ローリング√コンクルージョン 〜俺のヒロインはどこだ!〜 作:胡麻蝉あぶら
一年という月日は、男を魔法少女の相棒という奇妙極まりない肩書に馴染ませるには十分な時間だった。
ネクタイの結び目を少しだけ緩めた着こなしだ。
背中に背負った和彫りは、上質な生地の裏にぴったりと隠されている。
そんな彼が背を預けるのは、ピンク色の髪をツインテールに結った少女、
そして彼らが対峙しているのは、おぞましくもどこか気の抜けた外見をした怪獣──アンファンシーと呼ばれる異界の侵略者だった。
この一年で判明した事実がある。
アンファンシーとは羽の生えたクマのぬいぐるみ──妖精マクルンが住む、妖精界の征服を企む邪悪の軍勢であるということ。
奴らはこの世界の人間の心に潜む、わずかな陰りや悪意を蝕みながら現世へと侵略し、やがては妖精界を完全に滅ぼすための怪獣量産工場としてこの街を作り替えようとしていた。
それに敢然と立ち向かうのが、魔法のステッキを掲げて変身するピンクの戦士。
魔法少女ラブリィこと蜜木百花であった。
では、隣に立つ廻木は何をしているのか。
驚くべきことに、彼にも魔法少女の適性があったのだ。
当初、マクルンから「勇者としての素質があるマク!」と言われた時、廻木は戦慄した。
あのフリフリのレースがついたドレスを着せられるのではないかと本気で覚悟したのだ。
だが、幸いにも異界の力は固定化されたものではなかった。
纏う服装や発現する能力は契約者の本質、そして魂の形状によって千変万化する。
男である廻木が力を発現させた結果、彼はフリフリのドレスを回避し、現在の漆黒のスーツ姿へと落ち着いたのだった。
しかし、問題はその変身アイテムである。
「……流石にこれはねぇよな」
廻木はその口元に一本の棒を咥えていた。
マジカルステッキ。
異界の力を引き出すための聖なる触媒。
もとい魔法の──
「形状的には、まあ、ステッキ状と言えなくもないが……」
廻木は自嘲気味に呟くと、スーツの裾を払い、腰に差した一振りの日本刀に手をかけた。
静謐な金属音が響く。
次の瞬間、世界が静止したかのような神速の居合いが放たれた。
空気を切り裂く刃の凄まじい摩擦熱が、廻木の口元にある紙煙草の先端へと燃え移る。
赤黒い火花が散り、紫煙が爆発的に吹き荒れた。
煙草から吸い込まれた魔力は、廻木の肺を経由して全身の細胞へと行き渡る。
彼の元々持っていた超人的な肉体を、さらに一段上の魔神へと引き上げる。
それこそが廻木の持つ魔法。
手にする武器を。
己の肉体を。
ただ頑強に、鋭利に、圧倒的な破壊力へと変える。
方向性が違う。
廻木は紫煙の向こう側から、相棒であるラブリィの戦いをそっと盗み見る。
「ラブリィ・フラッシュ!」
彼女が可愛らしくステッキを振るうと、ピンク色のハート型のエネルギー弾が放たれる。
さらに、どこからともなく巨大でポップなデザインのピコピコハンマーを出現させる。
「えいっ!」
微笑ましい掛け声と共に怪獣の脳天を叩いた。
大通りからは、彼女を応援する街の人々の声が響く。
「がんばれー、ラブリィちゃん!」
「今日も可愛いよー!」
これぞ王道。
誰もが夢見る正義の魔法少女の姿だった。
翻って、こちらはどうだ。
廻木が冷徹な視線で残りの怪獣たちを睨みつける。
口元から濃密な煙を吐き出しながら、日本刀を滑らかに一閃させた。
マジカル一刀両断。
凄まじい質量を持った斬撃が、アンファンシーの巨体を縦真っ二つに叩き割る。
