『君が遺した食卓』   作:狂った自販機

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3話目です


初出勤初仕事

初出勤の日。

 

アッシュ・クロードは、

開店前の《モンマルト》の前で固まっていた。

 

緊張で胃が痛い。

 

ブラック企業時代とは違う意味で、

心臓がうるさかった。

 

「……逃げるか?」

 

小さく呟く。

 

だが。

 

その瞬間。

 

ガラッ、と扉が開いた。

 

「何突っ立ってんだ」

 

低い声。

 

店主のビクトルさんだった。(あの後名前は教えてもらった)

 

腕組み。

 

不機嫌そうな顔。

 

怖い。

 

本当に怖い。

 

「遅刻する気か?」

 

「い、いえ!!」

 

反射で背筋が伸びる。

 

ビクトルさんは鼻を鳴らした。

 

「だったら入れ」

 

 

厨房。

 

熱気。

 

仕込みの匂い。

 

忙しなく動く音。

 

アッシュは完全に圧倒されていた。

 

「ぼさっとすんな!」

 

「は、はい!」

 

「皿!!」

 

「は、はいぃ!!」

 

「返事だけ元気か!!」

 

怖い。

 

でも。

 

不思議だった。

 

会社の怒鳴り声とは違う。

 

そこには、

“客へ美味い物を出したい”

という熱があった。

 

 

アッシュは慣れない手つきで皿を洗う。

 

滑る。

 

割りそうになる。

 

怒鳴られる。

 

パニック。

 

「違ぇ!!」

 

ビクトルさんが後ろから腕を掴む。

 

「こう持て!」

 

「あ、す、すみません!」

 

「謝る前に覚えろ!!」

 

怒鳴られる。

 

だが。

 

何故か嫌じゃなかった。

 

ちゃんと。

 

“教えて”くれているから。

 

 

昼営業が終わる頃には、

アッシュは既にボロボロだった。

 

肩で息をしている。

 

そんな彼へ、

ポーレットさんが苦笑しながら水を差し出した。

 

「お疲れ様です」

 

「……あ、ありがとうございます」

 

冷たい水が身体へ染みる。

 

ポーレットさんは少し笑った。

 

「お父さん、怖かったでしょう?」

 

「めちゃくちゃ怖いです……」

 

思わず本音が漏れる。

 

ポーレットさんは吹き出した。

 

「ふふっ」

 

その笑顔を見て、

疲れが少し吹き飛ぶ。

 

単純だった。

 

 

その時だった。

 

店の奥から小さな足音が聞こえた。

 

ぱたぱた、と。

 

「ママー!」

 

小さな女の子が顔を出す。

 

 

 

アッシュは思わず姿勢を正した。

 

(うわ、ユメちゃんだ)

 

前に店で見かけた事はある。

 

でも。

 

こんな近くで会うのは初めてだった。

 

ポーレットさんがしゃがむ。

 

「お昼寝終わった?」

 

「うん!」

 

だが。

 

ユメちゃんの視線がアッシュへ向いた瞬間。

 

ぴたりと動きが止まる。

 

じーっ。

 

無言。

 

完全に警戒している目だった。

 

アッシュが引きつる。

 

「え、えっと……」

 

ユメちゃんは無言でポーレットさんの後ろへ隠れた。

 

半分だけ顔を出して見ている。

 

完全に不審者扱いだった。

 

 

「ユメ、ご挨拶は?」

 

ポーレットさんが優しく言う。

 

だが。

 

ユメちゃんは首を横に振る。

 

「……やだ」

 

「えっ」

 

アッシュが軽くダメージを受ける。

 

ポーレットさんが困ったように笑った。

 

「ご、ごめんなさい」

 

「い、いえ!」

 

アッシュは慌てて手を振る。

 

「そりゃ怖いですよね!」

 

「急に知らない男いますし!」

 

ユメちゃんはまだじっと見ている。

 

小さいのに目力が強い。

 

完全に。

 

“ママへ近づく悪い人じゃないか”

見定めていた。

 

 

アッシュは恐る恐るしゃがみ、

視線を合わせた。

 

「えっと……アッシュです」

 

「……」

 

「今日からここで働く事になって……」

 

「……」

 

「よろしくね?」

 

沈黙。

 

ユメちゃんはポーレットさんの服をぎゅっと掴む。

 

そして。

 

小さな声で聞いた。

 

「……ママのおともだち?」

 

アッシュは少し困って、

苦笑した。

 

「……なれたらいいな」

それ以上の関係に…

 

その答えに。

 

ユメちゃんはまだ警戒したままだった。

 

じっとアッシュを見る。

 

嘘をついてないか、

見極めようとするみたいに。

 

その姿を見て。

 

アッシュは胸が締め付けられた。

 

この子。

 

ずっとこうして、

母親を守ろうとしてきたんだ。

 

 

「嫌な事はしないよ」

 

アッシュは静かに言った。

 

「ユメちゃんが嫌がる事はしない」

 

「だから安心して」

 

ユメちゃんは少しだけ目を丸くする。

 

その言葉が、

意外だったみたいに。

 

やがて。

 

小さくポーレットさんの後ろへ隠れながら、

ぽつりと呟く。

 

「……ほんと?」

 

「ほんと」

 

即答だった。

 

ユメちゃんはまだ警戒していた。

 

けれど。

 

ほんの少しだけ。

 

その目の険しさが和らいでいた。

 

厨房奥では。

 

ビクトルさんは黙ってその光景を見ていた。

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