今日最後です。
ゼクス・インダストリー本社ビルの秘密地下工房で解析した、ビジョン・コーポレーションの極秘データ。そこから浮かび上がったのは、新エリー都のインフラ利権の影で蠢く
「……クラウス、六分街の全域で、民間通信の広範囲なシグナル
『はい、ハワード様。どうやらビジョン・コーポレーションが、明晩実施予定の旧地下鉄路線の爆破解体工事を前に、現地の周波数を強制的に遮断しているようです。彼らの公式発表では「誤爆防止の安全措置」とのことですが……』
「フン、あの強欲な鼠どもがそんな殊勝な理由で動くわけがない。あの下町の地下で、僕たちに掴まれた『讃頌会』のデータ以上に不都合な何かを隠蔽しようとしているな。……よし、少し表の顔で現地を偵察してこよう」
どこか懐かしい、レトロな静けさを湛えた下町、六分街。
高級スーツを身にまとったハワード・ゼクスは、自社の特殊な情報端末をポケットに忍ばせ、生身の姿で通りを歩いていた。周囲の電波はクラウスの報告通り、ビジョン・コーポレーションの専用周波数を除いて完全に不自然な不通状態に陥っている。
(これだけの規模の隠蔽工作だ。一体何を企んでいる……)
思考を巡らせながら歩くハワードの目に、一軒の古びたレンタルビデオ屋『Random Play』の看板が留まった。 ふと、ホロウから脱出し、この街の路地裏へ逃げ込んだあの泥棒猫の足取りが頭をよぎる。天才としての好奇心と、ビジョン・コーポレーションの動向を探るための拠点の確保を兼ねて、ハワードは暇潰しを装い、店のドアを押し開けた。カランカラン、とレトロな電子音が響く。
「いらっしゃいませ。……おや、六分街には少し珍しいお客様ですね。どのような映画をお探しですか?」
カウンターの奥には、レトロなPC端末に向かって熱心に作業をしている、黒髪の物静かな少年――アキラの姿があった。
「新エリー都の
ハワードはTOPS加盟の大企業の社長としての傲慢な大人の仮面を被り、不敵な笑みを浮かべてカウンターへ近づいた。アキラは丁寧な態度を崩さないものの、その瞳の奥には、場違いな高級スーツを纏った少年社長への、静かな警戒の色が宿っていた。
「それなら、最近入荷した名作サスペンスなどがお勧めですよ。……ただ、申し訳ありません。現在、このエリア一帯で通信障害が発生しておりまして、新規の会員登録システムが一時的に不安定になっております。お貸し出しには少しお時間をいただくかもしれません」
「通信障害、か。
ハワードが揺さぶりをかけるように探りの言葉を投げかける。
ハワードは知る由もなかった。このビデオ屋が、新エリー都の裏社会を揺るがす伝説のプロキシ『パエトーン』の拠点そのものであることを。そして、自分が去った直後に、あの泥棒猫が文字通り命懸けの依頼を携えてこのカウンターへ転がり込んでくることになるなど、天才の演算を以てしても、この時のハワードには知る由もなかった。
「僕たちはただ、ここで静かにビデオ屋を営んでいるだけですから。巨大企業のやることに一喜一憂しても、仕方がありませんよ」
どこまでも平穏を装う、鉄壁の防壁。ハワードはフッと鼻で笑い、そのまま引き返そうとした、その瞬間だった。
彼の高級スーツのポケットに忍ばせていた、ゼクス・インダストリー製の特殊情報端末が、微弱な衣服の擦れに紛れて、キィンと極めて
(……なんだ? この異常なデータトラフィックは……)
ハワードは手元の端末の画面に視線を落とし、その知性溢れる瞳を鋭く細めた。
ビジョン・コーポレーションが仕掛けた広範囲ジャミングを、力づくで中和しているだけではない。新エリー都のメインサーバーを含む全インフラネットワークの裏口を完全に占拠し、超並列演算を走らせている、見たこともないほど高密度で異質な暗号化通信の波形。新エリー都のどんな公的機関も、もちろんゼクス・インダストリーの既存データにすら存在しない、未知の超高度AI――『
「ハワード様、感知しました。このビデオ屋の内部、カウンターの直下から、新エリー都全体の通信インフラを根底からハッキング・掌握している、規格外の演算データが検出されています」
脳内に響くクラウスの驚愕混じりの声。
