その様子は、先に出現した怪物と交戦していた別動隊からもよく見えた。
「なんだあの怪物は……?」
陽動に回っていたソード・アリスは、山から出現した巨体に瞠目する。その隣には、指から出した糸を千切るオブシディアンスパイダーの姿も。彼女は新たに出現した虚影に、困惑したように顔をしかめた。
「新手……か?」
遠く、崩れた山からオーロラの下、身を起こす巨大な怪物。
それは一言でいうと、あまりにも巨大なダンゴムシ、といった姿をしていた。強固な外殻が幾重にもつながって出来た蛇腹状の鎧、腹側に犇めく無数の拙速。N字に折れ曲がった脚を蠢かして土煙を上げながら動き出すその巨体の頭部に、二つの奇妙な人影があった。
訂正。それは人ではない。
人を見失った、悍ましき存在である。
「「おお、我らが父よ、我らが母よ。祭壇にて流された聖なる血により、今、正しき星の並びに導かれて再び大地に聳え立たん……」」
星辰教団の教祖“であった”なにがしかの怪異。それは感極まったように触角を震わせながら、空を仰ぐようにして足をかかげる。
その夜空には場違いなオーロラが輝き、星は不気味に輝いている。まるで油絵のような空を背景に、巨大な節足動物は無言のまま山道を進む。
その頭上を、バタバタと音を立てて飛翔する飛行物体があった。
ピンク色の、魔法少女の輸送ヘリ。
追跡するように怪物の頭上を飛翔するヘリの中で、エリザベートが喚いている。
「ななななな、なんですのアレ!?」
『神秘計測値が振り切れてる、いつもの怪物とは訳が違うよ、アレ』
『悪い神様の類かなー。よくアレを直視して平気だね、エリザベートさん』
コクピットに詰めるぬいぐるみ達が、ヘリを操作しながら不吉な事を口にする。ちなみに当の本人達は安全運転も何のその、夜にもかかわらずサングラスをして視界をシャットアウトしていた。正気を失ったら操縦どころじゃないからね、しかたないね。
「まあ、ルーシィさんに比べればまあ……って悪い神様ぁ!?」
『平たくいうと邪神だね。このまま放っておくとワールドエンド一直線、困ったね』
あっけらかんという縫い包みに唖然とするエリザベート。
ただ事ではないとは理解していたが、ワールドエンド……つまり世界滅亡と来た。そして困ったことに、このぬいぐるみ達はゆるふわではあるが絶対に嘘や誤魔化し、適当な事を言わないというのをエリザベートは長い付き合いでよく知っていた。
つまり、正真正銘の世界の危機という事である。別の意味で彼女はめまいを覚えた。
「い、一体どうすれば……」
『あ、やべ。タゲられてる』
『回避、回避ー』
気が付けば、眼下の巨体がじっと、ヘリを見上げるように体を捻っていた。慌てて上昇しながら旋回するヘリ。だがそれが十分な距離を取るよりも早く、巨怪の口元から高圧の水が噴射された。
タンクローリーほどの直径の水柱が輸送ヘリの二連ローター、その後ろ側をもぎ取り、バランスを崩したヘリはくるくる回りながら高度を落としていく。
「キャアアアー!?」
『メーデーメーデー!』
『うわあん墜落するー』
そのまま、山の陰に姿を消すピンクのシルエット。
一方、陽動班の魔法少女達は輸送ヘリが墜落する様を目撃し、パニックに陥っていた。
「ヘリが!!」
「た、助けに行かないと……」
足並みを乱す魔法少女達。そんな彼女らを、突如再開した地響きが我に返らせた。
『ギグルゥウ……』
最初の怪物。陽動班が誘導し、役目を終えて対処にかかっていた怪物が、進路を変えて山岳地帯へ向かっていく。その巨体が見据えているのは、たった今新しく現れた奇怪な怪物だ。
『ギィアアア!』
ソード・アリスに一本切り落とされたものの、残り三本の腕は健在。真正面から突撃していく怪獣を、巨大な陸生甲殻類の姿をした巨怪はただ静かに迎え撃った。
地響きを立てて突っ込み、腕を振るう。怪力と爪によって、巨怪の甲殻に散る火花。大質量同士の激突は爆発にも等しい衝撃を生み、凄まじい轟音に魔法少女達は思わず耳を押さえる。
煙に包まれる甲殻の巨怪……しかし次の瞬間には、まるで何ごともなかったように煙の中から姿を現したそれが、無数の脚でもって怪獣に掴みかかった。
『ギャウゥウ!?』
驚愕し、それを振り払おうとする怪獣……だが、一見細く頼りなく見える無数の節足は、信じられない力で怪獣を押さえ込んでいる。ギリギリ、と大地が軋むような音を立てて相手を抑え込んだ巨怪の一見柔らかそうな腹部……それが、ばくりと左右に裂けた。
目撃した魔法少女達が、その光景に驚愕する。
