躊躇いを隠して、白い手をとって。   作:Riavid

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 それはまだあたしが小さくて、今みたいにオシャレにそんなに気を遣っていなかった頃。まだアイドルというものをよくわかっていなくて、ただ舞台に立つっていうことは、プリマとしてバレエを踊ることだって思っていた頃の話。

 海外旅行、って聞くとなんだかやっぱ憧れるし、楽しそうだなって。それは正直、今でも割とそう思うところはあるんだけど、違うのは知らない場所で知らない人に囲まれている状態というのは、多分想像しているよりもずっと孤独だってこと。

 場所は日本のどこかじゃなくて、スウェーデン。まだバレエをやっていて、そのために留学をした先がそこだった。季節は冬。地元と同じで雪が降っていて、なんとなく雰囲気だけは地元と同じような景色。それが逆に反ってあたしにとってはよくない方向に働いたのかもしれない。全く見覚えがないような場所だったらきっと、誰もいないようなところまで1人で向かうようなことなんてしなかったと思うから。

 ……よーするに、調子に乗って迷子になっちゃったってことなんだけど。ま、別に今だって結構道に迷ったりすることはある。それでもまぁ、今なら自分でスマホを使って道を調べたりとか、適当にその辺りの人に声をかけて聞いてみるとか、そんな感じでなんとかしちゃうことも全然できると思う。ただ、この時と今じゃスマホも持っていなかったし、それになんていうか……まだお嬢様みたいな気分だった、っていうのも、少しだけ。

 とにかく、不安だった。あたしがいつも見ていた雪景色。けれど、そこにいるのは誰も知らない人と知らない建物、聞こえてくるのは知らない言葉だけ。世界の中でたった1人、あたしだけが取り残されたような感覚に襲われて、もうどうしようもなく不安になってしまっていた。

 ――多分、後数分。いや、もう直ぐにでもその場で泣き出してしまいそうなところで、あたしがその子を見つけた。

 

「パパ、ママ……」

 

 ここに来てから、叔父さん以外だと殆ど聞くことのなかった自分の国の言葉が聞こえてくる。それも、ちょうどあたしと同じくらいの女の子の泣き声。その声につられるようにしてその先を見てみると、ちょうど町の真ん中の広場のようなところ、そこに設置されているベンチに一人で座って涙目になっている女の子がいた。

 誰も声をかけなかったのは、多分その言葉がわからなかったから。と、いうよりも周りの喧騒にかき消されてしまいそうなその小さなか細い声は、あたしでも聞き取れたのが自分で感心しちゃうくらいだったから。

 

「ねぇ、どうしたの?」

 

 気が付けば、自然とその子に近づいて声をかけていた。おかしな話だけど、さっきまで泣きだしそうになっていた悲しさだとか不安だとかはどこかに吹き飛んでしまっている。

 ……けれども、今にも泣きだしそうなその子に近づいてみても、不思議なことに返答はなかった。おーい、って感じで手をその子の前でひらひらと振ってみる。なんでだろう、わざとらしく目を合わせていないようにも見える。

 

「知、知らない人とは話しちゃダメだって」

 

 思わず、吹き出してしまいそうになった。あぁ、確かにそんなこと、よくうちのお父さんにもよく言われたっけなぁ。それにしても、本当に怪しくて危ないだとか、そんな風に思うのなら逃げちゃえばいいような気もするんだけど、どうもその様子はなさそうだ。返してる言葉も、やっぱり聞きなれないスウェーデン語じゃなくて日本語だし。

 

「えーっとね。すみか、しうんすみかっていうんだ、あたし」

 

 自分自身の名前を名乗りながら、白い雪のキャンバスに自分の名前を漢字で書いていく。こういうのって、名前くらいは日本語じゃなくてスウェーデン語とかで書けるように紹介しておけばよかったかも。ま、さっき日本語で話してたし、多分伝わると思う……って思ってたけど、どうにも目の前の女の子はキョトンとしたご様子だ。あぁ、やっぱり伝わってないのかな? いやまぁ、ていうかそっか、そもそも人の名前って結構わかりづらいしな。まして、あたしみたいな珍しい苗字だとなおさらか。

 

