「──なんて、言うと思ったの?」
「え……」
話が綺麗にまとまった。そう思ってた私を、彩葉はバッサリと切り捨てた。
「違うよ、ヤチヨ」
かぐやから再びヤチヨ呼びに戻ったことに胸の奥が痛むけれど、それ以上の困惑に、私は開いた口が塞がらない。
呆気に取られている私を置いて、彩葉は続ける。
「ヤチヨの望みは、神様になることじゃないでしょ」
言い放った彩葉の瞳に、自分の影が揺れている。
……ああ、そっか。彩葉には、バレてるんだった。
私が本当に欲しかったもの。鍵をかけていた想いすらも。全部、体験してきたから。
「ヤチヨのエンドロールに、カナタがいないなんて認めないから」
私が諦めていたそれを、彩葉が口にする。
「彩葉……」
「ヤチヨの本当の気持ち、聞かせてよ」
問われて、口籠る。
逃げたかった。自分の気持ちと向き合うことからじゃない。それを口にしてしまうのが、私はどうしようもなく怖かった。
鍵はとっくに壊れている。想いは何度も吐露してしまった。けれど、それでも。改めて言葉にしてしまえば、その瞬間に全てが消えてしまいそうだったから。だから、無理にでも飲み込んでいたのに。
きっと彩葉は、それを許してはくれない。
私の弱さを、弱いままの私を、きっと今だけは許してくれないから。
私の、本当の気持ち。
「……あのね、彩葉。私、彩葉のことが大切で……大好きで。でも、それとは別に──カナタのことが、痛いくらいに好きなの」
「うん」
薄氷に覆われていた本音が、じわじわと溶けていく。
「もう一度……カナタに、会いたいよ……」
言っちゃった。言ってしまった。
溢れ出した想いは、涙となって流れ落ちる。ダメだ、笑顔でいなきゃ。じゃないと、私は、私の弱さが、またカナタを傷つけるのに……。
震える私を、柔らかな感触が包んだ。
「彩葉……」
「無理させちゃってごめん。でも私は、それがハッピーエンドなんて思えないから」
私の涙を救う細い指先が、そのまま頬を伝って、私の視線を固定した。
「本当に、会うだけでいいの?」
その瞳の中に吸い込まれるように、私は目が離せない。……ああ、やっぱり彩葉には敵わないや。
「……ううん、伝えたい……ずっと、伝えたかったことがあるんだ」
「よく言えました。花丸は……全部、終わってからだね」
彩葉はいつかの時みたいに笑って、私の手を引いた。
立ち上がれば、世界は元のツクヨミの景色に戻っていて、月を背に彩葉は語り始める。
「かぐやの記憶を見てカナタを知った時から、ずっと不思議だった。……どうしてカナタは、八千年前の地球にいたの?どうして、かぐやを見つけられたの?」
それは、カナタの存在に対する疑念。
私は考えたこともなかったけれど、確かにわからない。普通に生きていた人間が、過去の地球で、似たような境遇の私と出会うことを。偶然と片付けるには、些か出来すぎたことだった。
「ヤチヨは、自分だけが特別なんじゃないかって思ったんだよね」
その言葉に、戸惑いながらも首肯する。
もしかしたら、ってだけだったけど。けれど、そのもしかしたらを彩葉は拾う。可能性の全てを追って、私一人じゃたどり着けない場所へと導いてくれる。彩葉は、ずっとそうだ。
「そう、特別なんだ。きっとカナタの存在が、この輪廻を壊してくれる」
「いろ、は?」
その目が、あまりにも綺麗で。同時に、悲しげだったから。私は不安になって、彼女の名を呼ぶ。それを眩しそうに目を細めて、彼女は告げた。
「……これは夢。ヤチヨは今、夢を見ているの」
言い聞かせるように、彩葉は断言する。何を言っているのか、わからなかった。
これが、夢?夢って……あの夢?私は今、夢を見ているの?
