でも楽しかったからよし!
クィレルが壁に手を付きながら立ち上がる。
「グッ……」
焼け爛れた胴体の傷から血が流れ落ちる。眼前では深紅の獅子が低く唸り、黄金の瞳で獲物を捉えていた。
その姿は正に捕食者。
クィレルは思わず一歩後退した。
「恐れるな、クィレル」
後頭部から低い声が響く。
「我が君……」
「何を怯える必要がある」
赤い瞳が細くなる。
「よく見ろ」
クィレルは息を呑んだ。獅子を従えるセラフィーナ。その顔色は青白く、大量の汗が流れている。杖を持つ右手も微かに震えていた。
「限界……?」
「そうだ」
「レジナルドは五体の獅子を従えながら平然と笑っていた」
ヴォルデモートが不気味に笑う。
「だが小娘は違う。膨大な魔力と戦闘センスで誤魔化しているが、やはりまだ未熟なのだ。あの魔法はまだ荷が重い」
クィレルの顔から焦りが消える。
「なるほど……」
「焦るな。時間はこちらに味方する」
「はっ!」
そして。
「ククク……」
セラフィーナが不敵に笑う。
「何がおかしい!?」
「おかしいさ。あぁ、全くお笑いだクィレル。そしてヴォルデモートよ」
荒い息を吐きながらも、その深紅の瞳からは欠片も光が失われていない。
「私の魔力切れを待つつもりだろう?浅はかなことだ」
「浅はかだと!?」
「クク……愚か者め。そんな消極的な戦法でこの私に勝てるとでも思ったか?」
セラフィーナの口角が吊り上がる。
「ならば、その前に殺せばよいだけの話だ」
「ほう?」
ヴォルデモートの赤い瞳が細まる。
「何故守りに入る?」
セラフィーナの声は静かだった。
「何故距離を取る?」
深紅の獅子が低く唸る。
「一年生相手に時間を稼ぐのか?」
荒い呼吸、大量の汗、身体の震え。それでもその笑みは、燃え盛る闘志は消えない。
「勝つつもりならば、今この瞬間に私を殺しに来い」
「小娘が……!」
クィレルが歯を食いしばる。
「その状態でまだそんなことを言うか!」
「当然だ」
セラフィーナは不敵に笑う。
「私の魔力は尽きかけている。ならば最大の好機ではないか」
深紅の瞳が妖しく輝く。
「それとも何だ?まさか恐れているのか?」
「なに?」
「魔力が尽きる寸前の十一歳の小娘を相手に、距離を取って時間稼ぎとはな」
クスリと笑う。
「随分と臆病なことだ。子供に怯える小心者め」
「貴様ァ!!」
クィレルが激昂し、一歩前に踏み出す。
だが──
「止まれ」
ヴォルデモートの一言で、その足が止まった。
「我が君……」
「愚か者が。同じ過ちを繰り返すつもりか」
クィレルがハッと息を呑む。
「……小娘、また私を挑発して冷静さを失わせるつもりだったのか。そんな状態になりながら、なんて奴だ」
「ククッ……バレてしまっては仕方ない」
セラフィーナは肩を竦めながら笑う。
「だが、もう遅い」
「なに?」
「貴様等は時間を使い過ぎた」
その瞬間、深紅の獅子が咆哮した。
「ガアアアアアアアアアアアアアッ!!」
「クィレル!」
「はっ!」
クィレルが数多の呪文を放つ。
炎、斬撃、失神呪文。
だが──
深紅の獅子は全てを食い破るように突き進む。
「馬鹿な!?」
「終わらせろ!」
セラフィーナが杖を振り下ろす。深紅の獅子が跳躍し、巨大な顎がクィレルに迫る。
「プロテゴ!」
透明な盾が展開される。
ガァン!!