マジカル首刈り。
高速の斬撃が並んだ怪獣の首を飛ばす。
マジカル紅葉下ろし。
力で地面に叩き付けた怪獣の頭を走って擦り付ける。
レッドカーペットの完成だ。
ラブリィの攻撃を喰らったアンファンシーは、キラキラとした光の粒子となって美しく消滅していく。
しかし、廻木が対処したアンファンシーは生々しい肉塊と化す。
ドロドロとした臓物を撒き散らしながら、おぞましい呻き声を上げて消滅していくのだ。
やっていることは凄惨な解体ショーである。
「うっす、廻木さん! 本日もご苦労様です!」
「マジパネェっす、廻木さんの刀捌き! いや、刀裁き!」
いつの間にか大通りに集まっていた、地元の不良やヤクザ崩れのような男たち。
彼らが廻木に向かって一斉に深く頭を下げた。
ファンというより、完全に新興勢力の若頭を崇める舎弟の構図である。
廻木は煙草の灰を落とし、純粋に喜べない複雑な表情で彼らを手で払った。
そして、何よりも彼を悩ませている最大の要因が、戦いの後に訪れる。
「えへへ、廻木さん。今日もお疲れ様です!」
変身を解除し、元のちんちくりんな姿に戻った蜜木が、満面の笑みで廻木の腰へと抱きついてきた。
百花は純真だった。
この一年間、危険な戦いの中で廻木を全面的に信頼し、健気に付いてきた。
廻木としても、彼女にはこのまますくすく、真っ直ぐに育ってほしいと願っている。
彼女はもうすぐ中学生になる。
悲しいかな、大人の男というものは女子中学生からすればやがて「臭い」「近寄らないで」「洗濯物を一緒にしないで」と言われる運命にある。
今こうして懐かれているのも、一時的な子供の気の迷い。
今だけのご褒美なのだろうと、廻木は自分を納得させていた。
しかし、現実的な問題は別のところにあった。
百花を応援する人々の群れの中には、当然ながら大人の女性もたくさんいた。
ふんわりとしたエプロン姿の可愛いカフェの店員さん。
洗練されたスーツを着こなす、ブティックを経営するお姉さん。
露出度の高い服を着た、いかにもノリの良さそうなイケイケの女子大生。
少し疲れ気味な雰囲気が逆に色気を醸し出している、眼鏡のOL。
廻木のストライクゾーンのド真ん中に位置する美女たちが、すぐそこにいるのだ。
しかし、現在の廻木の足元には、彼をパパとでも呼ぶかのように無邪気に懐く女子児童が一人。
これではナンパなど出来るはずがなかった。
というか、以前実際に良さげなお姉さんに声をかけようとした際、百花が後ろからトコトコと現れたせいで、「あら、子連れパパさんなのね、微笑ましいわ」と完全に勘違いされ、不発に終わった苦い経験がある。
さらに最近、廻木が夜の街へと繰り出そうとすると、何故か塾帰りを主張する百花が、その夜の街の路地裏や交差点に出没するのだ。
「あ、廻木さん! こんなところで何してるんですか? 一緒に帰りましょう!」
無邪気な笑顔でそう言われれば、大人の男として、夜の歓楽街に女子児童を放置するわけにはいかない。
彼女を安全な自宅まで送り届ける羽目になり、廻木の華やかな夜の予定はすべて泡と消えるのだった。
(大人の世界に憧れて、ちょっと背伸びしたい年齢なのは分かるがな……)
廻木は心の中でため息をついた。
街を脅かす怪獣と、自分の春を阻む魔法少女。
ある意味でその二つの存在こそが、現在の廻木にとっての敵だった。
それからまた、少しの月日が流れた。
