病院で廃人状態だったブレイブライオン。その精神に潜り込んだ先で広がっていたのは、どこまでも続く薄暗い海原と、そこで一人孤独に戦い続けるライオンの姿だった。
限界などとっくに越えてもなお戦い続けていたのだろう。オレンジ色の衣装のはあちこちが千々に破れ、そこから覗くのは柔らかな素肌ではなく黄金の毛皮に覆われた獣体。限界以上に力を引き出した事で、魔法少女というより獣人に近い状態になっているのだろう。
だが、私にはその姿が途方もなく美しく感じられる。
汚らわしい腐った潮風に吹かれてなびく黄金の毛皮は、燃え盛る炎のように見受けられた。本当に清浄なものは、蓮の花のように泥の中にあってもなお美しいものなのだ。
「なるほどな。相手を悪夢の世界に引きずり込み、精神を破壊して肉体を乗っ取る。常套手段といえば常套手段。教団の頭目はそれなりの魔術師のようだな」
だが一つ計算外だったのが、相手は想像を絶するほどタフだった事か。
一体何か月戦い続けていたのか。並み大抵の精神力で成せる事ではない。
これが、魔法少女のリーダーを務める者の底力、という事か。
右目の奥でルーシィが疼く。そうだね。らしくもなく、私も胸が熱くなってくる。
「さて。ここで巡り合ったのも何かの縁。手助けさせてもらおう、ブレイブライオン」
「ダ、メヨ……。ココデ、ヤラレタラ、貴女モ……」
「ふ。天が落ちてくる心配を誰がするものか。お前は黙って私に助けられているがいい」
相手の拒絶に取り合わず、私は潮騒がさんざめく海原に目を向けた。
黒い海面の下を、何かがうごめいている。足場になっている岩礁に、飛沫を上げて黒い腕が伸びてくる。
這い出してくるのはヒトデのような怪物達。勿論、ヒトデの口は表側にはないし、キバも生えていない。あくまで似ているだけの別物だ。本物のヒトデはいい迷惑である。
「やれやれ、肖像権侵害も甚だしい。ヒトデの弁護士を呼ぼうか?」
『グルルルル……』
「おまけに唸り声も上げると来た。本物のヒトデを見た事がないのか?」
私は嘲笑いながら、左腕を振るった。
「ヒトデはじっとしているものだ……教えてやろうか? ブラック・スパイラル!!」
袖のフリルが伸びると、私達を取り囲みつつ海魔達に頭上から網のように降り注いだ。黒いリボンが、投げ網のように怪物達を岩礁に縛り付ける。
ミキミキ、と音を立てて食い込むリボン。数秒後には圧力に耐えかねて、怪物達の体は引き潰されてサイコロステーキのように分断、汚らわしい緑色の血を拭きだしながら岩礁に転がった。
「ふ、まあざっとこんなものよ」
「ダメ、こいつラハ雑魚ヨ。本命が、クル……」
「ほう?」
ライオンの声に応えるように、沖合の海面が大きく盛り上がる。
膨れ上がった海面の下から姿を現すのは、巨大な怪異。灰色がかった白色の脂ぎった体表に、人のような二本の手足。しかしその顔は中央から無数の触手を生やしており、手には長い槍を持っている。
波をかき分けてこちらににじり寄ってくるその体は天を衝くように大きい。
吹き荒れる潮風に髪を押さえながら、私は感嘆の声を漏らした
「ほう? なかなかの大物じゃないか」
《てけり・り》
まさかこれを一人で何体も倒したのか? ライオンに目を向けると、彼女は岩場に四つん這いになり、髪の毛を鬣や尻尾のように逆立てて突進の構えを取っていた。
「グルルルル…………ガァオ!!」
そして、突撃。
私の目でも光にしか見えないような超高速の突進からの、爪による斬撃。
シュイン、と巨大な怪物の右肩から腹部にかけてに光が走ったかと思うと、一泊置いてばくり、と体が大きく裂けた。
汚らしい血を拭きだして崩れ落ちる怪物。ライオンはその体を蹴って、足場に舞い戻ってくる。
「フゥ……フゥ……ッ!」
「お見事」
私はその一撃を素直な賞賛を込めてパチパチと拍手した。続けて、鎌を握りなおして海に目を向ける。
「では続きは私がやろう」
海から現れる巨大な怪物は一体ではない。
次から次に、海を割って姿を現す怪物達。いくらここが精神世界といっても怪物の安売りがすぎないか?
