イーディス。
旧市街。
《アークライド解決事務所》。
午後。
珍しく静かな時間だった。
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ヴァン・アークライドは、
ソファへ座りながら新聞を眺めている。
紙面には、
クレイユ村爆破事件。
死者多数。
行方不明者確認中。
そんな見出し。
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「……嫌な事件ですね」
カトル・サリシオンが端末を見ながら呟く。
「警察も遊撃士協会も、
ほぼ救助対応へ回ってるみたいです」
フェリーダ・アルファイドが今の現状を告げる。
「現地も封鎖が多いです」
リゼット・トワイニングも静かに言う。
「身元確認も追いついてないらしいな」
アーロン・ウェイも続いて言った
その時。
事務所の扉がノックされた。
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「どうぞ」
ヴァンが声を掛ける。
入ってきたのは、
一組の夫婦だった。
疲れ切った顔。
目元も赤い。
何日もまともに眠っていないのが分かる。
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「依頼を……お願いしたくて」
父親が深く頭を下げる。
ヴァンは軽く頷いた。
「座りな」
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母親は小さな鞄を抱き締めていた。
まるで、
それを離したら崩れてしまうみたいに。
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「クレイユ村の爆破事件で……」
父親が言葉を絞り出す。
「息子が助けられたんです」
部屋の空気が少し変わる。
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「今は入院しています」
「命は助かりました」
「でも……」
そこで母親の声が震える。
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「助けてくれた方が、
誰なのか分からないんです」
静かな沈黙。
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ヴァンは何も急かさない。
父親は続けた。
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「警察も忙しくて……」
「遊撃士協会も救助活動で手一杯で……」
「身元調査をお願いできる空気じゃなかった」
「だから……」
そこで深く頭を下げる。
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「どうしても、
あの人の遺族へお礼を伝えたいんです」
その言葉だけは、
はっきりしていた。
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母親が涙を堪えながら続ける。
「息子を……守ってくれたんです」
「自分も怖かったはずなのに」
「最後まで庇ってくれたって……」
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カトルが静かに目を伏せる。
フェリも小さく拳を握る。
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ヴァンが低く聞く。
「息子さんは、何か覚えてるか?」
母親は頷いた。
鞄から小さなメモを取り出す。
そこへ書かれていたのは、
病室で聞き取った言葉。
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『おにいちゃんも、すごくこわがってた』
『でも、だいじょうぶって言ってた』
『ずっとふるえてた』
『さいごまで、ぼくをまもってはなさなかった』
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部屋が静かになる。
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父親が掠れた声で言う。
「名前も分からないんです」
「でも……」
「息子は、あの人に命を救われた」
「だから」
「せめて」
「ちゃんと感謝を伝えたい」
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長い沈黙の後。
ヴァンは静かに呟いた
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「……分かった」
低い声。
「依頼、引き受ける」
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父親と母親が深く頭を下げる。
その姿を見ながら。
ヴァンは、
どこか嫌な予感を感じていた。
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“怖いのに逃げなかった奴”。
そんな人間の結末を。
ヴァンは、
嫌というほど知っていたから。
それから、しばらくして。
机の上へ広げられているのは、
クレイユ村爆破事件の資料。
自治州警察。
遊撃士協会。
救助記録。
避難民リスト。
そして。
回収物の写真。
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静かな沈黙。
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ヴァンは、
資料を見つめたまま動かなかった。
いつもの軽薄そうな空気が無い。
ただ。
視線だけが重かった。
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「……これ」
カトルが、
声を落として言う。
「偶然じゃ……ないですよね」
誰も否定しない。
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長距離バスの乗車記録。
クレイユ村へ帰省していた男。
イーディス在住。
飲食店勤務。
婚約者がいる。
そして。
現場で回収された、
土産袋の写真
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さらに。
焼け残った包み紙。
そこへ残された文字。
『ユメへ』
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フェリが静かに目を伏せる。
「……子供を最後まで抱き締めていたて守ろうとしていたと救助隊が」
その先を、
少し言い淀む。
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ヴァンが低く続ける。
「怖かったんだろうな」
静かな声だった。
「逃げたかったはずだ」
「それでも離さなかった」
その言葉で。
部屋の空気がさらに重くなる。
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カトルが小さく呟く。
「子供の証言も……」
端末へ表示される記録。
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『おにいちゃんも、すごくこわがってた』
『でも、だいじょうぶって言ってくれた』
『ずっと震えてた』
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フェリが拳を握る。
「……優しい人だったんですね」
ヴァンは答えない。
ただ。
煙草を握る手だけが少し強かった。
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その時。
事務所の扉が開く。
入ってきたのは、
ディンゴ・ブラッドだった。
「おいヴァン、頼まれてた――」
そこで空気に気づく。
「……なんだ」
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ヴァンは無言で資料を差し出した。
ディンゴは読む。
数秒。
動きが止まる。
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ディンゴが小さく呟く
