その部屋にあったのは、巨大な白と黒の駒が並ぶチェス盤だった。
「チェス……」
ハリーが呟く。部屋全体が一つの巨大なチェス盤になっており、人の背丈を優に超える駒が整然と並んでいる。
「これ、魔法使いのチェスだ……」
ロンの声が僅かに弾む。先程までの焦りも忘れたように、彼は盤面へ視線を向けていた。
「チェスか。つまり、チェスで勝たなければ先には進めないのか。厄介なことだ」
「そうですね。チェスはあまり嗜まないので……」
「私もだ。教養としてルールは知っているが、そもそも私好みのゲームではないからな」
二人の会話を聞いて、ハーマイオニーが目を丸くする。
「そうなの?なんだか意外だわ。貴女こういうの得意そうなのに」
「これは軍師のゲームだぞ?私は後方で指揮を執るのは性に合わない」
その言葉に、今度はロンが僅かに目を見開く。そしてゆっくりと盤面から視線を外し、セラフィーナ達の方に向き直る。
「それなら、ここは僕に任せてほしい」
セラフィーナとリオラは、珍しく虚を突かれたような顔でロンを見る。
「……分からんなウィーズリー。何故貴様に任せる必要がある?」
「どこがどう『それなら』なのですか?」
二人から当然のように疑問を向けられ、ロンは一瞬だけ言葉に詰まった。だが、すぐに顔を上げる。
「僕はチェスが得意なんだ」
「それだけでは理由にならんな」
セラフィーナが即座に切り捨てる。
「誰しも得意なことの一つや二つはあるだろう。私も戦闘は得意だ」
「それは得意ってレベルじゃないだろ……」
ロンが思わず呟くが、誰も突っ込まない。
彼は小さく咳払いをした。
「とにかく、僕は本当にチェスが得意なんだ。家じゃ兄弟と毎日のようにやってたし、負けることなんてほとんど無い」
「ほう?」
セラフィーナの眉が僅かに動く。
「それだけではまだ足りませんね」
リオラも冷静だった。
「貴方には戦績がありません」
「戦績?」
「お嬢様は結果を重視されます」
ロンは頭を掻く。そして観念したように言った。
「僕はウィーズリー家で一番チェスが強い」
一瞬、空気が変わった。ハリーとハーマイオニーは驚いたようにロンを見る。
「そうなの?」
「ああ」
ロンは頷く。
「兄貴達とも何度もやった。フレッドやジョージはもちろん、パーシーにも勝ったことがある」
セラフィーナは黙ってロンを見つめる。その目は本当に驚いているように、小さく見開かれている。
「ほう?あのパーシー・ウィーズリーに勝ったのか」
「お嬢様?」
「とても優秀な男だと聞いている。なるほど、その話に偽りがないのであれば、確かに十分な根拠になり得るな」
セラフィーナは盤面へ視線を向けた。
「ならばやってみろ、ウィーズリー」
紅い瞳が真っ直ぐロンを見据える。
「自らの実力を示し、その話が偽りではないと証明してみせろ」
ロンはゆっくりと盤面へ歩み寄った。先程までのどこか頼りない雰囲気は消えている。
その目は真剣そのものだった。
巨大なチェス盤を見渡し、白と黒の駒の配置を確認していく。
「……なるほど」
数十秒後、ロンが小さく呟く。
「分かったの?」
ハリーが尋ねる。
「ああ」
ロンは頷いた。
「僕達もゲームに参加するんだ」
「参加する?」
ハーマイオニーが首を傾げる。
ロンは黒い駒に近付いた。すると黒いナイトがゆっくりと首を動かし、まるでロンを見定めるように見下ろす。
「ほらね。僕達が正しい位置につけば、向こうもそれを認めるはずだ」
「つまり、僕達も駒として扱われるってこと?」
ハリーが呟く。
「そういうこと」
ロンは頷いた。
「それで僕が指揮を執る」
巨大な駒達は微動だにしない。しかし、その圧倒的な存在感だけで十分だった。
「面白い」
セラフィーナが口元を吊り上げる。
「ならば見せてもらおうか、ウィーズリー」
ロンは一度だけ頷く。そして盤面を見据えた。
「ハリー、君はビショップ」
「うん」
「ハーマイオニーはルーク」
「分かったわ」
次々と配置を決めていくロン。
迷いは一切無い。それを見ていたセラフィーナは僅かに目を細めた。
先程までとは違い、今のロンには確かな自信があった。
そして何より――盤面全体を見渡すその視線は、本当に指揮官のそれだった。
「私はどうする?」
セラフィーナが尋ねる。ロンは盤面から視線を外さず答える。
「アウレリウス達は盤面に入らないでほしい」
意外な言葉だった。ハリーとハーマイオニーが思わずロンを見る。
「え?」
「どうして?」
ロンは盤面を指差した。
「人数が増えるほど考えることも増える。このチェスは普通のチェスじゃない。駒も勝手に動くし、相手も本気で潰しに来る」
そう言って巨大な白の駒を見据える。
「正直、人数が多い方が有利とは限らない」
その声には迷いが無かった。
「僕とハリーとハーマイオニーだけで十分だ」
静寂が落ちる。セラフィーナは数秒間ロンを見つめていた。
そして――
「なるほど」
小さく頷く。
「戦力を増やすのではなく、統制を優先したか」
ロンは黙って頷いた。
「悪くない判断だ」
その言葉にハリーとハーマイオニーが目を見開く。セラフィーナが素直にロンの判断を受け入れているところなど、二人は初めて見たからだ。
「ならば任せよう」
セラフィーナは盤面から一歩下がった。
「ここは貴様の戦場らしい」
紅い瞳が真っ直ぐロンを見据える。
「存分に実力を示してみせろ、ウィーズリー」
ロンは一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐに口元を引き締める。
「ああ」
短く答えた。その返事には先程までの自信の無さは無い。
巨大な黒のナイトへ歩み寄る。すると石造りのナイトがゆっくりと頭を下げ、ロンは迷わずナイトの背へ飛び乗る。
「ハリー、ビショップへ」
「うん!」
「ハーマイオニー、ルークだ」
「分かったわ!」
二人もそれぞれの位置へ向かう。
その瞬間だった。
ゴゴゴゴゴ……
巨大な駒達が一斉に動き出した。石と石が擦れ合う重低音が部屋中へ響き渡る。白の駒達もまた動き出し、無機質な視線をこちらへ向けていた。
ロンはナイトの上から盤面全体を見渡す。
そして深く息を吐いた。
「よし」
黒のナイトの手綱を握る。
「ゲーム開始だ」
映画版だと、チェスのシーンかなりサラッと流れた印象があるんですよね。