喫茶店と猫好きな少女 作:喜助
名前がないなら
俺が君を呼ぶ理由になる
独りだと言うなら
俺が君を探す理由になる
空間震警報解除
天宮市全域へ鳴り響いていたサイレンが、ゆっくりと止んでいく。
耳障りだった警報音が消えたことで、逆に街の静けさが際立っていた。
崩れたビルに砕けた道路、煙を上げる瓦礫。人々はそれを“空間震被害”として認識する。
誰も知らない。本当は、そこに“何か”がいたことを。
人を喰らう怪物が、この街へ現れていたことを。
上空。
AST部隊は依然として警戒態勢を維持していた。夜空を飛行ユニットの駆動音が裂く、サーチライトが崩壊した街並みをなぞり、熱源と霊力反応を探していた。
「対象の霊力低下を確認!」
「空間震反応、収束し始めています!」
「ですがプリンセスは依然健在!」
オペレーターたちの緊迫した声が飛び交う。
燎子は険しい顔で下を見下ろしていた。
瓦礫の上、紫の霊装を纏った少女"プリンセス"
そして。
"黒衣の男"
「……」
気味が悪かった。あの男だけ、観測情報が安定しない。
映像には映っている。だが霊波データへ断続的にノイズが混ざるのだ。
まるで、“存在そのもの”が不安定みたいに。
「隊長! どうしますか!?」
部下の声。
燎子は僅かに黙り込む。
本来なら攻撃続行、それがASTの役目だ。
精霊を排除する。それだけが自分たちの存在理由。
だが
「一般人が近すぎる」
視線の先
プリンセスの傍には、一人の少年がいた。
丸腰に制服姿、どう見てもただの高校生だ。
「ですが――」
「情報が少なすぎる」
燎子は低く言った。
その視線は、黒衣の男から離れない。
未知、それが一番厄介だった。
プリンセスは理解できる。脅威度も、攻撃性も、霊力波形も既知の範囲内だ。
だが、あの男は違う。
空間震発生区域に現れ、プリンセスと共闘
なおかつ
解析不能
「……一旦引くわよ」
「っ!?」
隊員たちが驚く。
「空間震は収束中。プリンセスも消耗してる」
燎子は続ける。
「それに」
数秒だけ沈黙。
「あの男を、今は優先するべきよ」
夜空を、AST部隊が旋回する。
その光景を見送りながら、紬は小さく息を吐いた。
「……行ったか」
夜風が黒衣を揺らす。
脇腹が痛み、血の匂いがする....虚の尾をまともに受けた場所だ。
じわり、と熱を持つ傷口。
「クソ……」
鈍い痛み。
だが、それ以上に気持ち悪いのは。
「……なんなんだよ、アレ」
月牙天衝。
無意識に放った黒い斬撃。知らない技だ。
なのに......魂だけが、“知っていた”
『――月牙天衝』
再び、あの声が脳裏を過る。
低く、遠く
どこか懐かしい男の声。
「……っ」
紬は頭を押さえた、ズキズキと頭の奥が痛む。
記憶が曖昧だ。
喫茶店
黒い着物
巨大な怪物
誰かの背中
泣き声....叫び、だがそこから先が思い出せない。
「思い出せそうで、思い出せねぇ……」
その時だった。
「ツムギ」
少女の声に紬が顔を上げると、少女がこちらを見ていた。
夜風が彼女の長い髪を揺らす。戦闘の余韻か、霊装の光は先ほどより弱い。
それでも、美しかった。まるで夜空へ咲く花みたいに。
「……なんだ」
「お前、怪我をしている」
「あ?」
言われて初めて気づく。脇腹から血が流れていた。黒衣が裂け、その下のシャツが赤く染まっている。
「あー……」
どうやら思ったより深く入っていたらしい。
「平気だ」
「平気そうには見えない」
「見た目ほどじゃねぇよ」
紬は適当に答える。
するとプリンセスは、少しだけ眉を寄せた。
「お前は変な奴だ」
「よく言われる」
「傷を負っているのに、平然としている」
「慣れてるだけだ」
「慣れるものなのか?」
「……さあな」
紬は視線を逸らす。
本当に慣れているのか、それとも。
“そういう生き方しか知らない”のか。
自分でもわからなかった。
「それより」
紬は少女を見る。
「お前、この後どうする」
「……?」
「帰る場所とかあるのかって話」
プリンセスが黙り込む。
夜風だけが吹き抜けた。遠くでは、まだ消防車のサイレンが聞こえる。
やがて。
「……ない」
小さな声。
「私は、ずっと独りだった」
その言葉に、紬は少しだけ目を細める。
――似てるな。
ふと、そんなことを思った。
帰る場所がない。
独り。その感覚を紬は知っている。
誰も自分を理解しない。誰にも、自分がわからない。
その感覚を
「……」
だが、何かを言う前に。
「おーい!!」
再び、あの少年の声が響いた。
「まだいたのか」
紬が呆れたように振り返る。
五河士道
普通の高校生。それが第一印象だった。
だが、この少年はおかしい。見えないはずの恐怖へ、自分から近づいてくる。
普通の人間なら絶対にしない。
