喫茶店と猫好きな少女   作:喜助

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誰かを護るために
刃を振るう者がいる

誰かを独りにしないために
手を伸ばす者がいる

そして

名前のない少女は
初めて世界へ触れた




第五話 君の名前を知らない

 

赤黒い奔流が、夜を焼いた。 

虚の口腔から放たれた光は、一直線にビル街を貫いていく。それは熱線というより、飢えそのものを形にしたような一撃だった。

 

空気が軋み、窓ガラスが弾け飛ぶ。

ビルの外壁が抉れ、鉄骨が悲鳴を上げる。

 

「避けろ!!」

 

紬は叫ぶと同時に、少女の腕を掴んだ。

 

「なっ――」

 

少女が反応するより早く、紬は瞬歩でその場を離脱する。

 

直後

 

ドォォォォォォォォン!!

 

虚閃が二人のいた場所を呑み込んだ。屋上の床が砕け、コンクリート片が空へ舞う。

衝撃波が遅れて襲いかかり、少女の髪と霊装を激しく揺らした。

 

「なんだ、今のは……!?」

 

少女は目を見開く。

あの怪物が放った一撃。それは、今まで自分が受けてきた武装集団の攻撃とは根本から違っていた。

 

機械的な砲撃でも霊力の斬撃でもない。 

もっと生々しく、もっと不快で。

本能的に近づいてはいけないと感じる力。

 

「虚閃」

 

紬は短く答えた。

 

「霊力を集束させ、特大の光線を放つ霊圧の塊だ。まともに喰らえば、普通は終わる」

 

「虚……」

 

少女はその言葉を反芻する。

聞いたことのない名。精霊でも人間でも、武装集団でもない。

この世界にそんなものがいるなど、彼女は知らなかった。

 

「お前は、あれを知っているのか?」

 

「知ってる、ってほどじゃねぇ」

 

紬は刀を握り直す。

 

「ただ、斬り方は身体が覚えてる」

 

その言葉は奇妙だった。

まるで自分自身のことすら理解していないような響きに、少女は眉をひそめる。

 

「身体が覚えている……?」

 

「説明してる暇はねぇ」

 

紬の視線は、瓦礫の向こうへ向けられていた。

粉塵の中。巨大な影が揺れる。

 

白い仮面に赤黒い眼光。

異様に発達した顎の巨大虚は、まだ倒れていなかった。

 

「ギィィィィィ……」

 

 

虚が喉を鳴らす。

その視線は紬ではなく、少女へ向けられていた。

 

「……チッ」

 

紬は舌打ちする。

 

「狙いはお前か」

 

「私を?」

 

「ああ。お前、たぶんアイツからすればご馳走だ」

 

「ご、ご馳走だと!?」

 

少女が露骨に嫌そうな顔をする。だが紬の声は冗談ではなかった。

精霊の霊力に高密度の魂。それは虚にとって極上の餌に等しい。

 

虚が顎を開く。

粘ついた涎が屋上へ落ち、コンクリートをじゅう、と焦がした。

 

「気色悪い奴だな……!」

 

少女が剣を構える。紫の霊力が刃に宿り、夜を照らす。

 

「やる気か?」

 

「当然だ。あんなものを放っておけるか!」

 

少女は真っ直ぐ虚を睨んだ。

 

その瞳に恐怖はある。だが、それ以上に怒りがあった。 

自分を狙ったことではない。あの怪物が、人を喰らうものだと聞いたからだ。

 

紬は一瞬だけ、彼女を見る。

純粋だ。危ういほどに。

 

「……無茶すんなよ」

 

「お前に言われる筋合いはない!」

 

「それもそうか」

 

紬は小さく笑う。

 

次の瞬間、虚が動いた。

巨体に似合わぬ速度でビルの壁面を砕きながら跳躍し、二人へ向かって顎を開く。

 

「来るぞ!」

 

少女が踏み込む。

巨大な剣――鏖殺公が紫の軌跡を描いた。

 

ガキィィィン!!

 

刃と牙が衝突する。火花ではなく、霊力の粒子が散った。

 

「くっ……!」

 

少女の腕が軋む。

重い。尋常ではない膂力...ただの怪物ではない。

 

「横だ!」

 

紬の声に少女が反射的に身を捻る。そこへ、虚の巨大な腕が掠めた。

直撃は避けた。だが風圧だけで身体が大きく流される。

 

「ッ!」

 

「だから言ったろ、見えてるだけじゃ死ぬって!」

 

紬が虚の懐へ潜り込み、刀を下段から振り上げ仮面の亀裂を狙う。

 

ガァン!!

