魔力ゼロのTSメイド俺、魔法学校を作法で無双する 作:滝浪酒利
周囲には、大量の白い砂とボロボロのメイド服の切れ端が散乱していた。
まるで途方もなく長い間放置されたことで、ただ一人以外は全て崩れ去ってしまったかのように。
カチカチと歯を鳴らしながら俺は震えていた。手元で、魔法で生み出したティーカップがソーサーに当たって音を立てる。
恐怖したからではない。打ちのめされたからだ。
まるで童話の世界の眠れる姫君のように、両手を膝の上に合わせて椅子に座った緋色の髪のメイドさんは、あまりにも美しかった。
閉じられたまぶたの長いまつ毛、西洋人形のように整った顔立ち、一流の彫刻家が女性美の極致を削り出したような美しく起伏に富んだ長身。
そして何より、純白のヘッドドレスと、フリルをあしらったフレアスカートを備えた、黒白のメイド服の組み合わせが、途方もなく美しくて。
なぜこんなところにメイドさんがいるのか、ここは一体何なのか。
そんなことは、もうどうでも良かった。
ただ、至高の存在がそこにある。その事実を理解することだけで、俺の頭は手一杯だったのだから。
数秒か、あるいは数分か。俺は永遠にも思える時の間、俺は呼吸も忘れてただじっとメイドさんを眺め続けていた。
突然、ゆっくりと彼女の目が開いた。
「――――‼」
息をのむ。
七色に煌めく不思議な瞳が、焦点を合わせるように空をさ迷ってから、俺を見た。
「あなた、は……人間様ですね!」
雲の上に響くような澄んだ声を震わせて、彼女は俺に向かって、天使のように微笑んだ。
心臓が爆発しそうなほど高鳴った。感動で膝が震える。こんなに可愛く、美しいものから笑みを向けられた事実に、頬から涙がこぼれ落ちた。
すっと、静かにメイドさんは立ち上がり、そして気づけば目の前に立っていた。
「このお茶、あなたが淹れたのですか?」
「――は、はい」
それだけを言うのが精いっぱいだった。いただいても? という微笑みに、化石のように固まった首を何とか動かして頷きを返す。
そっと、白い指が俺の手からティーカップを取り上げた。
そして桃色の唇が、上品にそれを含んで。
「……美味しいです」
その言葉を聞いた瞬間、俺は比喩でなく死んでもいいかもと思った。
同時に、直感していた。このメイドさんはきっと人間じゃない。全く別の生き物だと、一切の誇張なく、ひたすら純粋に確信していた。なぜならば、
こんなにも可愛くて美しい存在が、人間であってたまるものか。
では彼女は何なのか? それは分からない。けれど、とにかく俺の想像を超えた、おそらくなんかすごい魔法に関係した存在であることに間違いないと直感して。
思い出したように、彼女に向かって頭を下げた。
「あの、メイドさん! 助けてください!」
「はい。もちろんです!」
ノータイムで、メイドさんは微笑んだ。
「私は神の命によって、あなたたち人間のために造られた種族。どうぞ何なりと!」
あ、でもその前に、と。
彼女は照れくさそうにはにかんで、言った。
「お茶をもう一杯、いいですか?」
――そうして俺は、今までの経緯をすべて話していた。
オクスホードで魔力ゼロの劣等生だと言い渡されたこと。
単位を稼ぐために課外授業に来たこと。殺人ゴーレムの襲撃にあって仲間を半数殺されたこと。残った二人とも崩落に巻き込まれてはぐれてしまったこと。
それらを震える喉で言い終えて、俺はもう一度頭を下げた。
「だから、お願いです! 俺と、その俺の友達……じゃないけど、知り合い二人を助けてほしいんです」
顔を上げてください。そう言ったメイドさんは、しかし申し訳なさそうに頭を下げてきた。
「でもごめんなさい。私には無理です」
「え」
「長い間眠り過ぎていたので肉体の劣化が激しいのです。……だから申し訳ありませんが、今の私にできるのは、せいぜいこうやってお話をするのが限界なのです」
「そんな……」
「でも、その二人を助けることはできますよ!」