「はぁ……っ、はぁ……っ」
士道は息を切らしながら屋上へ辿り着く。足は震えていた。顔色も悪い。
本当は怖いのだろう。
それでも
「だから危ないって言っただろ」
「だ、だって……」
士道は少女を見る。
その目には、やはり敵意がなかった。
「本当に大丈夫か?」
少女が目を瞬かせる。
「……何故、そんなに気にする」
「いや、そりゃ気にするだろ」
士道は苦笑した。
「怪我してるかもしれないし」
「私は、お前たちが“精霊”と呼ぶものだぞ」
「……せいれい?」
士道が首を傾げる。
どうやら、まだ事情を理解していないらしい。
紬は小さくため息を吐いた。
「お前、本当に何も知らずに来たのかよ」
「いや……なんか放っておけなくて」
「阿呆か」
「ひどくないか!?」
「ひどくねぇよ」
紬は呆れたように肩を竦める。
だが、少女はそんな二人のやり取りを不思議そうに見ていた。
笑っているのだ。自分を見て恐れてもいない。
「……変だ」
少女がぽつりと呟く。
「ん?」
「お前たちは、変だ」
その言葉に、紬と士道は顔を見合わせた。
そして。
「「よく言われる」
見事に声が重なった。
数秒の沈黙......やがて
少女が吹き出した。
「……ふ、ふふ」
初めてだった。彼女が、戦い以外で笑ったのは。
紬は少し驚いたように目を瞬かせ、士道は呆然としていた。
.....綺麗だ、と思った。
月明かりの下で笑うその姿が。
とても、“怪物”には見えなかった。
その頃。
〈フラクシナス〉では。
「未知反応、依然解析不能」
「対象周囲の霊波、断続的に変質しています」
ブリッジ内の空気は重かった。
琴里はモニターへ映る黒衣の男を睨む。
「令音」
「……うん」
令音は眠たげな目でデータを見つめていた。
「彼の霊波、ずっと変質してる」
「変質?」
「空間震発生時の霊力反応と似ている部分もある........でも、途中から全く別の波長が混ざる」
琴里が眉を顰める。
意味がわからない。
「別系統ってこと?」
「……多分」
令音は静かにモニターを見つめる。
「まるで、一人の中へ複数の異物を押し込めてるみたい」
異物
その単語に、琴里の眉がさらに寄る。
精霊とは違う。
もっと、不安定で。もっと危うい何か。
「危険なの?」
琴里が尋ねる。
令音は数秒だけ沈黙し――。
「……世界に馴染んでない」
そう呟いた。
一方。
店へ戻る前に、紬は人気のない路地裏へ降りた。
夜の路地は静かだった。遠くでは、まだ避難誘導のアナウンスが響いている。
紬は深く息を吐き、纏っていた黒衣へ視線を落とし意識を集中させた。
その瞬間、黒い霊子がふわりと空気へ溶けた。
死神としての衣装が霧散する。黒刀も、闇へ沈むように消えていく。
残ったのは、いつもの店主の姿。
黒いシャツに見慣れたズボン。
そして
脇腹へ残った、生々しい傷だけ。
「……便利なんだか、不便なんだか」
紬は苦笑する。
死神化が解けても、痛みは消えない。血も止まらない。
現実だけが、ちゃんと残る。
喫茶店“バロン”
カラン――。
入口のベルが、小さく鳴った。
「おかえりなさいませ」
狂三が微笑む。
店内にはもう客はいない。猫たちだけが、静かに丸くなって眠っていた。
変わらないコーヒーの香りに暖色の照明、穏やかなジャズ
戦場だった空中とは、まるで別世界だった。
そして。
「にゃ」
クロだけが、入口へ向かって歩いていく。
「……ただいま」
紬が店へ入ると、クロがぴたりと紬の足元へ寄り添った。
まるで、生存確認でもするように。
「心配してたみたいですわ」
狂三がくすりと笑う。
紬はしゃがみ込み、クロの頭を撫でた。
「悪い悪い」
クロは不満げに尻尾を揺らす。
その様子を見ながら、狂三は静かに目を細める。
――帰ってきた。
何故だろう。
それだけで、少し安心している自分がいた。
「……怪我、なさったんですの?」
狂三の視線が、紬の脇腹へ向く。
血だ。シャツが赤く滲んでいる。
「あー、ちょっとな」
「ちょっと、で済む量ではありませんわよ」
狂三が近づいたが、それに対し紬は反射的に一歩下がりかけ――止まった。
狂三の表情が、思ったより真剣だったからだ。
「座ってください」
「いや、別に――」
「座ってくださいな」
有無を言わせぬ声音。紬は観念したように椅子へ座った。
狂三は救急箱を取りに行く。その後ろ姿を見ながら紬は小さく息を吐いた。
「……怒られてるみてぇだ」
「実際、怒っていますわ」
戻ってきた狂三が、包帯を広げながら言う。
「無茶をしすぎです」
「仕事だからな」
「命を懸けるほど?」
紬は少しだけ黙る。その沈黙を、狂三は見逃さなかった。
やはり。
この男は、“普通”ではない。
傷の数に戦い慣れた動き
そして、あの黒い斬撃....
