ビクトルから見たアッシュ・クロードの第一印象は。
“すぐ辞めそうな男”。
それだけだった。
⸻
覇気が無い。
身体も細い。
包丁もまともに持てない。
声も小さい。
怒鳴ればすぐ縮こまる。
接客業経験も無い。
飲食なんて到底向いていない。
正直。
何故自分が雇ったのか、
ビクトル本人もよく分かっていなかった。
ただ。
今にも死にそうな目をしていた。
そんな人間を放っておくほど腐ってはいない。
それだけだ。
⸻
だから。
最初は徹底的にしごいた。
甘やかす気は無い。
飲食は中途半端でやれる仕事じゃない。
客へ出す料理。
店の空気。
衛生。
全部が商売だ。
“適当”は許されない。
⸻
「火ぃ見ろ馬鹿!!」
「す、すみません!!」
「謝る前に覚えろ!!」
怒鳴る。
包丁を叩き込む。
皿洗いもやらせる。
ホールも回させる。
失敗すれば怒鳴る。
普通なら。
一週間で辞める。
そう思っていた。
⸻
だが。
アッシュは辞めなかった。
どれだけ怒鳴られても。
失敗しても。
次の日には来る。
目を真っ赤にしながら。
ふらつきながら。
それでも働く。
⸻
最初からビクトルは
“ポーレット目当て”
と確信していた。
娘へ向ける視線で分かる。
分かりやすい男だった。
だが。
途中から変わり始める。
⸻
ある日の営業中。
アッシュは客を見ていた。ポーレットの方に意識も全く向かずにだ
疲れている客。
子供連れ。
酔っ払い。
料理が遅れている席。
誰に言われた訳でもなく、
自然に動くようになる。
ビクトルはそれを見ていた。
⸻
料理もそうだった。
最初は酷かった。
包丁も危なっかしい。
盛り付けも雑。
火加減も分からない。
だが。
アッシュは、
ちゃんと考えながら失敗する。
同じミスを減らす。
客の反応を見る。
料理を覚える。
“美味くしたい”
と思っているのが分かった。
⸻
ある日。
ビクトルは気づく。
営業後。
アッシュが一人で厨房を掃除していた。
誰も見ていない。
もう帰っていい時間だ。
なのに。
黙々と磨いている。
調理器具も整理されている。
床も綺麗だ。
「……」
ビクトルは何も言わなかった。
だが。
少しだけ考えが変わった。
⸻
また別の日。
常連客が笑っていた。
「最近雰囲気変わったなこの店」
「新人いるからじゃね?」
「なんか居心地いいんだよ」
アッシュは困ったように笑っていた。
調子に乗らない。
偉そうにしない。
でも。
店へ馴染んでいる。
その光景を見て。
ビクトルは煙草を咥えながら思う。
(……悪くねぇ)
⸻
そして。
決定的だったのは、
ユメだった。
ユメは人を見る。
小さい頃から、
大人の空気に敏感だった。
嫌な男には近づかない。
笑っていても、
信用していない相手には壁を作る。
そんなユメが。
気づけば、
アッシュの後ろをついて歩いていた。
「アッシュ、それちがう」
「えっまた!?」
「どじ」
笑っている。
自然に。
心から。
その姿を見た時。
ビクトルは内心かなり驚いていた。
⸻
ある夜。
閉店後。
アッシュは厨房で倒れるように眠っていた。
仕込みの途中。
疲労で限界だったのだろう。
ビクトルは黙ってその姿を見る。
傷だらけの手。
火傷跡。
荒れた指。
最初の頃より、
ずっと料理人の手になっていた。
⸻
「……馬鹿が」
小さく呟く。
その声には、
昔ほどの棘は無かった。
⸻
ビクトルは認め始めていた。
アッシュは。
ただポーレットへ近づきたいだけの男じゃない。
ちゃんと。
《モンマルト》で働く人間だった。
⸻
だからこそ。
時々。
ほんの時々だけ。
考えてしまう。
もしこのまま続けば。
もっと腕を上げれば。
ユメも懐いて。
ポーレットも笑っていて。
この男が店に残れば。
《モンマルト》を、
任せてもいいのかもしれない。
⸻
もちろん。
絶対に口には出さない。
まだ早い。
甘やかす気も無い。
だから今日も怒鳴る。
「アッシュ!!」
「は、はい!!」
「火ぃ弱ぇ!!」
「すみません!!」
厨房へ怒号が響く。
だが。
ビクトルはもう知っていた。
この男は。
簡単には逃げない。