アズール図書館の司書 ― その青年は全ての魔法を発動できる。ただし人生で一度だけ ― 作:藤崎次郎
特級・癒呪魔法“ラグゥナ──癒し湯”。
特級・癒呪魔法“ルビン・サラ──外科宮殿”。
特級・癒呪魔法“シャラン・リヤ──何人も救いたまえ”。
以上三つがシルドの持つ癒呪魔法の中で、1000年より前に存在し、かつ重傷を治すことを可能とする魔法である。
たった三つだ。片手で足りる。
これらを使い果たした時、彼は今いる空間の中で……重傷を治せない。
この第三試練、何が起こるか定かではない。既に定かではないことが連発しているが、まだ始まって二時間程度しか経過していない。
ならば、この三つは彼にとっての生命線であろうか。不用意に発動すべきではない。慎重に状況を考え、どうしても使うべき時にのみ、発動すべきだ。
「ふふっ」
痛みはなかった。何かの本で、強い衝撃を体に受けた際、脳が痛覚を一時的に遮断するとシルドは読んだことがあった。
本来なら絶叫するところ、痛みを全く感じないのはそのせいだろうか……。そんなどうでもいい考えを直ぐに脳内のゴミ箱へ入れ、自分から出ている大腸を静かに見ながら息を吐く。
「こりゃ、本当に死ぬなぁ」
無茶苦茶にもほどがあった。防御に適した魔法の数々は、相手からすれば全く脅威ではなかったのだ。
燃える岩壁、鋼の羽衣、時空操作すら意味をなさない。戦えば死であると何度も思っていたけれど、ここまで差があるとは思わなかった。
事実、シルドの魔法選択は悪くない。
しかし相手が悪すぎる。
数秒前、シルドを守るために囲んでいた“グランロカッセ──岩炎壁”に突如として「扉」が勝手に生まれた。
シルドの魔法であるはずなのに、自らの魔法をねじ込んで、強制的に扉を現出させたのだ。そして、作り出した扉から敵は現れた。
“ファグ・ヌロン──鈍針基盤”も発動していた。時間があの場所だけゆっくり流れていたのだが、敵の
また、“ロル・ソニレヌ──鋼の羽衣”も、鋼の硬度を軽々と粉砕する零距離からの手刀に負けてしまった。シルドの視界に映る……
「まだ生きてるな。よっしゃ!」
「死に体だけどね」
目の前の二人によって。
言うまでもなく、先ほど二人がやったことは異次元の攻撃である。まず、相手の魔法に自分の魔法を入れ込むことは至難とされる。さらに、扉を繋ぎ場所を移動する魔法は、本来なら陣形魔法の類だ。それを創造魔法だけで成り立たせている……。
離れ業に他ならない。
理論上は僅かに可能なものなれど、実践できる者は存在しないレベルの業とされる。
加えてルカを操作し魔法の効力を弱めることも本来ならありえぬことである。どの濃度なのか、どこの部位にどの程度の量で干渉するのか、ぶっつけ本番でやることは無理だ。
遥か上空より穴めがけて球体を落とし入れるようなもの。可能・不可能で割り振るならば、間違いなく不可能とされるであろう。
シルドはここまで把握できないし、できても信じない。だが事実として……敵二人はやってのけた。平和となりしアズール人では、到達できぬ領域であって。
「僕が、今やるべきこと」
戦いは避けるべきだ。勝てる見込みはなく、選択肢から消える。現在、シルドは彼らから遊ばれている。殺そうと思えば五回は殺されているだろう。
ならばそれを利用し、ギリギリの戦いをしてみるかと考えて……止めた。先刻ガイ王が言ったではないか。同じ轍は踏まんよ、と。
こういった状況を相手は経験済みだ。
過去、未知の生命体を前にして、ガイ王とソランドに後悔することが起こった。ゆえに、それを絶対に回避するため、生け捕りにしようと企んでいる。
「戦う以外の選択肢はない。でも死ぬんだろうな」
そしてこの答えに辿り着く。何度目だろうかと嘆きたくなるほどの答えだ。
ほぼ死ぬだろう。
しかし、奥の手の魔法も、なくはない。
あるとするなら、それは禁術・人命掌握式、特級・創造魔法“ルアナ──想い人”であろうか。クロネアからアズールに戻る際、空船でミュウに見せてもらい習得した魔法。