「な、何あれ……?!」
「……口!?」
そう。
曲線を帯びた無数の甲殻が連なった巨怪の体……その裏側にあるのは、柔らかな腹部などではなく、全てが触腕を蠢かせる巨大な口だった。トンボかイナゴか、その顎を無数に繋げたような巨大な口が押さえ込んだ怪獣に齧りつく。
『ギャアアアアアアオオオ!』
断末魔の絶叫が響く。鮮血を吹き出しながら必死に抵抗する怪獣を、まるでチキンを食べるように、丁寧に丁寧に齧っていく巨怪。ついには地面へと相手を押し倒し、身体全体でのしかかって貪り続ける。
『ギャ……オ……ア……』
か細い断末魔が、肉を骨を齧る咀嚼音の中に消えていく。
しばらくして巨怪が身を起こした時、もはや怪獣の存在を示す残滓は、地面を真っ赤に汚す赤黒い血の染みだけだった。
「う、うえ……」
「化け物め……!」
あまりに壮絶な光景に魔法少女達が言葉を失う中、ゆっくりと巨怪が向きを変えて動き出す。
その新たなる進行方向。そこには、夜でも眠る事なき光に包まれた、人間達の街があった。
一方、墜落した輸送ヘリの現場。
内部に乗り込んでいたエリザベートは、うめき声を上げながら手すりをたよりに身を起こした。
「いてててて……あ、貴方達、無事ですの?」
『なんとかー』
『かんとかー』
この期に及んで緊張感がない返事に苦笑いしながら、エリザベートは解放されたままのハッチから外を垣間見た。
「……なるほど。困った時は使えって、こういう事でしたのね」
墜落したヘリ。しかしその巨体は地面に激突する前に、ピンク色の大きなバルーンに受け止められており、大きな損傷は見受けられなかった。
ぶよんぶよん、と弾むちょっと赤っぽい色合いのピンクのバルーン。その表面には、無数の赤い目玉が描かれており、心なしか愛嬌がある。
墜落直前、エリザベートが懐から外に投げつけたのは、いつぞやダークネス・ルーシィが配ったルーシィ玉である。ぐるぐる振り回される中でその存在を思い出し、藁にもすがる思いで投げつけてみたのだが、まさかそのおかげで命拾いするとは。
「まあ確かに、一瞬で膨らむ巨大バルーンとなると、どんな状況でも役には立ちますか……」
敵に襲われてピンチなら目くらましに使えるし、攻撃を受けてピンチならそのまま防壁になる。そして墜落死しそうになっていたらクッションになる訳だ。まさに汎用お助けアイテムである。
「とと、ボーッとしてる場合じゃありませんわ……!」
状況を確認せねば、と我に返ったエリザベートを、突如地響きのような振動が襲う。その衝撃でバルーンからずれ落ちたヘリが今度こそ地面に叩きつけられ、その拍子で彼女は格納庫からほっぽりだされた。
「うべっ!? も、もう、何ですの……?」
あいたたた、とぶつけた頭をさすりながら顔を上げるエリザベート。その頭上に、夜でもはっきりとわかる巨大な影がかかった。
「……へ?」
そこで初めて、エリザベートは山の向こうに、それよりも大きな影がかかっている事に気が付いた。
邪神。
間近で見るその悍ましい、生理的嫌悪感を誘う外見に思わず悲鳴を上げそうになりながらも、彼女はとっさに自分の口を押えて事なきを得た。
その間も、地響きを立ててゆっくり邪神は進行を続ける。その目的地は、墜落したヘリではない。ではいったいどこに、と視線を巡らせた彼女は、その進行方向に人間の街がある事に気が付いて血相を変えた。
「ま、不味いですわ……!!」
あの怪物は、これまでの怪物とは訳が違う。見るだけで精神に害を及ぼすようなあの存在が一般人の住む街に雪崩れ込んだら、一体どれだけの被害が出るか想像もつかない。
炎に包まれる街を想像し、エリザベートの顔色が変わる。
「させるものですか……!」
その手にランスを出現させ駆け出そうとする彼女を、ヘリのコクピットからの声が呼び止める。その声はらしくもなく焦っていた。
『え、エリザベートさん、何する気?!』
「奴を足止めします!!」
『無茶だよ、殺されちゃうよ!!』
「無理でも無茶でもやるしかないんですのよ!! 貴方達は可能ならマジカルアイランドに救援を求めてください!!」
それだけのやりとりを最後に、エリザベートはなおも止める声を振り切って邪神の後を追った。
槍を握りしめる手に力が入る。
彼女とて分かっている。怖い。凄く怖い。だけども……。
「まだ、ルーシィさんとお洋服を買いに行くって約束、果たしておりませんのよ……!」
胸の中の小さな約束に必死にすがり、なけなしの勇気を振り絞って、エリザベートは夜の山を直走った。