 

硬い。刃は仮面へ食い込んだものの、割るには至らない。

 

「浅い……!」

 

虚が笑うように喉を鳴らした。

次の瞬間、その尾が鞭のようにしなり、紬の脇腹を打ち抜く。

 

「がっ……!」

 

紬の身体が吹き飛んだ。ビルの給水塔へ叩きつけられ、鉄板が大きくへこむ。

 

「おい!」

 

少女が叫ぶ。

 

「他所見すんな!」

 

紬の怒声。

その言葉通り、虚は既に少女へ迫っていた。

 

「くっ!」

 

少女は剣を振るい、紫の斬撃が虚の肩を裂くが傷は浅い。

血の代わりに黒い霊子が散るだけで、虚の動きは止まらない。

 

「なぜだ……!?」

 

少女は焦っていた。

普段ならこの一撃で大抵のものは砕ける。だが目の前の怪物は違った。

硬いだけではない。存在の質が違う。

 

「仮面だ!」

 

紬が立ち上がりながら叫ぶ。

 

「仮面を砕け! そこが弱点だ!」

 

「わかった!」

 

少女は即座に反応した。

 

迷わない。

 

問い返さない。

 

彼女は空中へ跳び、剣を両手で構える。

 

「はあああああっ!!」

 

紫の霊力が膨れ上がる。重く、美しい光。

それを見た瞬間、紬の胸の奥で何かが疼いた。

 

精霊

この世界の異物で、人の理から外れた存在

だが今の少女は、ただ目の前の怪物を止めようとしているだけだった。

 

「……ったく」

 

紬は口元を歪める。

 

「どいつもこいつも、無茶しやがる」

 

少女の斬撃が虚の仮面へ振り下ろされる。

 

ドォン!!

 

凄まじい衝撃に、仮面に亀裂が広がる

 

「やったか!?」

 

だが

 

「ギィィィ……」

 

虚の赤い眼が、ぎょろりと少女を見た。

 

「っ!?」

 

亀裂の入った仮面の奥から、虚の口がさらに開く。

 

赤黒い光が走った。二度目の虚閃だ。

距離が近すぎる。とても避けられない。

 

虚閃が放たれるその瞬間、紬が少女の前へ出た。

 

「馬鹿野郎が……!」

 

刀を構える。避ける時間はない。

ならば受けるしかない。

 

赤黒い奔流が迫るその瞬間、紬の内側で何かが軋んだ。

 

ズキン

 

頭痛

脳裏へ知らない記憶が流れ込む。

黒い月に砕けた仮面、誰かの叫び。

そして

 

 

『護れ』

 

 

低い男の声が聞こえた。

 

紬は歯を食いしばる。

 

「うるせぇ……」

 

刀身へ黒い霊圧が集まる。

それは、紬が意識して行ったものではなかった。

 

身体が勝手に動き魂が勝手に応える。

虚閃が目前へ迫り、紬は刀を振り抜いた

 

「――ッ!!」

 

黒い斬撃。

それは月の牙のように弧を描き、虚閃と衝突した。

 

轟音 ーー 黒と赤がぶつかり合い、夜空を裂く。

 

「な……」

 

少女が息を呑む。紬の放った斬撃は、虚閃を押し返していた。

 

否。

 

押し返すどころではない。喰い破っている。

赤黒い奔流を、漆黒の斬撃が切り裂いていく。

 

「いけぇぇぇぇぇぇっ!!」

 

紬が叫ぶ次の瞬間。斬撃は虚閃を完全に断ち割り、そのまま虚の仮面へ直撃した。

 

バキン。

 

乾いた音が聞こえた。白い仮面に、深い亀裂が走る。

 

「ギャァァァァァァァァァァッ!!」

 

虚が絶叫する。

黒い巨体がのけぞり、ビルの壁面へ叩きつけられた。

だが、まだ終わらない。

紬が叫ぶ。

 

「今だ! 仮面を砕け!!」

 

「任せろ!!」

 

少女が空を蹴り、霊力を噴き上げる。

紫の光が剣へ収束し、夜を照らした。

 

「はあああああああっ!!」

 

渾身の一撃。

鏖殺公が、亀裂の入った仮面へ叩き込まれる。

 

ガシャァァァァァン!!

