僕は彼女を連れて村へ戻った。
村民は僕の帰還を待っていて、変わらずの仰々しさに圧せられていると、僕の肩に乗った小さな存在に気がついた。彼らは二、三個ほど言葉を交わす素振りを見せて、大急ぎで何処かへと消えてしまう。
「……今のが、この時代の人間なんだ」
そんな慌ただしい彼らを見て、肩に乗ったかぐやが感慨深そうに呟いた。
僕のようなイレギュラーを除けば、かぐやが初めて会った現地民になる。どこか心が躍っている様子だった。
「カナタはさ、この村の人達とどれくらい一緒にいるの?」
「あー……百年くらいかな?わかんないけど」
「ながっ!」
彼女は冗談めかして、けらけらと笑う。
確かに、思えば長くここにいる。滞在する理由などないというのに。やはり言葉はわからなくても、人の傍にいるだけで心が安らいでいたのだろうか。
「……思えば、よくしてもらったな」
ご飯も寝床も用意してくれて、対する僕は百年もの間、何一つとして返せていない。
まぁ、崇められてるだけだけどね。なんてつけ足せば、彼女は不思議そうに身を捩った。
「なんで崇められてるの?」
「死なないから」
「あー……ん?でもそれって……」
「ああ、海に飛び込んだところ見られた」
「何してんの!?」
至近距離での叫びに、耳の奥がキーンとなる。びっくりした。
「いや、死ねるかなーって」
「ばか!」
誤魔化すように笑う僕に、彼女は震える声で言った。
「……そんな簡単に、言わないでよ」
縋るような視線に当てられて、僕は口を噤む。
……少なくとも、彼女の前でする話ではなかったか。
「……ごめん」
薄く開いた唇から、声を絞り出して謝った。
空気が沈んでいく。僕の失言のせいなので僕がどうにかしたいのだが、いかんせん人とちゃんと関わるのは前世でも今世でもこれが初めてだ。おかげでどうすればいいかわからずお手上げ状態。
重苦しい空気の中、どうすべきか思案していた矢先、先ほどの彼らが村民全員を連れて戻ってきた。
「え、なになに?」
「さぁ、なんだろ……?」
空気が変わったことに安堵しつつ、彼らの様子を伺う。
「──?」
「──!」
「──」
彼らがなんと言っているのか、未だに理解はできない。できないが、曲がりなりにもこれだけの時間を共に過ごせば、何がしたいのかくらいはわかった。
僕は首筋に隠れるかぐやをちょいと摘んだ。
「どうやら、君を歓迎しているみたいだよ」
「ほんと!?」
ぴょん!とかぐやが僕の肩から頭へよじ登って顔を出す。彼らはそんなかぐやを見て、用意していた果実やら山菜やらを献上してきた。
「あわわ……どーしよ、カナタ」
「素直に貰うしかないんじゃないかな」
きっとかぐやのことを僕の遣いか何かだと思っているのだろう。かぐやに大丈夫だと伝えて、地面にゆっくりと降ろした。
とはいえ、改めて面と向かっての現地民との邂逅に、かぐやは身じろぎひとつ取れない。達人同士の間合いのように、互いに牽制しあっているような、長いようで短い静寂のあと。両者睨み合いの末、かぐやが受け取ることでこの駆け引きは幕を下ろした。
それから、村は一気にお祭りムードになった。
火を焚べて、その周りで踊っては、かぐやをもてなしている。それに対するかぐやも、その小さな体で楽しそうに踊っていた。
それを眺めながら、僕も村人の用意した食事を摘む。何の味気もなかったいつものご飯は、今日は美味しく感じて。僕は静かにその場を離れた。
「ダメだな……」
夜空に浮かぶ満月は海を照らしていて、それを眺めながら独りごちる。
あの村で僕がどれだけ腐っていたのか、かぐやを歓迎する村民達の姿を見て思い知った。
僕を祀りあげて、世代を渡ってなお、崇めてくれた彼ら。かぐやに気づかされた。彼らの方を見ていなかったのは、僕の方だった。
波が寄せては返って、僕の足元を覆っていく。今宵は大潮。月の引力が、僕を攫おうとする。このまま身を任せても、僕は死ぬことはできない。でも、この後悔だけでも、連れ去ってほしくて──。
