気が付けば、彼女はビルの屋上に立っていた。
隣には、信頼するチームメイト。そして、誰よりも尊敬する、先輩の魔法少女。
「あれ……私、どうして?」
何やら酷く断絶を覚えた気がして、彼女はふらりと頭を抱えた。
もう二度と、こんな景色は見えないのだと、どこかでそう思い知ったはずなのに。
「どうしたの、カラフルカメレオン?」
「え、あ、あれ……?」
ブレイブライオンが柔らかい笑顔で微笑みかけてきて、抱いた不安は一瞬で消え去った。
「な、なんでもありません。ちょっと、ぼおっと、しちゃって……」
「おいおい、しっかりしてくれよ」
「うーん、疲れてるのかな? 今日は終わったらクレープパーティーだ」
「それは貴方が食べたいだけでしょ、キャット」
キャアキャア姦しくやり取りする仲間達。見慣れているはずのその姿を見て、何故か彼女の瞳にうっすらと涙が浮かんだ。
そんな彼女に、ブレイブライオンが手を差し出してくる。
「さ、いこう」
「……はい!」
その手を握り返して、カラフルカメレオンはにっこりと笑った。
気が付けば、彼女は真っ暗なコンサートホールに立っていた。
「あ、あれ?」
おかしい。自分はついさっきまで、上司への呪詛の言葉を連ねながら残業に勤しんでいたはず。まだ処理しなければいけない案件が二つ三つあったのに。
そんな考えは、ぱっとライトアップされたステージを目にした途端、彼女の頭から消し飛んだ。
『みんなー! 私達のために集まってくれてありがとうー!』
『今日は楽しんでいってねー!』
ステージに立つのは、色とりどりの衣装に身を包んだ魔法少女達。
四方を取り囲むファンの皆に手を振る彼女らの後ろから、隊列を割って歩み出てくるのは、漆黒の魔法少女。
『ふ、下僕達よ、よくぞ集まった。褒美に我が祝福をくれてやろう!』
「きゃああーーー!! ダークネス様ぁーーーー!!」
状況への違和感は、ゴシックパンクの魔法少女を目にした途端吹き飛んだ。いつの間にか自分がありったけの魔法少女グッズを身に纏い、サイリウムを振りかざしている事への疑問すら浮かばずに、彼女は全力で声を張り上げた。
そんな彼女と、檀上の魔法少女の視線が合う。
ミステリアスなオッドアイの魔法少女は、ふっ、とニヒルな笑みを浮かべると一転して、チュッ、と投げキッスを彼女によこした。文字通り心臓が止まるほどの衝撃に、後ろに向かってひっくり返る。
「幸せ……今日ここで死んでもいい……」
銀鯉香蓮は幸福の絶頂の中にあった。
◆◆
それは己の正気を疑うような光景だった。
天地が曖昧になり、大地が浮かび上がり、空が沈んでいく。世界が安定を失ってモザイク状に歪み、崩壊していくその端から、銀色の糸のような光が伸びていく。
世界が開いていく。
事象が解けていく。
あらゆる全てが、言葉で表現できない、形のない原形質に戻っていく。
その悍ましき光景を、ブレイブライオンとランサー・エリザベートは固唾を飲んで見守っていた。
『ムルムルムルムル……』
二人が無事なのは、その足元で何やら唸っているピンクの生き物のおかげだ。ルーシィが展開した結界が二人を包み込み、辛うじてその空間内では理が成立している。
もし一歩でもはみ出せばどうなるかなど、言うまでもない。
「これは……現実の光景ですの? 私は、悪い夢を見ているのですか……?」
「は、ははは……。もし本当に夢だったら、私達なかなかエキセントリックな才能があるんじゃない……?」
あまりにあまりな光景に、二人とも気の利いた言葉が出てこない。
魔法少女として様々な不思議を見てきた彼女達でも、正気を保つのが精いっぱいの、それは認識を根本的に揺らがす異常だった。
「そうだとも。お前達は、ずっと夢を見ていたのさ。私達にとって、酷い悪夢をな」
「お前……!」
ゆらり、と黒い影が再び姿を見せる。
