―アッシュ・クロードの手記ー
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◇
今日も終電だった。
導力端末には未読が山ほど溜まっている。
『資料修正』
『至急』
『確認不足』
『社員番号E-2017』
……名前じゃない。
番号。
俺はこの会社で、
人間じゃなくて部品なんだと思う。
窓ガラスに映る自分の顔が、
笑えるくらい死んでいた。
街は明るい。
恋人同士。
楽しそうな学生。
酔っ払い。
みんな別世界の人間みたいだ。
俺だけ、
ずっと灰色の中にいる。
「代わりはいくらでもいる」
今日も上司に言われた。
多分その通りなんだろう。
俺じゃなくてもいい。
俺がいなくなっても、
誰も困らない。
……疲れた。
本当に。
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◇
雨が降っていた。
帰る気力も無くて、
適当に歩いていた時。
小さな飲食店を見つけた。
《モンマルト》。
なんとなく入った。
本当に、
なんとなくだった。
「いらっしゃいませ♪」
その瞬間。
心臓が止まった気がした。
笑顔。
柔らかい声。
暖かな店の灯り。
エプロン姿の女性。
……綺麗だった。
いや。
それだけじゃない。
この人、
ちゃんと人の目を見て笑うんだ。
俺に。
社員番号じゃなく。
“客”として。
それだけなのに。
なんでだろう。
泣きそうになった。
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◇
終わった。
完全に終わった。
「ママー!」
小さい女の子が走ってきた。
ポーレットさんが自然に抱き上げる。
娘。
つまり既婚者。
俺の初恋終了。
閉廷。
解散。
……と思った。
でも。
隣の常連客の会話が聞こえた。
「ポーレットちゃんも苦労してるよなぁ」
「女手一つでユメちゃん育ててるし」
「元旦那、全然帰ってこねぇらしいし」
…………え?
シングルマザー?
つまり。
つまり。
まだ可能性ある?
いや待て落ち着け俺。
怖い。
自分が怖い。
でも。
久しぶりに、
生きたいって思った。
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◇
会社辞めた。
勢いで。
いや、
半分正気じゃなかったと思う。
でも後悔はしてない。
というか。
辞表出した時より、
《モンマルト》の面接の方が緊張した。
「どうしてうちで働きたいんですか?」
終わった。
本音言えない。
『あなたと結婚したいからです』
なんて言える訳ない。
「り、料理好きで……」
嘘です。
全然好きじゃないです。
でも。
ここにいたかった。
それだけは本当だった。
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◇
ユメちゃんに警戒されてる。
めちゃくちゃ。
ポーレットさんの後ろから、
じーっと見てくる。
怖い。
いや俺の方が怖い。
なんだあの視線。
小さいのに圧がすごい。
今日なんか、
ポーレットさんと話してたら間へ入ってきた。
「ママ、だっこ」
完全に牽制だった。
……でも。
ちょっと可愛いと思ってしまった。
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◇
店主…ビクトルさん怖すぎる。
初日から怒鳴られた。
「皿洗い遅ぇ!!」
「はいぃ!?」
「包丁の持ち方なってねぇ!!」
「すみません!!」
怖い。
本当に怖い。
でも。
不思議だった。
会社と違う。
怒鳴られてるのに。
ここには理不尽だけじゃなく、
ちゃんと理由がある。
客に美味いもの食わせたい。
店を良くしたい。
それが伝わる。
だから逃げたくならなかった。
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◇
今日。
初めて客に言われた。
「うまかったよ」
たったそれだけ。
でも。
頭真っ白になった。
今までの仕事って、
誰かを笑顔にしてたんだろうか。
分からない。
でも。
この店では違う。
料理を出す。
客が笑う。
「ありがとう」って言う。
……嬉しかった。
泣きそうなくらい。
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◇
閉店後。
ポーレットさんと二人で片付けしてた。
静かな厨房。
皿を洗う音だけ。
「アッシュさん、包丁上手くなりましたね」
笑いながら言われた。
なんか。
胸が熱くなった。
認められた気がした。
会社では、
何やっても怒られるだけだったから。
それに。
この人といる時間、
すごく落ち着く。
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◇
ポーレットさん、
少し熱あるのに働こうとしてた。
だから言った。
「今日は座っててください」
「でも……」
「俺やりますから」
結果。
めちゃくちゃだった。
厨房ぐちゃぐちゃ。
ビクトルさんには怒鳴られる。
でも。
ポーレットさんが笑った。
「ありがとうございます」
その一言で、
全部報われた気がした。
単純だな俺。
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◇
ユメちゃんが転んだ。
ポーレットさんは厨房。
俺しかいない。
めちゃくちゃ焦った。
「だ、大丈夫!?」
膝擦りむいてる。
ばんそうこうどこ!?