彼女の白い指が、ぴとりと俺の頬を触った。ひんやりと冷たいその感触は、けれどとても優しい冷たさだった。
「人間様、あなたのお名前は?」
「……ノクト。ノクト=オルフェーブルです」
「ではノクト。あなたがやるんです! あなたの力で、その二人を助けましょう!」
明るく言ってのける彼女に、俺は耳を疑った。
「そんな、無理です。だって、俺はただの劣等生で……!」
「そんなことありません」
「――え?」
「ノクト。あなたは、自分のことを魔力ゼロと言いました。それがいいのです。
確かに、あなたには全く魔力がありません。だからこそ、それが最高にいいのです!」
どういうことかと困惑する俺に、彼女は続けた。
「真実をお教えしましょう。魔力とは、あなた方人間が本来持っていた力が劣化したものなのです。現在の魔法は、かつてはまったく違うものでした。もっと強大で、圧倒的で、美しい力だったのです。その力の名は、作法!」
作法。その単語に、俺は困惑を隠せず何度も瞬きをした。
「ずっと昔、この世界の人間はとても弱い種族でした。妖精のように強力な催眠能力を持たず、ドラゴンほど強大な肉体も持たない。
だから神は私たちメイドを造りました。人間を守りながら、彼らにこの世界を生き抜く力を、作法を与えるために」
そんな俺を余所に、メイドさんは説明を続ける。
「私たちメイドは使命の通り、あなた方人間にそれを授けました。そして力を獲得した人間は、自分たちよりも強大な種族に対抗する術を得て、文明を発展させました。……けれど、作法は修得が難しく、ごく一部の人間にしか使えなかったのです。
だから人間はより手軽な力を求めて、教えられた作法をもっと扱いやすく、簡単なものへと劣化させていきました。それが今、あなたたちの使う魔法の正体です」
息をのんだ。にわかには受け入れがたい話だったが、しかし、彼女が嘘をついている気はどうしてか全くしなかった。
「そして魔法を扱うことに慣れた人間は、次第に己の内なる作法を忘れていき、ついに誰も使うことができなくなりました」
ですが。
「ノクト。あなたは違います。一目見た時から分かりました。あなたの魂は魔力という劣化に全く汚染されていません。まるで、別の世界からやってきたみたいに」
「――――」
「このお茶……あなたは魔法と言いましたが、ならどうしてでしょう? 魔力のないあなたが、どうして魔法を使えるのですか?」
「それは……」
「答えは一つです。このお茶は、魔法なんかではありません。あなたの内なるマナーが生み出した、無意識の作法なのです!」
つまり。
「あなたは無力なんかではありません。劣ってなんかいません。魔法よりも、遥かに強大な力を秘めているのですから!」
その瞬間、俺は頭をガツンと殴られたような気がした。
「……い、いや、でも俺、作法とかマナーとかそういうの、よく分からないっていうか」
出来る気がしない。思えば、前世で就活生だった時も苦手だった。
そう言うと、メイドさんはどこか不機嫌そうに頬を膨らませた。
「ノクト、あなたは誤解しています。作法とは、他人から強制されるものではありません。そして他人に強制するものでもありません!
ただ最高にカッコよく美しい姿になるために、自らの意思で自らに課すルール、それが世界を変える力を生みだすのですから!」
彼女が何を言っているのか、俺にはよくわからなかった。
でも、堂々と断言するメイドさんの姿は美しく、そしてカッコよかった。
「確かに、作法は一朝一夕で使いこなせるものでもありません」
でも。
「大丈夫ですよ。なぜなら、この私がいるのですから」
そう言うと、メイドさんは急に指先で俺の顎を持ち上げて。
止める間もなく顔が近づく。そして瑞々しく柔らかい感触が、唇に触れた。
初めてだった。
前世から数えても、初めてのキスだった。
数秒、熱を交わし合った唇がそっと離れていく。
心臓が止まるほどの衝撃を受けた俺を優しく見下ろしながら、メイドさんが言った。
「私の名前はアウローラ。メイドオブ・アウローラ!