木造人形を作り、そこへ指定した魂を入れる。瞬間、木造人形は魂と瓜二つの姿となり、自由に動ける。ただし、破壊された場合には入っている魂も同時に壊れ絶命してしまう禁術。
「ガイ王とソランドに勝てる人間……」
「三傑」ぐらいなものだ。
しかし、シルドは三傑クロネア代表しか知らない。人を人とも思わない、外道にして最悪の魔術師。絶対無敵の防御を誇り、生涯一度たりとも傷を負ったことがなかったという、あの男だ。
あのクロネア人を呼び出せば、戦力として申し分ないのは当然だ。なお、眼前の二人を“ルアナ──想い人”に入れるのは得策ではない。入れても脅迫以外の使い道はなく、解除すれば八つ裂きにされる未来しかないからだ。ではやはり、三傑クロネア代表を呼ぶしかないのか。
「断る」
シルドは即座に却下とした。
あれが協力してくれるなど、まずありえないからだ。
何より、シルドの心があれに助けを求めることを強く拒否している。だとするならば、その三傑をも倒した彼女が適任か。異世界より呼び寄せた用心棒。彼女ならば、もしかすれば味方してくれるかもしれない。
だがこちらも、難題であった。
仮に呼び寄せたとしても、本人側は向こうの世界で失神している。もし何かと戦っていたのなら、シルドは最悪のタイミングで呼び寄せてしまったことになる。そんな彼女の人生を自分の都合だけで二度も呼んでいいものだろうか……。
他の候補者は、いるか。
ガイ王とソランドと渡り合える人物。
……残念ながら、いるとは思えなかった。
と、同時。
シルドの思考は否が応でも中断される。
「熟考は終わったか? かなり待ってやったんだ。楽しませろよ」
視線の先に、ガイ王が、こちらへ跳躍していた。
数秒後にはこちらへ──。
──思考が。
止まる。
もう、これ以上は考えられない。
他に手がない。
「……」
もはや、この魔法以外にシルドの選択肢はなかった。
灼熱の溶岩に身を投げ出されたような絶望を感じる。すがるように、けれど望みを賭けるように、無意識にシルドは口を開き──、魔法の名を告げた。
「“ルアナ──想い人”」
※ ※ ※
シルディッド・アシュランの選択として、“ルアナ──想い人”を発動したのはミスと言わざるを得ない。
この場合、ガイ王とソランドに対峙しての最適解は牽制しながらの妥協点模索にある。闇雲に禁術を発動したのはやはりミスなのだ。
ただ、己の大腸を見るという驚天動地な心境の中で、最適解を導き出せる者はまずいない。彼は失神してもおかしくなかった。
シルドの出した答えは、人によっては理解され、人によっては嘆かれるものであろう。事実、三傑クロネア代表を倒した異世界の用心棒を召喚することはできないのだから。
“ルアナ──想い人”は、相手の名前を知っている必要がある。当たり前であるが、魂を呼ぶのだ、相手の名前ぐらいは知ってしるかべきである。
しかし、シルドは用心棒の名前を知らない。彼が呼ぼうと考えた彼女は、残念ながらこの世界に再び召喚されることはなかった。
そう、彼女は召喚できなかった。
身分不相応というものだろう。
田舎貴族の青年が呼び寄せるには、無理からぬ願望である──。
「あぁ、まったくだな」
と、“その者”は言うのであった。
半笑いしながら楽しそうに言った後、シルドへ向かって跳躍してきたガイ王の顔面を、全力で蹴り飛ばした。無様に初代はかっ飛んでいく。
「お前は本当に馬鹿だなぁ、シルド」
その者は考えた。
全う死ぬ気で熟考した。
……シルディッド・アシュランは第三試練に挑むようだ。しかしながら「アズール図書館の司書」は、アズール王でしか知り得ない最上級の禁則事項に指定されている。
歴代王印・絶対禁事だ。ありえねぇだろ。王以外は知り得ない情報だぞ。絶対ヤバいものだろそれ。俺ですら踏み込めぬ領域だ。しかし、そこへ、シルドは単身で挑むそうだ。
まぁ死ぬだろうな。
おそらく第三試練は次元が二つか三つほど違うものだろうよ。シルドにとって理解不能で混乱必至なのは間違いない。