「──仕留めるぞ、百花!」
「はいっ!」
とある街外れの廃工場。
そこに君臨していたのは、周囲の建造物を遥かに凌駕する巨体を持った竜型のアンファンシーだった。
口からは有害な排気ガスをブレスとして吐き出し、背中に生えた無数の煙突や隆起した皮膚は、まるで工場そのものが生き物となったかのような禍々しさを誇っている。
竜の口内から放たれた、弾丸のごとき鉄塊の嵐。
それを廻木は刀による神速の剣閃で次々と微塵切りにし、火花を散らして防ぎ止める。
「今だ!」
廻木が作った一瞬の隙を見逃さず、ラブリィが空中へ跳躍した。
「ラブリィ・ファイナル・ジャッジメント!」
最大出力のピンクの光線が竜の胸元へと突き刺さる。
轟音と共に工場型の巨躯が崩れ落ち、光の塵へと還っていった。
ついに、この街を長きにわたって脅かし続けた邪悪の根源が倒されたのだ。
あの巨大な竜こそがこの街にアンファンシーを無限に生産し、送り込んでいた親玉。
いわゆるラスボスであった。
「やったぁ! これで妖精国は完全に守られたマク!」
マクルンが空中で何度も宙返りをしながら、嬉しそうに声を上げた。
廻木は刀を鞘に収め、深く息を吐き出す。
(これで、ようやく俺もお役御免か)
これからは怪獣退治というボランティアから解放される。
地下のファイトクラブあたりで路銀を稼ぎつつ、今度こそ腰を据えて、理想の女性を探す旅に出よう。
廻木はそんな明るい未来を脳内で描き、一人満足気に頷いていた。
そんな中、マクルンが何やら真面目な顔で百花の前に降り立った。
どうやら、今回の戦いでアンファンシーの親玉は倒したものの、妖精国そのものの基盤にはまだ不安定な危険が残されているらしい。
そこでマクルンは、妖精の力を最も見事に使いこなした百花を、妖精国の女王として迎え入れたいと提案してきた。
妖精界の意思と百花が契約を結び、彼女が女王となることで、妖精国全体の力を集結させることができる。
今後もし新たな悪が生まれようとも、それを未然に防ぐ強大な障壁を作ることができるという話だった。
「もちろん、百花に妖精国へ移住してほしいというわけじゃないマク! 契約を結ぶだけで、世界を守る力が強くなるという話マク!」
マクルンの説明を聞き、廻木は腕を組んで納得の声を上げた。
「なるほど。なら、いいんじゃないか?」
話を聞く限り、百花にとってのデメリットは特に見当たらない。
女王と言っても形式的な役職のようなものだ。
毎日玉座に座って国政を治めろという話でもない。
そもそもアンファンシーの親玉はたった今、自分たちが完全に倒したのだ。
新たな危機など、そう簡単には来ないだろう。
「もし何かあっても、俺もすぐ駆け付けるさ」
廻木は百花の緊張をほぐすように彼女の肩を叩き、大人の余裕に満ちた笑顔を向けた。
これから百花も中学、高校と進学していけば、勉強や部活で時間の確保が難しくなるだろう。
そもそも廻木はいざという時のために自分が戦力を維持し、彼女の代わりに戦うつもりでいた。
最初はただの子供のお守りだと割り切っていた。
だがこの一年、彼女は立派に戦い抜いたのだ。
これから訪れるであろう普通の、子供らしい輝かしい青春。
それを彼女には全力で謳歌してほしかった。
大人の男として、その平穏を守ってやりたいという純粋な庇護欲が廻木にはあった。
「それは頼もしいマク! これからもよろしくマク、妖精王様!」
「ああ、よろし……」
なんて言った?