微笑みながら両手を広げるその姿が、淡い光に包まれたかと思うと、指先から徐々に消えていく。
なぜ、と目を見張る俺の前で、メイドさん――アウローラはしかし消えてゆく己を誇るように胸を張っていた。
「たった今から、あなたは私です! ノクト! あなたは私だけのもの! 私はあなただけのもの! 天上天下に防ぐものなしと言われた我が作法、すべてをあなたに捧げます!」
消えていく。彼女の姿が、声が、存在が俺の前から薄くなっていく。
しかし消えてゆくアウローラの姿に反比例して、俺は体の奥に熱いものを感じていた。まるで彼女がこの身に宿りだしたように。
どうして、と俺は声を絞り出した。それはですね、と彼女は答えた。
「私たちメイドは、人間が大好きなんです。自分を必要としてくれる人間が」
薄れゆく姿が、心から嬉しそうに俺を見つめて微笑んでいる。
「私はずっと、ここに一人きりでした。人間が作法を忘れ去ってから、誰もメイドを必要としなくなりました。私たちは、誰かに必要とさえなければ動けません。だから、また必要としてくれる人が現れるまで、私たちはここで眠ることにしました」
けれど。
「ずっと……ずっとずっと長い間、待ち続けても、もう誰もメイドも作法も必要としてくれる人は現れなかった。私の仲間は一人、また一人と、待つことを諦めて消滅していきました。そして私は、メイド種族最後の一人になりました」
周囲の砂と大量のメイド服の切れ端はそういうことなのだと、アウローラは悲し気な視線で示した。
「でも――あなたが、来てくれた」
透明な雫が、アウローラの頬から流れ落ちた。
「私は本当に嬉しいんです。あなたに会えたことが、あなたの役に立てることが!
だからどうか気にしないで――そんなことよりも、ノクト。どうか名乗ってください、新しいあなたを!」
もう、アウローラの姿はどこにもなかった。
そして彼女の声は、俺自身の内側から聞こえてきた。
「始まった物語には、名前が必要なのですから!」
どくん、と。体が内側から爆発しそうなほど高く、強く、心臓が鼓動を打つ。
俺は自分自身が別のものへと変わっていくのを感じた。
「さあ、名乗ってください。夜明けの鐘を鳴らすように! 神曲の幕を上げるように! あなたという存在を、どうかこの世界に刻み込んで!」
「――‼」
その瞬間、俺は全てを理解した。自己と宇宙を、そして作法を。
髪が伸びる。夜空の色をした自分の髪が、海のように広がった。
服が変わる。黒と白のフリルのついたエプロンスカートに。
体が変わる。性器の陰陽が逆転するとともに、種族が全く別のものへと。
俺という存在が変わる。
「俺は、いや、私は――」
そして新しい声で、俺は名乗った。
「メイドオブ・ノクターン!」
……スカートを摘まんでポーズを決めたところで、俺は正気に戻った。
ぺたぺたと、自分の顔を触って確認する。体を見回してみる。
その時、周囲の白い砂の中に都合よく手鏡を見つけて、俺はそれを取り上げ、今の自分の姿を見た。
そこにいたのは、俺ではなかった。
とてつもなく可愛らしく、美しい。どれほど計り知れない意図によってこれは造形されたのかと、あふれる感嘆に息を呑まざるを得ないそのカタチは、満天の星空から生まれ落ちたような、黒髪の美少女メイドの姿をしていた。
「これが……俺⁉」
服も髪も、性別も変わっていた。特に胸部と下腹部の感覚が違う。体の重心バランス、重力の感じ方の違いに困惑する。
なんで? しかも、メイド? 俺が?
