唐音と凪乃の恋の大出力   作:しろっこにー

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心と身体が一致しないってあるよね


ツンデレ彼女、試されるドクトリン(無理でした)

 

放課後に恋太郎ファミリーと過ごす時間も悪くない。けれど、それと同じくらい、彼氏と一緒にいられるお家デートも最強で最高よ。

 

 デメリットは時計の針が私達を急かしてくることくらい。だから、自宅の玄関で靴を履く彼氏の背中に、名残惜しさを感じてしまうのも時計のせいにしておきたい。

 

「ホントごめんね唐音。今日は早めに帰っておいでって両親に言われてるんだ」

 

 靴を履き終えた彼は立ち上がり、玄関を開けて外に出る。私は彼の少し後ろを着いていく。

 

「気にしないで良いわよ。そもそも早く帰れって言われてたしね、羽々里に」

 

 今日は“理事長”の「仕事が立て込んでて睡眠不足気味だから寝る! 無理! だから皆んなも今日は早く帰りましょう! 部活も休み『ぐーぐー!』よー!」の一声で即下校となった。

 

「で、でも、唐音がせっかく誘ってくれたのに、俺の都合で彼女との時間を踏み潰してしまうことに罪悪感だったり悲壮感だったりが押し寄せてきて。これはもうケジメに指を差し出さないと......」

 

「その指をもらった私の予後を考えなさいよ」

 

 好きも突き抜けると流血も辞さないらしい。彼氏に貰った指の使い道なんて考える余地もないけど、ふと、恍惚な顔をした凛の『戦地から還ってきた旦那様の指を口紅がわりに使う未亡人のシーンがとっても素敵でバイオレンスわ〜』の言葉を思い出す。表現が刺激的で怖かったけど......。その時、婀娜っぽい色気に胸が高鳴っていた私もいた。

 

 口紅......。別れを惜しむように顔を歪めている彼氏の前でこっそりと、自身の唇を少し舐めた。胸に手を添える。その手は服をぎゅっと握った。

 

「(もう少しだけ......)」

 

 何の因果か、今日は家族も旅行でいない。だから思い切って、恋太郎をお家デートに誘った。

 

 安定したツンデレ因子の精密射撃は、引き金を引くごとに、私へ成果という名の自信をくれる。この自信は、踵を返すだけとなった彼氏の背中を呼び止める勇気をくれる。

 

「れ、恋太郎っ!」

 

 そしてこの勇気を、彼氏に、ちゃんと好きって伝えられる一撃へと点火させる。

 

 私は恋太郎の胸ぐらを掴んで引き寄せた。目標地点は彼の唇だ。座標指定はミスらない。それだけの自信は培ったつもりだ。

 

 弾着は、今。私の唇が彼の体温と重なった。焚き火の揺らめくような音が頭の中に響き渡る。高熱にあてられる前に撤退。彼から半歩退いた。学校でも実行したドクトリンに従い、火加減のコントロールに努める。

 

「か、唐音......」

 

「き、今日は私からしたんだから、次きたら、あんたからしないと許さないだからねっ」

 

 もっと一緒にいたいけど、ワガママも言いたくない。だから思いつきの戦術だけど、不器用なりの最大火力を彼に手向けた。

 

「......ああ、またお邪魔させてもらうよ」

 

 私の頭を撫でてくれる恋太郎の顔は、夕焼けに赤く染まっている。そして多分、私も。この熱の排出は暫くかかりそう。

 

 次回の約束も取り付けられた。もし忘れたら、私が両手を広げて飛び込んでやるんだから。

 

「じゃあね唐音。また明日」

 

「うん、バイバイ恋太郎。また、明日」

 

 恋太郎は踵を返し歩き出す。彼の姿が曲がり角で見えなくなるまで見送って、私も家の中に戻った。指先で触れ合った箇所をなぞりながら階段を上る。

 

「えへへっ」

 