ハワードはゆっくりとアキラへ視線を戻した。ただのしがないビデオ屋の店主が、大企業のジャミングを物ともせず、都市全体のネットワークを裏から支配できるような怪物AIを隠し持っているわけがない。この穏やかな少年の背後に、新エリー都の常識を遥かに逸脱した『何か』が潜んでいることだけは、最早明白だった。
「……なるほど。新エリー都も、まだまだ捨てたものじゃないらしい」
「……何のことでしょうか」
アキラの声音が僅かに低くなり、パエトーンとしての冷徹な警戒が店内の空気を満たす。だが、ハワードはそれ以上追及せず、プラチナカードを財布へ収めると、不敵に口角を上げてみせた。
「いいさ、今日のところはこれくらいにしておこう。……だが、ビジョン・コーポレーションの化けの皮が剥がれるその瞬間、君たちがどの席でそれを見物しているか、楽しみにさせてもらうよ」
カランカラン、とドアの電子音が響き、ハワードは六分街の穏やかな街並みへと消えていった。
ビジョン・コーポレーションの陰謀を追うハワード、そしてその足元で底知れない技術の片鱗を覗かせたビデオ屋の店主。
下町の古びたカウンターを挟んで、二つの非凡な知性が静かに交錯した瞬間だった。
* * *
カランカラン、とドアの電子音が六分街の穏やかな空気を切り裂いて閉じる。
場違いなほど洗練された高級スーツの少年――ハワード・ゼクスが去った店内には、彼が放っていた特有の威圧感の残滓だけが漂っていた。
「……何だったんだ、今の人は」
アキラはキーボードから手を離し、少年社長が消えていったガラス扉をじっと見つめた。 ゼクス・インダストリー。新エリー都の支配層たるTOPSに名を連ねる、あの巨大軍事企業の若き総帥が、なぜこんな寂れた下町のビデオ屋に生身で現れたのか。
ただの冷やかしを装ってはいたが、あの少年の瞳は、まるでこちらの裏の顔を全て見透かしているかのように鋭く、不敵に光っていた。アキラのプロキシとしての鋭敏な直感が、あの少年を「単なる傲慢な金持ち」ではない、底知れない強者だと告げていた。
「お兄ちゃん、今の男の人、誰? すっごい高そうなスーツ着てたけど……新規の会員希望?」
カウンターの奥の隠し部屋から、妹のリンが不思議そうに顔を覗かせる。
「いや、ただの冷やかしだよ。……だけど、普通じゃない」
アキラは手元のPC端末のシステムログを確認した。
ちょうどハワードがカウンターに近づいた瞬間、僕たちのシステム――新しくインストールしたあの出自不明の超高度AI『
(まさか、
アキラが思考を巡らせようとした、その時だった。
ガチャン!! というけたたましい衝撃音とともに、店の正面ドアが勢いよく蹴り開けられた。
「うわわわ! あ、たたた……っ、鼻がぁ!」
すっ転ぶようにして店内に飛び込んできたのは、首輪に怪しい電子筐体をぶら下げた、息を切らした一匹の亜人の少女だった。見覚えのない少女は、テレビのニュースに映るビジョン・コーポレーションの生中継画面を指差しながら、必死の形相でアキラのカウンターにすがりついた。
「あの、だるまみたいなおっさんを信じちゃダメだにゃ! こいつは嘘をついてる!」
突然の乱入者にリンが目を丸くする中、少女は激しい口調で本題を切り出す。
「あんたたち、プロキシだろ!? あんたたちに、依頼がしたいんだにゃ!」
レンタルビデオ屋『Random Play』の裏側で、新エリー都の巨大な陰謀へと繋がる『本物のプロキシ』の歯車が、原作のシナリオ通りに、激しく回転を始めた。
* * *
レンタルビデオ屋『Random Play』のドアを閉め、ハワード・ゼクスは六分街の路地裏に待機させていた黒塗りの最高級装甲車へと滑り込んだ。
ドアが閉まり、外界の喧騒が遮断された瞬間に、ハワードはポケットの特殊情報端末を操作する。
「クラウス、六分街の偵察はここまでだ。本社へ車を戻せ。あのビデオ屋のカウンター下で検出された波形……あれはただのジャミング中和じゃない。都市インフラの根底をハッキングしている未知の演算システムだ。新エリー都の裏社会には、僕の想像以上に面白いバグが潜んでいるらしい」
『了解いたしました、ハワード様。……ですが、知的好奇心に浸っている猶予はなさそうです。先ほどビジョン・コーポレーションのパールマン代表がメディアの生中継インタビューで発表した通り、彼らは今夜、高度なエーテル爆薬を大量に積載した列車をデッドエンドホロウへ向けて発車させ、間伐通りの旧地下鉄路線を爆破解体する構えです』