「……マジかよ」
声は震えていた。
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「ディンゴも知りあってたのか?」
ヴァンが聞く。
ディンゴは少し黙る。
それから。
「取材で顔合わせて少し話した程度だ」
「でも……」
言葉が止まる。
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「とても幸せそうだったぞ、あいつ」
その一言が。
妙に部屋へ残った。
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誰もすぐ喋れなかった。
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依頼は。
もう達成されている。
探していた男が誰か。
どうなったか。
ほぼ分かってしまった。
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でも。
依頼人へ報告する前に。
もっと先に、
伝えなければならない相手がいる。
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ヴァンはゆっくり立ち上がる。
「……行くぞ」
みんなが顔を上げる。
ヴァンは低く続けた。
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「先にモンマルトだ」
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アッシュ・クロードが。
帰ろうとしていた場所。
待っていた人達。
家族。
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ヴァンは小さく息を吐く。
「こういう依頼は嫌いなんだよ」
その声だけ。
少し掠れていた。
夜。
《モンマルト》は営業中だった。
客の笑い声。
皿の音。
料理の香り。
普段と変わらないはずなのに。
どこか静かだった。
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ポーレットは、
入口を見る。
また。
無意識だった。
扉が開く度。
期待してしまう。
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“ただいま帰りました”
そんな声を。
待ってしまう。
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その時。
扉が開いた。
入ってきたのは客ではなかった。
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ヴァンたち裏解決やの面々とディンゴだった
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店内の空気が少し止まる。
ポーレットが小さく首を傾げた。
「……あれ?」
「アッシュさんについて何か――」
そこまで言って。
空気に気づく。
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誰も笑っていない。
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ビクトルも厨房から顔を出す。
ビクトルは
ヴァン達を見た瞬間。
何かを察したように目を細めた。
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「……店閉めろ」
低い声。
ポーレットが固まる。
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「親父さん……?」
「いいから閉めろ」
いつもより少しだけ、
声が掠れていた。
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営業は早めに切り上げられた。
客が帰る。
静かになる。
ユメも、
空気がおかしい事だけは分かっていた。
不安そうにポーレットの服を掴んでいる。
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誰もすぐ喋らない。
沈黙だけが落ちる。
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やがて。
ヴァンが口を開いた。
「……クレイユ村の件だ」
その瞬間。
ポーレットの顔が強張る。
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「アッシュの足取りが分かった」
呼吸が止まる。
希望が浮かぶ。
でも。
ヴァン達の顔を見た瞬間。
それが崩れる。
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「……現地で、子供を庇ってた」
静かな声だった。
「救助隊が見つけた時も」
「最後まで抱き締めたままだったらしい」
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ポーレットの顔色が消える。
ユメが不安そうに見上げる。
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ヴァンは続ける。
「身元確認は難航した」
「顔も……損傷が酷かった」
「だが、回収物があった」
カトルが静かに机へ置く。
焼け焦げた土産の写真。
その中のアッシュの文字で書かれた包み紙
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『ユメへ』
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ユメの目が揺れる。
「……わたし?」
小さな声。
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フェリが静かに頷く。
「アッシュさん、多分……」
「お土産、買ってたんだと思う」
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沈黙。
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ポーレットの手から、
皿が落ちた。
割れる音。
でも。
本人は気づいていない。
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「……うそ」
掠れた声。
「だって……」
「帰ってくるって……」
呼吸が壊れる。
涙が落ちる。
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「まだ……」
「まだ結婚も……」
そこから先が続かない。
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ユメが混乱した顔で、
何度も首を振る。
「やだ」
「パパかえるもん」
「かえるって……」
涙が零れる。
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ビクトルはずっと黙っていた。
煙草を握り潰しそうなほど、
強く握り締めている。
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やがて。
低く呟く。
「……馬鹿野郎が」
誰へ向けた言葉か分からない。
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「店継ぐ気でいやがったくせに」
掠れた声。
「勝手に死んでんじゃねぇよ」
最後だけ。
少し震えていた。
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ディンゴが目を伏せる。
ヴァンも何も言わない。
こういう時に掛ける言葉を、
誰も持っていなかった。
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《モンマルト》には。
静かな泣き声だけが残った。
アッシュ・クロードが、
もう二度と帰ってこないと。
その現実だけを置いて。