「え~っと、実はこの国の……スウェーデンじゃなくてさ、日本ってところからバレエのこと勉強しに来たんだよね。留学って奴? それで、今はまぁ、迷子」

「えっ」

 

 そうだよね~。声をかけてきたと思ったら、そうやって声をかけてきた方も迷子っていうのは、そういうリアクションになっちゃうよね。多分、逆の立場でもそういう反応になると思う。

 

「とりあえず、大体話せることは話したかな、って感じ? それでさ、次はそっちの話せることを話してくれないかなって、とりあえず、名前から」

 

 何だかおかしな話だけど、そうやって簡単な自己紹介をしながら話していくうちに、さっきまでの不安でしょうがなかった気持ちも段々と和らいでいく。目の前のこの子はどうなんだろう。返事を待ちながら、自然と真正面からその白い女の子と見つめ合うような形になって、出てきた感想は可愛い子だな、なんてまた何だかおかしな感想だった。

 ……正直なところスウェーデンに来てから、結構ナーバスって奴で、ちょっとだけ息苦しさはあった。例えばバレエのレッスン中とかでも、この国の、スウェーデンの人――あるいは他の近くの、ヨーロッパの何処かの人たちや、とにかくそういう海外の人たちとの自分の実力差。それ以外にも、何だか言葉にしづらいけれど、その人たちが元々持っている雰囲気というものに圧倒されてるなっていうのは、ここ最近の自分でも思うところだった。勿論、別にだからといってレッスン自体が嫌だとか、バレエが嫌だとか、そういうことじゃないんだけど。

 なんていうか、美しさで負けてるなーって奴だ。一個一個の挙動、見た目だとか、そういうの含めて全部。留学に来る前のあたしって、結構チヤホヤされてたんだなーって思うと、それもそれでちょっとあんまりスッキリしなくなるし。そんな風にすっかり気持ち的に落ち込んでたところに、偶然この子を見つけたから……あぁ、だからあたし、安心しちゃってたんだ。

 

「えっ……と……リーリヤ、葛城リーリヤです」

 

 少しだけ悩んだようだったけれど、その子は名前を教えてくれた。さっきはあんまり意識はしてなかったけど、やっぱり日本語はすごい上手。よく外国人の人が日本語を話そうとしたときにあるような、独特のあのアクセントや、イントネーションの癖はない。

 

「へ~そっか、葛城が苗字だと……もしかして、ハーフってこと?」

「あ、パパが日本人で、ママがスウェーデンで」

「わ、なんかすっご!」

 

 泣きだしそうになっていたリーリヤ、という女の子がクスっと笑う。その微笑みを見て、 どうしてこの子を最初に見たときから、可愛いだとか、安心したような気持になったのかも、なんとなく理解した。髪の色も、目の色も、肌の色も違うけれど、きっとここに来てから初めて、あたしと同じ年代で直接話すことができた子だからだ。それ以外はここに来てから、殆ど通訳の人を介してか、それこそ叔父さんくらいしか日本語で話す人はいなかったから。

 

「あはは……そっか、寂しかったんだ」

「え?」

「いーや、こっちの話! ……それで、会っていきなりで申し訳ないんだけど、ちょっとだけ道案内、お願いできる?」

「う、でも私もちょっと迷子ではぐれちゃってて……」

「それだったんだけどさ……はぐれちゃったのはお互い様だけど、リーリヤさんはお父さんとかお母さんとかとはぐれただけで、なんとなく場所はあたしよりはわかったりしないかな? あたし、多分行ったらどうにかなる場所はあるんだけど、そこまでの道のりがわからなくて。結構大きい場所だから、もしかしたらとりあえずそこまでの道のりは、リーリヤさんの方でもわかるかなって」

「えっと……場所によるかな、その場所って……」

「それはね――」

 

 ***

 

「――とうちゃーく! よかったー、戻ってこれて!」

 

 知らない街並みをしばらく、リーリヤと手をつなぎながら歩いて、体感数分くらい。

 戻ってきたのは今日のレッスンで使用した、小規模だけれど演目公演にも対応している、公営ホールのような建物だった。

 