頭真っ白。
でも。
ユメちゃん、
ちょっとだけ笑ってた。
「へんなの」
……なんだろう。
少しだけ。
距離が縮まった気がした。
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◇
今日。
ユメちゃんが眠そうだった。
だから自然に抱き上げた。
そしたら。
小さい頭が胸に寄りかかってきた。
びっくりした。
重くない。
むしろ。
温かかった。
安心した顔して寝てる。
その時。
ふと思った。
……守りたいな。
この子も。
ポーレットさんも。
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◇
ビクトルさんに言われた。
「ユメの父親知ってるか」
マクシム ルーガン
有名レーサー。
スター。
共和国でも有名人。
対して俺は、
ただの元社畜。
勝てる訳ない。
そう思った。
そしたら。
胸ぐら掴まれた。
「んなモン関係あるか!!」
怒鳴られた。
「あいつを泣かせた男がそんなに偉いのか!?」
言葉が出なかった。
ヴィクトルさんは最後、
背中向けたまま言った。
「……息子は、一人しかいねぇなぁ」
頭が真っ白になった。
俺。
あの人に、
認めてもらえてたんだ。
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◇
最近。
厨房を任されることが増えた。
まだ怒鳴られる。
でも。
ビクトルさん、
前より口出さなくなった。
今日なんか、
常連客に言われた。
「最近アッシュの料理目当てで来てる」
心臓止まるかと思った。
俺の料理で、
来てくれる人がいる。
そんな日が来るなんて。
昔の俺に言っても、
絶対信じない。
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◇
《モンマルト》の取材が入った。
記者のディンゴさん。
話しやすい人だった。
俺。
調子乗って故郷の話しちゃった。
クレイユ村。
祭りの時の夜間が綺麗なんですって。
今思うと。
あの日、
少し浮かれてたんだと思う。
家族みたいな時間が、
幸せすぎて。
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◇
その後ディンゴさんに頼んで
家族写真撮ってもらった
俺なんかが。
家族写真。
ポーレットさん。
ユメちゃん。
ビクトルさん。
俺。
並んで。
笑って。
夢みたいだった。
……いや。
夢だったのかもしれない。
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◇
プロポーズした。
手、
震えすぎて死ぬかと思った。
「結婚してください」
言えた。
ちゃんと言えた。
ポーレットさん、
泣きながら笑ってくれた。
そしたら。
ユメちゃんが飛びついてきて。
「パパ!!」
って。
呼ばれた。
時間が止まった。
……嬉しかった。
本当に。
嬉しかった。
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◇
クレイユ村へ向かうバスの中
窓の外を見ながら考える。
帰ったら忙しくなる。
結婚式。
店。
家族。
俺。
ポーレットさんユメちゃんビクトルさん
ちゃんと幸せになっていいんだろうか。
まだ少し怖い。
でも。
帰りたい場所がある。
待ってくれてる人がいる。
それが嬉しかった。
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◇
爆発。
悲鳴。
熱。
何が起きたか分からなかった。
逃げる人。
崩れる建物。
その時。
子供を見つけた。
震えてた。
動けなくなってた。
……逃げれば助かったかもしれない。
俺だけなら。
でも。
無理だった。
放っていけなかった。
「大丈夫」
声が震える。
情けないくらい。
本当は俺も怖い。
死にたくない。
でも。
この子の方がもっと怖い。
だから。
抱き締めた。
「もうすぐ助け来るから」
嘘でも。
言わなきゃいけなかった。
熱風。
爆音。
崩れる瓦礫。
咄嗟に覆い被さる。
痛い。
熱い。
苦しい。
でも。
この子だけは。
守らないと。
……ポーレットさん。
ユメちゃん。
ビクトルさん。
ごめんなさい。
帰れそうにないです。
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その後。
アッシュ・クロードの手記が、
更新されることは無かった。