 

仮面が砕けた。その瞬間、虚の身体が硬直する。

赤い眼光が消え、黒い肉体が崩れ始めたのだ。

 

「ギ……ィ……」

 

最後に虚は、紬を見た。

いや....紬の中にある“何か”を見た。

 

「……」

 

紬は何も言わない。

ただ、刀を下ろした。虚の身体が黒い粒子となって崩れていく...風に溶けるように。

最初から存在しなかったかのように。

 

天宮市に静寂が戻った。

 

 

 

 

 

「……終わった、のか?」

 

少女が息を整えながら呟く。

 

「ああ」

 

紬は短く答えた。だが、その顔色は悪い。

先ほどの黒い斬撃。

自分でも何をしたのかわかっていなかった。刀を握る手が震えている。

 

恐怖ではない。違和感だ

知っていたのだ。今の技を。

なのに、知らない。

 

「お前」

 

少女が紬を見る。

 

「今のはなんだ?」

 

「……知らねぇ」

 

「知らない?」

 

「勝手に出た」

 

少女は困惑したように眉を寄せる。

 

「自分の技ではないのか?」

 

紬は答えなかった。

その時。

 

『――月牙天衝』

 

声が聞こえた。

低く、遠く

懐かしいようで、知らない声

紬だけに聞こえる声

 

「……月牙、天衝」

 

無意識に呟く。

少女が首を傾げた。

 

「げつが……?」

 

「いや」

 

紬は刀を握り直す。

 

「なんでもねぇ」

 

そう言いながらも、胸の奥のざわめきは消えなかった。

自分は何者なのか。なぜ、この力を知っているのか。

そして.....あの声は誰なのか。

 

 

 

 

 

上空では、ASTがまだ混乱していた。

 

 

「対象消失!?」

 

「い、今の攻撃は何!?」

 

「精霊のものではありません!」

 

燎子は険しい顔で紬とプリンセスを見下ろしていた。

 

プリンセス

確認済みの精霊。

 

そして....黒衣の男

未確認の存在。

 

「……面倒なことになったわね」

 

燎子は小さく呟く。

 

 

 

 

 

〈フラクシナス〉でも同じだった。

 

「未知反応、消失」

 

「空間震反応、収束します」

 

「対象の男、霊波パターン解析不能」

 

琴里はモニターを睨む。

 

「令音」

 

「……彼は精霊じゃない」

 

令音は眠たげな目で画面を見つめながら答えた。

 

「でも、人間とも言い切れない」

 

「何それ」

 

琴里が苛立たしげに棒付きキャンディを噛む。

 

「一番面倒なやつじゃない」

 

画面の中。黒衣の男は、プリンセスと向き合っていた。

 

 

 

 

「お前、名前は?」

 

少女が尋ねる。

 

紬は少しだけ迷った。名乗るべきではない。

そう思う一方で、この少女は虚を見た。

そして戦った。

 

もう“こちら側”へ足を踏み入れている。

 

「……紬」

 

黒衣の男は、それだけを短く告げた。

少女は小さくその名を繰り返す。

 

「ツムギ……」

 

まるで響きを確かめるように。

紬はそれ以上何も言わず、刀を肩へ担いだ。虚との戦闘で周囲のビルは半壊している。

ASTも近い。長居すべき状況じゃない。

 

「お前、もう動けるか」

 

少女は少しだけ眉を寄せる。

 

「……問題ない」

 

だが、その声は僅かに重かった。

霊力消費がかなり大きいのだろう。紬は小さく息を吐く。

 

「無茶すんなよ」

 

「お前に言われたくない」

 

「そりゃそうか」

 

その時だった。

 

「――おーい!!」

 

遠くから、誰かの声が響いた。紬と少女が同時に振り返る。

避難区域の方角から一人の少年が走ってきていた。

息を切らしながらも、それでも足を止めずに。

 

「危ないぞ!!」

 

普通の人間

霊力も感じない

なのに彼は迷わずこちらへ向かってくる。

 

「……なんだアイツ」

 

紬が呆れたように呟く。

少女もまた、不思議そうにその少年を見ていた。やがて少年は二人の前まで辿り着くと、肩で息をしながら顔を上げた。

 

「だ、大丈夫か……?」

 

最初に視線を向けたのは少女だった。

怪我はないか。傷ついていないか。

その目には純粋な心配しか浮かんでいない。

 

