強制絹状化式、特級・創造魔法──
「“四季折・絹極令状”」
「素晴らしい、ステラが第三試練に合格した際の魔法じゃないか」
もはや司書に余裕はなく。
相手と自分の力量は天と地の差がある。だからこそ、何が何でもここでシルドを
「少し休むといい」
トン──、とステラは自身の顔に手を置かれて。瞬きの速度で意識を切断された。魔法も同様に解除され、絹となった物は役目を果たせず動作を止めた。前へ倒れ込むステラを優しく抱きしめて、愛おしそうに頭を撫でるファリィ。
「すまないね、ステラならきっとこうするとわかっていたのに」
本当に申し訳なさそうな顔で、ファリィは慎重にステラを絹の上へ乗せる。
静かに寝息を立てる彼女を何度も撫でながら、やれやれと息を吐いた。
心配そうに本たちが集まってくる。大丈夫だよと言葉で返し、苦笑する。
「あと少し反応が遅れていたら絹に呑み込まれていたね。……憎まれ役は辛いなぁ。しかし、憎まれるだけならまだいいか」
遠くの方へ目を向ければ、少し前までシルドのいた場所がある。
今、彼はここにはいない。
そろそろ、初代と会った頃合いか。
「いよいよ……だ」
深く息を吸って、一つの区切りのようにファリィ・クサリーは吐き出した。
口から出ていったのは、後悔か、願いか。
「頑張りなさい、シルディッド・アシュラン。……信じているよ」
もはや止められないこの第三試練に。
ファリィ・クサリーもまた、祈るしかなかった。
そして、彼女の言った通り──、いよいよ、始まるのだ。