翌朝。ハロウィンの騒動が嘘だったかのように、ホグワーツの朝は穏やかだった。大広間には朝食の香りが漂い、生徒達は眠そうな顔で席についている。
だが、一つだけいつもと違うことがあった。
皆がみな、同じ話題を口にしているのだ。
「聞いたか?昨日のトロールの件」
「あぁ、聞いた。スリザリンの一年生が一人で山トロールを倒したって話だろ?」
グリフィンドールの長テーブルでは、五年生のグループが興奮気味に囁き合っていた。
「え、トロールと戦ったのってポッター達じゃないの?」
「二匹いたらしい。一匹はポッター達がなんとかしたけど、もう一匹はスリザリンの一年生が素手でぶっ殺したって噂だぞ」
「す、素手……?」
目を見開く。五年生の自分でさえ、山トロールとの一騎打ちだなんて想像すらしたくない。それを入学してからまだ日が浅い一年生が素手で殺したなど、にわかには信じられない話だった。
別の場所。レイブンクローのテーブルでも、同じ話題で会話が交わされていた。
「一年生が山トロールを……興味深いな」
「いや、流石に誇張では?」
「しかし、どうやらその一年生というのが、あのアウレリウス家らしい」
その名を聞いて、噂について懐疑的だった者達の態度が変わる。
「なるほど。あの血筋なら、こと戦闘においては規格外であっても不思議ではないかもしれないな」
ハッフルパフでも、同じ話題が共有されている。
「私はトロールの頭を砕いたって聞いたよ」
「返り血を浴びながら笑ってたんだって」
「怖い……その子に会ったら泣いちゃうかも……」
他の三寮がざわつく中、スリザリンの生徒達は時折セラフィーナの方へ視線を投げかけながらも、誰一人として直接声をかけようとはしなかった。畏怖、好奇心、そして話題を独占していることに対する嫉妬が入り混じった複雑な視線だけが、彼女に集中していた。
視線だけが何度もセラフィーナに向けられ、ヒソヒソと言葉を交わしている。
「ほう、今日はスクランブルエッグがあるのか」
そんな視線など気にした様子もなく、セラフィーナは紅い瞳を輝かせて朝食に視線を落とした。
「はい、お嬢様。本日は卵料理が豊富ですね」
リオラがいつも通り紅茶を注ぎ、オーロラは人間顔負けの優雅さでベーコンを一切れ一切れ丁寧に口に運んでいる。
紅茶を注いだ後、リオラは静かに周囲を見回した。
見られている。セラフィーナとオーロラが目立つのは入学前から分かり切っていたことであるし、現に入学してからずっと様々な視線を浴びてきた。しかし、今は明らかに今までとは違う種類の視線が向けられている。
畏怖、警戒……そして理解できないものを見るような戸惑い。何度か親し気に話したことのある生徒でさえ、今は遠巻きに眺めているだけだ。
「ん?どうしたリオラ」
セラフィーナはソーセージを切り分けながら尋ねる。
「いえ……」
少しだけ迷う。この現状を伝えるか暫く静観するか……どちらが主の為になるのか。だが結局、リオラは何も言わないことにした。
「何でもありません」
「そうか」
本当に気付いていない。そもそも、周りの声や視線に朝食以上の価値を見出していないようにしか見えない。現に今もソーセージとスクランブルエッグに夢中になっている。
その時、大広間の扉が開いて朝が遅い生徒達が駆け足で入って来る。その中には、ドラコとその取り巻きであるクラッブとゴイルの姿もあった。
「随分と注目されているな、アウレリウス。山トロールを素手で倒したんだって?」
ドカッとセラフィーナの正面の席に座る。生徒達が露骨に避けている為、彼女の周囲は空席が目立つ。
「身体強化魔法を使っていたからな。流石に素の身体能力でトロールと戦うほど、私は愚かではない」
「そういう話じゃない……はぁ、もういい。本当に変な奴だな君は」
ドラコは呆れたように息を吐き、食事を始める。
「ふむ。それで?」
「……それで、とは?」
ナイフとフォークを持ったドラコの手が止まり、セラフィーナに言葉の真意を問う。
「私に何か用があるのだろう?」
ドラコは少し言葉に詰まる。確かに用はある。しかし、自分でも上手く言葉にできずにいた。
「……単純な興味だよ」
「興味?」
「あぁ、そうだ」
ナイフとフォークをテーブルに置き、ドラコは胸の前で腕を組む。
「君、よくトロールなんかに立ち向かえたね。怖くはなかったのかい?」
「怖い?何故怖がる必要がある?」
ドラコが少し目を見開く。周囲の生徒達も、セラフィーナの言葉に口を閉じて息を飲む。
「……トロールだぞ?一歩間違えれば殺されたっておかしくはないんだぞ?」
「ふん、戦いとはそういうものだ」
セラフィーナは当然のように答える。
「相手がトロールであれ人間であれ、殺し合いをする以上は自分が死ぬ可能性もあって当然だ」
大広間が静まり返る。しかし当の本人は全く気にしていない。
「それをいちいち怖がっていたら戦いなどできん」
「……いや、普通は怖がる」
ドラコは思わず呟く。
「父上も言っていた、戦いというのは怖いものだって」
「そうか」
セラフィーナは紅茶を一口飲む。
「ならば、貴様の父親は恐怖に負けたのだな」
「……なんだと?」
空気が冷える。ドラコの目つきが鋭くなり、セラフィーナを睨む。
「誤解するな。恐怖を感じること自体は当然だ」
セラフィーナは静かに紅茶を置く。
「だが、恐怖を理由に責任から逃れる者は評価できん」
ドラコが勢いよく立ち上がる。
「父上は逃げてなんかいない!」
「そうか?」
セラフィーナは首を傾げる。
「私が父から聞いた話では、ルシウス・マルフォイは闇の帝王に従いながら、敗北後は無関係を装ったそうだが」
周囲の空気が凍り付いた。スリザリンの生徒達が一斉に息を飲む。
ドラコは、怒りで顔を真っ赤にしながら怒鳴る。
「父上を侮辱するな!」
「侮辱ではない。私なりの評価と、父から聞いた話をそのまましただけだ」
その言葉に、ドラコは返す言葉を失う。怒りは消えていないが、本能的に理解したのだ。目の前の少女、セラフィーナとは価値観が決定的に違うのだと。
恐らく、彼女は本当に悪気なく言っている。それを何となく理解したドラコは、数秒の沈黙の後大きく息を吐いた。
「……やっぱり君は変だ」
「そうか?」
「そうだよ」
ドラコは朝食に手を付けず立ち上がる。
「強いとか弱いとか、そういう話じゃない」
その瞳は真っ直ぐにセラフィーナを見据えている。
「君は考え方が違い過ぎる」
そう言い残し、ドラコはクラッブとゴイルを連れて去っていった。
その後ろ姿を見送りながら、セラフィーナは数秒考え込む。
「リオラ、私は何かおかしな事を言ったか?」
そして本気で意味が分からないという顔でリオラに問いかけた。
「……」
リオラは答えなかった。答えられなかったと言うべきかもしれない。
ホグワーツに入学してまだ間もない。セラフィーナ・ヴァレリア・アウレリウスは既に有名人だった。だがそれは、優秀だからではない。
誰もが薄々気付き始めていた。
この少女は、自分達とは根本的に何かが違うのだと。
よし、今日も間に合った。