アズール図書館の司書 ― その青年は全ての魔法を発動できる。ただし人生で一度だけ ― 作:藤崎次郎
僕にとって一つの物語が幕を閉じた。
それは人生にとって大きな意味をなし、そして次の道を歩む始まりでもあった。
……と、かっこつけてはいるものの、実際は流れに身を任せているだけだったりする。時間は平等なのだ。何もしなければ何も起こらないし、何かをすれば新たな出来事が生まれるだろう。
だから次のことをやろうと思う。ただ今は、目の前で起きている事象に目を向けよう。そんなことを考える僕がいる場所は、空中であったりするからだ。
※ ※ ※
「うーん、なんだか胴上げされてる気分……」
ルカの君こと、新名ビブリオテカと一緒に元いた場所へ戻ってきてから十数分が経過して。
今、僕は本湖にある本たちに抱えられながら、ふわり、ゆらりと宙を舞い上空へ移動している。下を見れば、二代目アズール王サイリス様と、司書であるステラさん、そしてビブリオテカがこちらへ向かって手を振っている。照れくさいけれど、それに応えるように僕も手を振る。
「さて、皆にどういう顔をしたらいいのだろう……」
ワッショイ、ワッショイと次から次へと薄く光る本の群れが僕を囲み、さながら優勝者を祝福するかのような待遇でグングンと上昇していく。
つい先程までアズール図書館の最下層、過去に魔境最深部と呼ばれた深淵にいたのだが、今や空を照らさんとばかりに発光している本湖へ向かっている。理由は簡単で、僕を待っている人たちのもとへ連れて行ってくれているからだ。
……しかし、こう、なんというか、本音を言うと。
うん、恥ずかしい。
やっぱり、その、皆の待つ場所へ堂々と登場するのが僕のキャラに合っていないような気がするのだ。大体いつも本を読んでいるだけの人間だし、大勢の目で見られるようなタイプではない。
だから、いざ自分がそういう役目となった際、身分不相応だと思うのだ。せっかくアズール図書館の司書になったというのに、こういう所はどうにも成長しないらしい。そう思うと、自然と変な笑みが溢れてしまう。
「まぁ、いつも通り……だよね」
そうだ、いつも通りなのだ。夢を叶え司書になったとしても、根っこの部分は変わらないのだ。それでいいと思うし、受け入れたいと思う。昔なら変わりたいと思っていたかもしれないが、こういう風に思えるようになれたことも、きっと成長の証なのだと思う。だから──
「た、ただいまです」
特に派手な登場はせず、じゅぽぅ……と僕は本湖の下から帰還した。
さながら童話に登場する池の女神のように、本湖から勝手に登場する。
……。
長い沈黙。
「えっと、その」
本湖にいる本たちのご厚意で、ジンたちのいる場所へピンポイントに帰還できた。しかし、意中の相手側は何とも微妙な顔をしていて。
ジンとミュウは「はぁ?」という呆れ顔をしていて、リリィは「おぉー」と少し驚いた表情をし、モモの付き人リュネさんは「ふむ」と納得していた。そして僕が最も見たかった桃髪の麗女はというと、完全に無表情でこちらを呆然と眺めていた。
…………。
続く沈黙。絶望的な体感時間だった。ど、どうしよう。な、何を話したらいいんだ……!