まあどうでもいいんだが。
「さあて、久しぶりにやるか。666の刑罰が一つ……投鎌刑。エクスターミネーション!」
右目にあてた手をずらすと同時に、ずるり、と眼窩からピンク色の太い触手が這い出してくる。岩場に一度身を垂らした触手はとぐろをまき、私の手にした大鎌を絡めとる。
そしておおきく振りかぶって……その長い全長を生かして投擲する。
その先端の速度は、音速を遥かに超越。バアアン!! という音速の壁を突き破った猛烈な音と共に、大鎌が怪物達目掛けて投擲された。
一瞬で海原を迂回して戻ってきた大鎌を、触手で再びキャッチ。眼窩に触手を戻して、ライオンに振り返る。
「まあ、ざっとこんなもんだな」
告げた瞬間、海原にたたずむ巨人の群れの姿が“ズレた”。
大鎌の飛来した軌跡にそって、斜めに崩れ落ちていく巨人の群れ。分かたれた上半身が海原に沈み、噴き出した無数の血が大海原をピンク色に染めていく。
襲来した怪異はこれにて一蹴。だが、ライオンの顔色は冴えない。
「ムダ、よ……。アンナノ、いくら、倒しても……」
「勿論、それはわかっている。脱出するぞ、私の手を取れ」
「エ……?」
きょとん、とした顔の半獣の顔。反射的に差し出してきたのであろう手を取ると、私はそっと彼女を引き寄せて抱き寄せた。
「ここは夢の空間。私達の精神は、連中の作り出した夢の国に包まれている。その包囲は完璧だ、ここから逃げだすようなほころびはない」
「そ、ソウヨ。だから、ココニ来ちゃダメだったノニ……」
「だが。完璧というのは欠陥でもある。表裏が逆転した時に、辿るべき綻びがないからな?」
ギラリ。
私の右目の邪眼が輝く。
扉は、異なる場所につなぐ綻びである。同時に、つながりを絶つ隔絶でもある。
虹色の泡を渡る漕ぎ手の瞳に写る世界は常に一定ではない。時に容易く、その全ては裏返る。
「銀の鍵よ。守護者の扉よ。阿古屋貝の蝶番よ、裏返れ」
ぽわり、と私達を虹色の泡が包み込む。真珠の貝殻、その裏側のように淡く輝く鏡面に、私とライオンの姿が写りこむ。
それはいつしか反転し、虹色に包み込まれた私達は、逆に虹色に輝く泡を見下ろしていた。泡の中には、腐った潮風が吹く暗い海が覗いている。
現実など、視座など、見る者の立場で変わるもの。ましてや、精神世界などというものならなおさらのこと。
曖昧であれば食い破られる。完全であれば、ひっくり返せばいいだけの話。
完全無欠など、貴様ら程度にはほど遠い。
「観測者はまた観測されるもの。深淵から見上げるものよ、汝もまた見下ろされていると知れ」
その泡を。
私は大鎌でもって、一閃した。
ぱちん、と泡が弾け。人ならざる存在の絶叫が、いつでもないどこでもない空間に響き渡る。
そして、私達は戻ってきた。
「……ふむ」
「あ、あれ? ここは……?」
右目を押さえて後ずさる私に、正気を取り戻したライオンがベッドの上でたじろいでいる。
病院のパジャマに身を包んだ彼女は、さっきまでの虚ろな様子はどこにもなく、痩せこけてはいるが健康的な赤色が頬に刺していた。その瞳はキラキラと黒く輝いていて、うちに秘めた意思の強さをうかがわせる。
「よし」
私は小さく頷いて、ナースコールのボタンを押し込んだ。
ややあって、コアラみたいな看護師が病室にやってくる。
『はいはい、何かありましたか……って、ライオンさんが正気に戻ってるぅううーーーー!!?』
『どうしたの、何を騒いで……ええええええ!?』
『先生、先生を呼んできて!!!』
たちまち病院は阿鼻叫喚。
目を白黒したまま病室から担ぎ出されるライオンを、私は手を振って見送った。
「じゃあ、お大事に~」
『お大事に、じゃないですよ!? 貴方が何かやったんでしょ!? どうせ無茶したんでしょうから貴方も診察です!! 魔法少女ってのはすぐこれだから……!』
「え、ええ……?!」
そしてなぜか私も診察室に引き戻され、お医者さんにきつくお叱りを食らったのであった。
な、なんで……。
『ムルミミィ』
《てけり・り》