 だらしねぇ声が出た。これまで身体中を巡っていた自己嫌悪の痛みが、今は心地よい充足と循環を繰り返していた。

 

 自室のドアに頭をもたれる。深く息を吐いた。今日は有意義な一日だった。自信を持って言い切れる。

 

 ドクトリンと聞いて最初は取っ付きづらかったけど、頑張って良かった。凪乃にお礼を言わないとね。私はニヤける顔を押さえながら、自室のドアを開けた。

 

「............え?」

 

 何でここに?(着たい)すぐに違和感に気づいた。ここは私の部屋だ。私の空間であり、私の支配する領域。だがそこに、いてはならない物があった。

 

 私は緩み切って丸まった背筋を張り詰める。

 

 唐音ドクトリンの基本原則は状況把握だ。状況を俯瞰し、逆算して解決の糸口を手繰り寄せろ。

 

「(気づけなかった。浮かれていた。恋太郎はもう帰ってしまった追いかける? いや無理だ。時間が経ち過ぎている。まずい、これじゃあ──)」

 

──ツンデレ因子の制御が崩れる。

 

 全身が泡立つような緊張が走った。出力安定に絶大なる危機が訪れる。だが、影があるということは、そこに光が差しているということだ。

 

 速攻。視線は部屋の隅に鎮座する対象物から動かさない。視線は部屋の隅に鎮座する対象物から動かさない。スマホを見なくても指は滑らかだ。この二週間で彼女との連絡要領はとっくに習熟している。

 

「こんばんは院田唐音。どうしたの」

 

「凪乃ごめん。要件を端的に伝えるわ」

 

「助かる。今、学校の課題を消化していたところ。終わったら折り返しで連絡する。それで要件は?」

 

 私には頼れる仲間がいる。今日の体育だってアライバコンビ(もとプロ野球選手の二遊間コンビ)顔負けの守備を二人で構築し、劣勢だった戦況をヒットエンドラン(移動間射撃)の戦術で塗り替えて勝利した。自惚れかもしれないけど、私達って相性悪くないと思うの。

 

 だから、協力して......。

 

「恋太郎が、私の部屋に運動着を忘れていった」

 

 パタンッ──スマホ越しに、本を閉じたような音を観測する。

 

「把握した。優先順位を繰り上げる」

 

 彼女の選択の速さには脱帽する。戦線共闘、背中を汗が伝う。武者震いした。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

『院田唐音。まずは情報を共有したい。クロックポジションで簡潔に説明して』

 

「了解。私は今、自室の扉を背にして立っている。正面には窓。これを十二時とする。そこから二時の方向、ベットの脇。距離は私の歩数で約四歩。その地点に恋太郎の運動着入りナップザックを確認したわ」

 

『了解、院田唐音。ハンズフリー』

 

「分かったわ」

 

 落ち着きはらった声の指示に従い、私は扉の脇に置いていた通学カバンに手を伸ばす。取り出したのはワイヤレスイヤホン。凪乃と一緒に買ったものだ。それを左耳に装着し起動させる。

 

──認証、院田唐音様。デバイスとペアリングしています......。完了──

 

 接続成功。両手を擦り合わせる。これで手は自由になった。機動力の確保、片手スマホでこの状況の打開は無謀だ。互いの認識に相違はない。

 

「凪乃、接続したわ。感度は良し?」

 

『私も接続した。感度良し』

 

 透き通る声に、頭がクリアになっていく。ちょっとした清涼剤ね。

 

「ふぅ、あんたの声やっぱり落ち着くわ」

 

『......その脱線は無意義に近い』

 

「ごめんごめん。そうよね」

 

 意識を運動着に戻した。この事態へ冷静に対処するために彼女に頼ったのだから。彼女のおかげで思考は鮮明になった。だったら後は、目的を果たすのみ。

 

『院田唐音。この二週間で、あなたの性格や嗜好は網羅している。そして、私にコンタクトを取った理由も』

 

