『君が遺した食卓』   作:狂った自販機

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本日2話目


ブラック会社やめました

《モンマルト》へ通うようになってから。

 

アッシュ・クロードの中で、

少しずつ何かが変わり始めていた。

 

仕事帰りに立ち寄る暖かな店。

 

ポーレットの笑顔。

 

客達の笑い声。

 

店主の怒鳴り声。

 

その全部が。

 

灰色だった人生へ、

少しずつ色を戻していた。

 

だからこそ。

 

会社へ戻る度に、

現実との差が苦しくなっていく。

 

 

蛍光灯。

 

終わらないタイピング音。

 

張り詰めた空気。

 

誰も笑わない職場。

 

アッシュは資料を抱え、

会議室へ入った瞬間だった。

 

「遅ぇんだよ社員番号E-2017!!」

 

怒声。

 

肩が跳ねる。

 

上司が資料を机へ叩きつけた。

 

「この修正量見たか!?」

 

「す、すみません……」

 

「謝って済むなら苦労しねぇんだよ!!」

 

資料が顔へ投げつけられる。

 

紙が散った。

 

周囲の社員達は俯いたまま。

 

誰も助けない。

 

助けられない。

 

皆、自分が標的になるのを恐れていた。

 

 

「最近集中力落ちてるよなぁ?」

 

上司が机へ腰掛けながら笑う。

 

「なんだ?女か?」

 

周囲が引きつったように笑う。

 

アッシュは黙る。

 

「仕事舐めてんじゃねぇぞ」

 

低い声。

 

「お前の代わりなんていくらでもいる」

 

何度も聞いた言葉。

 

でも。

 

最近は少しだけ思うようになっていた。

 

(……じゃあ何で俺ここにいるんだ)

 

代わりがいるなら。

 

なんでこんなに壊れながら、

ここへしがみついてるんだ。

 

 

深夜。

 

誰もいなくなったオフィス。

 

アッシュは一人、

修正作業を続けていた。

 

導力端末が震える。

 

『追加修正』

 

『朝までに』

 

『寝るなよ』

 

その瞬間だった。

 

頭の中で、

何かが切れた。

 

 

翌朝。

 

アッシュは辞表を持って出社した。

 

「……は?」

 

上司が固まる。

 

「辞めます」

 

沈黙。

 

数秒後。

 

怒声が爆発した。

 

「ふざけんなぁぁぁぁ!!」

 

机が蹴り飛ばされる。

 

「今案件どんだけ抱えてると思ってんだ!?」

 

「責任感ねぇのか!?」

 

「社会舐めてんのか!?」

 

怒鳴り声。

 

唾。

 

威圧。

 

だが。

 

不思議と前ほど怖くなかった。

 

 

「お前みたいな無能が他で通用すると思ってんの!?」

 

「結局戻ってくんだよ!」

 

「お前は一生底辺だ!!」

 

アッシュは静かに言った。

 

「……そうかもしれません」

 

上司が鼻で笑う。

 

「だったら――」

 

「でも」

 

顔を上げる。

 

「ここにいたら、俺、多分壊れるんで」

 

空気が止まった。

 

 

会社を出る。

 

朝日が眩しい。

 

怖かった。

 

次なんて無い。

 

貯金も少ない。

 

未来も見えない。

 

それでも。

 

足は自然と、

《モンマルト》へ向かっていた。

 

 

開店準備中だった。

 

ポーレットが店先を掃除している。

 

「あら?いらっしゃい?」

 

優しい声。

 

それだけで、

泣きそうになった。

 

「……仕事、辞めました」

何言ってんだろ俺

 

ポーレットが目を丸くする。そりゃそうだ

 

「えっ……」

 

アッシュは苦笑した。

 

「勢いというか」

 

「多分俺、社会不適合者なんですよね」

 

冗談っぽく笑おうとして、

失敗する。

 

声が震えていた。

 

 

「……少し、中入ります?」

 

ポーレットが心配そうに言う。

 

アッシュは慌てて首を振った。

 

「い、いや!開店前なのに迷惑ですし!」

 

「でも顔色悪いですよ?」

 

本気で心配している顔だった。

 

その時。

 

奥から低い声が飛ぶ。

 

「ポーレット」

 

振り返る。

 

店主のおじさんだった。厨房で料理を作ってる。

 

腕を組み、

不機嫌そうにこちらを見ている。

 

「開店準備止めるな」

 

「で、でも――」

 

「客じゃねぇなら外だ」

 

空気が冷える。

 

アッシュは慌てて頭を下げた。

 

「す、すみません!帰ります!」

 

そう言って踵を返そうとした瞬間。

 

「待て」

 

低い声。

 

アッシュが止まる。

 

店主はじっとアッシュを見ていた。

 

その目は職人の目だった。

 

人を見る目。

 

表面じゃなく、

中身を測る目。

 

「辞めたって言ったな」

 

「……はい」

 

「次決まってんのか」

 

「いえ……」

 

「貯金は」

 

「そんなに……」

 

店主は露骨に眉をしかめた。

 

「馬鹿かお前」

 

正論過ぎて何も言えない。

 

 

沈黙。

 

やがて店主が鼻を鳴らす。

 

「……で」

 

「はい?」

 

「何しに来た」

 

アッシュは言葉に詰まる。

 

自分でも分からなかった。

 

ただ。

 

ここへ来たかった。

 

ここだけが、

ちゃんと息ができる場所だったから。

 

だが。

 

そんな事言えるわけもない。

 

「……その」

 

しどろもどろになる。

 

店主はため息を吐いた。

 

「はっきりしねぇ奴だな」

 

そして。

 

厨房の方を顎でしゃくる。

 

「皿洗いなら足りてねぇ」

 

アッシュが目を瞬かせる。

 

「え……」

 

「勘違いすんな」

 

店主はぶっきらぼうに続ける。

 

「使えねぇなら即追い出す」

 

「舐めた仕事したら怒鳴る」

 

「飲食は甘くねぇ」

 

低い声。

 

だが。

 

そこには会社みたいな理不尽さは無かった。

 

“仕事”への誇りがあった。

 

 

アッシュは思わず聞いていた。

 

「……なんで」

 

「なんで、俺なんかを」

 

店主は少し黙る。

 

そして。

 

「死にそうな目してる奴ぁ放っとけねぇ」

 

ぶっきらぼうにそう言った。

 

「……!」

 

「それに」

 

店主はポーレットを見る。

 

そして。

 

「最近お前、ここ来ると少しマシな顔するからな」

 

アッシュの呼吸が止まる。

 

見られていた。

 

そんな事。

 

誰にも気づかれてないと思っていた。

 

 

店主は踵を返す。

 

「来るなら明日からだ」

 

「朝は早ぇぞ」

 

「返事は」

 

アッシュは震える声で答えた。

 

「……お願いします」

 

店主は振り返らない。

 

ただ。

 

小さく鼻を鳴らした。

 

それが。

 

アッシュには、

初めて与えられた“居場所”みたいに思えた。

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