喫茶店と猫好きな少女 作:喜助
独りでいることには
慣れていた
だから
誰かを待つ夜の静けさを
俺は知らなかった
「あの子、ここに来てないか?」
静かな店内へ、士道の声が響く。
コーヒーの香りに暖色の照明。穏やかなジャズ。
つい先ほどまで、空間震災害の中心にいたとは思えないほど、喫茶店“バロン”は落ち着いていた。
紬はカウンター席へ座ったまま、士道を見る。
「……来てねぇよ」
半分本当で、半分嘘だった。
少なくとも、今は店にいない。だがもし来たとしても簡単に教える気はなかった。
士道は少しだけ肩を落とす。
「そっか……」
その反応に、狂三は静かに目を細めた。
本気で心配している。
恐怖でも興味本位でもない。
純粋に、“独りの少女”を気にしている顔だった。
「お知り合いですの?」
狂三が柔らかく尋ねる。それに対し士道は困ったように笑った。
「いや……その、今日初めて会ったんだけど」
「初対面で、そこまで心配するんですの?」
「……放っておけなくて」
狂三は小さく瞬きをした。
その言葉は、妙に真っ直ぐだった。打算もなく見返りも求めていない。
ただ、“独りだったから”それだけで動いている。
「阿呆だな」
紬が呆れたように言う。
「ひどくないか!?」
「普通、空間震の中心へ突っ込まねぇよ」
「いや、それは……」
士道が言葉に詰まる。
自分でも、なんであそこまで必死だったのかわからない。
ただ、あの少女を見た瞬間。放っておいたら駄目だと思った。
それだけだった。
「……変な奴」
狂三がくすりと笑う。
「よく言われる」
「流行ってるんですの?」
「なんなんだその返し!?」
士道が思わず突っ込み、紬が吹き出した。
「ははっ」
狂三が少しだけ目を見開く。紬が、こんな風に自然に笑うのは珍しかった。
「……なんだよ」
「いえ」
狂三は静かに微笑む。
「ちゃんと笑えるんですのね」
「失礼な」
「普段は愛想笑いばかりですもの」
「ぐっ」
図星だった。
士道はそんな二人を、不思議そうに見ていた。
なんというか、空気が独特なのだ。穏やかで居心地が良くて。
でも、どこか普通じゃない。
特に........紬
この店主は、昼間と同じ違和感を纏っていた。
今は黒衣でもなく黒刀もない。普通の喫茶店店主にしか見えない。
なのに。
何故か、“死”の匂いが抜けていない。
「……?」
その時士道の視線が、紬の脇腹へ止まる。
巻かれた包帯に、そこから滲む血。
「紬さん、怪我してるのか!?」
「大したことねぇよ」
「いや大したことあるだろ!?」
士道が身を乗り出す。
狂三が呆れたようにため息を吐いた。
「この方、そう言って全く休もうとなさらないんですの」
「店の片付け残ってるし」
「閉店済みです」
「ぐぅ……」
反論できない。
その様子に士道は思わず苦笑した。昼間はあんな場所にいたのに、今はまるで普通の日常みたいだ。
「……ここ」
士道がぽつりと呟く。
「なんか安心する」
その言葉に紬の目が、ほんの少しだけ柔らかくなった。
「……そりゃよかった」
それは
この店を始めてから、一番欲しかった言葉だった。
数時間後、五河家では。
「――で? 説明してくれるのよね?」
琴里が冷たい目で士道を見ていた。
場所はリビング、だが空気は重い。
士道は正座させられていた。
「いや、だから……」
「空間震区域へ侵入」
「うっ」
「避難命令無視」
「ぐっ」
「挙句、正体不明の男と精霊へ接触」
「なんで知ってるんだ!?」
士道が勢いよく顔を上げたその瞬間。
カチッ。
琴里が、黒いリボンを付け直した。
空気が変わる。先ほどまでの妹の顔が消えた。
冷静で鋭い、まるで別人みたいな瞳
「――さあ、始めましょうか」
次の瞬間...."床が開いた"
「うわぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
士道の絶叫と共に、そのまま身体が落下する。
浮遊感を感じながら光に包まれていった
そして。
「ようこそ、〈フラクシナス〉へ」
巨大な艦橋だった。
「…………は?」
士道の思考が止まる。
巨大なブリッジに無数のモニター、忙しなく動くオペレーターたちにガラス越しに見える夜空。
そして中央には、妙に偉そうに椅子へ座る琴里。
いや、待て.....何だここ。
戦艦?
