喫茶店と猫好きな少女 作:喜助
猫は優しいですわ
怪物の匂いがしても
側にいてくれるのですから
開店から一時間。喫茶店“バロン”は、今日も穏やかな空気に包まれていた。
窓から差し込む朝の日差しにコーヒーの香り。静かに流れるジャズ
カウンター席では常連の老人が新聞を読み、窓際の大学生らしき男女が小声でレポートの話をしていた。
そして、その足元を二匹の猫が悠々と歩き回っている。
「トト、こら。客の飯を狙うな」
「にゃあ」
「泣いて誤魔化すな」
慣れた手つきで抱き上げる。トトは全く反省した様子もなく、紬の腕の中で大きな欠伸をした。
「ふふ……」
カウンター席へ腰掛けた狂三が、小さく微笑みを漏らす。
「本当に自由ですのね、この子たち」
「自由っていうか、好き勝手なだけだ」
紬はトトを床へ下ろした。すると今度は、三毛猫のあんずが狂三のスカートへ飛び乗る。
「あら」
狂三は嬉しそうに目を細めた。
「今日も甘えん坊さんですのね」
あんずは喉を鳴らしながら狂三の膝の上で丸くなる。その様子を見ながら
紬は少し意外そうに眉を上げた。
「......懐くの早いな」
「そうですか?」
「猫って結構人を選ぶぞ」
特に、あんずは。
警戒心が強く、初対面の相手には滅多に近寄らない。
それなのに、狂三へは最初から妙に懐いていた。
「わたくし、好かれやすいのかもしれませんわ」
狂三は悪戯っぽく笑う。
「紬さんのお店が人気なのも納得ですわ」
「半分くらいは猫のおかげだけどな」
「残り半分は?」
「コーヒー」
「あら、自信家ですのね」
くすり、と狂三が笑う。
その笑顔は柔らかくその姿は、どこにでもいる普通の少女のようにしか見えない。
だが
「.........」
窓際にいた黒猫だけは、じっと狂三を見つめていた。
金色の瞳。一切瞬きをしないまま、まるで何かを探るような視線をしていた。
「……?」
狂三が首を傾げる。
黒猫――クロは立ち上がると、静かにゆっくりと彼女へ近づいてきた。
しかし、膝には乗らない。
足元で止まり、低く喉を鳴らしながらその場で座り込んだ。
「嫌われてしまいましたかしら?」
「いや」
カウンターの奥でカップを磨いていた紬が視線を向ける。
「そいつ、人を見る目だけは妙にあるんだよ」
「まあ。では、わたくしは危険人物?」
「どうだろうな」
紬は肩を竦めた。
だが。クロの反応は明らかに普段とは違っていた。
警戒。
それも、“怯え”ではない。
まるで。“同類”を観察するような目。
「変な子ですわね」
狂三が呟く。
クロは短く「にぁあ」と鳴いた。
昼前になる頃には、店内はかなり賑わっていた。
「店長ー、ブレンドおかわり!」
「はいはい」
「新人さん可愛いねぇ」
「あら、ありがとうございます」
狂三は自然に客たちへ笑顔を向けていた。
注文を覚えるのも早く接客も上手い。その上気配りもできる。客の空いたカップにもすぐ気づき猫が客席へ飛び乗れば、慣れた手つきで抱き下ろす。
猫の扱いにも慣れている
紬は正直、驚いていた。
「……本当に初バイトか?」
「ええ」
狂三は猫を撫でながら微笑む。
「人間観察は好きですので」
その言葉だけ、妙に引っかかった。
人間観察。まるで"人間ではない者"が使うような言い回し。
「.......?」
紬は一瞬だけ違和感を覚える。
だが、次の瞬間。狂三はまた楽しそうに猫を撫でていた。
「紬さん」
客足が落ち着いた頃。
狂三はカウンター席へ腰掛け、頬杖をついた。
「なんだ?」
「前から気になっていたのですが」
彼女の視線が、紬の左手へ向けられる。
そこには、薄い傷跡が幾つも残っていた。
刃物傷に火傷、裂傷など普通の生活ではつかない傷ばかり
「その傷、どうされたんですの?」
一瞬だけ、紬の動きが止まる。
コーヒーを淹れる湯の音だけが静かに響いた。
「昔の怪我だよ」
「随分と多いですわね」
「色々あったんだ」
短い返答。
だが狂三は追及しなかった。その代わり。じっと紬を見つめる。
――妙ですわ。
最初から感じていた違和感。この男は、人間に見える。
だが違う。何かが“重なっている”
人。
それ以外。
複数の何か。
境界が曖昧なまま、一つの器へ押し込められているような。
その時だった。
ピシ……
狂三の視界に、“黒い糸”が見えた。細く、歪で、不安定な糸。
それが紬の身体から伸びている。
いや、正確には違う。