「うん、私のドクトリンはまだ未完成。だから凪乃、サポートして」

 

 余計な感情を呼び起こすことなく、恋太郎へ無事に運動着を届ける。私のドクトリンを総動員して達成させるべき命題である。

 

『ええ、最善は尽くす』

 

 私はツインテールをほどき、ポニーテールに結い直す。しゅるりと、運動着に立ち向かう意思の撃鉄を鳴らし、激熱の一歩を踏み出した。

 

「ありがとう。それにしても恋太郎はだらしないわね。今日だってスコアブック忘れたりさ」

 

『それだけあなたに心を許している証明でもある』

 

 二歩目。私はスマホを開き恋太郎へメッセージを送る。文面は【恋太郎。運動着忘れてるわよ。洗って明日持っていくから。しっかりしなさいよね】だ。すぐに既読がついた。【ごめんありがとう。お言葉に甘えさせていただきます】と返事がくる。うしっ。これで邪魔は入らない。

 

「とりあえず洗濯はしてあげた方が良いわよね。もぉ、仕方ないんだから」

 

『彼氏の至らなさごと抱きしめるのも、彼女として当然であるべき』

 

 三歩目。もう目の前だ。そうこれは彼女として当然の行動。私的空間に残されたものを『どう扱おうが私の自由』であり権利だ。私はドクトリンに従って理性ある振る舞いに努める。それは凪乃へ手向ける感謝の形でもある。

 

「そうね。はぁ......。はぁ......。抱きしめるのも彼女のおつとめなんだからね」

 

『息が乱れている。大丈夫?』

 

 四歩目。私の視界はピンク色に縁取られている。心臓は血液の供給運動を高速で繰り返す。愛の高稼働は目下、つつましく置かれたナップザックへと指向性を保持し、排熱と評して半ば飛びつくように、彼の運動着を胸に抱き抱える駆動思想に彩られた。

 

「つーかまーえた♡」

 

『.........院田唐音。あなたの発言と行動が不一致、冷静さを欠いている。落ち着いて』

 

「凪乃、これは威力偵察よ。あえて攻撃することによって、相手の規模や戦力を暴き出す効率的な情報収集なの」

 

 私はナップザックの紐を引き、中から紺色の運動着を取り出した。Lサイズ。彼の存在が視界いっぱいに広がる。

 

『威力偵察は小隊規模(30〜60人)から。あなたのドクトリンモデルは個人携行火器。一個人の領域を出ない。深追いは厳禁』

 

「ちょっとだけ、ちょっとだけ匂いを確認するだけ」

 

『......一回の吸引に留めるのが原則。それ以上はあなたの判断基準に甚大な損傷(エラー)を引き起こす』

 

「分かってるわよ。一回だけ、いっかいだけ」

 

 私は彼の運動着に顔を埋めた。

 

 スゥ──。お日様を吸い込んだ匂いが、私の奥底にある記憶を立ち上げる。白球を追いかけた男の子のうねりが、瞼の奥で色めき立った。

 

 体育の授業、スコアは五対四の一点ビハインドだった。ツーアウト満塁。ラストバッターは恋太郎。一打同点、長打ならサヨナラ勝ち。さながら天下分け目の大勝負。男子の方は大盛り上がり。試合を終えた私達も固唾を飲んで彼を見守った。

 

 ピッチャーからの猛攻を、恋太郎は額から伝う汗を乱暴に拭いながら歯を食いしばって耐え抜く。そして迎えたフルカウント。恋太郎の振り抜いたバットがボールを真芯で捉えた。

 

 カキーンッ!!!

