気まずい静けさが残る芝生。マダム・フーチがネビルを連れて去った後も、生徒達は誰も箒に触れられず、所在なく立ち尽くしていた。
「……ネビル、大丈夫かな」
ハリーが不安そうに呟いたその時──
「あれ?」
ドラコが足元に落ちていた思い出し玉を拾い上げ、にやりと笑った。
「ロングボトムの物だ。ばあさんが送ってきたって自慢してたな」
ロンが嫌な予感を覚えたように顔をしかめる。
「マルフォイ、それを返せ」
ハリーの静かな声に、自然と周囲の視線が集まる。
「君の物でもないだろ、ポッター。そうだ、じゃあ木の上にでも置いておくよ。ロングボトムの箒の練習にもなるだろう?」
「返せって言ってるだろ!」
ハリーが声を荒げる。ドラコは意地の悪い笑みを浮かべて箒に跨り、そのままふわりと飛び上がった。名家の子というのは伊達ではないらしく、飛行技術は明らかに普通の一年生のレベルを超えている。
「ここまで取りに来いよ、ポッター」
ハリーはすぐさま箒を掴む。
「ダメよハリー!箒に乗っちゃダメだってフーチ先生に言われたじゃない!」
ハリーは一瞬迷ったが、それでも怒りと興奮が勝った。ハーマイオニーの制止を振り切り、箒を強く握って跨る。そして体の奥底から湧き上がる熱に任せて地面を強く蹴る。
風が一瞬で顔に叩きつけられ、耳元で激しい風切り音が響く。箒が急激に加速し、身体が後ろに引っ張られるような感覚に襲われる。地面がみるみる遠ざかり、視界が一気に開ける感覚と、空を飛ぶという爽快感をハリーは味わっていた。
「ほう……マルフォイ家ならば幼少から箒の訓練をしていても何ら不思議ではないが……」
「はい。マグル育ちのポッターがあれほどの技量を持っているとは意外です」
「そうだな。運良く生き残っただけの有名人で終わる男ではないか」
セラフィーナは楽しそうに微笑む。
「遅いぞポッター!」
ドラコが思い出し玉を高く掲げて嘲笑う。ハリーは歯を食いしばり、箒を更に前傾させた。風圧が胸に重くのしかかり、目が乾く。箒の柄が手に食い込むほど強く握りしめ、ドラコに向かって一直線に突進した。
二人の距離が急速に縮まる。
ドラコが慌てて横へ逃げる。ハリーは即座に箒を捻り、鋭く旋回。遠心力で身体が外に引っ張られ、腹の底が浮くような感覚が走る。
「返せ!」
ハリーの叫びが風に掻き消されながらも響く。ドラコの顔から余裕が消え、必死に箒を操って逃げ回るがハリーの追尾は容赦ない。風を切り裂く音が二人の間で激しく交錯し、芝生の上から見上げる生徒達は息を飲んで見守っていた。
セラフィーナは腕を組んだまま、紅い瞳で飛び回る二人を追っていた。
「マルフォイは安定しているが、攻撃的な動きに弱いな。対してポッターは勢い任せだが反応が速い」
リオラが静かに同意する。
「はい。ポッターの反射神経は一年生のレベルではありません」
空中でハリーが急接近する。ドラコは慌てて思い出し玉を全力で遠くに投げ捨て、反転して急降下した。
「取ってみろよ!」
思い出し玉が陽光を反射しながら大きな放物線を描いて落下していく。
ハリーは迷わずそれを追い、箒を極端に前傾させた。地面が猛烈な勢いで迫ってくる。風が耳の中で咆哮し、目が乾き、息が苦しい。
「無茶だハリー!」
ロンの制止、ハーマイオニーの悲鳴。しかしハリーの耳には届かない。もはや彼の目には思い出し玉しか映っていないのだ。
「速い……!」
セラフィーナの紅い瞳が見開かれる。
地面まであと十メートル……五メートル……。
周囲から悲鳴が上がる。その瞬間、ハリーは身体を横に滑らせるように捻り、右手を全力で伸ばした。
パシッ!!
指先が思い出し玉に触れ、掌にしっかりと収まる。地面すれすれで箒を水平に戻し、勢い余って数メートル滑るように飛んだ後、ようやく減速して着地した。
芝生に残った生徒達から、どよめきと拍手が沸き起こった。
「やったぞ、ハリー!」
ロンが興奮して拳を振り上げる。ハーマイオニーは安堵と呆れが混じった顔で胸を押さえている。
ハリーは荒い息を整えながら、思い出し玉を握りしめたまま立ち上がった。顔は興奮で紅潮し、手が微かに震えている。
その様子を見ていたドラコは、悔しさのあまり苦々しい表情を隠せなかった。
「……チッ。まぐれだろ」
主にグリフィンドールの生徒達がハリーを囲んで盛り上がっている中、セラフィーナがゆっくりとハリーに歩み寄る。その紅い瞳に明確な興味の色を浮かべて。
「見事だったぞポッター。特に最後の急降下と体捻り……本能的な反射神経が優れている。マグル育ちとは思えん動きだ」
ハリーは少し警戒しながらも、素直に頷いた。
「……ありがとう。なんか、夢中になっちゃって」
セラフィーナは小さく笑う。
「夢中になるのは悪いことではない。お前の箒捌きは素晴らしい」
その言葉に、ハリーは複雑な表情を浮かべた。褒められてはいるのだが、興奮が冷めてくるにつれてマダム・フーチの言いつけを破ったことを思い出してきたのだ。
その時、ドラコが横から口を挟む。
「アウレリウス、なんでポッターを褒めるんだ?あんな無茶な飛び方、ただの馬鹿だろ」
「確かに無茶な飛び方かもしれん。しかしポッターは成し遂げた……幼少からの訓練で得たお前の技術とは違う天性の才能でな」
その時だった。
「ポッター!」
鋭い声が芝生へ響き渡る。生徒達が一斉に振り返ると、そこにはマクゴナガルが立っていた。厳しい表情でハリーを射抜くような視線を向けている。
歓声は一瞬で消え失せた。
ハリーの顔から血の気が引く。ロンもハーマイオニーも凍り付いたように口を閉ざした。ドラコだけは口元を歪め、勝ち誇ったように笑っている。
「終わったな、ポッター」
マクゴナガルはゆっくりとハリーへ歩み寄る。その足音だけが芝生に重く響いた。
「先生、僕は……」
「言い訳は結構です。後でゆっくり話を聞きましょう」
マクゴナガルはハリーの肩に手を置き、ほとんど引きずるようにしてその場を去っていった。残された生徒達の間に、ざわめきが広がる。
「退学……かな」
「絶対怒られるよ……」
セラフィーナは二人の背中を静かに見送りながら、紅い瞳を細めた。
「……面白い」
リオラがそっと尋ねる。
「お嬢様、どう思われますか?」
「マクゴナガルは怒ってなどいない。目が笑っていた」
セラフィーナは小さく笑い、オーロラを呼んで頭を撫でる。
「この学校は思った以上に退屈しない。ポッター、グレンジャー、マルフォイ……どれも捨てたものではない」
秋風が芝生を吹き抜け、彼女の深紅の髪を軽く揺らした。
書きたいシーンは気合の入り方が違う