ローリング√コンクルージョン 〜俺のヒロインはどこだ!〜   作:胡麻蝉あぶら

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詐欺転生

 

 

「……?」

 

意識が浮上する。

泥の底から無理やり引き摺り出されたような鈍重な感覚。

 

真っ黒な髪を短く刈り上げた坊主頭。

身長は百九十センチメートルに迫ろうかという、規格外の長身。

分厚い胸板と丸太のような腕には、これまでの苛烈な生き様を物語るような無数の傷跡が刻まれている。

 

男──廻木渡(まわりぎ わたる)は、自身の顔に手を当て、ゆっくりと瞬きをした。

特徴的な、勾玉のような形をした太い眉が微かに動く。

 

自分が誰であるかは分かる。

しかし、それ以外の記憶がすっぽりと抜け落ちていた。

 

ただ一つの実感がある。

 

 

自分は死んだ。

 

 

死因は覚えていない。

最後に何を見たのか、どのような痛みを味わったのかも定かではない。

 

廻木は自身の身体を見下ろした。

なぜか上半身は裸で、下半身には黒いスラックスと革靴だけを身につけている。

 

 

(たぶん、ろくな死に方をしなかったな)

 

 

不思議と、死に対する恐怖や絶望感は湧いてこない。

あっさりと死を受け入れている。

どうやら陽の当たる道を歩むような、まともな生涯を送ってこなかったらしい。

 

それ以前に。

ここに鏡でもあれば背中を見て、抗争か何かで弾かれたかと一人ごちていただろう。

 

彼の背中には巨大な刺青があった。

 

己の尻尾に噛みつき、円を描くように羽根を広げた巨大な蜻蛉の和彫りだ。

終わりのない輪廻を象徴するかのようなその威圧的な意匠は、見る者を圧倒する凄みを放っている。

 

 

 

「六番の整理券をお持ちの方、三番窓口へどうぞ」

 

 

 

無機質な合成音声が響いた。

 

廻木が顔を上げると、そこはまるで区役所か市役所の待合室のような空間。

天井では蛍光灯がジジジと安っぽい音を立てて明滅し、壁には色あせたポスターが貼られている。

 

 

「……あの世の入り口も現代的なんだな……いや寧ろ古いのか?」

 

 

言われるがままにパイプ椅子が置かれた窓口へ向かうと、そこにはいかにもお役所仕事といった風情の、地味な眼鏡をかけた中年女性が座っていた。

首から下げた名札には、ただ『女神』とだけ書かれている。

 

 

「廻木渡さんですね。ご愁傷様です。あなたはつい先ほど、お亡くなりになりました」

 

 

事務的な口調で、女神と名乗るおばさんは書類にスタンプを押した。

 

 

「ああ、そうみたいだな」

 

「ですが、確認しましたところ、あなたは本来ここで死ぬはずのない運命でした。あなたは自身の運命に抗い、本来の寿命を投げ打ってある人物を救ったのです」

 

 

彼女は眼鏡のブリッジを中指で押し上げながら、淡々と説明を続けた。

 

 

「あなたの魂には、まだ生きるはずだった寿命が残されております」

 

 

つまり、手違いではない、しかし想定外の死であった。そのため、その残った寿命を消費するために別の世界──いわゆる異世界へ転生させるのだという。

 

ふざけるな、と廻木は思った。

 

死ぬ覚悟はできていた。

自分の意志で誰かを庇ったのだとしたら、それに後悔はない。

それを今更、聞いたこともない見知らぬ世界に飛ばして、残りの寿命を全うしろだと?

 

 

「……そんな勝手な話があるか!」

 

 

廻木は低い声で唸り、パイプ椅子から立ち上がろうとした。

彼の巨体が放つ極道めいた威圧感に、窓口のガラスがビリビリと震える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「行き先は、可愛い女の子がいっぱいいる世界になりますが」

 

「しょうがねぇな」

 

 

廻木はスッとパイプ椅子に座り直した。

 

 

可愛い女の子がいっぱいいる世界。

 

 

甘美な響きである。

 

良い酒飲んで、良い女を抱く。

それで男は幸せになるもんだと、心の中でガッツポーズを取る。

 