 

 ボールは空へ一息に駆け上がり、柵を越える。逆転サヨナラ満塁ホームランだ。ドラマチックな展開に周囲は酔いしれ歓声を上げる。恋太郎はチームメイトに祝われながらダイヤモンドを颯爽と駆けていく。黒髪を風になびかせた彼は、額に五指を伸ばし、満開の笑顔で私達に応えた。それがカッコよくて鼻が高くて、そんなあなたの彼女なんだよねって胸が熱くなって。勝ち負けを越えた先に芽生えた高鳴りは、あの日の廊下、初めて出会った瞬間に生まれ落ちた恋を、嘘じゃないって証明してくれた。

 

 恋太郎から受け取ったこの熱を、肺の中に注いでいく。ホントのほんとに名残惜しいけど、これはあくまで偵察よ。一回で離脱、歯止めをかけられるのがデキる女の子の最低条件、欲張っちゃいけない──

 

「............スゥ─」

 

 わ け が な い。

 

『二回目を感知した。その先は危険区域。戻りなさい院田唐音』

 

 無理無理無理、阻めない。静止する声を掻き消すように彼の匂いを私は貪る。土埃と汗が染み込んだ運動着は、私の五感をフル稼働させ熱気の渦へと引き摺り込んでいく。

 

 

 ドカーン。バリバリバリ、ドチューンドチューン。ワーキャー。ダババババっ。ニャーんニャーん。

 

 

 脳内麻薬が重火器さながらの様相で私の中を飛び交った。ふにゃーん⤴︎ 好き好き好きっ。ハートマークの鉛玉がありったけの花束で包まれて発射される。秒間大好きインフィニティ発の愛の機関銃射撃よっ。

 

 目玉焼きが焼けそうなくらい顔が熱くなっていく。鼻からベイビー三回四回ごろっかい。苦しい、痛くて気持ちいい。もっと欲しがってしまう私が、私自身の領域侵犯を肯定してしまう。早急に和平を結べばまだ間に合う。ふぅ、銃を構えるのはお終い。

 

「はぁ......。凪乃、威力偵察は無事に終えたわ。これは敵じゃない。以後は和平を結んで終結よ」

 

 服を、脱いだ。素肌が部屋の空気に晒され張り付く。ローズ模様をあしらった下着は、凪乃とお揃いで買ったものだ。「紐パンは脱ぎやすくて効率的」と勢いで購入したけど、わりと気に入っている。それはそうと短パンに手を這わす。

 

『言葉の意味が重複しているけど、和平には賛成する。迅速に行いましょう。内容は?」

 

「私、運動着、着る」

 

『それは、本人に確認をとった方が』

 

「洗って返すから問題ない」

 

 すでに短パンは履き終えた。恋太郎の太ももに、私の太ももが挟まれているみたいでムズムズする。だが構うな。いけっ。私は上着を被り、袖を通した。

 

「......んぁぁ♡」

 

 サイズが違うから全体的にダボッたい。袖口なんて手が半分以上隠れている。ゆるふわ大っきい。着たからこそ分かる愛城恋太郎という存在のデカさ。身体も心も深いところまで抱きしめてくれる。捕まえたつもりが、捕まったのは私なのかもしれない。こ、これが包囲移動......!? か、囲まれちゃった......。全方位からの彼氏の抱擁、熱烈な平和条約締結よ。

 

「んふ、ふふふ、ふふふふふ♡」

 

 彼の運動着の襟元に顔を忍ばせる。膝を抱えて身を寄せ合った。私の中で鳩が飛び舞う。構築したドクトリンは平和への階段を着実に作っていた。

 

「凪乃〜凪乃〜。私いま、最っ高に幸せよ〜」

 

『へ、平和になったようで何より。でもおイタは程々が賢明。停戦(満足)したのなら本来の目的(洗濯)に軌道修正するべき』

 

「いいえ、戦後復興が残っているわ。安全保障と領土の再確定。鉄の玉はインフラ再建の資源に転化させるわ。最高最高率で復興させる為に、私も恋太郎に全てを差し出すのが筋ってもんよね」

 

『......少し、何を言ってるか理解が追いつかない』

 

「まだ私は、下着(国境)を脱いでいない」

 

『国家結合......!?』

 