耳をつんざく強烈な衝突音。しかし先程とは違い、クィレルが展開した透明な盾は破壊されていなかった。
「……そうか、破壊できなかったか」
魔力枯渇。セラフィーナの身体がグラリと揺れ、倒れそうになりながらギリギリのところで踏ん張る。
しかし──深紅の獅子は姿が大きく揺らいで粒子となって消滅した。
「……ハッ、ハハハッ!やった、やったぞ!遂に魔力が底をついたか小娘!」
「お嬢様!!」
「アウレリウス!!」
クィレルが勝ち誇り、リオラとハリーが絶叫する。セラフィーナは既に立っているのがやっとで、今にも倒れてしまいそうに項垂れている。
「さあ、あとはお前だポッター。大人しく賢者の石を──」
「油断するな愚か者!!」
クィレルがセラフィーナから視線を外し、ハリーの方を向く。ヴォルデモートが怒声を浴びせるが、既に致命的な隙ができてしまった。
「……クリムゾン・ランス」
その瞬間、杖先に鮮烈な深紅の光が収束する。
それは炎ではない。
雷でもない。
純粋に圧縮された魔力の槍。
深紅の流星。
そう呼ぶべき一撃だった。
「なっ──」
轟ッ!!
深紅の槍が射出される。
迷いなく一直線。
まるで光そのものが突き進んでいるような異次元の速度。
「ぷ、プロテゴ・トタラム!!」
クィレルは咄嗟に防御呪文を展開しようとするが、間に合わない。
一閃──深紅の槍は、クィレルの腹部を貫き、そのまま背中側へと突き抜けた。
「ガァァァァァッ!!」
鮮血が舞う。
クィレルの身体が吹き飛び、石床を転がった。
「クィレル!」
ヴォルデモートの怒声が響く。
「ぐっ……」
腹部に空いた風穴。
大量の血液。立ち上がることさえ困難な致命傷。
「何故だ……何故まだ……」
クィレルの掠れた声。
「クク……」
セラフィーナが笑う。
「誰が……全て使い切ったと言った?」
口元から血が流れる。視界は霞み、身体は悲鳴を上げている。
それでも。
深紅の瞳だけは輝きを失わない。
「最後の一滴まで使い切るなど三流のすることだ」
「グッ……」
クィレルは自ら治癒の呪文をかけるが、腹部に開いた風穴はそう簡単には塞がらない。
「小娘……その魔法にも覚えがある。レジナルドが使っていた魔法だ」
ヴォルデモートが静かに言う。
「そうだ……アウレリウス家独自の攻撃魔法だ」
セラフィーナの声も掠れる。もはや立っているのが奇跡だ。
「……ここまでか」
ヴォルデモートの低い声が響く。
「器がこの有様では、もはや石は我が手には入らぬ……」
「うっ……!?」
その瞬間、ハリーの傷が焼けるように痛む。
「アウレリウス……そしてハリー・ポッター」
クィレルの身体から、黒い霧のようなものが溢れ出る。
「見事だった。だが次は、これほど上手くはいかんぞ」
赤い瞳が深紅の少女を見据える。
「アウレリウス。貴様の父に続き、その名は記憶しておこう」
不気味に口角が吊り上がる。
「そしてハリー・ポッター……」
ハリーの額の傷が激しく痛む。
「我々はまた会う。その時こそ、全てを終わらせてやろう」
黒い霧が天井へと昇っていく。
「覚えておけ。死は終わりではない」
そして、黒い霧は音もなく消え去った。
「我が……君……」
クィレルが震える声を漏らす。
主を失ったその顔には、恐怖と絶望だけが浮かんでいた。
「い、行かないでください……」
力なく伸ばした手が空を掴む。
「お願いです……見捨てないで……」
しかし返事はない。
「嫌だ……嫌だ……!」
クィレルは血を吐きながら床を這う。
「私は貴方のために……全てを捧げたのに……!」
主に見捨てられた哀れな男の慟哭が響き渡る。
「……しぶといな。気休めに自らにかけていた治癒魔法が命を繋いだか?」
青白い顔、霞む視界、震える手足と口から溢れる血液。
そんな状態でもなお、セラフィーナは杖を握り締め、一歩、また一歩とクィレルへ歩み寄る。
「……アウレリウス?」
ハリーはその背中を見て、背筋に冷たいものが走った。
今の彼女の顔は見えない。
だが何故か……彼女を止めなければならないと思った。