少女は呆然と彼を見る。

 

「……何故」

 

「え?」

 

「何故、お前は逃げない」

 

その問いに、少年は困ったように頭を掻いた。

 

「いや……危なそうだったし」

 

「私が、怖くないのか?」

 

「怖いよ」

 

少年は苦笑しながら即答した。

 

「正直、何が起きてるのか全然わかんないし」

 

空が裂け、見えない何かが暴れ、黒衣の男と少女が戦っていた。

理解不能だ。普通なら逃げ出している。

だが、それでも。

 

「でも、放っておけないだろ」

 

その言葉に少女の瞳が、僅かに揺れた。

紬は黙ったまま、そのやり取りを見ている。

 

 

――似てるな。

 

 

ふと、そんなことを思った。

 

目の前の少年は弱い。戦う力もなく、虚も見えていない。

なのに前へ出る。

まるで“誰かを見捨てられないやつ”みたいに。

 

「……変な奴」

 

少女がぽつりと呟く。

 

「よく言われる」

 

少年は少し照れ臭そうに笑った。

そして、少し迷うように視線を彷徨わせた後、少女へ問いかける。

 

「君、名前は?」

 

その瞬間、少女の表情が止まった。

名前...そんなものを聞かれたことはなかった。

必要とされたこともない。彼女は“精霊”だった。

 

恐れ拒絶され、殺される存在。

 

だから。

 

「……ない」

 

小さな声だった。

 

「え?」

 

「私には、名前がない」

 

少年が息を呑み、紬は黙っていた。 

不思議ではない。怪物に名前など必要ない。そういう世界を紬は知っている。

だが。

目の前の少年は違った。

 

「そっか……」

 

少年は少しだけ考え込む。

 

 

その時。

 

ヒュン!!

 

上空から光が差し込んだ。

 

AST

 

「対象を確認!!」

 

「精霊反応あり!!」

 

空気が一変し少女の表情が険しくなった。

紬が舌打ちする。

 

「チッ……」

 

隊員たちが一斉に武装展開する。

 

「総員、戦闘準備!」

 

少女の周囲に霊力が噴き上がり、紫色の光が現れる。

ビル街の空気が震えた。

 

「待て」

 

紬が前へ出る。

 

「今戦うな」

 

「だが――」

 

「消耗してるだろ」

 

少女が目を見開く、図星だった。

虚との戦闘、そして最後の一撃で霊力はかなり削られていた。

 

「……何故わかる」

 

「なんとなくだ」

 

紬は短く答える。

身体が理解していた。魂の揺らぎを、霊力の流れを。

 

その時。

 

「待ってくれ!!」

 

少年が二人の間へ飛び出した。

 

「なっ!?」

 

AST隊員たちが目を見開く。

 

「おい馬鹿!」

 

紬が顔を顰める。

だが少年は退かない。少女を庇うように両手を広げる。

 

「この子は危険じゃない!」

 

「一般人は下がって!」

 

「でも、このままじゃ――!」

 

少年は必死だった。

理由なんて、自分でもわからない。

ただ、目の前の少女がどこか泣きそうに見えた。

それだけだった。

 

少女は呆然と少年を見る。

理解できない。何故、自分を庇う。

何故、恐れない。

何故......

 

「……変な奴だ」

 

少女は小さく呟いた。

紬はそんな二人を見ながら、静かに目を細める。

 

――ああ、なるほど。

こいつは“護る側”の人間か。

 

俺とは違う形で。

 

 

 

 

 

その頃。喫茶店“バロン”では。

 

狂三が窓の外を見つめていた。

空間震警報は解除されつつある。客たちは不安そうに顔を見合わせ、猫たちはようやく落ち着きを取り戻していた。

 

クロだけが、まだ扉を見つめている。

 

「……帰ってきますわよ」

 

狂三は黒猫へ語りかける。

 

「きっと」

 

自分でも不思議だった。

なぜ、そんなことを言ったのか。

心配しているのか。期待しているのか。

それとも。

 

「ふふ……」

 

狂三は小さく笑う。

 

「本当に、面白い方ですわ」

 

あの黒い斬撃、あれは精霊の力ではない。

なのに...どこか、自分たちと似ていた。

 

その瞳に浮かぶのは、少女の好奇心。

そして ーーー 最悪の精霊としての、昏い興味だった。

 

 






怖くないわけじゃない

それでも

泣きそうな顔を
放っておけなかった

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