「あ、あの、その」
「あのさぁ、シルド」
「え?」
「こういう時はよ、結論から言うもんだぜ」
ジンがニヤリとして手をヒラヒラと揺らす。さっさと言えとばかりに愉快そうに笑っていた。途端、横にいたミュウとリリィ、リュネさんもニッコリとして。
対し画麗姫だけは変わらず無表情のままだった。そんな皆の視線を受け、やや恥ずかしくもあったけれど、橋の上に降り立ち皆の方へ視線を向けてから。
夢の果てへ辿り着いたその結実を。
溢れる想いと一緒に言葉に添えて──、僕は皆に伝えたのだった。
「無事、アズール図書館の司書に……合格したよ」
瞬間、四人から歓声が上がった。ジン、ミュウ、リリィにリュネさん、四人が笑顔になってこちらに向かってくる。僕もそんな皆の表情に嬉しくなって、一歩前へ出た……とほぼ同時、弾丸のように突っ込んできた女人によって、体がくの字になってぶっ倒れた。
ぐっほぉ! と情けない声を出しながらも、なんとか起き上がってその原因の人を見る。綺麗な桃髪が眼下に映る。顔を僕の胸に押し当て、表情を見せないようにしていた。
「……」
「うん、ごめんね、心配かけて」
何も言わないけれど、とても心配してくれていたのだろう。モモの手が未だに震えているのが伝わってくる。
絶対に顔を見せないぞ、というモモの強い意思を感じながら、なんとか彼女を抱えるようにして立ち上がる。皆がニヤニヤしながらこちらを見ていた。なんだよ、恥ずかしいから見るなよ。見世物じゃないぞ。
「あー、今日の夜は熱いな、ミュウ」
「そうだねー、もう火傷しそうだよー」
「氷の枕でも出そうか? あぁでも、たちまち溶けちゃうねぇ」
「そのようですね」
ジン、ミュウ、リリィ、リュネさんが楽しそうに追い打ちをかけてくる。ぐぬぬとする僕を見ながら、彼らは心底嬉しそうだ。モモは変わらず抱きついたままだし、ひたすら耐えるしかないようだった。ここは我慢だ、耐え抜くのだ僕。負けてなるものか。
「それで? 皆はずっと橋の上で待っててくれたの?」
「当たり前だろ。他にやることもなくてかなり暇だったわ。しかもお前さぁ、こっちは色々と大変だったんだぜ」
「……? 何が?」
「俺が“ルアナ”でお前を助けた後にさ、こっちに戻ってきてから数十分後ぐらいだったか? 本湖の最下層あたりからデタラメな魔力を感じた時は死ぬほど焦ったぞ。世界が揺れる感じだったわ。このまま噴火でも始まるんかと思ったぐらいだ。見たくてもピカピカ光る本湖で見れねぇし。なんだったんだよ、あれ」
「あぁ……」
まず間違いなく、ルカの君ことビブリオテカと戦闘していた時の魔力衝突だろう。特級魔法の大盤振る舞いに加え、僕も“ビブリオテカ”の最大火力で応戦した。確かに、あれほど狂った魔法戦は中々にないと思われる。それを知らない人からすれば、異常としか思えない出来事だったはずだ。
おそらく外部に魔力衝突による異常なルカが漏れないよう、ありとあらゆる細工を施していたのだろうが、橋の上にいたジンたちには、さすがに感づかれてしまったようだ。興奮しながらリリィがこちらにやって来る。
「あのね、あのね! シルドさ、誰と戦ってたの? 戦争かってぐらいの魔力を感じたよ。こう、なんて言うのかな、無尽蔵のルカを感じたの」
「うん、まぁ、その、正解かな」
「やっぱり! 詳しく教えてよ!」
ずずぃ、と迫るリリィに少し困っていたら、後ろからジンの声が飛んでくる。
「無駄だぞリリィ。そこからは『歴代王印・絶対禁事』に該当する話になるだろう。知れば極刑だな」
「えぇ、何それぇ……」
頬を膨らませ納得のいかない顔をするリリィ・サランティス。以前の彼女ならどんな手を使っても知ってやるぞと実力行使に出ていたのだが、しばし云々と唸ってから、彼女の中で事情を呑み込んだようだ。
仕方ないかな、と彼女は小声で呟く。僕の知らない所で、リリィも精神的に成長しているようだ。……と思ったら、パッと表情が明るくなって。
「私もアズール図書館の司書になったら知ることができるんだよね!?」
「司書だから、日常的に本を読まないといけないね」
「無理かな」
スパッと諦めた征服少女は完全に飽きたのかミュウとリュネさんのところへ向かっていく。そのまま楽しそうに談笑を始めた。僕が帰ってきたことと、どうにもこれ以上は踏み込んではいけないと思ったのか、彼女なりの線引をしたようだ。
未だ顔を埋めているモモの頭を撫でながら、こちらへやって来たジンに視線を向けた。背伸びをしながら欠伸をする銀髪は、何か言おうと口を開いたので、それよりも先に僕は言う。
「ありがとう」
「……。……はっ、んだよ」