 頭で考えるより早く、パンツの紐に手が伸びた。鼠蹊部を包む三角のシャンデリアが肌を甘美になぞる。別に可笑しくなったわけじゃないんだからね。目的への足がかりが明確なだけなんだからね。互いに寄り添うための自己開示よ。決して乙女の情動に振り回されている訳ではない。

 

『院田唐音、あなたは今、冷静じゃない。今からでも遅くはない。建設的な着地点を模索するべき』

 

「凪乃。人って、理屈だけじゃ満足できないの。胸の奥から込み上げる衝動に、振り回されながらも身を委ねたいの。論理は、感情を踏み潰す道具じゃないでしょう?」

 

『ええ、その通り。でも......。自己を正当化させる刃でもない』

 

「......何だか優しくなったわよねあんた」

 

 思えば濃い二週間だった。彼女が抱きしめてくれたあの日から、自分自身が前向きに変わり始めた気がする。嫌っていた筈のツンデレ因子にも愛着すら湧き始めていた。凪乃のおかげで、好きを伝えられる“一段目”を作れたんだ。

 

『それは皆んなのおかげ。もちろんあなたもその一人。だから──!』

 

「ありがとう。じゃあ、行ってきます」

 

『......分かった。無事に帰ってきて』

 

──プツン。ツー。接続が切れました。

 

 部屋に沈黙が落ちる。荒廃した都市に放り出された錯覚を覚えた。

 

「はぁ...はぁ......ハァ...」

 

 息が乱れる。身体は、沸騰した蜂蜜をぶっかけられたかのように滾っていた。排熱はもう追いつかない。ならばとことん振り切ってしまおう。

 

「はぁはぁ......くっ、ぬああぁぁ!!」

 

 私は唸る身心のままに紐をほどいた。届ける。その一心で愛城恋太郎の運動着に全てを曝け出す。

 

 これが今、私の繰り出せる愛の超射程、好き好き大好きミサイルよっ! 

 

 私は私に敬礼するっ!!

 

 ──しゅるり

 

「............はぅあ♡」

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 ──意識が戻ったのは、翌日の朝だった。倦怠感と、晴れやかな達成感。全身のベタつきと、彼氏の匂いが歪に混ざった微睡の中で、私の目に飛び込んできたのは、普段の登校時間をとっくに超過した数字だった。

 

 ............あ、洗ってねぇ。

 

 弾道計算を誤った。彼氏の運動着を洗濯機に叩き込み、お急ぎボタンでぶっ掻き回す。私はすぐに身支度を整え、洗い終わった運動着を抱えて家を飛び出した。

 

 教室に着くやいなやの韋駄天で、彼氏の運動着を教室の隅に、干すっ! 背中越しの視線に努めて冷静に振る舞い、私は恋太郎に歩み寄った。

 

「おはようっ! な、何でか分からないけどか、乾かなかったから教室で乾かすことにしたわ」

 

「おはよう唐音。それで遅かったんだね? そこまで急がなくても良かったのに。今日は体育ないし」

 

「か、返すって言った約束を反故にするわけいかないでしょっ」

 

「きゅんっ! 真面目で律儀な唐音がすっごく可愛いよ!」

 

 ズキューン。不真面目でふしだらな心に純白の弾丸が撃ち込まれた。やめろ恋太郎、今の私にその言葉は禁句である。昨夜の記憶の断片に、全身が震え立つ。

 

「べ、べべっべっべ、別にあんたの運動着でえっ『おはよう、遅かったわね院田唐音』な、凪乃......!?」

 

 助かった。私の暴発しかけた衝動を彼女が遮ってくれた。でも彼女の顔はどこか怒っているようで、不機嫌そうな眼差しで私を見ている。

 

「お、おはよう凪乃、昨日は」

 

「私は今、少しだけ怒っている」

 

「......やっぱり?」

 

「昨日のあなたは独断専行。私の意見を顧みず、自身の意思決定を優先した。私に指揮系統を委ねておきながら、[[rb:資源 > 運動着]]を独占し誇示した」

 

「ご、誤解よ。別に私は一人占めなんて......」

 

「言い訳は、無意義」

 

 凪乃が私の腰に手を添える。慣れた要領で引き寄せられた私の身体が彼女に埋もれた。悪あがきで放った豆でっぽうは、堅牢な一言に容易に防がれ柔らかな反撃をくらう。これは片栗粉と水を2:1で掻き混ぜたヤツ。抜け出せない。だ、ダイラタント流体......!?