混乱する俺の脳内に、どこからともなくアウローラの声が響いた。
『はい、ノクト。あなたはメイドになりました』
「えええええっ!」
なんで⁉
『手っ取り早くあなたが作法を使いこなすには、こうするしかなかったので……。
私と同じ、メイド種族になってもらうしか』
――ここからは、運命と出会ってTSメイドとなった俺が。
――この世界を、作法で無双していく話である。
※ ※ ※ ※ ※
私の名前は、トニトリア=アルバース。
「ひ、ひぇええ~~っ! も、もうダメだぁ!」
「うるさい。黙って」
「ご、ごめん! で、でも……う、ぅうわぁぁん……‼ 絶対死んだよこれぇ!」
私は今、たしかルークとかいう名前の足手まといを連れて逃げ込んだ先、広間のような空間で敵に囲まれていた。
十数体にもなる周囲の殺人ゴーレムたちが、単調な欺瞞的音声ルーチンを繰り返す。
『挨拶』『挨拶をしてください』『挨拶は大事です』『これは教育的指導です』『殺人ではありません』
「……ふざけるな」
もう一人の、お茶を出すだけの――ノクトとかいう男子は崩落に巻き込まれて消えた。他に生き残りはいない。頼れるのは自分だけ。
そしてゴーレムたちは、一体一体は大した敵ではないが、予想以上に数が多い。そしてこれからどれだけ追加されるかも分からない。
概して戦況は不利であり、けれど怖いという気持ちはなかった。
あるのは、ただただ、怒りと憎悪。
そうだ。これがあるから、私はこんなところで死ぬわけにはいかない。
どんな手段でも単位を稼いで、このふざけた学校でのし上がるのだ。
復讐を、遂げるために。
奴を、殺すために。
聖剣を手元にまとめて十本召喚し、その全てに電磁魔法をかける。
陰と陽の二種類の電磁双極反発が、光の矢のようにその切っ先を打ち出した。
ゴーレムに突き刺さったのを確認すると同時、私は魔力を解放した。
「雷霆……執行っ‼」
突き刺さった切っ先が蓄えていた雷撃を放出し、ゴーレムどもを内部から粉砕する。十数体のポンコツ殺人兵器どもがまとめて砕け散っていく、が、しかし。
間髪入れずに、光り輝く魔法陣がいくつも地面に浮かび上がった。
そして、ボコボコとそこから新たなゴーレムが補充される。
状況は、何も変わらない。私は悟った。
「標的を殺すまで、床や壁を材料にして無限にゴーレムを作る創造魔法……!」
このダンジョン自体が一つの罠だったのだ。
見誤った。所詮は、楽して単位を稼ぎに来た馬鹿な学生を殺しにくるだけのトラップ授業。どうせ殺人ゴーレムが数体出てくるだけの罠かと思いきや。まさかここまで大がかりな魔法で殺しに来るとは。
これは、どうしようもない。ダンジョンそのものを吹き飛ばす威力の魔法がないと、この状況は打開できない。
仕方ない。ここは一旦脱出して、どうにか態勢を整えて――とまで考えた時だった。私の足元に、魔法陣が浮かび上がった。
「しまっ――あぐっ⁉」
すぐそばに召喚されたゴーレムの腕に体を握られて、私は悲鳴を上げた。
凄まじい圧力が内蔵と骨格を潰しにかかる、圧迫された肺から一瞬で空気が抜けて酸欠になる。魔法を使う集中力が脳から奪われる。
「――!」
足手まといの金髪男子が後ろで何かを叫んでいるが、もう聞こえない。
私はこのまま死ぬの?
涙が、流れ落ちた。
嫌だ。悔しい。終われない。なのに動けない。どうしようもない激情だけが、動けない体の中で暴れ狂う。私は無意識に、声にならない声で叫んでいた。
やだ。助けて。――姉さん。
その時だった。
「――――」
私を捕らえ、持ち上げていたゴーレムが突如として砕け散った。
突然に解放された私は、そのまま受け身も取れずに頭から地面に落ちて行く。しかし、激突することはなかった
ふわりと、柔らかくて優しい誰かの腕に抱き留められたのだから。
「え……?」
思わずつむった目を開けると。
そこにいたのは、メイドだった。
「大丈夫?」
静かな声だった。
満天の星空のような、艶めく長い黒髪にヘッドドレスをのせた、見知らぬ少女の腕の中に私はいた。
この世のあらゆる頂にあるようなその美しさに、思わず私はごくりと息をのむ。
心臓が、不意に高鳴った。
「あなた……は、誰?」
まだ、肺が苦しい気がする。
だから、小さく呟くようになった私の声は、なぜか上擦っていた。