蜜木百花という少女は、そもそも大人の世界そのものには大して興味がなかった。
クラスの女子たちが色めき立ち、芸能人の結婚ニュースや先輩たちの恋愛事情に黄色い歓声を上げているのを、彼女は一歩引いた目で見つめていた。
『やっぱり、付き合うなら年上の頼れる人がいいよねー』
恋愛のれの字も知らない、ませた女の子たちが抱く特有の、ふんわりとした理想像。
百花もまた、なんとなくそんなイメージを頭の片隅に置きながら、偶然手に入れた力で魔法少女として街を救う日々を送っていた。
ストライクゾーンに大玉が突っ込んできた。
それが廻木渡という男だった。
圧倒的な体躯。
極道めいた凄み。
それなのにどこか気だるげにシャツのボタンを外して手で風を送っている、その逞しい胸筋の谷間。
百花は並んで歩く彼の足元に、まるで雛鳥のように縋り付くのが日常になっていた。
こうして身体を密着させて甘えれば、彼はどれだけ文句を言いつつも、決して彼女を突き放さない。
動けないと言いながら、最終的には心配そうな、それでいてどうしようもなく愛おしそうに。
百花の頭を優しく撫でてくれるからだ。
彼女の心は、すでに恋愛や愛という生ぬるい段階を通り越し、一匹の雌としての本能へと成り果てていた。
廻木が自分以外の女に近づこうものなら、彼女はマジカルGPSを駆使し、先回りしてその可能性を全て潰してきた。
彼が夜の街に向かおうとすれば、「うっかり塾帰りに道に迷ってしまった可哀想な女の子」の街頭アクトを完璧に演じ分け、彼の前に現れた。
以前、本当にガラの悪い男たちに囲まれてしまったことがあった。
その時、駆けつけた廻木は一歩も引かず、最終的に十五人ほどのゴロツキを無傷で倒している。
銃弾を魔法なしのスウェイで回避するのは、本当に人間なのだろうかと思ったが。
戦いの後、恐怖とそれ以上の興奮で腰が抜けてしまった百花。
廻木は無言でおんぶして家まで連れ帰ってくれた。
彼の、あの広くて強固な背中にしがみつき、首筋から漂う大人の男の匂いを至近距離で嗅ぎ続けているうちに、百花は過呼吸になり、脳の回路が完全にショートした。
(ああ、私、この人と結婚するんだ)
幼さ特有のふわっとした恋愛観と、雌としての剥き出しの本能。
それが極限状態で悪魔合体を引き起こした。
彼女の中で廻木との婚姻の未来は、すでに揺るぎない確定事項として刻まれていたのだ。
「……百花?」
廻木が冷や汗を流しながら、恐る恐る隣の少女を見下ろした。
妙に静かだった百花がゆっくりと顔を上げ、廻木の顔を見つめていた。
その瞳からは先ほどまでの子供らしい無邪気さが完全に消え失せていた。
代わりに宿っているのは艶やかさと、底知れぬ独占欲。
彼女の小さな唇が獲物を追い詰めた肉食獣のように、妖艶な弧を描いて歪む。
「一緒に頑張ろうね、廻木さ……あ、ううん──ワタルさん」
妖精女王には、対となる存在が必要である。
女王が百花であるならば、その
番。
今すぐ逃げろ。
全速力でここから離脱しろ。
守るべきは彼女の輝かしい未来などではない。
今この瞬間、法と魔法によって完全に貞操を奪われようとしている、己の尊厳と未来だ。
廻木は女神から提示された条件を今一度、鮮烈に思い出した。
『貴方が行くのは、可愛い女の子がいっぱいいる世界です』
可愛い女の子。
確かにそうだ。
百花は可愛い。
だが、これは違う。
俺が求めていたのはそうじゃない。
せめて、もっと普通の。
俺のストライクゾーンに合致した、大人の可愛い女の子とイチャイチャする平穏な可能性を、俺は掴み取りたい。
廻木は自分が完全に致命的なルートに片足を突っ込んでいたことにようやく気付く。
そして、百花の手が彼のスーツの裾に触れる寸前、魔法の煙草を全力で吸い込む。
爆発的な推進力を得て廃工場の壁を突き破り、夜空へと飛び出した。
「俺のヒロインはどこだぁあああッッ!!!」