「本当にありがとう。ジンのおかげで合格できた」
「……、…………けっ。もうちっとお前と画麗姫をイジってやろうと思ったが、今日は勘弁してやるさ」
「それは助かる」
「まぁ、俺は王になったらアズール図書館の司書については知ることになるからな。だいたいは予想できるしよ。まぁ、なぁ、どうせアレ絡みだろう」
アレとは、初代アズール王のことだろう。僕は何も言わなかった。言ってしまえば僅かでも「歴代王印・絶対禁事」に触れてしまう可能性がある。ただ、きっとジンのことだ。王様になる前に自分の力で真相に辿り着くかもしれない。そしてそれは、そう遠くない未来だろう。彼の頭の中だけで、アズール図書館の司書に到達すると思う。
何せ一緒に初代アズール王やその親友と殺し合ったのだ。ご先祖様殺しなどまずしない体験を、彼は嬉々として戦っていた。唯一第三試練の一部に介入できた男。おそらく今もジンの中では、仮説と立証を何十にも展開させていると思う。ジン・フォン・ティック・アズールとは、そういう男なのだ。
「でだ、いつまでその寄生虫女を抱きつかせているつもりだ?」
「うーん……」
「夜も寒いしさっさと温まりたいぜ。こっちとしてはよ、次の場所へ移りたいんだがな」
「次の場所? どこかに行くの?」
「当たり前だろ、ただその前にその寄生虫を」
「愚かね」
差し込むように鋭く発言するモモ。
しかし顔は僕の胸に埋めたままだ。モゴモゴとしながら発言を継続する。
「寄生虫ではなく、ただこの場に一時的にいるだけ。それだけ。あと少しすれば離れるというのに、一体どういう考えをもって女性にそういう言葉を投げかけられるのか、理解に狂うわ」
「ジンならあっちに行っちゃったよ」
「……」
しばし黙り、彼女はむくりと顔を上げた。
綺麗な桃髪のかかった、美しい瞳がこちらを見つめている。数時間ぶりの再会なれど、なんだか数ヶ月ぶりの再会のようにも思える。目をパチパチとさせるキミは、言葉では表現できないほど美しかった。
何か言おうと口を開くと、それよりも先に彼女は視線を僕の下腹部へ向けて。ポッカリ穴が空いている服を見つめ、首を傾げる。
「怪我したの?」
「え? ……あっ。うん、その、色々あってね」
「血の跡がたっぷりある」
「あー……」
初代アズール王に大腸ごと引きずり出された際に出来たものだ。せめて、ここに来る前に魔法で服を直しておくべきだったな。
じぃ……とモモは僕のボロボロになった服を見ている。もちろん他の皆もそれに気づいただろうけど、あえて言わなかったことを、直球で彼女は言うのだった。
「どうして司書になるための試練で、血みどろになる必要があるの?」
「えっと」
「血痕からみて、命の危険がある外傷だったはず」
「まぁ、うん」
「必要不十分なものだと言わざるを得ない」
「はい……」
母親が大事な子どもの安全を危惧するように、ペタペタと下腹部を触りながら淡々と話すモモ。感情はなく、ただ事実を列挙しているような感じで、ちょっと怖かった。ただ、同時に彼女の心持ちもわかる。だから、彼女の手を握ってその想いに応えた。
「ごめんね、心配させて」
「……」
「たくさん心配してくれて、ありがとう」
「……」
顔を下に向けたまま、モモは沈黙する。僕の第三試練の内容は言えない。それは二代目アズール王やルカの君ことビブリオテカについても触れる必要があり、歴代王印・絶対禁事に踏み込んでしまう。だから、これまでの試練とは違って何も言えないのが答えだ。
モモ・シャルロッティアもそのことは充分にわかっているだろう。聡明な彼女のことだから、わざわざその点について言及することもしない。
しかし、気持ちはどうだろうか。優しいキミのことだ、僕のことを心配してくれていたと思う。本人は隠しているけど、結構な心配性な人でもある。だから、そんな彼女にとって、血だらけで帰ってきた田舎の男を見た時は、さぞ憂慮しただろう。ポツリと、モモは呟く。
「痛かった?」
色々と思案した後に出てきた言葉だ。
万の言葉で問いたいであろう第三試練を必死にこらえ、生まれた言葉。彼女の気持ちに沿いながら、僕も口を開く。
「うん、死ぬほど痛かった」
「図書館、燃やそうかしら」
「やめてください」
「たくさん、たくさん心配した」
「うん」
「どんな試練だったのか、山のように聞きたい」
「うん」
「でも、聞かない……聞けない」
「うん」
「……」
「……」
モモの口が、震えていて。
「死んじゃうかもって、思った。帰って、こなかったら、どうしようって、思った」
再び顔を僕の胸に当て、しくしくと泣き出す。
……泣かせてしまった。