「えっと、ここって……」

「あ~っとね……実は、ここでちょっとこの後用事があってさ、それで……うわっ」

 

 向かい側、ちょうど建物入口辺りから、笑顔で近づいてくる叔父さんの姿が見える。

 ……別に叔父さんは人前や外で怒鳴り散らすようなタイプの人ではないけれど、あの笑顔はちょっと怒ってるときの顔かな。いや、まあ正直怒られて当然だからそこを誤魔化す気もないんだけど。

 

「ご、ごめんね。ちょっと待っててくれる?」

 

 一度リーリヤをその場において、先に近づいてくる叔父さんにこちらから全力ダッシュ。開口一番にまずはごめんなさいと伝えて、それからここまで確かに迷子だったけど、一人の親切な女の子の案内で向かってこれたこと、そして一度戻る前に、ちゃんとお礼と挨拶だとかを伝えておきたいことや、その子も親御さんとはぐれているから、叔父さんと協力してほしいこととか、そういう諸々を伝えると、叔父さんはため息をついた後に苦笑いをしてそれを許してくれた。

 去り際にもう一度だけ謝ってから、再びリーリヤの元へと駆け出す。少しだけ説明に時間を取られてしまったから、もしかしたらちょっと目を離した間に、さっきの女の子はもういなくなってしまってるんじゃないかと思ったけれど、律儀にさっき離れた場所で1人待ってくれていた。

 

「ほんとにごめんね! ちょっと事情を説明してたんだ。ちゃんとお礼も言えてなかったけど、ここまで案内してくれてありがとうね、リーリヤさん」

「え、そんな……別にお礼を言われるようなことじゃないよ」

「えっと、あっちでさっき話してきたのがあたしの叔父さんで……リーリヤさんも迷子だったんだよね。叔父さんの方がしっかりした大人だから、ちゃんとリーリヤさんの両親がどこにいるか、探してくれるって」

「ほ、ほんとに……?」

「うん、そうだよね叔父さん……あれ?」

 

 先に走り出してきたあたしの後に続いて、叔父さんも後から歩いてやってくる。見上げてみると、何故かリーリヤの方を向いて驚いたような表情をしていた。

 

「もしかして、葛城さんのところの子かい?」

「「えっ!?」」

 

 今度驚いたのは、あたしとリーリヤの両方だった。

 ……そのあとの話を簡単にまとめると、どうやら元々叔父さんとリーリヤのお父さんがどうやら知り合いだったらしい。スウェーデンにいる日本人コミュニティで交流があったとか、そんなような話を聞いた気がするけど、細かいところはあんまり覚えていない。その時はただただ、そんな偶然って、意外にあるものなんだ、って思うばかりだったから。もう一つだけ、覚えているところがあるとしたら、最後に一言、やっぱり寂しくなるものだよなぁ、とだけ、しんみりとした様子で叔父さんがボソっと呟いていたっけ。

 ――何はともあれ、叔父さんの方ではそういう事情でリーリヤの両親の連絡先もどうやらわかっていたようで、連絡をしたら程なくして両親が迎えに来た。パパの方もママの方もすっかり心配していた様子で、怒るよりも先にリーリヤを見た瞬間に、泣いちゃってたんだよなぁ。それから、2人そろってリーリヤにハグをしてた。

 ひとしきり会話とかが終わった後で、リーリヤの両親とあたしの叔父さんが少しだけ話し込む。その間に少しだけ、あたしたちの方でもお別れのあいさつをするタイミングがあった。

 

「それじゃ、また今度ね。リーリヤさ……ううん、リーリヤ!」

「ま、またね、清夏さん……」

「あーもう、違うよ、別にもう、呼び捨てでいいって!」

「そ、それじゃ……清夏、ちゃん」

「――あははっ、ちゃんづけなんだ! でもまぁ、その方がリーリヤらしいのかも!」

 

 それから、あたしはこっちの留学の間は、レッスンのお休みの時はすっかりリーリヤのところに遊びに行くようになって、それだけじゃなくて、それからも何度も数えきれないくらいリーリヤと一緒にいることがあったんだけど……

 それはまた別の話、だなんていう必要も多分ないのだろう。だってまぁ、その子は今もあたしの傍にいるんだから。

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