狂三は見ていた。
空間震の向こうで、一瞬だけ夜空を裂いた漆黒の斬撃を。
精霊の力ではない。だが.....どこか、自分たちと似ていた。
「紬さん」
「ん?」
「貴方は、一体何者なんですの?」
静かな問いに、店内の空気が止まる。
ジャズだけが静かに流れていた。
紬は少しだけ視線を落とし――。
「……俺が知りたい」
そう、呟いた。
その言葉は、驚くほど静かだった。
諦めに困惑、そしてほんの少しの疲労。それらが混ざった声だった。
狂三は、紬の横顔を見つめる。
嘘ではない。この男は、本当に自分自身のことがわからないのだ。
「……」
包帯を巻き終えた狂三は、そっと息を吐く。
「少なくとも」
彼女は静かに言った。
「悪い方には見えませんわ」
「そりゃどうも」
紬は苦笑する。
だが、その笑みはどこかぎこちなかった。
“悪くない”
そんな風に言われたことが、あまりないみたいに。
その様子に狂三は違和感を覚えていた。
この男は、人に慣れていない。正確には“人との距離感”が、どこか壊れている。
普段は穏やかだ。客とも自然に話すし猫にも優しい。
だが、どこかで一線を引いている。
まるで、自分はそちら側へ行ってはいけないと決めているみたいに。
「紬さん」
「ん?」
「今日は、もう閉店にしましょう」
「……まだ片付け残ってるぞ」
「怪我人は休むべきですわ」
ぴしゃり、と言い切る狂三。
紬は少しだけ目を丸くし ―― やがて観念したように肩を落とした。
「はいはい」
「返事が軽いですわ」
「いてっ」
狂三が軽く傷口を押す。
傷の痛みに紬が思わず顔を顰めた。
「加減しろ馬鹿」
「聞き分けの悪い方が悪いんですの」
「理不尽だ……」
そのやり取りを見ていたクロが、満足そうに「にゃあ」と鳴く。
狂三は小さく吹き出した。
「クロさんもそう言っていますわ」
「絶対言ってねぇ」
ほんの数十分前まで、怪物と殺し合っていたとは思えないほど平和な時間だった。
だからこそ 、紬は少しだけ不安になる。
――いつまで続く。
そんな考えが、頭を過った。
虚が現れるようになったのは、自分がこの世界に生まれてからだ。
それ以前に、虚の痕跡はなかった。
これが偶然とは思えない。もし今後も続けて現れるなら被害は確実に増える。
人が死に街が壊れる。
そして.....狂三や、あの少女も巻き込まれる。
「……」
紬は無意識に、刀を握っていた感触を思い出す。
知らないはずの技"月牙天衛"
だが身体は覚えていた。
まるで“誰かの記憶”みたいに。
その時だった。
ズキン
「っ……」
再びの頭痛に視界が揺れる。
黒い雨に巨大な月、崩れた街
そして ーーー 橙色の髪をした誰かの背中。
『護れ』
『斬れ』
『――お前の力で』
「が……っ」
紬が額を押さえる。
「紬さん!?」
狂三が立ち上がり、クロも毛を逆立てる。
空気が、ほんの一瞬だけ変わった。
紬の身体から、ドス黒い霊圧が漏れたのだ。
ドクン。
狂三の鼓動が跳ねる。
――今の。
精霊の霊力ではない。
もっと冷たく、もっと鋭い。“死”を連想させる圧力。
店内の照明が僅かに明滅し、猫たちが一斉に顔を上げた。
だが、それは本当に一瞬だった。
紬が深く息を吐くと同時に、圧力は霧散する。
「……悪い」
「今の、は……」
狂三の問い。
紬は数秒だけ沈黙し――。
「わからねぇ」
そう答えた。
だがその表情は明らかに険しい。
恐れている。自分の中にある“何か”を。
狂三は静かに目を細めた。
――やっぱり。
この人は、私たちと同じ。
普通の世界から、外れてしまった存在。
だからこそ、興味が湧く。もっと知りたいと思う。
その時。
カラン――。
店のベルが鳴った。
「……?」
こんな時間に客か。
紬と狂三が同時に入口を見る。そこに立っていたのは。
「……あ」
昼間の少年――五河士道だった。
「えっと……その」
士道は気まずそうに頭を掻く。
制服姿のまま、どこか落ち着かない様子で店内を見回していた。
そして。
「あの子、ここに来てないか?」
そう、尋ねた。
貴方が何者でも構いませんわ
ただ
その孤独の形を
もっと近くで見ていたい