しかし、廻木はそこまで馬鹿ではない。

タダより高いものはないという前世の教訓が、彼の脳裏で警鐘を鳴らした。

多分、自分はぼったくりバーの経験があるなとどうでもいい推測をしながら。

 

 

「……一応聞くが、危険性はないのか? そっちの異世界とやらに行ってすぐ死にました、じゃあ元も子もない」

 

 

鋭い眼光で書類を印刷している女神を睨みつける。

女神はようやく廻木の方に顔を向け、少しだけ口角を上げた。

 

 

「安心してください。危険はさほどありません。あなたなら大丈夫ですよ」

 

 

その言葉の響きには奇妙な説得力があった。

その根拠は分からない。

 

 

「そうか。だったら手っ取り早く送ってくれ」

 

 

廻木は深く頷き、異世界への転送手続きを承諾した。

足元から眩い光が溢れ出し、廻木の巨体を包み込んでいく。

彼はその光の中で、まだ見ぬパラダイスへと思いを馳せていた。

 

 

 

 

 

 

 

だが、彼は致命的な確認を怠っていた。

 

 

 

彼は、女神の言う『可愛い女の子の年齢』について一切聞いていなかったのだ。

 

 

 

そのわずかな怠慢が、後に彼を絶望の淵へと叩き落とすことになるとは知らずに。

光が弾け、廻木の姿が市役所風の空間から完全に消え去った。

 

 

 

 

 

 

 

主を失ったパイプ椅子だけが残された窓口。

そこに眼鏡のおばさんの姿はない。

 

空間が陽炎のように歪み、ノイズが走る。

窓口の奥に座っていた女の姿が、全く別の存在へとすり替わった。

 

腰まで届くほどの輝くような白髪。

豪奢な装飾が施された特注のビジネススーツに身を包み、その上から漆黒のロングコートを肩に羽織っている。

 

デスクの上に足を投げ出し、深々と椅子に腰掛けているのは──どう見ても十歳にも満たないような、幼い少女だった。

 

少女は、自身の小柄な体格には不釣り合いなほど古風で立派な煙管を指に挟んでいる。

細く開かれた唇から、甘く重い紫煙が吐き出される。

 

幼い容貌とは裏腹に、その眼差しには途方もない年月を生きた者特有の執念と底知れぬ狂気が宿っていた。

 

 

「さあ……見せておくれ」

 

 

少女は喉の奥でクツクツと笑いながら、手元のタブレット端末を操作した。

 

画面に映っているのは、見知らぬ路地裏に降り立ったばかりの廻木の姿だ。

 

少女は舐めるように画面の彼を見ていた。

 

 


 

 

 

 

 

薄暗い路地裏だった。

鼻をつくような生ゴミの匂いとアスファルトの熱気。

室外機が唸る音が鼓膜に響く。

 

廻木はゆっくりと目を開け、周囲を見渡した。

 

 

「……ここが、異世界か」

 

 

転生。

女神は確かにそう言ったが。

 

廻木はオタク文化というものに疎かった。

 

そのため、「転生」という言葉を聞いて、赤ん坊からやり直すとか、別のイケメンの肉体に乗り移る、といった定番の概念を全く理解していなかった。

だからこそ、彼が最初に感じた疑問はひどく現実的なものだった。

 

 

「なんで俺、裸のままなんだよ」

 

 

記憶を失う前と同じ、鍛えられた巨体も。

背中の和彫りも、身体中の傷跡もそのまま。

 

しかし、そんな服の心配をしている場合ではなかった。

路地裏のすぐ外、大通り。

 

そこから地響きのような轟音と、人々の悲鳴が聞こえてきたのだ。

 

廻木は壁に張り付きながら、路地裏の出口から大通りの様子をちらりと覗き込んだ。

 

そこには、彼の常識を根底から覆す光景が広がっていた。

 

交差点のど真ん中で暴れ回っているのは、ヤクザでもマフィアでも特殊部隊でもない。

 

全身が毒々しい紫色をした、着ぐるみと粘土を混ぜ合わせたような、奇妙でポップなデザインの怪獣だった。

信号機をへし折りながら、謎の奇声を発している。

 

そして、その怪獣の目の前に立ちはだかっている存在に、廻木の目は釘付けになった。

 

