教団がかつて本拠地として利用していた、とある政治家の別荘。
魔法少女による本拠地襲撃の際に破壊されたその場所は、今では警察によって立ち入り禁止線が引かれ、だれも寄り付かない廃墟になっていた。
地上の屋敷の調査は完了しているが、地下は完全に崩落してしまっているため遅々として調べは進んでいない。
その、今となっては堆く積み上げられるだけのガラクタが、俄かに揺れ始めた。
局地的な地震のような振動に、まだ辛うじて原形をとどめていた屋敷が完全に崩壊していく。
その瓦礫の山の中から、何かがせり上がってくる。
瓦礫を押しのけ、地下空洞を完全に破壊しながら上昇してくるのは、巨大な石碑のようなものだった。表面に、意味は分からないがただ不吉さだけを感じさせる謎の言葉が刻まれたオベリスク。
現代において解読不能な文言が刻まれたそれは、神を称える言葉である。
「手に負えない物は、蓋をしてみなかった事にする。人間も、神々も似たようなものという訳か」
その石碑の前に佇む人影があった。
ゆらゆらと揺らぐその黒い影は、見れば見る程得体がしれない。辛うじて人型をしているだけの幻影に見えたかと思えば、ケーキ屋の店員であったり、魔法少女グッズショップのバイトであったり、とある家に務める執事であったりする。そのいずれもがその正体であり、また同時にいずれでもない。
誰でもあり、誰でもない。本質がない事こそが、ソレの本質であった。
故に、人は彼を定義しようと、様々な呼び名を送った。
暗黒のトリックスター。無貌の神。千の顔を持つ者。燃える三眼。チクタクマン。
中でも、ソレ自身もまた気に入り、特に多用する呼び名がある。
這い寄る混沌。
敢えて言うなら、それはそういう存在である。
そして混沌の腕の中には、一人の子供が抱かれている。
曽良尼有樹。
混沌はオベリスクの上に昇ると、気を失ったままの少年をその上に横たえた。
そして両手を掲げるように広げ、歌うように怪しげな呪文を口にする。
途端に、石碑の文字が光り輝き始める。青白い輝くが強まると共に、少年の体もまた、不可思議な光に包まれていく。
全ては順調。
あらゆる企ては、予定通りに推移している。
故に、ここに闖入者が現れるのも、全て段取り通り。
『ムルミミィ!』
甲高い鳴き声と共に、オベリスクの上にむにょん、とピンク色の塊が顔を出す。それはよじよじと這い上ってくると、ぼてん、とそのピンク色の体を軽く震わせた。
ルーシィ。
有樹に拒絶されて家で落ち込んでいたが、主人の身に何かがあった事を敏感に察知し、追いかけてきたのである。
『ムミミミィー!!』
「……おや。誰かと思えば、しぼりカス君か」
ゆったりと、余裕たっぷりに振り返る混沌。慇懃無礼なまでの礼儀正しさで、右手を恭しく胸にあてながら一礼する。
「お久しぶりですとも、ええ。いつぞやは大変お世話になりました。ですが、今はご用事はありませんので、お引き取り願えますか? 私も忙しい身ですので」
『ミミミィー!!』
混沌のあからさまな挑発にルーシィは甲高く嘶き、主人を取り返そうと光に突撃していく。が……。
『ミ……ミギュッ!?』
飛び掛かった体は、空中で見えない壁にぶつかったように停止。しばしの拮抗の後、反対側に吹き飛ばされたルーシィはオベリスクの上で数度バウンド、落下するギリギリの所で縁にひっかかって停止した。よろよろと起き上がるピンクの塊を見下ろし、混沌が愉快そうに笑う。
「何をやっても無駄ですよ。もはやすっからかんの貴方様に出来る事など、何もありません。大人しくお帰り下さい」
『ミミミミィ!!』
なにをぅ、とルーシィは甲高く鳴き、今度は混沌目掛けて突っ込んでいく。が、その突撃は、だるそうに振り下ろされた足の裏で受け止められてしまう。そのまま、むぎゅぅ、と踏みつぶされ、もがくルーシィ。複数の赤い目が、それでも敵意を込めて自分を踏みつけにする相手を睨み返す。
『ムミミミ……!』
「だから無駄と言いますのに。……ふふ、いつから、とでも言いたげな目ですね。そんなものは分かりきっていますよ……最初から、そう全て最初から、私の策のうちですよ。無限の一欠けらである貴方が、この子供に出会った事も。このような子供が、この地上に居た事も。全て、全て、私の思惑通り」
ルビーのような瞳が、驚愕に見開かれた。
「偶然、このような子供が地上に在る訳がないでしょう? 私とて随分と苦労したのですよ。あらゆる次元を巡り、魂を選別すること幾星霜。その魂を振るいにかける事幾星霜。死すら死せる永劫など生ぬるい程の、私をもって気が遠くなるほどの積み重ねの果てに、貴方の奇跡はあったのです。人間達は、良い言葉を囁きました…………起きないから、奇跡というのです。ふふふふ」
『ム、ムルミィ……!』
踏みつけにされながらも、悔しそうに唸るルーシィ。混沌は上機嫌に笑いながら光に目を向ける。燃える三つの目が、愉快そうに細められた。
「その全ては今日、結実を迎える。銀の鍵は我が手に。世界の綻びは今解かれる。今こそ、私達の正しき宇宙が戻ってくるのです。……まあ実際、どうでもいい事ですがね、私にとっては」
矛盾した、混沌の言動。神ですら気の遠くなるような手間をかけて結実した野望成就を前に、その目にはわずかばかりの高揚もない。しかしそれは人というちっぽけな器から見た話であって、混沌にとってはなんら矛盾する話ではないのだ。
