トロール騒動から数週間が経過した。
ホグワーツは再び平穏な日常を取り戻していた。生徒達は授業や課題に追われ、自由時間にはチェスや爆発スナップに興じ、夜には談話室で談笑する。まるで、あの血塗れのハロウィンなど最初から存在しなかったかのように。
もっとも、セラフィーナにとっては少しだけ様子が違っていた。
廊下を歩けば自然と道が開き、食事の時間には周囲の席が妙に空く。授業で班を組む際、一緒になった生徒達はどこかぎこちなく、目を合わせようともしない。
「ふむ……」
昼食の席で、セラフィーナは顎に手を当てて小さく首を傾げた。
「お嬢様、どうかなさいましたか?」
リオラが隣に座りながら、静かに尋ねる。
「最近、どうも避けられているような気がしてな」
「……」
リオラは数秒間、慎重に言葉を選んだ。
「何か、心当たりはありませんか?」
「無いな」
即答だった。あまりにもあっけらかんとした返事に、リオラは思わず頭を抱えたくなる。だが彼女には、何故セラフィーナがこの状況を理解できていないのか、痛いほど分かっていた。
アウレリウス家において、強者は『正しく恐れる』存在だ。己を磨くために強者と競い、学び、超える。それが家の流儀である。
だからセラフィーナにとって『距離を取られる』という想定は最初から存在していない。
「お嬢様」
「なんだ?」
「ここはホグワーツです。アウレリウス家ではありません」
セラフィーナは不思議そうに首を傾げた。
「そんなことは分かっている。それがどうした?」
「……いえ、失礼いたしました」
リオラはそれ以上何も言わなかった。幼い頃から叩き込まれた価値観は、そう簡単には変わらない。
これはセラフィーナ自身が、自分の力で気付き、乗り越えていくべき問題なのだろう──リオラは静かにそう結論付け、食事を再開した。
一方のセラフィーナは、未だに自分が避けられている本当の理由を理解できぬまま、目の前のローストビーフにフォークを刺した。
そんなある日、その日の授業を全て終えたセラフィーナは珍しく一人で校内を歩いていた。リオラが図書館へ行き、オーロラだけが彼女の傍らを優雅に歩いている。
目的地は特にない。ただの散歩だった。
四階の廊下に差し掛かった時、オーロラの足が突然止まった。
「……?」
金白の毛並みが僅かに逆立ち、低い唸り声が喉から漏れる。極めて珍しい反応だった。
「どうした?」
セラフィーナが視線を向けると、そこには一枚の古びた扉があった。
「ほう……」
口元が自然と吊り上がる。何かは分からない。だが、確実に何かがあの扉の向こうに存在する。
しかし、次の瞬間──
「ミス・アウレリウス」
聞き慣れた厳格な声が響いた。振り返ると、マクゴナガルが立っていた。眼鏡の奥の視線は冷たく、明らかに警戒を孕んでいる。
「何をしているのですか?」
「散歩です」
「……そうですか」
マクゴナガルは一瞬ためらった後、声を低くした。
「ならば散歩の経路を変更しなさい。今すぐに」
セラフィーナは数秒考えた後、再び扉を見る。そしてゆっくりと振り返ってマクゴナガルに視線を戻した。
「何かあるのですか?」
マクゴナガルは数秒沈黙し、やがて小さく息を吐く。
「えぇ、だから近付くなと言っているんです。入学の際に校長先生も仰っていたでしょう」
「なるほど。確かに言っていましたね」
セラフィーナの紅い目が僅かに細められる。その反応を見た瞬間、マクゴナガルの眉間に深い皺が刻まれた。
「ミス・アウレリウス」
「はい?」
「その顔はやめなさい」
「どの顔でしょう?」
「今の顔です」
セラフィーナは本気で分からないという表情を浮かべる。しかし、マクゴナガルは警戒を緩めない。トロール事件以来、彼女は理解していた。この少女は興味を持ってはいけないものに興味を持つ。そして、それを躊躇なく確かめに行く。
「この際もう一度言っておきますが、ここは立入禁止区域です」
マクゴナガルは釘を刺すように言う。
「貴女が何を考えているのかは分かりませんが、絶対に近付いてはいけません」
「承知しました」
あまりにも素直な返答だった。思わずマクゴナガルの方が目を瞬かせる。だがセラフィーナはそれ以上何も言わず、踵を返した。オーロラも一度だけ低く唸り、扉を睨み付けてからその後に続いた。
その背中が見えなくなるまで見送りながら、マクゴナガルは深く息を吐いた。
「……嫌な予感しかしませんね」
誰にともなく呟く。そしてその予感は、残念ながら当たることが多かった。
その後もセラフィーナは授業や鍛錬に励み、ホグワーツの日常は淡々と過ぎていった。
そして数日後、ホグワーツはクィディッチ一色に染まっていた。
グリフィンドール対スリザリン。
今シーズン最初の試合である。生徒達は授業中ですらその話題を口にし、休日になると皆が競技場へと足を運んだ。
無論、セラフィーナも観戦に訪れていた。
「ポッターがシーカーだったな」
「はい。あれからかなり上達したようですよ」
リオラが答える。
上空では箒が高速で飛び交い、歓声が競技場を揺らしている。
しかしセラフィーナの反応は薄かった。
「ふむ」
確かに技術は高いし、身体能力も悪くない。
だが──
「どうでしたか?」
試合終了後、リオラが尋ねる。
グリフィンドールの勝利に沸く周囲とは対照的に、セラフィーナは淡々としていた。
「退屈だったな」
即答だった。
「箒の操縦技術は見事だった。だが、やはり私はクィディッチより決闘の方が面白い」
「そうですか」
「うむ」
リオラは苦笑する。ある意味予想通りの感想だったからだ。
ハリーがスニッチを捕まえたことも、会場を包んだ歓声も、セラフィーナの心を揺らすには至らなかった。途中、ハリーの箒が不自然な動きを見せたことだけは少し気になったが、それもすぐに興味の外へ追いやられた。
彼女の意識は、別の場所へ向いていた。
四階の廊下。
あの扉。そして、その向こう側に存在する何か。
「リオラ」
「はい」
セラフィーナは静かに紅茶を口に運ぶ。
「クィディッチは退屈だったが、ホグワーツにはまだ面白いことが沢山あるようだ」
「……」
その紅い瞳には、僅かな愉悦が宿っていた。
リオラは何も言わない。言うべき言葉が見つからなかった。
ただ一つだけ確かなことがある。
セラフィーナ・ヴァレリア・アウレリウスは、あの扉の向こうに興味を持ってしまった。そして、一度興味を持った彼女が諦めることはまず無い。
それが吉と出るか凶と出るか。今はまだ、誰にも分からなかった。
確か、原作と映画で三階か四階か違うんですよね~ここ