喫茶店と猫好きな少女   作:喜助

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夜の街は、冷たかった
誰もが空を恐れ
誰もが化け物を恐れている。

名前のない少女は
ただ独りで歩いていた

居場所なんて知らない
帰る場所なんて、もっと知らない

それでも

小さな喫茶店だけは
暖かな灯りを消さなかった

苦いコーヒーの香り
猫の鳴き声
誰かの「おかえり」という声

それはきっと
怪物になりきれなかった者たちの
小さな救いだった




第八話 灯りの場所

 

 

「――精霊」

 

士道は、その言葉を反芻した。

 

 

〈フラクシナス〉

 

 

ーーー 現実感がなかった。

 

数時間前まで、自分は普通の高校生だったはずだ。

なのに今、自分は空飛ぶ戦艦の中にいる。

 

しかも。

 

「つまり……あの子が、空間震を起こしてるってことか?」

 

士道の問いへ、琴里は静かに頷いた。

 

「正確には、“現界”によって空間震が発生している」

 

司令官席へ腰掛けた琴里は、淡々と続ける。

 

「彼女たちは別世界から現れる超常生命体。“精霊”」

 

モニターへ映像が映る。

炎に爆発そして崩壊した街。

 

「空間震による死者数は、三十年前の欧亜大空災を含めれば、既に一億五千万を超えている」

 

士道の顔色が変わった。

 

「そんな……」

 

「だからASTは精霊を殺そうとしてる」

 

琴里は静かに言う。

だが士道の脳裏へ浮かぶのは、あの少女だった。

 

『私には、名前がない』

 

あの声....あれが、本当に人類を滅ぼす怪物の声だったのか。

 

「……納得できない」

 

士道が低く呟く。

琴里が目を細めた。

 

「何?」

 

「あの子、そんな風には見えなかった」

 

「見た目の問題じゃないわ」

 

「でも!」

 

士道は拳を握る。

 

「怖がってたんだぞ」

 

空間震でもなくASTでもない"人間そのもの"を。

ブリッジ内が少しだけ静かになり、クルーたちが視線を交わす。

 

やがて。

 

「だから」

 

琴里は静かに口を開く。

 

「アンタに、その子を救ってもらう」

 

「……は?」

 

士道の思考が止まった。

 

「救う?」

 

「そう」

 

琴里はキャンディを咥え直す。

 

「精霊を殺さず、平和的に無力化する方法」

 

モニターが切り替わる。ハートマークが大量に現れ、出てきたのは恋愛シミュレーションだった。

そして女性の好感度グラフ。

 

「――デレさせるのよ」

 

数秒、沈黙。

 

「…………は?」

 

士道の顔が引き攣る。

 

「いや待て待て待て」

 

「説明は以上よ」

 

「雑すぎるだろ!?」

 

クルーの一人が真顔で頷く。

 

「我々は本気です」

 

「なんでだよ!?」

 

「精霊は精神状態によって霊力が変動する」

 

令音が眠たげに説明した。

 

「精神が安定すれば、霊力も安定する」

 

「つまり?」

 

「つまり、デレさせれば世界が救える」

 

「説明が雑!!」

 

士道の絶叫が艦橋へ響いた。

 

 

 

 

 

その頃。

 

 

少女は夜の街を歩いていた。

 

高架橋を降り、人気のない道路を進む。

街灯が長い影を落とし、風が黒髪を揺らしていた。

自分でも何故歩いているのかわからない。どこへ行くつもりなのかも。

 

ただ.....足が止まらなかった。

 

ぐぅぅぅ……

 

再び腹が鳴る。

少女はむっとしたように腹を押さえた。

 

不快だ。身体の内側が空っぽになっているような感覚。

だが、それだけではない。

 

 

脳裏へ浮かぶ。

 

『なんか安心する』

 

少年の声。

 

『無茶すんなよ』

 

そして、黒衣の男の声。

 