 

「……なんだあれ」

 

 

フリフリのレースがふんだんにあしらわれた、ピンク色のドレス。

 

背中には申し訳程度の小さなリボンが揺れ、手には星型の装飾がついたステッキが握られている。

 

そのステッキを振るうたびにキラキラとした光の粒子が宙を舞い、怪獣の身体を弾き飛ばしていた。

 

その少女のすぐ横を、羽の生えたクマのぬいぐるみのような生物が、ふよふよと宙に浮きながら飛んでいる。

 

『がんばるマク! あと少しで浄化できるマク!』

 

『うん! いくよ、ラブリィスマッシュ!』

 

 

ピンクの髪をツインテールにした少女が叫ぶ。

ステッキから極太のピンク色のビームが放たれ、怪獣を光の中に飲み込んだ。

 

派手な爆発音。

怪獣は星屑のように消え去った。

 

廻木は路地裏の影で、口を半開きにしたままその光景を見つめていた。

 

 

「あれだ、あの……セーラームーンとかそういう……魔法、少女?」

 

 

アニメや特撮の知識が乏しい廻木でも、今の光景が何を意味しているのかは理解できた。

 

日曜日の朝に放送されているような、少女向けの変身ヒロインの戦い。

 

だが、ここは現実だ。

いや、異世界だ。

 

その瞬間、廻木の背筋にぞくりと冷たいものが走った。

猛烈な、嫌な予感。

 

 

(可愛い"女の子"が、いっぱいいる世界って……)

 

 

女子大生との合コン。

年上の色気あるお姉さんとのしっぽりとした飲み。

 

この後のパラダイスのイメージ。

それが遠のいたような感覚。

 

 

そして女神は言った。

危険はさほどありませんと。

 

一般人、逃げてるな。

 

 

 

 

 

 

「ふぅ、今日もなんとか間に合ったね!」

 

「早く変身を解いて、学校に行くマク!」

 

「分かってるよ! 誰も来ない路地裏で……っと!」

 

 

軽い足音を立てて、ピンクの魔法少女が急いで路地裏へと飛び込んできた。

 

つまり廻木の目の前である。

 

 

彼女はステッキを胸の前で構え、光の粒子とともに変身を解除した。

 

フリフリのドレスが消え去り、現れたのは──普段着のTシャツにデニムのショートパンツを履いた、どこにでもいる普通の少女だった。

年齢は、どう贔屓目に見ても小学校高学年。

 

というかランドセルを背負っている。

 

小柄。

華奢。

色気なし。

 

 

完全な子供だった。

 

 

変身を解き終えた少女が視線を上げる。

上半身裸で背中に和彫りを背負った廻木と、バッチリ目が合った。

 

沈黙が落ちる。

 

 

「あ、あれ? もしかして……見ちゃいました?」

 

「ま、まずいマク! 一般人に正体を見られたら大変マク! 魔法で記憶を消すマク!」

 

「なんだその語尾」

 

 

廻木は痛む頭を抑えながら安易な語尾に突っ込んだ。

 

 

「えっ!?」

 

ふわふわ浮いた小さなクマが、文字通り目を丸くして空中で静止した。

少女もまた、信じられないものを見るような目で廻木を指を指す。

 

 

「マ、マクロンが見えてる!? 一般人には見えないはずの妖精が見えるなんて……あなた、何者ですか!?」

 

 

テンプレート。

王道。

 

サブカル知識のない廻木でも、よくあるフィクションの展開くらいは知っている。

 

裏の事情を知らない一般人が偶然にも秘密を知ってしまい、特殊な素質を持っていたせいで戦いに巻き込まれるという、あれ。

 

 

 

廻木はゆっくりと天を仰いだ。

 

 

 

魔法少女が主役の世界。

 

見えないはずの妖精が見えてしまう自分。

 

そして目の前にいる、この世界のメインキャラであろう存在。

 

可愛い女の子がいっぱいいる。

その言葉に嘘はなかった。

 

なかった、が。

 

路地裏のコンクリートの壁に向かって、魂からの慟哭が響き渡った。

 

 

 

「馬鹿野郎ォオオオッッッ!!!」

 

 

 

 

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