"紬という存在そのもの"を、無数の糸が無理やり“繋ぎ止めている”
そんな感覚だった。
「――っ」
狂三の瞳が細められる
だが次の瞬間
ブツリ
糸は音もなく掻き消えた。
「どうした?」
紬の声で、狂三は我に返る。
「……いえ」
彼女は微笑む。
「少し、不思議だと思っただけですわ」
「何が?」
狂三は数秒だけ紬を見つめ。そして静かに言った。
「貴方、本当に人間ですの?」
空気が止まる。
カチ。
店内の壁時計の秒針が、やけに大きく響いた。
窓の外では穏やかな昼下がりが続いている。だというのに一瞬だけ、店内の空気が凍ったような気がした。
だが、紬は苦笑するだけだった。
「だったら、何に見える?」
その目だけは、笑っていなかった。
「さあ?」
狂三は頬杖をついたまま、意味深に微笑む。
「少なくとも、“普通”ではありませんわね」
「そりゃどうも」
紬は肩を竦める。だが内心では僅かに警戒していた。
視えていた。
今この少女は確かに"何か"を視た。それが何なのかはわからない。
だが、普通の人間ではない。
「.......」
狂三はカップへ口をつける。コーヒーは少し苦かったが不思議と嫌ではない。
「美味しいですわ」
ぽつり、と呟く。
「ん?」
「このお店のコーヒー」
狂三は小さく微笑んだ。
「とても落ち着きます」
その言葉に紬は一瞬だけ目を丸くした。
「.....そりゃどうも」
少し照れ臭そうに答える。
狂三はそんな彼を見ながら思う。"不思議な人"だ、と。
人ではない何かを抱えている。なのにこの店にいる時だけは、妙に穏やかだ。
まるで、"普通であろう"としているみたいに。
その時。
トン
クロがカウンターへ飛び乗った。
「おい、危ねぇぞ」
紬が抱き上げようとする。
だがクロは紬ではなく、狂三をじっと見つめていた。
金色の瞳、深く、静かな視線。
狂三もまた、その目を見返す。
「......どうしましたの?」
クロは答えない。
ただ、静かに狂三の手へ頭を擦り寄せた。
「あら」
狂三が目を輝かせる。
今まで一定の距離を取っていたクロが、自分から触れてきた。
「珍しいな」
紬が少し驚いたように呟く。
「そいつ、あんまり人に懐かないんだけど」
「ふふ.......認めていただけたのでしょうか?」
狂三は優しくクロを撫でた。
クロは嫌がる様子もなく、静かに目を閉じる。
その姿を見て、紬は何故だか少しだけ安心した。
「.....?」
だが同時に、妙な違和感もあった。
クロは敏感だ。
人間には視えないものを察知する。そんなクロが、狂三へ懐いた。
それが意味することを考えかけーー。
――その瞬間
ゾワッ
紬の背筋を、嫌な感覚が走る。
「……っ」
空気が変わる。
さっきまで穏やかだった店内へ、粘りつくような不快感が混ざり始めた。
この感覚は
飢え
渇き
悪意
「紬さん?」
狂三が怪訝そうに眉を寄せる。
次の瞬間
ウゥゥゥゥゥゥゥゥ――――!!
空間震警報が街中へ響き渡った。
店内が一気にざわめいた。
「空間震!?」
「またかよ....!」
「避難しないと!」
客たちが慌てて立ち上がる。
猫たちも怯えたように鳴き声を上げた。
だが
紬だけは理解していた
違う。これは空間震じゃない。
もっと禍々しい、生理的嫌悪を掻き立てる気配。
――虚
しかもかなり近い。
「チッ……こんな街中で」
紬は舌打ちすると、素早くエプロンを外した。
狂三が静かに目を細める。
「紬さん?」
紬は数秒だけ迷った。客に猫、そして店。全部を置いて行くことになる。
だが行かなければ死人が出る。
紬は裏口へ向かいながら、短く言う。
「悪い。少し店を頼む」
「どちらへ?」
数秒だけ沈黙
そして
「……化け物退治だ」
その言葉を残し、紬は外へ飛び出した。
残された狂三は静かに窓の外を見つめた。
空が歪んでいる。何かがいる。
自分には"視えていない"だけで...
"化け物"
その響きに、妙な既視感があった。
「ふふ……」
狂三は窓の外を見つめながら、小さく笑う。
胸が高鳴っていた。
恐怖からではない。好奇心だ。
「ますます興味が湧いてしまいましたわ」
その時
「にゃあ」
クロが静かに鳴いた。
思わず狂三が視線を落とす。
黒猫はまるで、何かを警告するようにじっと店の扉を見つめていた。
その頃、街外れのビルの屋上では
“何もない空間”を、巨大な顎が噛み砕いていた。
視えないふりをしていただけだ
君も
俺も
ずっと
化け物だった