「危ないよ、カナタ」
ぴょん、と。不意に肩に重さが加わった。
「どーしたの?考えごと?」
祭りから抜け出してきたのか、かぐやは心配そうに僕を覗き込んだ。そんなかぐやを一瞥して、視線を海に戻す。水面に映る月はすぐそこにある。手を伸ばせば届きそうで、でも掴むことはできない。それがとても、もどかしかった。
未来は不確定だ。同じ歴史が紡がれるとは限らない。かぐやの目指す未来が待っているだなんて、保証はどこにもないのだ。
月へ帰れるのならば帰りたいのか。それとも、八千年後を待ち続けるのか。──なんて、かぐやの願いは決まっているだろうに。長い孤独に蝕まれて、無駄な考え事をすることが増えたように思う。
「いや、綺麗だなって思って」
誤魔化すように、言葉を吐いた。
本当に、綺麗な月だと思ったけれど。かぐやが月をどう思っているのかわからないのに、少し無神経な言葉だったかな。そう思ってかぐやを見やる。
「でもでも、かぐやの方が超綺麗だよ!?」
何故か月に張り合っていた。
「……ソウダネ」
「って、今ウミウシだったぁああ!!ほんとのほんっとーに!元の姿は綺麗だったんだからね!!」
「ソーナンダ」
「うっわ、信じてねぇこれ!」
賑やかな声が夜の海に響く。
この温かな時間がどれだけ続くのか。わからないけれど、せめて終わる日まで、大切にしたいと思ったんだ。
一際強く吹いた夜風が、熱を奪っていく。
「……ねぇ、カナタ」
凪のように穏やかな声が、ぎゅっと心臓を掴んだ。
「私さ、ずっと思ってたんだ。死ねるって、幸せなことなんだなって」
「……」
熱も冷めやらぬままに、彼女は思いの内を吐露する。
「だって終われるじゃん。苦しくても、悲しくても、いつか終わる」
「……ああ」
「でも、終われないのって……たぶん、すごく怖いよね」
その言葉は、痛いほどわかった。
終わりがない、永遠に続く孤独。昨日も今日も明日も、何ひとつ変わらないまま、生き続ける。
それは、生ではなく緩やかな拷問のようで。苦しいなんて言葉で片付けられないほどに。悲しいなんて言葉で言い表せないほどに。僕らの過ごす時間は、絶望に満ちたモノだった。
「ねぇカナタ」
けれど、彼女が名前を呼ぶ度に、僕の心臓は脈を打つ。生きているんだって、実感する。
「どうした、かぐや」
きっと、彼女も同じはずだから。僕もまた、名前を呼んだ。彼女は照れ臭そうにして、
「歌、歌ってよ」
そう言った。
「今?」
「うん。聞きたい」
歌ってほしい、なんて言われたのは初めてだった。
昔はイヤホン越しに、誰かの歌を聴いているだけだったのに。自分の声が誰かに求められるなんて、考えたこともなかった。
「……下手だよ」
「いいの」
波の音が寄せては返す。夜風が頬を撫でて、僕は静かに目を閉じた。口ずさむメロディは、ちゃんと届くかわからない。がむしゃらに叫んだ曲なんて、僕がすっきりするだけだったから。それでも今は、君のために歌おう。
ウミウシの小さな身体が、月明かりを反射して淡く光って見えた。かぐやは楽しそうに揺れ動いていて、最初は震えていた声も、少しずつ波の音に溶けていく。
そうして歌い終える頃には、夜はすっかり深まっていた。
「……どう?」
「……うん」
かぐやは小さく笑った。
「やっぱり、歌っていいね」
「……そうかな」
「うん。だって、ちゃんと届いたもん」
その言葉に、胸が詰まった。
僕の自己満足が、誰かを救えるなんて思い上がっちゃいない。僕の無力で非力で汚れた歌で、誰かを救えるわけがない。──それすらも思い上がりだって、言われた気がして。
ただ、それでも。
「……そっか、よかった」
彼女と出会えたこの曲を、僕は一生涯忘れることはないだろう。
例のシーンを初めて観た時、ドラム王国編ラストのチョッパーみたいになってた。