「……ツムギ」

 

少女は小さく、その名を呟く。 

不思議な響きだった。口にするだけで、胸の奥が少しだけ温かくなる。

 

気づけば。

少女は喫茶店“バロン”の前へ立っていた。

 

まるで導かれたかのように

 

「……」

 

ガラス越しに見える店内。

暖色の照明に木目調のカウンター、静かに流れるジャズ。

まるで、別世界みたいだった。

 

少女は数秒迷い――。

 

カラン。

 

小さくベルを鳴らして、店へ足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

喫茶店“バロン”

 

 

入口のベルに、狂三が顔を上げる。

 

「……あら」

 

そこに立っていた少女を見て、狂三は静かに目を細めた。

 

紫色の霊装に長い黒髪、月光みたいな瞳

昼間の少女だった。

厨房で洗い物をしていた紬も振り返る。

 

数秒、沈黙。

 

少女は少しだけ居心地悪そうに視線を彷徨わせた。

 

「……」

 

帰るべきだったかもしれない。そんな考えが頭を過る。

だが、その時。

 

「にゃ」

 

黒猫――クロが、少女の足元へ歩み寄った。

 

少女が目を見開く。クロは警戒する様子もなく、その足へ頭を擦り寄せた。

とても柔らかい感触に温かな体温。

 

「……嫌われて、ない」

 

ぽつり、と。小さな声が零れる。

狂三がくすりと笑った。

 

「クロさんは、気に入った相手へしか近寄りませんの」

 

「……そうなのか」

 

少女は恐る恐る、クロへ触れる。

ふわふわしていた。

クロは気持ち良さそうに喉を鳴らす。少女の表情が、ほんの少しだけ緩んだ。

 

その様子を見ながら、紬は小さく息を吐いた。

 

「……腹減ってんのか?」

 

少女の肩がぴくりと揺れる。

 

数秒の沈黙の後

 

こくり。

 

小さく頷いた。

それを見て、狂三が思わず吹き出した。

 

「ふふ」

 

少女は気まずそうに視線を逸らし、そんな様子に紬は苦笑した。

 

「座れ」

 

少女は恐る恐るカウンター席へ腰掛けた。

まるで初めて誰かの家へ来た子供みたいだった。

 

紬は少し考えると冷蔵庫を開き

ベーコンに卵を取り、作り置きのパンを取り出した。

 

「好き嫌いあるか?」

 

少女は首を傾げた。

 

「……よくわからない」

 

「そっか」

 

鍋へバターが落ちる。

 

じゅわっ――。

 

香ばしい音が店内へ広がった。

そこへ刻んだ玉ねぎを入れる。

甘い香りが漂い始め、少女の喉が、小さく鳴る。

それを聞いた狂三が肩を震わせた。

 

「お腹は正直ですのね」

 

「……うるさい」

 

少しだけ拗ねた声に紬は思わず吹き出した。

 

「ははっ」

 

鍋へコンソメを加え、野菜を煮込む。 

別のフライパンではベーコンを焼き、卵を落とす。

少女はじっと、その様子を見ていた。料理を作る姿を見るのは初めてだった。

 

火が弾ける音にバターの匂い、そしてスープの湯気

どれも知らないものばかりなのに、何故か、不安にならない。

 

やがて、こんがり焼かれたトーストと半熟の目玉焼き、甘い香りのスープが皿へ乗せられた。

 

「ほら」

 

紬がカウンターへ皿を置いた。

 

「食え」

 

少女は料理を見る。

出来立ての料理は湯気が立っており、そして"温かい"

その事実だけで少し驚く。

 

「……食べて、いいのか?」

 

「作ったの俺だしな」

 

「お代はわたくしが払って差し上げますわ。その代わり、後で猫さんを抱かせてくださいまし」

 

狂三がさらっと言う。

 

「勝手に決めんな」

 

「女の子に優しくするのも店主のお仕事でしょう?」

 