激昂したライオンが飛び出そうとするのを、咄嗟にエリザベートが取り押さえる。今ルーシィの守りの外に出たら、相手の思うがままだ。
代わりに、エリザベートは言葉を発した。
「これは……何が起きていますの? 貴方は、一体何が目的でこんな事を?!」
「ふむ。確かにそれは当然の疑問か。良かろう。世界が真の姿を取り戻すまでの暇つぶしだ。一体何が起きているのか、説明してやらんでもない」
意外にもエリザベートの問いかけに混沌は真摯に応えた。
揺らぐ三つの瞳が、世界を啓く銀の扉へと向けられる。
「まず、そもそも、私が何故あの少年を利用したのか。それは彼が、この世界における欠落、世界の穴であったからだ」
「世界の……穴?」
「詳しい事は私の口から言うのは憚られるな。ともかく、彼は在り得ざる魂の持ち主という事だ。そしてその穴のふちから、今まさに世界を私は解いている。そう、破けたセーターがそこから解けて毛糸に戻っていくようにね」
混沌の言う事は曖昧で、目の前で起きている事象はあまりにも理不尽で、エリザベートとてその全容は全く理解できない。
ただ、目の前の存在が、大切な友人を利用して何か取り返しのつかない事をしようとしている事は分かる。それが、友人の意にそぐわないという事も。
「どうして……どうしてそんな事を!」
「簡単な事さ。私達の世界を、取り戻す為だ」
混沌は誇るように両手を掲げ、エリザベートにもわかるように言葉を並べ始める。
一方。
その隣で、混沌の話などあまり頭に入っていないライオンは、とあることに気が付いてきょろきょろしていた。
「あれ……ジョセフィーヌちゃんは?」
『ムルミィ!?』
◆◆
かつて、世界は一つだった。
人の言葉を借りれば、根源(アザトース)。ありとあらゆる、何もかも。
だが、いつしかそれは分かたれた。
とある宗教において、神は原初の世界にこう告げたという。「光あれ」と。それによって光が差し、闇が生まれた。つまりは、そういう事である。
そして生まれたのは光だけではない。それによって境界が生まれた。時間の流れが生まれた。空間が生まれた。質量が生まれた。ありとあらゆる概念が、生まれていった。
それにより、一つであった根源は、二度と元に戻れぬほどにバラバラになった。根源に含まれていたあらゆる概念は分かたれ、それぞれ固有の存在となった。
神の誕生である。神はしばし、この世界を支配したが、それは長くは続かなかった。
人が世界に生まれたからである。
知的生命体の御業とはすなわち、神羅万象に価値をつける事。現実というその演目によって、根源であった世界は形を定められた。神々もまた例外ではない。
神々は怪物へ、事象へと落とされ零落し、やがては現実の帳の向こうへと閉ざされ、永遠の眠りについた。
だけど……二つだけ。現実の帳に、閉ざされなかった者がある。
境界。全てであるが為に何にもなれぬもの。
混沌。何でもないが為に全てであるもの。
神々の無き世界に残された、ただ二柱の神々達。
それが、私達の生きる世界の成り立ち。
ルーシィ……否、境界そのものとなった私は、微睡みの中でその経緯を認識した。
「……そうか。じゃあ、混沌の願いは……根源の世界を取り戻す事……」
全ては混沌の企て。
別世界の魂である私は、この世界においての異物。その私と、境界から無限に分かたれた欠片の一つであるルーシィを引き合わせた。
そして私に助からないような大怪我をさせて、それを救うためにルーシィがその力の大部分を譲渡するようにしむける。今のルーシィは私に譲った力の僅かな残り。本来ならそのまま私の右目として一体化するはずだったのが、私自身の嘆きと望みによってはじき出され、辛うじて残された一欠けら。
そして、教団を利用し、隔てられた古き神々の影を怪物として呼び起こし、それらとの接触によって私の中の“境界”を活性化させた。
あとは、境界であり、世界の欠落である私の存在を利用して世界に穴を開け、そこから現実という人々の夢を紐解き、全てが溶け崩れた根源の世界へと回帰させる……。
