少しだけ時間を置けば、また昨日みたいに笑い合えると思っていた。ちゃんと謝れば、カナタは困ったように笑って許してくれると思っていた。
「カナタ……?」
雨宿りしていた場所に戻った私は、待っているであろう彼の姿がそこにないことに気がつく。その瞬間、ちっぽけな心臓が強く跳ねた。
……嘘だ。そんなわけがない。きっと、すぐに戻ってくる。
私はその場所で、カナタを待った。一分、十分、一時間と。時が流れるにつれ、心臓が鼓動を早める。
──約束、したじゃん。
私は体を這いずって周囲を探索した。はやる気持ちとは対照的に、身体は重くて全然動いてくれなかったけれど、それでも探し続けた。雨に打たれようと構わなかった。どんなに冷たくなっても、またカナタが温めてくれるんだって、そう思ってたから。
でも、どれだけ探しても、町の人に訪ねてみても。影すら掴めなくって。子供たちに歌を教えた広場を。二人して歩いた畦道を。幾度となくおはようとおやすみを繰り返した私達の家を。隅々まで、何度も何度も探した。
「カナタっ!」
私の呼びかけに、雨音だけが応えて。
もしかしたら、本当に……なんて考えて、頭を振るう。
違う。そんなわけがない!そんなわけないよ!
「そんなわけ……ないじゃん」
彼のいなくなった部屋で、私の呟きは泡のように消えていく。
一人の夜なんて久しぶりだった。いつも当たり前にあった温もりはもうなくて、それを求めるように布団の中に潜り込んだ。
けれど、布団の中は冷たくって、無意識に身体を寄せてみるも、いつものように呆れた声は返ってこなかった。
──大丈夫。約束、したもん。大丈夫だから。
そう自分に言い聞かせて、震える体のまま眠りにつく。
今日は朝からずっと町中を探し回った。昨日の雨がまだ各地に痕跡を残していて、泥が跳ねて体が汚れたけれど、気にも止めずに這いずり回った。
もしかしたら、何処かで寝過ごしちゃって、帰れなかっただけかもしれない。そんなことを考えながら日がな探して、影が伸びれば家に帰ってきてるかもしれないと戻った。
でも、帰ってきてなくて。仕方なくその日はまた一人で眠った。
今日も、町と、その周辺を探しては、結局なんの手掛かりを見つけられずに日が暮れた。町へ訪れた商人に尋ねても首を横に振られたし、本当はもっと遠くへ探しに行きたいけれど、やっぱり帰ってきてるかもしれないって思っちゃって。私は離れられずにいた。
今日は、朝から晩まで家の前で待った。もしかしたら、奇跡的なすれ違いが起きているのかもしれない。そう思って家の前で待ち続けた。
遠くに人影が見えるたびに胸が跳ねて、違う誰かだと分かるたびに肩を落とす。何度繰り返したかわからない。それでも、今日こそはって思って。門の前で、風に揺られる。
明日は、帰ってくるかな。
会えたらちゃんと謝ろう。
大丈夫、忘れていない。
約束、覚えてるよね?
……遅いよ。
早く、帰ってきてよ馬鹿……。
それから、雨の日も風の日も。争いが起こる日も。
私はカナタの帰りをずっと待ち続けた。「もしかしたら」なんて口癖のように言っては、数え切れないほどの「かもしれない」を何度も何度も繰り返して。明日こそはって、なんでもないように息を続ける日々。
知らなかったんだ。カナタがいないと私、こんなにダメなんだって。ずっと昔から──ううん、きっと出会った時から。私はカナタに、依存してたんだ。
それに今更気づいたって、もう遅いのに。
歌を教えた子どもたちは、みんな歳を重ねて皺を蓄えた。この村にはもう彼らしか、カナタを覚えている人間はいない。
けれど、彼らも長くは生きられず。最後の一人を見送って、遂には私の記憶の中にしか、この村で生きるカナタの姿はない。
私だけが、カナタをカナタと名前で呼んで。未だに私だけが、あの日に取り残されているみたいだった。
……本当は、気づいてたんだ。
私が、あの日。あの時、逃げ出しちゃったから……カナタも怒ってどっかに行っちゃったんだ。私の弱さが、カナタを傷つけたんだ。
モノクロになった視界が、涙で溢れかえる。
彩鮮やかだった世界から、色は消え失せていた。私は、何処で選択を間違えてしまったのだろう。なんで、逃げてしまったのだろう。
「やだよ、カナタ……」
それでも、認められなかった。認めてしまったら、本当に独りになっちゃう気がして。
「ヤチヨ……」
ふと、彼女のことを思い出す。
確か、彩葉がヤチヨは八千歳と言っていたはずだ。
「ヤチヨなら、わかるのかな」
もしかしたら、と淡い期待が芽生える。
もし、それが本当なら。世界のどこにでも行ける彼女なら。
「お願い、カナタと会わせて……」
叶わない願いを込めて、そう口にした。
当然、返事は返ってこない。この体には似つかわしくない広い部屋で、虚しさだけがずっとこだましていた。
目まぐるしく日々は過ぎていく。
動けない私とは違って、季節は移ろい、時間は常に流れ続けている。
もう帰る場所はなくなった。二人で過ごしていた家は、とうに瓦礫の山となっている。それでも、もしかしたら明日には帰ってくるんじゃないかって、ひたすらに待ち続けて──。
数百年が経った頃。私は、ようやく飲み込めた。
「……またね、カナタ」
何もかもが崩れ去った地で、別れを告げる。
「さよならは、まだ言わないから……」
そんな強がりだけが、何年経っても変わらない。
カナタがみんなと同じだったら、私は諦められたのかもしれない。でも、カナタは生きている。世界のどこかで、必ず息をしている。
だから、寂しくなんかなかったよ。世界にひとりじゃないと思える夜があるだけで、私は十分だから。
「綺麗だなぁ……」
いつかの彼みたいに、私は空に浮かぶ月を見る。
何年経っても、何百年何千年と経とうとも。変わらずに私たちを照らし続ける月。
──そっか。だから、カナタはよく月を見上げていたんだ。
変わり続ける世界の中で。私たちと同じで変わらないものを、ずっと見てたんだ。私にとってのカナタがそうであったように。変わらずに在り続けるだけで、安心できるから。
そうだ。
空を見上げればそこに月があるように。
カナタが世界のどこにいても私の元へ帰ってこられるよう、どこにいても見つけられるような場所を作ろう。カナタだけじゃない。悲しみで満ちた世界で、誰かの居場所になれるような場所を。
私の脳裏に浮かぶのは、今はもう朧げな仮想の世界。
今の私の人生の何万分の一にも満たない、ちっぽけな時間だったけれど。とても、大切だった時間。
「……カナタ」
何千回、何万回と繰り返し呼んだ名を、再びなぞる。初めて呼んだのは遥か
「私、やりたいことができたよ」
私は瞳に月を映して、宣言する。もう、下を向くだけの私じゃない。彼の重荷になるだけなんて、そんなの嫌だ。
「だから──」
その続きを紡ぐ代わりに、私は喉を絞った。
「────♪」
口遊むは、あの日のメロディ。
大丈夫。私はもう泣かないよ。もう泣いて、カナタを困らせたりしないから。次に会う時は、ちゃんと笑っているから。だから。
──それまで待っててね。