頭の中、ハテナが埋め尽くす。本当に、何を言っているのかわからない。夢なんかじゃない。この胸の痛みが、何度も現実だって教えてくれたから。
「気づいているんでしょ?自分が、何をすべきか」
景色が変わる。
過去を反映するプロジェクターのように、世界に映し出されたのはかぐやの卒業ライブの日。迎えに来た月人と共に、光る雲の上に乗って月へと帰っていくかぐや。私はそれを、苦虫を噛み潰したような表情で見届けていた。
「カナタなら呼べば来るって、わかってるでしょ」
また、景色が変わる。
今度はもっと前。私がウミウシだった頃。カナタと離れ離れになった、あの日。あの時は背を向けていてわからなかったカナタの表情が、今度はちゃんと見えた。
「そんなの……わかんないよ」
カナタに、こんな苦しそうな顔をさせて。今更どんな顔で彼を呼べばいいのか、私にはわからない。
本当に、夢ならば良かった。でも、もう全てが遅い。どれだけ過去を振り返っても、私には選択を間違えたことしかわからない。
「なら、わかって」
「っ……!」
今度は、私とカナタが初めて出会った日。
必死に這いつくばっていたちっぽけな体が、波の狭間で歌う彼の元へ辿り着く。あの時は自分に必死で気がつかなかったし、冗談とも思っていたけれど。
「カナタ……」
私は堪らずに口を抑えた。
カナタがこんな顔してたんだって、知らなかった。こんな迷子の子どもみたいに、涙を堪えていたなんて知らなかったんだ。
『強くなんかないよ。……君に出会った時、本当は泣きそうだったんだ』
あの日の言葉が嘘じゃなかったんだって、今ならわかる。
なんで、私は気づかなかったんだろう。そばにいながら、ずっと自分のことばっかりで。私を救ってくれた人が、ずっと救いを求めていたのに気がつかなかったんだ。
でも、それも今更で。
「──ごめんね、彩葉。それでも、私はもう、カナタを傷つけたくないよ」
今まで、どれだけ辛い思いをさせていたのか、自覚してしまったから。そんなカナタを一度、諦めようとしてしまったから。
だから私にはもう、会わせる顔がないんだって。
そう泣きじゃくるように弱音を吐く私を、また陽だまりのようなぬくもりが包み込んだ。
「変に大人になっちゃって……そんなになるくらいなら、子どものままでいなさい」
言い訳みたいにできないを繰り返す私を、子どもを叱る母親のような諭す声色で彩葉は制した。その言葉の真意が掴めずに、私は目を瞬かせるばかり。
「もっと素直になれってこと」
そんな私の様子に彩葉は呆れたように苦笑して、抱きついていた腕をそっと離した。
「翁から、かぐや姫に伝える最後の伝言だから」
「それって、どういう──」
聞き終える前に、彩葉は私の背を強く押した。
「っ……!」
その瞬間、体が強く引っ張っぱられる感覚がする。
私はもがくように必死に手を伸ばすけれど、彩葉からどんどんと遠ざかっていって──深い海の底に沈んでいくように、輝きが遠く離れていくのを、私は見ているだけ。
──待って、彩葉。お願い、待って。
声にならない声を絞り出しては、泡となって消えていく。
──嫌だ。彩葉ともお別れなんて。そんなの、嫌だよ。
声も手も届かずに、やがて視界が滲んでいく。黒く染まる寸前、聞こえたのはそう。
「ちゃんと、ハッピーエンドを見つけてね」
彩葉の、そんな言葉だった。
「大丈夫か!?」
「うへぇ……」
「くっ、そぉ……!」
響き渡る怒号と、歓声と。
先ほどまでの静けさは、嘘のように消え失せていて。
「……え」
気がつけば私は、かぐやの迎えが来たあの日へと戻っていた。
エンドロールはまだ流れていない。