車内に備え付けられたスマートディスプレイに、テレビニュースの音声ログとともに、ラマニアンホロウの立体デジタルマップが展開された。ハワードは座席の肘置きを強く握り締め、知性溢れる瞳を冷酷に細めた。
「より短期間、低コストでの完成を約束した入札の裏技が、ホロウの強引な爆破拡張工事というわけか。……あの強欲な鼠ども、公式には『誤爆防止の安全措置』などと言って六分街の全通信を
ハワードの脳裏に、先ほどビデオ屋のカウンターで静かにPCを叩いていたあの物静かな少年の姿がよぎる。あの規格外のAIの波形を操る者がプロキシであるならば、おそらく今夜実行されるこのビジョン・コーポレーションの傲慢な爆破計画を阻止するため、何らかの形でホロウの底へ先回りしようとするはずだ。
だが、他人の正義感に世界の命運を預ける趣味は、ハワード・ゼクスにはない。
「クラウス、工房のシステムをすべてスタンバイさせろ。……夜更かしの時間だ」
ゼクス・インダストリー本社、秘密地下工房。
眩いアーク放電の火花が薄暗い空間を散発的に照らし、金属を削る鋭い駆動音と溶接の熱気が響き渡っていた。
ハワードは高級スーツを脱ぎ捨て、黒いタンクトップ姿で作業机に立ち、工具を握り締めていた。
生身の肉体には、前回の戦闘で食らったノックバックの微かな痺れが未だ残っている。超能力も強化遺伝子もないハワードの身体は、容赦なく疲弊の悲鳴を上げていたが、溢れ出るアドレナリンと天才の意地がそれを力づくでねじ伏せていた。
「排熱ダクトの直径を20ミリ拡張。装甲表面のエーテル伝導率を15%抑制しろ。ホロウのどんな過酷な環境に突入しても、内部回路をオーバーヒートさせるな。システムが強制シャットダウンする棺桶なんて、二度と御免だ」
『了解いたしました。しかしハワード様、生体適性インジケーターがイエローラインに達しています。これ以上のビルド作業は、リアクターの負荷を考慮せずとも、ハワード様の肉体に深刻な反動を――』
「うるさいな。ビジョン・コーポレーションの粗大ゴミを前に、僕のテクノロジーが後れを取ったまま終わるなんて、僕のプライドが許さないと言っているだろう。それに、あの下町のビデオ屋にいた連中も、おそらく今夜の列車を止めにホロウへ潜るはずだ」
ハワードは額の汗を拭い、目の前で組み上がっていく真新しい流線型の装甲を見つめた。
前作の設計欠陥を完全に克服し、徹底的な排熱効率の向上と、ホロウの悪環境に最適化された最新鋭の戦闘殻。塗装すら施されていない、チタン合金そのままの白銀の肉体。鏡面のように磨き上げられたその外殻には、寸分の狂いもなく精密に配置された無数のリベットが刻み込まれ、軍事技術の結晶としての恐るべき美しさを放っている。
――『
ハワードが中央のガントリーステージへ足を踏み入れると、天井から伸びた無数のロボットアームが静かに作動を始めた。
ガシャリ、と肉厚なチタンのパーツがハワードの両足を挟み込み、ふくらはぎの装甲が複雑に噛み合わさる。ネジが自動で高速回転して締め上げられる鋭い機械音が工房に響き、太腿、腰、そして胸部へと白銀のプレートが吸い付くように連結されていく。
胸部中央に『ホロウ・リアクター』がスロットインされると、リアクターから眩いアークブルーの閃光が放たれ、エネルギーが全身の配線へと勢いよく駆け巡った。背部と大腿部の空力フラップが生き物のように一度だけ一斉に開き、ピタリと閉じて内部の排熱機構と同調する。
最後に、顔面を覆うヘルメットのマスクがガシャリと音を立てて密閉された。
真っ暗だった視界に、瞬時に網膜投影されたアークブルーの
『全システム、オンライン。スーツのフィッティング効率、前作より45%向上。ホロウ・リアクターの熱排気プロトコル、安定。……完璧な仕上がりです、ハワード様』
バイザーの奥で、ハワードは不敵に口角を上げた。
「あのビデオ屋の演算能力が勝つか、僕のテクノロジーが勝つか……。ビジョン・コーポレーションの鼠どもを地獄へ叩き落とすついでに、はっきりと白黒つけさせてもらうさ」
秘密のハッチが開き、両手足のジェットスラスターが青白いプラズマを噴射する。新エリー都の常識を過去にする、白銀の『