秘密基地?
映画のセット?
「え、えぇ……?」
理解が追いつかない.....というか。
「なんで浮いてんの!?」
士道は思わず叫んだ。
すると周囲のクルーたちが一斉に「あー……」みたいな顔をする。
「初見の反応ね」
「まあ、そうなるよな」
「わかる」
「なんでお前ら慣れてんだよ!?それに琴里!?」
司令官席へ座る琴里は棒付きキャンディを咥え、足を組んでいた。
「説明するわ」
琴里は静かに言った。
「アンタが今日会った“あの子”について」
一方、その頃。
高架橋の上。夜風が吹き抜けていた。
そして少女は一人街を見下ろしていた。
紫の霊装に長い黒髪
月明かりに照らされた姿は、美しいというより幻想的だった。
だが。
「……」
彼女の腹が、小さく鳴る。
空腹だった。そういえば、何も食べていない。
.....いや、そもそも“食事”というものを、彼女はよく知らなかった。
必要としたことがないし、誰かと囲んだこともない。
『独りなのは、嫌だろ』
士道の言葉が脳裏を過る。
「……変な奴だ」
だが、嫌ではなかった。
そして.......もう一人、脳裏へ浮かぶ顔があった。
黒衣の男
『無茶すんなよ』
「……ツムギ」
少女は小さく、その名を呟く。
まるで...響きを確かめるみたいに。
喫茶店“バロン”
士道が帰った後、店内には狂三だけが残っていた。
猫たちは既に眠っている。
クロだけが、窓際から夜を見ていた。
「精霊、ねぇ……」
紬はカウンターを拭きながら、小さく呟く。
空間震を起こす存在であり、人類の敵
この世界では、そう呼ばれているらしい。
だが。
紬からすれば、違和感しかなかった。
確かに、危険ではある。空間震を引き起こし、街を壊す力を持っている。
だが、虚のような“飢え”がない。人を喰らおうとする悪意も、魂を啜るような嫌悪感も。
少なくとも、紬には感じられなかった。
むしろ....あの少女から感じたのは――孤独だった。
「何かご存知なんですの?」
狂三が尋ねる。
紬は少しだけ黙り込んだ。
精霊に空間震、そして虚.....全てが噛み合っていない。
本来、繋がるはずのないものだ。
「……わからねぇ」
それが本音だった。
自分が何者なのか、何故生まれ変わったのか。
何故 ーーー 虚が現れたのか。
何もわからない。
わかっているのは、
自分が“こちら側”の存在だということだけだった。
だが.....一つだけ、確信していることがある。
「嫌な予感しかしねぇ」
その時だった。
クロが突然、窓の外へ向かって毛を逆立てた。
「フシャァァッ!!」
狂三の表情が変わり、紬も視線を向けた。
店の外、電柱の上に“それ”はいた。
白い仮面に赤黒い眼、細長い四肢。
人でも獣でもない。
「……虚」
紬の目が細まる。
だがその虚は襲ってこなかった。
ただじっと、“狂三”を見ている。
まるで.....“観察”するように。
そして次の瞬間。
ズズッ――。
虚の身体が、闇へ溶けるように消えた。
静寂。狂三がゆっくりと口を開く。
「……今のは」
紬は窓の外を睨んだまま、低く呟く。
「化け物だよ」
その声は ーーーー 今までで一番、冷たかった。
狂三は静かに目を細める。
その言葉は、まるで"自分自身へ向けられた"ものにも聞こえた。
化け物でも
独りは寂しいのだと
あの店は
静かに教えてくれる