 

「院田唐音。あなたは今日一日、私をサポートする義務がある」

 

「ど、どういうことよ?」

 

「私は全ての教科書を家に置いてきた」

 

「誤射ってレベルじゃねぇ!?」

 

「凪乃、そんなこともあろうかと、俺は予備の教科書を備えているんだ! 良かったら使って......!『心配ない。院田唐音に見せてもらう』は、はい!」

 

 彼女は恋太郎の提案を一太刀で切り伏せる。そして鋭さを宿した瞳が私に近づいてきた。白い髪が、ヴェールのように私の顔を包囲する。逃がさないって意思を静謐な香気に纏わせて。それはこの二週間で何度も経験した彼女の最大火力だった。彼女のドクトリンに、私は反抗的な意志を向けるのが精一杯。戦況は圧倒的に不利である。お、終わった......。

 

「偵察後の帰来報告は仔細に聞かせてもらう。ゆっくり、話し合いましょう」

 

「も、黙秘権は?」

 

「ない。最善を尽くすべき」

 

「ば、ばかぁ」

 

 その後、私は一日中彼女をサポートする建前で、洗いざらい昨日の出来事を報告した。羞恥が何度も爆発する。でも私には、机をくっつけられてしなだれかかる彼女から逃れる戦術を持ち合わせていない。彼女から放たれる問いに、顔を熱くさせながら対応することしか出来なかった。

 

「昨日の最高到達点は?」

「い、いっぱい円っ」

 

「報告とは私情を挟まない。端的に事実だけを述べる。それが信頼を積む」

 

「〇〇回くらい......」

「では次、詳細な一部始終を......」

 

「う゛ー!!」

 

 何が事実だけよ。私の心を掘削するんじゃねぇ。

 

「冗談。結果論だけど、私はあなたの有意義な表情に満足している」

 

 彼女の笑みが、私の異議申し立てをする牙を抜く。そんな彼女に苛立ちを向けるけど、どこか愛着めいた気持ちを吐露したくなる私もいる。私を助けてくれたから? 優しく手を伸ばしてくれたから? まだ、まとまりきらないし不本意な感情だけど、これはこれで、座りが良い。

 

「でも院田唐音。あなたのドクトリンはまだ未完成。今回の痴態は黙認するけど、補備修正は怠らないで」

 

「わ、分かってるわよ。でもさその、ありがとうね」

 

「......その感謝の言葉は文脈的に唐突。意図は?」

 

「うーん。“分からなくても良い”ってやつよ」

 

「......ちょっぴり生意気」

 

「あ、顔赤いわよ凪乃。照れてる?」

 

 私は彼女の顔を覗き込む。すると彼女は私のほっぺに、人差し指をツンと添えた。

 

「好きに、受け取れば良い」

 

 凪乃の本心がちょっぴりだけ垣間見えた気がする。私はその手を取って、机の下で握り直した。彼女は私の判断に意を唱える素振りもなく、ノートにペンを走らせている。表情は、穏やかだった。

 

 私は反対側を向いて窓を見つめる。今日も良い天気。運動着も、お日様の光を吸い込んで乾いてくれることだろう。

 

 私は凪乃の手をきゅっと握る。彼女も強めに握り返してくれた。

 

 二人で作った階段は、これからも続いていく。そんな兆しを、彼女から伝わる体温が証明してくれているような気がした。

 

 

 

 

 〜完〜





最後まで読んでいただきありがとうございました(`・ω・´)ゞ

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