「便利な言葉だなそれ」

 

少女はそんな二人のやり取りを、不思議そうに見ていた。

楽しそうに笑い、起こる気配もない.....自分を見ても......化け物を見る目をしない。

 

「……?」

 

胸の奥が少しだけ落ち着かなかったが、少女は恐る恐る、スープを口へ運ぶ。

 

 

熱かった。

 

 

「っ!?」

 

慌てて口を押さえる。

それを見た狂三が吹き出した。

 

「ふふっ」

 

「熱いの苦手か?」

 

「ち、違う……!」

 

少し悔しそうな顔。

紬は肩を揺らした。

 

「ちゃんと冷ませ」

 

少女はむっとした顔で、ふーっと息を吹きかける。

 

その仕草が妙に幼い。

狂三はまた笑ったが、少女は不満そうに睨み返す。

 

再びスープを口にした瞬間、その表情が止まった。

 

「……」

 

温かい。優しい味がした。

身体の奥へ、じんわりと染み込んでいく。

 

次にトーストを口へ運ぶ。

 

サクッ。

 

音が鳴った次の瞬間。

少女の目が、大きく見開かれた。

 

「……っ」

 

暖かくて、柔らかくて...美味しい。

そんな感覚を、少女は初めて知った。

 

「どうだ?」

 

紬が尋ねる。

少女は数秒黙り込み――。

 

「……うまい」

 

小さく、そう呟いた。

その声はどこか嬉しそうだった。

 

狂三は静かに、その光景を見つめていた。

最悪の精霊、そう呼ばれる自分にはなかったもの。

誰かと食卓を囲むこと。誰かに食事を作ってもらうこと。

 

そして.....“居てもいい”と思える空間。

狂三はそっと目を伏せる。胸の奥が、少しだけ痛んだ。

 

 

 

 

 

少女は夢中でトーストへ齧り付いていた。

サクッ、と小気味良い音が響く。

 

「……」

 

無言、だが手が止まらない。

まるで、失くしていた何かを埋めるみたいに。

 

紬はカウンターの奥で、追加のコーヒーを淹れていた。

ドリップポットから細く湯が注がれ、立ち昇る香りに少女の視線が吸い寄せられた。

 

「それはなんだ?」

 

「コーヒー」

 

「こーひー……」

 

聞き慣れない言葉を、少女が小さく繰り返す。

その様子に狂三がくすりと笑った。

 

「苦いですわよ?」

 

「苦いのか?」

 

「子供には難しい味かもしれませんわね」

 

「む……」

 

少し悔しそうな顔に紬は思わず吹き出した。

 

「別に無理して飲まなくていい」

 

「.......私も飲む」

 

「対抗心燃やすなよ……」

 

少女は真剣な顔でカップを受け取る。

両手で持ち、恐る恐る口を付けた。

 

「……っ!?」

 

あまりの苦さに顔が歪み、それを見ていた狂三が肩を震わせていた。

 

「ふふっ……」

 

「に、苦い……!」

 

「だから言ったでしょう?」

 

少女不満げに眉を寄せるが

 

「……でも、嫌いじゃない」

 

ぽつり、と呟いた。

紬の手が僅かに止まり、少女はカップを見つめていた。

 

「なんだか……暖かい」

 

静かな声だった。

狂三はその横顔を見つめる。

 

きっと、少女は今

初めて“誰かと過ごす時間”を知ったのだ。

 

だから。

 

胸の奥が、少しだけ痛かった。

 

「……狂三?」

 

紬が視線を向けると、狂三はすぐに笑みを作った。

 

「なんでもありませんわ」

 

だが。

 

その笑顔は、ほんの少しだけ寂しそうだった。

 

 






『居場所』

独りでいることには、慣れていた

名前を持たない少女も
化け物を斬る青年も
最悪と呼ばれた精霊も

だからきっと

暖かな灯りは、少しだけ眩しかった
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