どう考えても危険だ。だとすれば、命を対価にするほどの試練になるかもしれない。……かもしれないじゃねぇな。命を懸けたものになるだろうよ、ヒヒッ。
ゆえに──、妙案にして奇策を弄してやろう。俺の専売特許だ。“ルアナ──想い人”をシルドに習得させよう。うん、そうしよう。
「上手くいったぜ」
“ルアナ──想い人”を使えばその場においてシルドが必要だと思う人間を呼び出すことは可能だ。その対象人物を、俺にしちまえばいい。しかしなぁ、あいつ俺を呼ばない可能性もあるからなぁ。
……なら、騙せばいいか。
あいつの古代魔法は魔法書を読んで理解して習得するのが一つ目で、実際に魔法を見て習得するの二つ目だったな。よし、二つ目が使える。
てなわけでミュウに協力してもらい、あいつの前で“ルアナ”を発動させた。そしてその際、「俺」を呼ぶことにした。
シルドはきっと、単純に思った相手を呼び出せると考えるだろう。
しかし違うんだよなぁ。あいつは適当に聞き流していたから忘れているだろう。ちゃんと言っておいたはずなのにな、ヒヒッ。
『ちなみにこの“ルアナ”、意識の下層領域にある「本音」を媒体に対象者を呼び寄せる。単純に思った相手を呼び寄せるんじゃないそうだ。習得する過程で大事になるんだが……まぁ、お前にゃ意味のないことか。既に習得はしただろ?』
『あぁ』
第三試練。アズール図書館。歴代王印・絶対禁事。歴代のアズール王しか知ることを許されない事柄ならば、当然ながら第三試練も王家の人間が関係し、壁となって立ちふさがる可能性は大だ。
その際、絶望たる状況を打破できるのは、同じく王家の人間をぶつけるしかないのだ。
しかし、あいつは俺を呼ばないだろう。
俺の身を危惧して呼ぶことはないだろう。
だが残念だねシルドくん。“ルアナ”は単純に思った相手は呼ばないのだよ。意識の下層領域にある本音から対象者を呼ぶのだよ。わかるか?
「お前がこの場において、心の奥底で真に必要だと思う人間を呼び寄せる。俺はそっちに賭けた」
もしこの賭けに勝ったらその時は、お前の流儀に合わせてやろう。
「出し惜しみはしない主義なんだろ? シルド」
「……」
ポカンとしている。ククク、ヒャッハッハ! あ、駄目だ笑うな。まだ早い。落ち着け俺、落ち着け。ふぅ。
いや無理だわ、面白すぎる。何だこの顔。泣く一歩手前じゃねぇか、どんな試練だったらこんな顔になるんだよ。
……ん?
──ッ。
ほぉ。
内臓が飛び出してやがんな。右腹に手刀もかまされてる。しかも腎臓まで到達してるんじゃねぇのか。
……わざとだな。いやいや、なんで生きてんだこいつ。本当に……死ぬ直前だったのか。右腕も折れてる。なるほど、さっきから感じる後ろからの気配が元凶か。気持ち悪すぎだわ。
「初代か」
絶望としては申し分ない、一級品の死とご対面だ。
一人でこの状況に直面していたのか?
ハハッ、あーぁ。
もたねぇだろ、心が。壊れちまうだろ。何でもっと早く俺を呼ばなかった。馬鹿が。
「なぁ、おい」
──“ルアナ”にて現界した者はそこまで考えて、白銀の衣……“ルカ・イェン”を発動する。
ルカの粒子がふわりとシルドを包み、激痛を和らげた。シルドの頭にポンッとジンは手を置く。大丈夫だと伝えるために。
ジンの現界できる時間はミュウ曰く十数分。あまりこの場にいすぎると木造人形に魂が密着してしまう。
対し、ジンの様子を見ながら、ガイとソランドは目をこれでもかと見開いた。
「ガイ……!」
「わかってる。あの銀髪人形、俺の魔法を扱ってやがる」
場所はルカ濃度最大地域、魔境の最深部。
相手は初代アズール王とその親友。
国の英雄でありながら、狂王の名に相応しい。戦えば死である。だからどうした、と銀髪は笑う。意気揚々と、余裕綽々と戦地へ赴く。たとえ相手が、国士無双・絶対王者の者だとしても、彼が諦める理由には……、一切合切なりはしない。
「先祖殺し、悪くはねぇな」
ジン・フォン・ティック・アズール────、推参。
残された時間は僅かな狭間で。
空間を飛び越えし唯一無二の友が、青年を救うために降臨した。