混沌の計画は概ねこういうものだ。
それが分かって……私は、何もできず、何も成せずにいた。
「……全部、勘違い、だったんだ……」
これは奇跡だと思った。運命だと思っていた。
この世界で二人きり、独りぼっちの私とルーシィが出会えたのは。
だけどそれは邪悪な企ての一部だった。どこかの誰かの悪意によって、私とルーシィは巡り合った。この出会いは、祝福などされていなかった。
いや、それすらも間違った認識。
私は、ルーシィだった。ルーシィは、私だ。なんて酷い勘違い。
あの小さなルーシィこそ、私が自分の都合で生み出した被害者。私は唯、そうと自覚せずに一人でお人形遊びに興じていただけ。
全部、全部、私という狂った魂が己を慰めるために行っていた、悲劇ですらない喜劇だったのだ。
いや、ひょっとしたら。もしかしたら。
この世界そのものも。魔法少女も、エリザベートも、ライオンも、母さんも、混沌さえもが、私が望んで生み出してしまった、自由帳に描いた落書きでしかないのかもしれない……。
「……消えてしまえばいい……全部、全部、何もかも……」
心を閉ざす。
私のような狂った存在は、このまま消えてしまえばいい。
世界は一度根源に戻るけども。きっとそこから、新しい世界が生まれるのだろう。
私のような、忌むべき存在のいない。今度こそきっと、正しい世界が……。
《てけり・り!!》
「え……」
聞き間違いかと思った。
でも、確かに聞こえた。
顔を上げる。解けた世界の中を、キラキラ光る何かが、門を飛び越えて……私の元に向かってくる。
「……ジョセフィーヌ!?」
《てけり・りー!》
青く透き通った半透明の不定形生命体。
甲高く鳴き声を上げるそれが、自らを分解されながらも、原形質の渦に飛び込んでくる。その中心にいる、私の魂に向かって、一直線に。
思わず、手を差し伸べて受け入れる。
胸に飛び込んできたジョセフィーヌと私が溶けあう。その瞬間、無数の記憶が流れ込んできた。
『ムルミィ』
「あ、ここにいたのかルーシィ。どしたん? まあいいや、とにかくただいまー」
『ミィウ!』
「ちょっと、ちょっと、ルーシィ? 何考えてるの? これが何か、分からない訳ないでしょ?」
『ム、ムルミミィ』
「ほら、ルーシィ、もう泣かないで。一緒にお風呂に入ろう。ジョセフィーヌはお湯大丈夫? あ、大丈夫なんだ。じゃあ皆で温まろう、な?」
『ムルミィ~』
「……それで? この惨状?」
「ムルミィ…………」
「いいね、これ。作るのもそんなに難しくなさそうだし。今度、いろんな果物使って一緒に作ろうか」
『ミミィー!』
それは。
ジョセフィーヌから見た、私とルーシィのやり取りだった。
人間の子供と、ピンク色の不定形の怪物。
種族も何もかも相いれない二人なのに、そのやりとりは楽しそうで。嬉しそうで。幸せそうで。
見ているだけで、胸がいっぱいに満たされる。
それは。間違いなく、幸せの記憶だった。
「あ…………」
そうだ。
そうだった。
私は、僕は、一番大切な事を忘れていた。
真実なんてどうだっていい。自己満足かどうかも問題じゃない。
「僕は……ルーシィにあえて。幸せ、だった……」
他のなにも、要らないほどに。
それだけが。何もかもが嘘で、狂っていて、歪んでいた世界における、たった一つの真実。
それだけは、決して。決して、揺るがない。
「そうだ……正しいとか、間違ってるとか。嘘とか、本当とか。全部、全部、どうでもいい……。僕が、僕にとって大切なのはたった一つ」
「そこが、大切な友達と笑い合える世界かどうかだ!!」
光よ、あれ。
原形質の渦をかき分けて、私は扉の向こうへ手を伸ばす。
届け、届け。境界を越えて、あの子に届け!
「ルーシィ!!!」
叫ぶ声に、果たして答える声はあった。
『ムルルミィー!!』