故に、混沌。
「さて。招かれざるゲストはこれにて「ゴールデン・エトワール!!」」
夜の闇に、光の弧が虹を描く。
彼方から放たれた一撃が、揺らぐ混沌の中央を確かに捉えた。貫かれ、掻き消える揺らぐ蜃気楼のような影。
「やりましたわ!」
それを確認し、快哉を上げるのは一人の魔法少女。
ランサー・エリザベート。
彼女は不意打ちで森の中から放った一撃が怪異を仕留めたのを確認すると、大急ぎでオベリスクに飛び乗り、潰れていたルーシィを優しい手で救い上げた。
「大丈夫ですか、ルーシィさん!」
『ム、ミミィ……』
「ああ、酷い。こんなにくっきり足跡が……」
「心配する事はないよ。絞りカスとはいえ、その程度で死んだりはしないから」
はっとエリザベートが振り返った先、オベリスクの上に黒い影。
先ほど一撃を受けて消滅したはずの混沌が、何事も無かったかのように佇んでいた。
「しかし、これは少し予定外だったかな。君に……お嬢様に、この場所が分かるとは思わなかったものでして」
「セバスチャン……」
その揺らぐ影が、初老の執事の姿になり、エリザベートが息を呑む。
混沌は、彼女の知る彼と変わらぬ、穏やかな様子で親し気に語り掛けてくる。
「さて、困りましたな。私としてはお嬢様には余計な真実など知る事もなく、穏やかなまま眠りについて欲しかったのですがこれはど「キングプレッシャー!!」」
再びの不意打ち。
今度は上空から飛び掛かった魔法少女が、光のオーラで巨大化した右手を叩きつける。局所的には100tを越える圧力を叩きつけられ、一瞬にして人影はオベリスクの上の染みとなった。
危うい所で割って入ったオレンジ色の魔法少女は、ルーシィを抱きかかえたまま呆然とするエリザベートに激を飛ばす。
「飲まれないで! 知っている顔が出てきても、その人は貴方の知る人じゃない!」
「ブレイブライオン……!」
「やれやれ。手厳しい事を言う」
はっとして二人の魔法少女が視線を向けると、やはり何ごとも無かったように混沌が再び佇んでいる。その姿が幾重にもぶれて見える気がして、ブレイブライオンは髪を逆立てながらエリザベートに問いかけた。
「……ねえ、アイツ何に見える? 私には、ケーキ屋さんの店員に見えるんだけど」
「私には、家の執事に……」
『ムルルミィ……』
警戒を露にする魔法少女達に、混沌は彼女らのよく知る親しい人物の顔で優しく微笑んだ。
「それは当然、彼らは私であり、私は彼らでもある。また同時に、そのいずれでもない。私は混沌であるが故に。……意味は分かるかな、お嬢ちゃん方」
「く……」
「同時に、私はこの世界においてプラスでもマイナスでもない。ただ、影だけがここにある……私は何の力も持たないが、どんな力も私には干渉できない。何せ、無いモノはどうしようもないですから、ね」
朗々と語る混沌に、気圧されたように後退る魔法少女達。
と、ライオンの襟元からもぞもぞと這い出してきた不定形生物が、そんな彼女達を励ますように一声鳴いた。
《てけり・り!!》
「……それは……なるほど、これはしたり。ここに貴方達がこれたのは、それのおかげですか。参りましたね、確かにそれは私の失態だ」
ジョセフィーヌの姿を目の当たりにして、混沌は額を手で押さえるような仕草を見せた。
そう、ルーシィがここに単独できたのは時間稼ぎの為。その間にジョセフィーヌはエリザベートを叩き起こし、さらにはブレイブライオンへと救援を求めていたのである。
取るに足らない、策略に使った怪物の一匹。全く価値を見出していなかった存在が、混沌の思わぬ形で盤面を彩る事になったのは、自業自得と言うべきか。
「ジョセフィーヌちゃん……うん、大丈夫。私達は平気よ!」
「相手の正体が何であれ、曽良尼さんの身柄は返して貰いますわ!」
力強い叫びに気力を貰い、士気も高く吠え返す魔法少女。
しかしそんな二人に、混沌は大仰に肩を震わせ、怯えるような仕草で挑発した。
「おお、これは怖い怖い。私など、忽ちのうちに消し飛ばされてしまいそうです。……ですので。とっくに、目的は果たさせて頂きました」
視界が、光に包まれる。
オベリスクの中央。寝かされた少年の体を包む銀色の光が、ますますその輝きを増していく……。
「な……」
「しまった……!」
「さあ、銀の鍵はここに。時は満ちた、開くがいい夢幻の扉よ。境界を定めしモノ、可能性であるモノよ! 共に遺された神(はらから)として、我の呼び声に応えよ。イア! イア……!」
「ヨグ=ソトース!!」
有樹の体から、天に向かって銀色の光が立ち昇る。それは二つに枝分かれし、絡み合い、螺旋を描きながら宙へと昇っていく。
銀色の二重螺旋。
雲を貫き、夜空の上に昇って……月をも横切って、宇宙を二つに割り開く。
それは、扉だ。
途方もなく巨大な扉が。世界そのものが、ゆっくりと開け放たれていく。
知るがいい。全てはただの絵空事。触れられぬ物を、真実と思い込んでいただけの話。
そう、宇宙も、世界も、全ては嘘っぱち。巨大な扉の上に描かれた、絵空事でしかない。
見るがいい。開闢の狭間から溢れ出した七色の光が、世界を包み込んでいく様を。
全てが。そう全てが。
虹色に閉ざされていく……。
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